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魔王の寵愛 ~不憫な令嬢が最恐に愛される訳~

作者: shiryu


 ――私の人生には、救いも望みもない。


「オリビア! お前、また妹のイオラの邪魔をしたのか!?」


 私が一人、屋根裏部屋で書類仕事をしていると、お父様が怒鳴りながら入り込んできた。


 いつものことだが入ってきた音にビクッとして、私はお父様の方を振り返る。


 勝手に開かれたドアから入ってきたのは、お父様だけじゃなく、お母様と妹のイオラもいた。


「何のことでしょうか?」

「とぼけるな! またイオラと婚約者がデートをしていたのを邪魔したらしいな!」

「私は今日、ずっとここで仕事をしていましたが」


 屋根裏部屋で仕事をさせているのは、お父様とお母様なのに。

 十八歳の娘を軟禁してやらせるような仕事でもないはず。


「オリビア、あなたならこの部屋にいながらでも邪魔できるでしょう?」


 お母様は汚らわしいものを見るような視線を向けてくる。


 そしてお母様の隣にいる妹のイオラを心配するように肩を抱いた。


「あなたはいつもそうやって、その汚い手に刻まれた呪印を使っているから」


 私は生まれてから一度も両親に心配されたことがない。


 むしろこうして、侮蔑の視線や態度を取られ続けている。


 お母様が言った、私の手の甲に刻まれた呪印のせいで。

 呪印と呼ばれているが、正確には「魔の印」というもの。


 私もよくわかっていないが、これは人族の身体に刻まれるような印ではないらしい。


 だから私は生まれてすぐに忌み子として蔑まれてきた。


「その呪印があれば、魔獣を操れるのでしょう!」


 お母様にそう言われるが、私は首を振る。


「いえ、これで魔獣を操ることはできません。何度も言っていると思いますが」

「そんなの信じられるわけないでしょ! 前にイオラが魔獣に襲われたのは、あなたが仕掛けたからでしょ!」


 そう怒鳴ってくるお母様だが、実際は違う。

 魔獣を操ることはできないし、イオラが魔獣に襲われたというのは完全なる嘘だ。


 イオラが私をさらに陥れるための、ただの嘘。


「今日もオリビアが婚約者と話しているところに魔獣が近づいたって話じゃない!」


 これも嘘だ。私は今日イオラが婚約者と会うことすら知らなかったのに。

 でも私が何を言っても両親は信じてくれないし、どうしようもない。


「婚約者のデニス様もとても驚いていたわ」


 さっきから嘲笑うような笑みを浮かべていた妹のイオラが、一歩前に出て話し始める。


 笑みを消して、傷ついたような表情を浮かべるのが上手い。


「デニス様はこの国を支える公爵家の嫡男なのよ? その方に何かあったらどうするつもりだったのかしら」

「イオラの言う通りだ! お前が責任を取れるのか!?」

「私達のリッカルダ辺境伯家に迷惑をかけないでちょうだい!」

「……申し訳ありません」


 イオラの嘘だから、デニス様が危ない目に遭うことはない。


 でもデニス様もイオラの味方だから、彼はイオラの嘘を肯定する。


 つまりイオラが「デニス様とデート中に魔獣に襲われた」と嘘を言えば、デニス様もそれと同じことを証言する。


 私が何を言っても誰も信じない。


 だから、私は何もやってなくても謝るしかないのだ。


「申し訳ありませんでした」

「お前という奴は、生まれてこなければよかったのだ!」

「本当に、なんで双子で生まれたのかしら」

「私も、お姉様なんていりませんでしたわ」

「……」


 子供の頃から、言われ続けてきたことだ。


 最初はとてもショックだったが、今はもう慣れてきてしまった。

 でも慣れてきたからと言って、傷つかないわけじゃない。


「はぁ、本当に役立たずだ。辺境伯家の書類仕事ができなかったら、とっくに捨てていたところだ」

「そうね。オリビアの使い道なんて、そのくらいしかないわね」

「ふふっ、お姉様はずっとここでつまらない書類仕事をやっていればいいのよ」


 辺境伯家の書類仕事はとても大事だ。


 私のような未熟者がやっていいものじゃないと思うんだけど、私は十五歳の頃からお父様に仕事を押し付けられている。


 家で軟禁されていて、家の中の本や書類を暇つぶしに全部読んでいたので、書類仕事はすぐにできたけど。


 でも今でもちゃんとできているのかずっと不安だ。

 私がこれをやらないと辺境伯家の領地にいる領民の生活が危ないから、頑張ってやるしかないのだが。


 とりあえず私に任されてから三年間、特に領地で何か起こったわけじゃないと思うから大丈夫だと思うけど。


「今日の仕事は終わったのか?」

「はい、だいたいは」

「見せてみろ……ふん、どうやらちゃんとやっているようだな」


 お父様が私の質素な机から書類を奪い取って確認した。

 椅子も固くてボロいので、腰やお尻が痛くなるけど。


 でも、どうやら今回も問題はないようだ。


「むっ、ここの数字はどういうことだ? なぜこんなに金が要るんだ?」

「そちらは辺境伯領の西にある村が不作だったようなので、その支援金です」

「ふん、ただの村にこんな支援金がいるものか」

「ですがそこには数百人の領民が……」

「いらん。もっと少なくてもなんとかなるだろ」

「……かしこまりました。支援金を少なめにします」

「そうしろ」


 いつもお父様は領民のことを思っていないかのようなことしかしない。


 いや、本当に不作で餓死人が出てもいいと思っているのだろう。

 でもお父様がこう言うと思っていたので、少し多めに支援金を書いておいた。


 多少減らしても問題はないと思う。


「それと、この数字は?」

「そちらは、隣国の魔王国への食物などの輸出品の金額などです」


 隣国、魔王国。


 その名の通り、魔人族が住んでいて、魔王が治める国だ。


 魔王も魔人族という種族で、私達の国は人族が住んでいる。

 人族と魔人族の違いを私はあまり知らないが、とても野蛮な種族だとは聞いている。


 魔王国はあまり領地は大きくないが、魔王の強さは尋常ではない。

 魔王国の領地はいろんな国が隣接している森や草原がほとんどらしい。


 魔の森と、魔の草原。

 魔の森と草原には魔獣が多く生息しており、普通の人間だったら到底勝てないような魔獣が多くいる。


 鍛えた兵士ですら三人がかりでかからないと倒せないような魔獣。


 その魔獣や魔人族の全ての頂点に立っているのが魔王だ。

 魔王は魔獣を全て操れる、という噂が立っている。


 だから魔王国との敵対は死を意味する、というのが常識である。


 あまり世間のことを知らない私ですら、魔王と会ったら死んでしまうという噂を聞いたことがあるくらいだ。


「ふむ、魔王国……まあこれでいい。あの国との取引は慎重にならないといけないからな」


 私達のリッカルダ辺境伯家の領地は、魔王国の領地の森と隣接しているのだ。


 だから辺境伯領はとても大事な領地で、その書類仕事などはとても大事だと思うのだが、お父様はわかっているのだろうか。


 でも辺境伯領の領民への支援金などは確認を怠ったり渋るけど、魔王国への輸出品や輸入品の関税などはしっかり確認しているようだ。


 辺境伯家の当主として、最低限の仕事はしているのだろう。


「お父様、お姉様の今日の仕事は終わっているの?」

「イオラ。ああ、そのようだな」

「じゃあお姉様に今日の責任を取ってもらわないと」


 イオラが醜く笑ってから、私のことを見てきた。

 その蔑むような視線や笑みが嫌いで、胸がきゅっとなる。


「そうだわ、あなた。オリビアを外に出さないと」

「ふむ、そうだな。オリビア、一晩外で過ごしてこい。頭を冷やしてくるんだな」

「……はい」


 今日は雪が降りそうなくらい寒い。

 一晩外で過ごしたら死んでしまうかもしれない。


 おそらくイオラやお母様は、本当に私に死んでほしいのだろう。


「外着を着ることは許そう。ただ屋敷外で一晩過ごすんだ」

「かしこまりました」


 お父様は私が書類仕事ができるから、死んでほしいとは思われてはなさそう。

 でもいなくなってもいい存在、と思われているのは確かだ。


 その命令をしてから三人は屋根裏部屋からいなくなった。



 私は早めに外着を着て屋敷の外へ出ようとして、玄関へと向かった。


 すると玄関で私を待ち構えていたのか、妹のイオラがそこにはいた。


 イオラの後ろには使用人が二人ほど立っている。


「お姉様」

「イオラ……」


 彼女の蔑み見下すような視線を受けて、私は背中に冷や汗が流れる。

 小さい頃から彼女に見下され続け、時には暴力も振るわれて。


 私はイオラを見ると不安や恐怖で心臓が縮むような感覚に陥るようになっていた。


「お姉様は可哀想ね。私の嘘で罰を受けることになって」

「……」

「お姉様の言うことは誰も信じない。全員が私の嘘を信じる。お姉様の味方は誰もいないわ」

「っ……」


 そんなのは、昔からわかっている。

 生まれてから自分に味方がいるなんて、思ったことがない。


 両親もイオラも、私のことを目の敵にしているから。


 この「魔の印」が手の甲にあったせいで。


「あなたがなんでまだ生きているのかわからないわ。私だったらとっくに自殺していると思うわ」

「っ……」

「本当に目障りだわ。まあでも、あなたを見るのは今日で終わりかもね」


 イオラはそう言うと、彼女の後ろに立っていた使用人達に視線を送った。


 彼らが持っているのは、バケツ?

 瞬間、私はバケツの中に入っていた水をかけられた。


「っ、つめた……!」


 冷水だ。

 私は頭からつま先までびしょ濡れで、着ていた服も上着も濡れている。


「ふふふっ、その姿のまま雪が降っている外で一晩過ごしたら、どうなるかしらね」


 今の姿でも凍えそうなのに、このまま外に出たら……。


 確実に凍死してしまう。


「ほら、早く出て行きなさい。一晩、ここに帰ってきちゃダメよ」

「っ……」

「さようなら、オリビアお姉様」


 最後にふっと笑ってから、イオラは私の前から消えた。

 本当なら部屋に戻って服を着替えたいのだが、目の前にいる使用人達が許してくれないだろう。


 この人達も私が死んでも問題ない、むしろ邪魔だと思っているのか。


 やっぱりここには、私の味方は一人もいない。


 私は泣きそうになりながらも、涙をこぼすことなく屋敷から出た。



 屋敷を出た瞬間に感じる、皮膚を刺すような寒さ。

 本当にこのままでは死んでしまう。


「はやく、森へ……」


 私は身体を温めるためにも小走りで、屋敷から出て数十分の森へと向かう。


 ここは辺境伯領と魔王国領の狭間の森だ。

 いや、正確に言えば魔王国の領地に少し入っている。


 魔王国は森の全てを領地としているから。


 でもここには国の領地を区切るような壁などはないし、国の兵士などもいない。


 普通の国境なら壁や兵士がいるはずなのだが、この魔の森には必要ない。


 誰も近寄らないから。

 近寄ったら死ぬと噂されている。


 鼻が良い魔獣がすぐに人間の匂いを嗅ぎつけて、襲ってくる。


 そういう噂が流れているが、実は少し違う。


 それを、私は知っている。


「はぁ、はぁ……」


 魔の森に着いて、私は躊躇わずに森の中へ入っていく。

 整備されていない地面なので、これ以上走ったら転んで怪我をしてしまう。


 私はゆっくりと歩きながら奥のほうへ進んでいくと、目の前にいきなり魔獣が現れた。


 全身が真っ白な体毛で覆われた狼型の魔獣。


 とても大きく、私なんか丸呑みできるような大きさだ。


 そんな魔獣が三体、私を見つめて「グルルルゥ……」とうなり声を上げている。


 普通の人だったら死を覚悟するような状況かもしれないが。


「久しぶりね、みんな」


 一番先頭にいた魔獣の子に話しかけて頭を撫でる。


 すると「くぅぅん……」と愛らしい鳴き声を上げてすり寄ってくれた。

 うん、可愛いわね。


 私の国で流れている噂は、魔獣が理性もなく本能のまま人を襲って喰らう、というものが多い。


 でも実際は全く違う。

 魔獣達は人間の言葉がわかるくらいの理性と知性がある。


 いや、もしかしたら……私にだけなのかもしれない。


 私が「魔の印」を持っているから。


 でも私は彼らが誰かを襲ったことを見たことがないし、襲っているような感じもしない。


 ちゃんと知性があるから……私の家族なんかよりも、よっぽどありそうだ。


「っ、ふふ……ありがとう」


 私が凍えていることに気づいて、みんなが私に身体をくっつけてくれる。

 白くて体毛がふわふわしていて気持ちよく、彼らの体温が伝わってくる。


 でもさすがに濡れた服などのほうが冷たすぎるので、彼らに寄ってこられてもまだ寒すぎる。


「その、火を出せる子を、呼んでくれない?」


 私が彼らに伝えると、軽く頭を縦に振って頷くような仕草を見せた。


 そしてまた消えるように二体の狼の魔獣が消えて、一体だけが残った。

 私は、別に意のままに魔獣を操ることはできない。


 ただ彼らと意思疎通が取れて、お願いができるだけ。


 それが「魔の印」の力なのかはわからないけど。


 でも、魔獣と出会ってからずっと助けてもらってきた。


 今も、ここで彼らに頼めば私の命は助かるかもしれないと思って来たのだ。

 私が落ちている枝や葉などを集めていると、姿を消した狼の魔獣が一体戻ってきた。


 その背には小さな魔獣が乗っていて、私のもとに跳ぶように飛んでくる。


「きゅぅぅ!」

「あなたも久しぶりね、キツネちゃん」


 狐型の魔獣で、とても小さくて私の胸元にすっぽり入るような感じだ。

 赤茶色っぽい毛色で、この子もふわふわしていて可愛い。


 一見、普通の狐っぽいんだけど、この子はしっぽが三本ある。


 とても可愛らしいが、しっかりとした魔獣だ。


「きゅぅ!?」

「あっ、ごめんなさい。私の服濡れてるから」


 私に受け止められたキツネちゃんは、胸元が濡れていて冷たいことでビックリして声を上げた。

 すぐに私から離れていってしまった、悲しい。


「キツネちゃん、この枝と葉っぱが集まったところに、火をつけてもらってもいい?」

「きゅぅ!」


 キツネちゃんは返事をしてから、私の指示通りに火を口から吹くようにして付けてくれた。

 この子のお陰で焚き火はできて少し温まるが……それでもまだ寒いわ。


「やっぱり服を脱いだほうがいいのかしら」


 上着も下着もびしょ濡れだから、このままだと体温をずっと奪っていく。


「きゅぅ?」

「うん、私もわからないけど」


 でも今のままだと寒すぎるから、脱いだほうがいいわね。


 ここにはこの子達、魔獣しかいないし。


 私は上着を脱いでボロボロのドレスも脱いで、下着姿になる。

 するとまたキツネちゃんが私の胸元に来たので抱きしめる。


 狼の子も私が寄りかかって座りやすいように、私を囲むように身を屈めてくれる。


「きゅぅ……」

「ふふっ、心配してくれてるの?」


 私はキツネちゃんの頭を撫でて、狼の子にも視線を合わせてお礼を言った。


 ここまでやっても……まだ凍えるように寒い。

 寒さで身体がずっと小刻みに震えている。


 身体が震えているうちは、まだいい。


 問題は、震えなくなるほど体力が失われた時だ。


 その時は本当に――。

 ――でも、もういいのかもしれない。


『あなたがなんでまだ生きているのかわからないわ。私だったらとっくに自殺していると思うわ』


 妹のイオラが言っていた言葉が、ボーっとしてきた頭の中でもう一度響く。

 あの子の言う通り、自殺をしようと思ったことなんか数えきれないくらいある。


 何も幸せがない人生だった。


 呪印と呼ばれ続けた「魔の印」。


 これのせいで家族に虐げられ、イオラに蔑まれてきた。

 イオラが嘘で私を陥れて、私が本当のことを言っても誰も信じない。


 私の味方は、誰もいない。


「この子達と会うのが、もっと早くだったらなぁ……」


 魔の印のお陰なのか、魔獣の子達とは仲良くなれた。


 でもこの子達と会って仲良くなれたのは、ここ一年くらいだった。

 それまでは私は一人で生きてきて、この「魔の印」を恨んだことも何回もある。


 この印さえなければ、普通に生きられたかもしれないと。


 でも今は、こんな可愛くて愛らしい子達と仲良くなれてよかったと思っている。


 私自身、魔獣を好きになれるとは思っていなかった。


 自分でも知らないことを知れて、よかった。


 ――やばい、もう……意識が……。


 座るのも辛くなってきて、地面に倒れるように横になった。


「きゅぅ!?」

「ごめんね、キツネちゃん……」


 倒れてしまったので、胸に抱えていたキツネちゃんを放り出してしまった。


 でもキツネちゃんはすぐに私のもとに来て心配してくれる。

 本当に可愛らしくて好きだけど、もうどうしようもない。


 周りにいる狼の子達も私を心配そうに見つめてくれている。


 それは本当に嬉しいけど……私は疲れてしまった。


 イオラに、なんで生きているのか、なぜ死なないのかを聞かれたけど。


 ――ただ死ぬのが怖いからだ。


 私は死ぬ勇気もない、死にたくないから生きているだけ。


 でも……このままだったら、本当に死ぬかも。

 もう寒さも感じなくなってきて、頬に触れる地面の感覚もなくなってきた。


 キツネちゃんと、狼の子達には申し訳ないことをしてしまった。


 私を助けようとしてくれたのに。

 あれ、そういえば……最初は三体いたけど、もう一体はどこに行ったんだろう。


 キツネちゃんを探しに二体いなくなったと思っていたけど。


 そんな考えをしていたが、もう眠くなってきた……。


「――ふむ、この者か。お前達が助けてくれと懇願してきたのは」


 私が目を瞑ろうとした時、そんな声が上から聞こえた。


 誰? 人の声?


「人族の女性だな。痩せ細っているから平民か? だがリッカルダ辺境伯領は平民でも比較的安定した生活を送っていると報告を受けていたが」


 低い男性の声だけど、なぜここにいるのかしら?

 ここは魔の森の少し奥に入った場所、人族なら誰も来ないはずなのに。


 私の目の前までその男性は来たようで、男性の足が見える。


「これは酷いな。だが大丈夫だお前ら、俺なら助けられ――ん?」


 でも、もう目も霞んできて……何も見えなくなった。


 意識も遠くなってきた。


「この印は――よくやった、お前ら。よくぞ見つけてくれた」


 なぜか喜んでいるような、男性の声が聞こえてくる。

 でも、もう眠いからよくわからない。


「この女性は、俺の――ちょうき――」


 男性の声も聞こえなくなって――。



「――んぅ……」


 私は、目を覚ました。


 ……えっ、目を覚ました?

 あんな寒い夜に身体が濡れたまま、外で地面に寝転がって眠っていたのに?


 何かに包まれているような感覚で、心地よいリズムで身体が揺れている。


 いや、包まれているというか、抱きしめられているような……。


「起きたか、寵姫よ」

「えっ……」


 目を開けると、私は上を向いていて。

 目の前には男性の顔があって、私はその人に抱きかかえられていた。


 男性にしては長い髪、背中あたりまで伸びている綺麗な銀髪。


 恐ろしいほどに整った顔立ちで、瞳の血のように鮮やかな赤色が印象的だ。


「ど、どなた、でしょうか……?」

「俺の名はレオニダ・シュタイナーだ。君の名は?」

「オ、オリビア・リッカルダです」

「オリビアか。とても美しい名だな」


 よくわからない男性に、横抱きをされたまま自己紹介をしたけど。


 一体どういうこと?

 なんで私はこの人に横抱きされて運ばれているの?


「あ、あの……」

「あまり動くな、オリビア。ホワイトウルフの上から落としてしまうぞ」

「ホワイトウルフ? あっ、狼の子……!」


 下を見ると、レオニダ様は白い狼の子に跨っていた。

 彼が跨っている狼の子は私のほうを見てきて、「くぅぅん」と鳴いた。


 どうやら心配をかけてしまっていたようだ。


「きゅぅ!」

「あっ、キツネちゃん……!」


 私の胸元に飛び込んできたキツネちゃん。

 可愛らしいけど、ちょっと待って。


 今、普通に私の隣を浮いてなかった?


「ホワイトウルフに妖狐にも好かれているとは。さすが寵愛の印を持つ者だな」

「えっ、寵愛の印って……この手の甲の印ですか?」

「ああ。それは魔の印とも言うが、寵愛の印とも言うのだ」


 初めて聞く名前だった。

 魔の印や呪印という呼び名以外にあったとは。


「魔獣や魔人族の寵愛を受けし者、という意味だ」

「魔獣や魔人族……それって、魔王国に住んでいる者達ってことですか?」

「ああ、その通りだ」


 よくわからないけど、この印のお陰で魔獣の狼やキツネちゃんと仲良くなれたのか。


 でも、この人はいったい誰なんだろう?

 おそらく魔人族の方だとは思うんだけど……。


 それに私はどこに連れていかれるのだろうか。


「あの、レオニダ様」

「オリビア、着いたぞ。君の家だ」


 私が質問をする前に、レオニダ様がそう言った。

 驚いて進んでいる方向を見ると、確かに私の家、リッカルダ辺境伯家の屋敷があった。


 なぜ私がリッカルダ辺境伯家の者だとわかったのだろうか?


「オリビアの名前はさっき直接聞く前から、妖狐から聞いていた」

「えっ、キツネちゃんと話せるのですか?」

「ああ、そういう能力を持っているからな」

「魔人族の方々は皆さん、魔獣と話せるのですか?」

「いや、俺だけだな」

「えっ、レオニダ様だけ?」


 魔人族の人達がどれほど人数がいるのかは知らないが、魔獣と話せるのはレオニダ様だけなの?


 それならこの方は、魔王国でどんな立ち位置にいる人なのだろうか。


「だから君をリッカルダ辺境伯家に連れてきたが……君は、この家に帰りたいか?」

「っ……」


 その質問で、私はいろんなことを思い出して恐怖で身体が震える。


 このまま家に帰ったら、どうなるのだろうか。


 良い顔はされないだろう、特に妹のイオラには。


 あの子は私が死んでほしいと思って、あの冷水をかけたのだから。


 それで今さらまた戻っても、次はどうやって殺そうとしてくるのか。


 考えるだけで身体が震えてくる。

 震えがレオニダ様に伝わってしまったのか、彼が私の身体を強く抱きしめてきた。


「大丈夫だ、オリビア。君があそこの家に帰りたくないということは、よくわかった」

「すみま、せん……」

「いい。魔獣から話は聞いていたし、君の姿を見ればわかることを聞いてしまった」


 レオニダ様はそう言って悲しそうな顔をした。

 なぜこの人は、初めて会った見ず知らずの私のためにそんな顔をしてくれるのだろうか。


「オリビアのあの家には帰さない。だから安心して眠ってくれ」

「……はい」


 なぜ私にそんなに優しくしてくれるのだろうか。


 私なんかに、なぜそんな優し気な眼差しを送ってくれるのだろうか。


 何もわからない。

 でも、その優しさと抱きしめらえているのが夢心地で。


「レオニダ、様……」


 私は彼の名前を呼んでから、心地よさに負けて目を瞑ってしまった。

 眠る前に見た光景は、レオニダ様は一瞬目を見開いてから口角を少し上げたところ。


「おやすみ、俺の寵姫。よい夢を」


 ――生まれて初めて、眠りの親愛の言葉を聞いた。

 その優しい言葉と眼差し、初めて会う男性の温かい腕の中で。


 私は眠りに落ちた――。



◇ ◇ ◇



 リッカルダ辺境伯家に、それは突然来訪した。


「邪魔するぞ」


 銀色の長い髪を靡かせた男性が、とんでもなく大きい狼の魔獣に乗って屋敷の敷地内に入ってきた。

 門は閉まっていたが、狼の魔獣は軽くそれを飛び越えてきた。


「な、なんなんだ、お前は!」


 辺境伯家の当主が表に出てきて、声を震わせながら叫んだ。

 後ろには夫人と娘のイオラも出てきていた。


「俺は魔王国の王、レオニダ・シュタイナーだ」


 狼の魔獣から降りてきた男性、レオニダ。


 美しい銀髪に恐ろしいほど整った顔立ち、圧倒的な存在感。


 その男性に思わず見惚れてしまうイオラだったが、父の辺境伯が目を見開いて驚く。


「ま、魔王国の王!? まさか、魔王だと!?」

「ああ、その通りだ」


 ――魔王国の領地は、人族にとっては価値がある土地だった。


 魔獣は脅威だが狩れば肉となり、作物も豊富に育つような森と草原。

 だから人族の国は過去歴史上、何度も何度も魔王国を侵略しようとしている。


 しかし、その侵略は一度たりとも成功していない。


 それは魔獣が強く、魔人族も人族よりも多少は身体能力が高いから。


 ――だけではない。


 そんな理由だったら人族の軍隊のほうが人数が多いので、物量の差で押し切れる。


 ただただ、個の強さ。


 すなわち、魔王が強すぎるのだ。

 ただ一人で国の軍隊を退けるほどの強さを持つ。


 過去には十万人以上の兵士を一人で壊滅させたという史実も残っている。


 魔王は世襲制で、魔王の子が魔王となる。


 現魔王、レオニダ・シュタイナーは百年前に魔王となってから、何度か人族の国から侵略を受けている。


 魔王が変わったタイミングで人族の国が侵略をしようとするのは、よくあることだ。


 もしかしたら今代の魔王は弱いかもしれない、と想定して。


 もちろん、結果は――。


「突然の訪問すまないな、リッカルダ辺境伯」


 当主が魔王レオニダを目の前に呆然としていると、声をかけられてハッとした。


「ま、魔王レオニダ様が、リッカルダ辺境伯家に何の用でしょうか? これは国際問題に発展しますぞ」


 武力では全く勝てるとは思えない、思わない。


 魔王レオニダは複数の国との戦争で、一人の力で勝利しているような男だから。


「国際問題? まあそうなってもこちらは問題ないが、お前の目は節穴か?」

「何がでしょう?」

「俺が抱えている女性が目に入らないのか?」


 当主はそう言われて初めてレオニダが横抱きにしている女性が目に入る。


 ずっとレオニダの圧倒的な存在感に目を奪われていたから。

 薄汚れた服がさらに土で汚れているようだ。


 汚らしいドレスなので平民のようにも見えるが、どこかで見たことがあるドレスだと思っていたが……。


「えっ、オリビアお姉様?」


 後ろで震えていたイオラが、最初に気づいた。

 イオラが最後にオリビアに冷水をかけたのだから、汚れていた服に見覚えがあったから。


「ああ、そうだ」

「ほ、本当にうちの娘のオリビアですか?」

「――自分の娘を、この距離で見てわからないのか?」


 殺気のような威圧を放つ魔王レオニダ。

 それに冷や汗を流しながら、すぐさま頭を下げるリッカルダ辺境伯。


「も、申し訳ありません。まだ日も昇っておらず、さらに歳で目が悪くなってきていて」

「……まあいい」


 確かにまだ日は昇っていないが、人の顔などが見えないほどの暗さではない。

 レオニダは辺境伯家の者達を睨みながらも、オリビアを大事そうに抱きかかえている。


 話が長くなると思って、一体のホワイトウルフを座らせてその身体に寄りかかるように座らせた。


 イオラはその様子を驚きながらも、目を逸らさずに見つめている。


「オリビア嬢は魔の森の中で倒れていた。だからこうして連れてきたのだ」

「そ、そうでしたか! うちの不躾な娘が申し訳ありません」

「問題は、なぜ彼女が一人、こんな薄着で服が濡れた状態で魔の森にいたのかだ」

「それはオリビアが悪さをした躾で……失礼、服が濡れていたとは?」

「そのままの意味だ。この寒さで服が濡れていたら、凍え死ぬに決まっているだろう。貴様は、自分の娘を殺そうと思ったのか?」

「と、とんでもない! オリビアが濡れた服なんて知りませんでした!」

「……ほう、そうか」


 ――レオニダは見抜いていた、辺境伯が本当のことを言っていると。

 その後ろで若い娘、イオラが自分の言葉にビクッと震えたことを。


「辺境伯は、オリビアを殺そうなんて思っていなかったと」

「もちろんです」

「なるほど、だが躾としてこの寒い夜に薄着で外に出したことを認めるのか?」

「そ、それは躾です。オリビアが妹のイオラの邪魔をしたからで」

「邪魔? どんな邪魔だ?」

「イオラが婚約者とデートをしていたのを邪魔したのです。オリビアは呪われた印を持っているので――」

「――呪われた印だと?」


 その言葉に、レオニダは意図せずに威圧を出していた。

 レオニダが殺気と共に威圧を出したら、それだけで並の兵士は気絶する。


 威圧だけでも辺境伯は後退り、後ろにいる夫人は「ひっ!」と悲鳴を上げて尻餅をついた。


 イオラは何とか立っていられたようだが、がくがくと足を震わせていた。


「何が、呪われた印だ?」

「オ、オリビアの手の甲に刻まれた印です」

「これは魔の印だ、辺境伯が知らないのか?」

「知っておりますが、人族の貴族の娘がそんなものを刻まれて生まれてきたのです。私達は周りの目からそれを隠さないといけませんでした」


 レオニダにはよくわからなかったが、文化の違いだろうか。


 いや、この辺境伯家の者達が人の目を気にしすぎているだけ、という可能性もある。


 問題なのは――。


「その呪われた印が刻まれていただけで、寒い夜に薄着で外に出すという虐待をするくらいなのか」


 またも威圧が出てしまうが、もう構わなかった。


 寵姫となるオリビアが、その印のせいで虐待されていたという自身への怒りもあった。

 辺境伯も冷や汗をかきながらも話し続ける。


「そ、それは、オリビアが躾を受けないといけないことをしたからです!」

「デートの邪魔をしたと言っていたな。どんな邪魔をしたのだ?」

「その印の力を使って、魔獣に妹のイオラと婚約者を襲わせたようです」

「魔獣に? どこで? その証拠はあるのか?」

「イオラと婚約者が言っていたのですから、証言は揃っています」

「証拠はないだろう。オリビアが魔獣にそう指示を出すとは思えん」

「ですがイオラが襲われたと」

「イオラとは、そこの女か?」


 レオニダは後ろで震えている女、イオラを睨む。


 彼女はオリビアが濡れているという原因を知っている、もしくは原因そのもの。


 レオニダは睨みながら近づいていく。


「お前、魔獣に襲われたというのは本当か? どこで襲われたんだ」

「え、えっと、その……」

「まず言っておくが、俺は魔獣達に森と草原を出るなと言っている。そして森と草原を出た魔獣がいたら、俺は察知できるしすぐに注意しに行く」

「っ……」

「まあ人間が勝手に入ったらわからんのだがな。だから寵姫を見つけるのが遅くなってしまった」


 人族の者が魔王国の領土を物資を運ぶ時の近道として使うことは多々ある。

 だから人族が勝手に入ってきたり、出て行ったりしてもわからないのだ。


「それで、お前はどこで魔獣に襲われた? まさか婚約者と魔の森や草原でデートをしていたとは言うまいな」

「それは……で、ですが、お姉様は呪われた印、魔の印が刻まれていて! だから魔獣を操って、私に嫉妬をして!」

「――話にならないな、お前は」

「ひっ!?」


 レオニダは感情のままに騒いでいる未熟者を威圧する。

 それだけで何も喋れなくなり、尻餅をついたイオラ。


「証拠もないのにオリビアの罪をでっち上げ、虐待をするとは。その様子だと今回の一度だけじゃないだろう。お前らもそうだ、リッカルダ辺境伯、辺境伯夫人」


 レオニダに睨まれて動けなくなる辺境伯と夫人。

 魔王の威圧を受けているので、動けなくなるのは無理もないが。


「もうお前らはいい。もともと彼女を連れて帰るつもりだったが、まさかここまでとはな」

「お、お待ちください。まさか、オリビアを連れて行くのですか!?」

「その通りだ。オリビアはここには置いていられない」

「なそ、それは、国際問題になりますぞ! 魔王が隣国の貴族の娘を連れ去ったというのは!」

「どうだっていい。ただ彼女は、俺が連れて行くというだけだ」

「お、お待ちください!」

「――なんだ?」


 去ろうとしたところで後ろから声をかけられ、また威圧を放つ。

 何度か受けている辺境伯だが慣れることはなく、言葉が詰まった。


「ここにいたら、そろそろ怒りで魔力が暴走して屋敷が吹っ飛ぶと思うが、いいのか?」


 辺境伯は、魔王の真意がわからない。


 なぜ彼が怒っているのか、なぜオリビアを連れ去ろうとしているのか。


 わかっているのは、連れ去ることを止めることはできないし、オリビアを渡した方が穏便に済むということ。


(別にあいつが連れ去られても、この家には支障はない。あいつが魔王の奴隷になろうがどうでもいいのだ)


「っ……わかり、ました」

「ああ、それでいい」


 レオニダはそう言って辺境伯家の者達を一瞥してから、オリビアをまた抱きかかえてホワイトウルフに乗った。


 そして出て行こうとしたところで思い出したように「ああ、そうだ」と言って振り返る。


「オリビアは魔獣を操ることはできないが指示はできる。だがオリビアが酷い指示を出したことはないし、魔獣のほとんどがオリビアに好感を覚えている。だから、魔獣はオリビアのために勝手に動くこともある」

「そ、それが何か?」

「後ろを見てみろ」


 レオニダの言葉を聞いて、辺境伯家の者達が一斉に屋敷の方向を見る。

 すぐには気づかなかったが、イオラが「あっ!」と声を上げる。


「燃えてる!? えっ、嘘でしょ!?」

「なっ、まさか!」

「そんな……!」


 屋敷の最上階、屋根裏部屋あたりが燃えていて、さらに他の部屋あたりからも炎が上がっている。


「きゅぅ!」

「ふっ、どこ行っていたんだ妖狐。俺はてっきり、オリビアの側を離れないと思っていたのだが」


 レオニダが抱えているオリビアのもとに妖狐がやってきて、得意げに鼻を鳴らした。


 妖狐の炎は簡単には消えない。


 普通の水では消えないから、魔力が込められた水魔法でしか消えないのだ。


 だから加減しなければ焼き尽くすまで燃え続ける。


「全焼はさせないようにな、妖狐」

「きゅぅ!」

「オリビアがもう戻らないように屋根裏部屋は消し炭にする? なぜ屋根裏部屋なのだ?」

「きゅ、きゅぅ!」

「オリビアの匂いが一番強かったからか。なるほど、そこにオリビアは監禁されていたようだな」


 妖狐から伝えられた情報でまた怒りが増してくる。


 レオニダは生まれてこの方、魔力を暴走させたことなど一度もないが、ここにいたら本気で魔力を暴走させてしまうかもしれない。


 その時は屋敷だけじゃなく、辺境伯領のほとんどが吹き飛んでしまうかもしれない。


「ではな、リッカルダ辺境伯の者達よ。またいつか」


 そうして、レオニダはその場から離れた。

 屋敷が燃えていることに呆然としている、リッカルダ辺境伯家の三人を置いて。


◇ ◇ ◇


 ――私は心地よい眠りから、目が覚めた。


「んぅ……」


 いつもと違うと思ったのは、とても柔らかい場所で寝ていること。


 それに温かい、いつもなら固い床に薄い布団を被っているだけなのに。


 とても穏やかな眠りから目を覚まし、ゆったりと上体を起こした。


「っ……ここは?」


 私は上体を起こして、思わず独り言を呟いた。


 周りは全く見たことがない光景が広がっていた。


 どこかの屋敷の室内のようだ。


 しかもとても豪華で、壁は綺麗な装飾が飾ってあり、並んでいるテーブルや椅子はとても高価なものに見える。


 リッカルダ辺境伯家の一番豪華な部屋でもここまで綺麗ではない。


 私が寝ているベッドもとても広くて、私一人じゃなくて四人くらいでも寝られそうなくらい。

 掛けられている布団も柔らかいし、全部が高級そうだ。


 なぜ私はこんなところで一人眠って……。


「きゅぅ!」

「っ! キツネちゃん?」


 キョロキョロと周りを見渡していると、布団の中にキツネちゃんがいた。

 キツネちゃんは私に飛びついてきて、心配したと言うようにペロペロと首あたりを舐めてきた。


「ごめんね、キツネちゃん。心配させちゃったね」

「きゅぅ……」

「でもキツネちゃん、ここはどこなの?」

「きゅぅ!」

「うーん。感情はわかるんだけど、さすがに言葉自体はわからないわね」


 何か伝えようとしてくれているんだろうけど。

 眠る前、私は確か……あっ!


「レオニダ様……」


 そうだ、私はレオニダ様の腕の中で眠ったんだ。

 森の中で一人、死ぬ覚悟をして眠りについたのに、次に目が覚めたらレオニダ様の腕の中だった。


 彼は狼の子、ホワイトウルフに乗ってリッカルダ辺境伯家の屋敷まで私を送ってくれた。


 それで、私が帰りたくないという態度を取ったら察してくれて……。


 その後はわからない。

 とりあえず、ここはリッカルダ辺境伯家の屋敷ではないみたいだけど。


「――目覚めましたか」

「っ!」


 考え事をしていると、いつの間にかこの部屋に一人の女性が入って来ていた。


 柔らかい笑みを浮かべている女性、格好を見るにメイドのようだ。

 金髪の長い髪で普通のメイドに見えるが……頭に、角が二本生えている。


 側頭部あたりに黒い角が生えている。


 飾り、のようには見えない。


 それに、尻尾も生えてる?


 メイド服の後ろのほうで、黒くて細長いものがゆらゆらと揺れている。


 この方は人族じゃなく、魔人族なのだろうか。


 魔人族の容姿の特徴を知らないからわからないけど。


「初めまして。私はメイドをやっております、エリセと申します」

「あっ、その、私はオリビア・リッカルダです」

「オリビア様。お素敵な名前です」

「あの、エリセ様。ここはどこなのでしょう?」

「ここは、魔王国の魔王城です」

「……はい?」

「もう一度申しますね。魔王国の魔王城です」

「……えっ?」

「もう一度申しますか?」

「い、いえ、聞こえていますが」


 魔王国の、魔王城?


 本当に?

 私は本当に魔王国にいるの?


 いや、確かに魔の森は魔王国の領地だ。


 魔の森でレオニダ様に助けられたということは、やはり彼は魔人族だったのだろう。


 でも、なぜ私は魔王城に?


「あの、なんで私は魔王城の一室に?」

「それはあなた様が、寵姫だからです」

「ちょうき……?」

「はい」

「ちょうきって、なんでしょう?」


 確か、レオニダ様が私のことをそう呼んでいたけど。

 あの時は気にせずに眠ってしまった。


「それは――」

「――そこからは俺が話すとしよう」


 そこで男性の声が私達の会話を遮った。


 ドアの方向、ではなく逆側の窓の方向から聞こえた。

 そちらを見ると、レオニダ様が立っていた。


 あの時は顔しか見えなかったが、身長も高く、メイドのエリセさんよりも頭一つか二つ分は高い。

 エリセさんは角が生えているけど、レオニダ様は生えていないようだ。


 尻尾も彼が着ているマントに隠れているだけかもしれないが、今のところは見えない。


 レオニダ様が私の座っているベッドに近づいてくると、エリセさんがスッと頭を下げた。


「改めて、オリビア。俺はレオニダ・シュタイナー。魔王だ」

「っ……ま、魔王様、なのですね」


 魔王。この国の王で、魔人族や魔獣の頂点に立つ。

 残忍だという噂を聞いていたから、背筋が凍るような感覚に陥る。


 私はすぐに立ち上がって頭を下げようとしたが……。


「立たなくていい、オリビア。君は丸一日眠っていたし、まだ人族の人間にしては体温が高い。風邪を引いているようだ」

「すみません……」


 こちらの体調を気遣ってくれた。

 私を見る視線もなんだか優しいし、残忍だという噂は嘘のようだ。


 私を運んでくれていた時の優しい眼差しや言葉からすでに分かっていたけど、まだ少し怖かったのでほっとした。


「オリビア」

「は、はい、レオニダ様」


 レオニダ様は優しい瞳、を通り越して甘い視線を送ってくる。

 眠る前もそうだったけど、なんでそんな視線を送ってくれるのだろうか。


「オリビア。まずは君がリッカルダ辺境伯家に帰る必要はなくなった」

「えっ?」

「君が寝た後、私がリッカルダ辺境伯家の屋敷でクズども……失礼、君の両親と話した」


 今、クズどもって言った?

 確かに言った、レオニダ様はすぐにあの人達を嫌いになったのね。


「いろいろとあったが、君を魔王国に招待することの許可をもらった」

「なるほど……ご迷惑をおかけしました、レオニダ様」

「いや、当然のことだ。俺も、寵姫を早く迎え入れたいと思っていたからな」

「あの、さっきから言っている寵姫というのは、どういうことなのでしょう?」

「ああ、それはだな」


 レオニダ様は私に近づいてきて、印が刻まれている私の手を取る。

 とても優しい手つきでドキッとしてしまう。


「オリビアに刻まれている印。これは魔の印、寵愛の印とも言う」

「はい、昨日お聞きしました」

「他にも言い方があって、これは魔王の寵姫とも言うのだ」

「魔王の寵姫……」

「ああ。その名の通り、魔王から寵愛を受ける者、といった意味だ」

「あの、魔王からの寵愛というのは……」

「そのままの意味だぞ、オリビア」


 私の手を取ったまま跪き、レオニダ様は私と視線を合わせて。


「――オリビア、君は俺の運命の相手だ。会った瞬間、それがわかった」

「えっ……」

「ぜひ俺の嫁に来てくれ」

「えぇ!?」


 レオニダ様の突然の求婚に、私は人生で一番の大声を上げてしまった。



 私はその後、レオニダ様とエリセさんからいろんな話を聞いた。


 魔王国はシュタイナー国という名前で、いろんな国と国交を結んでいること。

 シュタイナー国は現在、数万人の魔人族と、多くの魔獣が暮らしているらしい。


 魔の森や草原で住んでいるのが魔獣、ここの都で住んでいるのが魔人族の人達。


 魔獣は頭がいいので、魔人族と共存しているようだ。


 魔王城から見下ろしたけど、城下町にはとても多くの魔人族の人達が住んでいるようだ。


 街並みは綺麗で活気もあって、野蛮な国という印象とは程遠い。


 それに、とても久しぶりに昼間に外で働いたり、歩いたりする人々を見た気がする。

 私はずっと、リッカルダ辺境伯家の屋敷で軟禁されて、書類仕事をしていたから。


 魔王城のバルコニーで城下町を見下ろすが、明るい外が眩しい。


 今はまだ昼間くらいのようだ。


「どうだ、オリビア。俺の国は」

「レオニダ陛下」

「陛下、などと固い呼び方をするな。呼び捨てでいい」

「さ、さすがにそれはできません。では、レオニダ様と」

「ああ、それでいい」


 私の隣に立って一緒に城下町を見下ろすレオニダ様。

 私の肩に毛布を掛けてくれて、そのまま私の肩に手を回している状態だ。


 魔王国の魔王様に対して、恐れ多い体勢なんだけど。


「あの、近くないですか?」

「そうか? 俺がオリビアとくっつきたいだけなんだが、嫌か?」

「い、嫌ではありませんが」

「ならいいだろう。数百年間探した俺の寵姫と会えたから、とても嬉しいのだ」

「っ……」


 今日初めて出会ったというのに、なぜ恋人に向けるような視線を向けられるのか。


 私も初めて会ったけど、なんだかドキドキしてしまう。


 私が単に男性慣れしていないだろうか。


「今日は休んでおいてくれ。明日、また城下町を案内しながら話そう」

「あっ、はい。ありがとうございます」

「ああ。ではまた、オリビア」


 レオニダ様は私の手を取って、印が刻まれているところあたりに唇を落とした。


「っ……」


 私はドキドキしながらそれを受けた。


 本当に、いきなりのことで心臓がもたない。


 レオニダ様が部屋を出て行って、私はとても豪華なソファに恐る恐る座った。


 ソファ一つとっても、本当に高価そうで触れていいのかわからない。


 私はずっと屋根裏部屋で住んでいたから、こんな好待遇をされても困ってしまう。


 家から出て一日以上経っているが……リッカルダ辺境伯家はどうなっているのだろうか。


 私がいなくなって、困っているのだろうか。

 いいや、特に困ってはいないだろう。


 私の書類仕事はお父様でもできるし、少し手間が増えるだけだ。


 むしろ私がいないほうが嬉しい、と言っていた家族だ。


 私がいなくなって気が晴れているかもしれない。


 そう考えると……やはり悲しい。


「私、これからどうしよう……」


 リッカルダ辺境伯家に戻ることになるのだろうか。

 でも今、あそこに戻ったらなんて言われるのか。


『帰ってこなければよかったのに』

『死んだと思っていたのに、なんで生きているの?』


 そう言われることを想像して、胸がきゅっとなる。


 私も、もう戻りたいとは思えない。


 もう私は、帰る家がないと理解した。



◇ ◇ ◇



「オリビアが可愛すぎる」


 レオニダは執務室でそう呟いた。

 オリビアがシュタイナー魔王国にやってきてから、数日が過ぎた。


 彼女はまだ体調が治っておらず、まだ魔王国の城下町などを案内できていない。


 もともと身体に栄養が足りておらず、風邪が長引いている感じだ。


「またそれですか、陛下」


 魔王レオニダの側近で書類仕事などを手伝ってくれる男、レイスがそう言った。

 レイスは髪が茶髪で、側頭部に白色の角が二本生えている。


 魔人族は人族とほぼ容姿は変わらないが、角と尻尾が生えていることが多い。


 角は大きさで強さがだいたいわかるが、レイスはまあまあ大きいほうだ。


 レオニダだけは例外で、角も尻尾も生えていない。


 魔王はなぜか角と尻尾が生えずに生まれてくるのだ。


「ああ。何度も言うが、オリビアは可愛い」

「はいはい、そうですね」

「あっ? お前も可愛いと思っているのか? 狙っているのか? そうなのか?」

「そんなわけないじゃないですか。落ち着いてください」


 レイスがオリビアを狙っていると思ったが、どうやら違うようだ。


 あんな可愛くて愛らしい存在を、レオニダは知らない。

 漆黒の髪はとても美しく、顔立ちも童顔でとても可愛らしい。


 十八歳ということなので、結婚も問題なくできるだろう。


 問題なのは、彼女が隣国の人族の出身ということだが……。


 彼女はおそらく――虐待を受けて育っている。


 会った時もそうだったし、その後にビッセリンク辺境伯家に向かった時もそうだ。

 あんな夜遅くに魔の森に放置されていた。


 しかも全身が濡れていて、もう少しレオニダが助けに来るのが遅れていたら、手遅れだったかもしれない。


 そう考えるととても恐ろしいし、彼女にそんなことをした者、おそらく妹のイオラが腹立たしい。


「魔王様。魔力が漏れています」

「むっ……すまない。オリビアのことを考えていたからな」

「それだとオリビア様を見て興奮してそうなった、みたいに解釈できますよ」

「ふむ、あながち間違いじゃない」

「キモイですよ」

「仕方ない。俺も運命の寵姫に出会ったのは初めてなのだから」


 レオニダが魔王国の魔王として即位してから百年ほど。


 魔王国の魔王に即位する者は、ある言い伝えがあった。


 曰く――魔王には寵姫が現れる、と。


 寵姫以外は愛せず、例え愛したとしても寵姫と出会った瞬間に、今までの愛が全て子供のお遊びにしか感じないほどだと。


 今までの歴代魔王達も、寵姫と出会えた者と出会えない者がいた。


 出会うのは運、偶然。

 だからこそ、運命の寵姫。


 レオニダも数百年生きてきて、もう会えないものだと思っていた。


 魔王が長寿なのは、寵姫と会うためだと思うほどに――レオニダはオリビアを見た瞬間、運命を感じた。


 執務室の窓から庭を見下ろすと、オリビアが散歩をしていた。


 彼女の後ろにはメイドが数人と、狼の魔獣が歩いている。


「しかし、寵姫はあそこまで魔獣に好かれるのだな」

「そうですね。私、ホワイトウルフがあんなに人に懐いているところを初めて見ましたよ」

「俺も意思疎通を取れるが、好かれてはいないしな。それに一番は妖狐だ、あの魔獣はここ百年で二度くらいしか見たことなかったんだがな」


 オリビアが今胸に抱いている妖狐はとても珍しい魔獣で、レオニダですらあまり見たことがない。

 妖狐は人に懐かず、魔の森の奥深くで暮らしているという魔獣だったのだが。


「魔の印は相当の効果を持っているな」

「魔獣だけじゃなくて魔王にも効果はあるようですが」

「効果があるのかは知らないが、この上なく魅力的には見えるな」

「オリビア様に『世界を滅ぼしてほしい』って言われたら、どうしますか?」

「ふむ、理由を聞いて納得できたら全力で応える」

「うわぁ……ヤバいですね」

「ああ、俺も自分で言っておいて本気でやりそうだから、寵姫とは恐ろしいものだ」

「しかも魔王様、なんだか魔力量が上がってないですか?」

「寵姫と出会うと魔王は強くなるという言い伝えもあったが、本当だったようだ」


 魔王レオニダはもともと強い。その気になれば一人で大国を滅ぼせるほどに。


 そんなレオニダが寵姫のオリビアと出会ってから、さらに強さが増した。


 魔力量の絶対量が増えていることが、側近のレイスにもわかる。


「一緒にいる時間が多いほど魔力が増えるから、おそらくまだ増えていく。一回どこかで自分の力を試したいな」

「壊しすぎないようにしてくださいよ」

「わかっている」


 そんな話しながら、庭にいるオリビアの様子を見ている二人。

 すると彼女の後ろにいるメイドのエリセがこちらに気づいて、オリビアに耳打ちをしているのが見えた。


 オリビアが見上げてきて、レオニダと視線が合うと少し困ったように笑った。


「可愛いな」

「陛下、心の声が漏れています」

「これは漏れたんじゃない、愛おしさが溢れ出たんだ」

「同じようなものでは?」


 オリビアを正面や横から見ることが多いが、上から見ても愛らしい。

 おそらく下から見ても愛らしいのだろう。


「そろそろ書類仕事は終わっただろう? オリビアのもとへと行ってもいいか?」

「止めても行くのでしょう?」

「まあそうだな」


 レオニダは窓を開けて足をかけ、そのまま飛び降りた。

 城の執務室から庭の地面まで、高さは十数メートルあるが全く問題ない。


 彼は軽く着地をして、少し驚いている様子のオリビアに近づく。


「オリビア、体調は問題ないか?」

「は、はい、風邪は治ってきましたが……レオニダ様こそ、大丈夫ですか? すごい高さから落ちてきましたが」

「俺はこれくらいで怪我一つしないぞ。オリビアはやめておいたほうがいいだろうが」

「ふふっ、もちろんやりませんよ」


 レオニダの冗談に笑ったオリビア。

 最近は笑みを見せるくらいには心を開いてくれているようだ。


 それも胸に抱えている妖狐などの魔獣のお陰で余裕が出ているのだろう。


 彼女は魔獣が好きなようだから。

 オリビアの笑みがレオニダは好きだから、魔獣達には感謝している。


「魔王城で不自由はないか? 何かあったらすぐにメイドや使用人に言うがいい」

「いえ、不自由など全くなく、とても良くしてもらっています。私にはもったいない対応で恐縮です」

「いずれ王妃になるのだから、当然のことだろう」

「っ、それは、その……」


 顔を赤くして逸らすオリビア。


 この数日間、レオニダはオリビアと話す時はずっと口説いてきた。


 空気を吐くように「可愛い」と言うし、何度も結婚をほのめかすような言葉を言ってきた。


 その度に顔を赤らめるオリビアに、さらに惚れこんでいたレオニダだった。


「その返事はまだ、待ってもらっていいですか?」

「ああ、もちろんだ。俺はいつまでも待つぞ」


 レオニダはオリビアの手を取り、手の甲に唇を落とす。


「すみません」


 彼女は困ったように笑ってそう言った。

 その愛らしい笑顔を、自分の横でずっと見せてほしい。


 レオニダは心の底からそう思った。



◇ ◇ ◇



 私が魔王国に来て、一週間ほど経った。


 慣れない環境で見知らぬ国で最初は不安だったけど、とても快適に過ごせている。


 むしろ快適に過ごしすぎて、怖いくらいだ。


 朝起きて自分で身支度をする前に、すぐにメイドのエリセがやってくる。

 どうやら彼女は普通の魔人族の人よりも耳がいいらしく、私が起きた時の布団を退ける音などが聞こえるようだ。


 それを聞いてから静かに起きようとしても、床に足を付けてから数歩でエリセはやってきた。


 彼女の耳を欺くのは無理みたいだ。


「おはようございます、オリビア様」

「おはようございます、エリセ様」


 今日も布団を退けてベッドから立ち上がる寸前に、エリセが部屋に入ってきた。


「オリビア様、私に敬称は不要でございます。エリセとお呼びください」

「えっと、まだやっぱり慣れなくて」

「敬称を付けて呼ばれると、私が陛下に八つ裂きにされてしまいます」

「えっ!? わ、わかりました、エリセ」

「嘘ですが、そのままでお願いします」

「……もう」


 エリセは笑みを浮かべたまま冗談をさらっと言うので、私には見分けがつかない。

 でも家族以外とはあまり喋ったことがないので、こういう会話が楽しかった。


 私は鏡の前の椅子に座り、彼女に身支度を任せる。


 今日はいつも以上に時間をかけてやっているようだ。


「オリビア様、こんな髪型はどうです? ここだけ三つ編みをすると可愛らしいですよ」

「ええ、いいと思います」

「今日は魔王様との初めてのデートですからね。気合い入れていきましょう」

「え、えっと、頑張ります!」

「いや、そういう気合の淹れ方は違うと思いますので、ほどほどでいいですよ」

「どっちなんですか……ふふっ」


 エリセはいつも私を笑わせてくれるので、彼女と話していると楽しい。

 人のことを好きになったことがないけど、この感情は友達への親愛だろうか。


 そして――。


「おはよう、オリビア」

「お、おはようございます、レオニダ様」


 彼への想いは、何だろうか。


 魔王城の食堂で対面に座って、レオニダ様と朝食を食べる。

 私がリッカルダ辺境伯家で食べていた一日分の食事より、ここでの一食分のほうが多い。


 だから最初に出た時はビックリして「今日は記念日か何かですか?」とエリセに聞いたら、とても可哀想な目で見られた。


 エリセが言うには、私に最初出された食事量ですら少ないくらいだったようだ。


 今では少し慣れたけど、でもやはり多くてちょっと残してしまう時もある。


 それに今日はこの後にレオニダ様とデートをするということで緊張をしているから、朝食がお腹に入らない。


「オリビア、大丈夫か? いつもよりも食事が遅いが」

「大丈夫です、レオニダ様。少し緊張していまして……」

「いまさら食事でか?」

「いえ、食事ではなく。レオニダ様とこの後、城下町に行くことが」

「ああ、そうか。初めて魔王国を見て回るが、そう緊張することはない。ここに住む者は良い者が多い。少し血の気が多い者もいるが」


 血の気が多いというのは、少し野蛮だということだろうか。


 あまりわからないが、さらにちょっと怖くなった。

 その気持ちが顔に出たのか、レオニダ様が笑みを浮かべて言う。


「大丈夫だ、オリビア。暴力事件なんてそうそう起こらないし、起こったとしても俺が君を守る。たとえ全国民がオリビアを狙おうとも」


 レオニダ様の優しい笑みに、私のことを愛おし気に見つめる目に、いつもドキッとしてしまう。

 エリセに聞いているが、普段のレオニダ様はあまり笑うことはないみたいだ。


 側近のレイス様と一緒に話している時に口角を上げることがあるくらいで、笑みを浮かべるところを見たことがほとんどないと。


『だからオリビア様と話している時の陛下は本当に珍しいですよ。普通の男性の感じがして、魔王様に見えないくらいです』


 エリセがそう言っているのを思い出して、少し恥ずかしくなってしまう。

 私に向けてくれる笑みは、特別だということを思い出してしまったから。


「陛下、冗談でも全国民をぶち殺すなんて言わないでください。あなたならやろうと思えば本気でできるんですから」


 レオニダ様が座っている後ろに控えている側近のレイス様が、ため息をつきながらそう言った。

 食堂には座っている私とレオニダ様、後ろに控えているレイス様とエリセの四人がいる。


 とても広い食堂に四人だけなので、いつもレイス様とエリセも座って一緒に食べればいいのに、と思ってしまう。


「レイス、ぶち殺すなんて言ってないだろ」

「じゃあ今日、城下町でオリビア様が国民の者に襲われそうになったらどうします?」

「ぶち殺す」

「言っているじゃないですか」

「言わせたのはお前だろ」

「ふふ……」


 とても物騒な話をしているけど、レオニダ様とレイス様のテンポのいい掛け合いが面白くて笑ってしまった。

 私が笑みを見せると、またレオニダ様が破顔する。


「お前のせいでオリビアに笑われてしまったじゃないか」

「私のお陰、の間違いじゃないですか」

「確かにその通りだな。礼を言うぞ、レイス」


 ……今の会話で、私は顔が赤くなったので俯いてしまった。



 食事を終えて、一度部屋に戻って外着の準備をする。


 またエリセに任せっきりになってしまったが、私は服の良し悪しなんてわからないのでとても助かる。


「オリビア様は美しくて艶のある黒髪だから、いろんな色のドレスが着られていいですね。白でも黒でもお似合いですし、とても迷ってしまいます」


 私の黒い髪、リッカルダ辺境伯家では『不吉な色だ、汚い色だ』と言われてきたので、エリセにそう言われると嬉しい。

 レオニダ様にも過分に褒められるので、少し恥ずかしいけど。


「あの、レオニダ様がお待ちだと思うですが」

「いいんです。こういう時に男性は待ってもらうものです。待っていて不機嫌になるような男なんて捨ててしまえばいいんです」

「そ、そうなんですか?」

「女性が時間をかけてデートのために、男性のために準備をしたのに第一声で『遅かったな』なんて言ってきたら殴ればいいのです。ええ、全力で」

「な、なるほど」


 いつものエリセの冗談かと思ったけど、どうやら本気のようだ。


 彼女は過去に何かあったのだろうか、ちょっと怖いから質問できないけど。


 いろんなドレスを当てられて数十分、ようやくエリセが決めたようで、黒を基調とした白色の刺繍が綺麗なドレスを選んだ。


「陛下はいつものお格好だと思うので、陛下の隣に相応しいドレスを選びました。それにオリビア様の黒髪にも合っています」

「変じゃないですか?」


 エリセが選んでくれたので大丈夫だと思うが、レオニダ様の隣を歩くのだから


「とてもお似合いですよ。陛下が第一声に『遅かったな』と言ってきたら、不敬ですが振りかぶって殴りにいきます」

「そ、それはやめましょう」

「冗談です――多分すると思いますが」


 エリセが最後に小さく呟いた言葉は聞こえなかった振りをした。


 準備を終えて魔王城を出ると、目の前に馬車が停まっていた。


 とても豪華な馬車だけど、少し気になるのは馬がおそらく魔獣ということだ。

 身体がとても大きくて足が六本あるし、角も生えている。


 でも可愛らしい、と思ってしまうのは魔の印のせいだろうか。


 そして、馬車の前で待ってくれているレオニダ様。


 黒を基調としたスーツで、いつも以上に美しくてカッコいい。


 私のほうを向いて笑う姿にドキッとする。


 そして、その第一声に少し緊張する。

 後ろに控えているエリセが不敬を働かないような、第一声を言ってくれることを望んでいて。


 それと……ちょっとは期待している自分もいて。


「――魔王の俺のもとに女神が舞い降りたと思ったぞ、オリビア」


 その期待をはるかに超える言葉をもらって、私は顔が真っ赤になるのを感じた。


 そして後ろに控えているエリセが強く頷いているのもなんとなくわかった。


「さ、さすがに褒めすぎです、レオニダ様」

「本音だぞ、オリビア。今日この日を、俺はこの先長い人生で忘れることはないだろう」

「うぅ……」

「陛下、そろそろ行かないといきませんよ。仕事も溜まってるんですから、時間はあまりありません」

「あら、レイス様。それはオリビア様の準備が遅かったから、陛下の仕事が溜まったということですか?」

「あっ? オリビアのせいにしたのか?」

「そうは言っていませんよ、エリセ。陛下も悪ふざけで威圧してこないでください、怖いですから」


 三人の会話に少し笑って、少しだけ緊張が解けた。

 エリセとレイス様も意外と仲が良いようだ。


「ではオリビア、行くか。手を」

「っ……はい」


 レオニダ様が私に手を差し出してきたので、緊張しながらも手を重ねる。

 貴族らしい教育を受けてきてないので、これであっているのかわからない。


 でもレオニダ様は私をお姫様のように扱ってくれるので、胸の高鳴りが止まらなかった。



 馬車に乗ってレオニダ様と城下町へと移動する。


 中に乗っているのは私とレオニダ様の二人だ。

 レイス様とエリセ様はもう一つの馬車に乗っているようで、この馬車の後ろについてきている。


 最初は二人で緊張していたけど、馬車の窓から見える城下町の光景に私は心を躍らせていた。


 私は噂で魔王国は野蛮な者が多くて、魔獣も多く生息していて人が住めるような場所じゃない、と聞いていた。


 でも城下町の光景を見ると、全くそのような感じはしない。


 道行く人は魔人族なのだろうが、普通の人のようにしか見えない。

 でもほとんど全員が頭に角が生えていて、尻尾がある。


 角が見えない人もいるけど、そういう人は髪が長いので隠れているだけのようだ。


「ここら辺から歩いていこうか」

「はい、わかりました」


 馬車を停めて、レオニダ様が先に降りた。

 そして私が降りようとすると、彼が手を差し出してくれていた。


「すみません」

「いや、当たり前のことをしているだけだ」


 彼の手を握って降りて、そのまま歩き出す。

 まさかこのまま手を繋いで街を歩くの?


「あの、レオニダ様」

「なんだ?」

「手を繋いだままだと、その、恥ずかしいのですが……」

「そうか? じゃあ腕を組むか?」

「い、いえ、そちらのほうが恥ずかしいです」

「では手を繋いでいてほしい。安全の上でな」

「わかりました」


 そうか、ここは魔王国で私は人族の女性。

 人族が魔人族に偏見があるように、魔人族も人族に対して悪印象を持っているのかもしれない。


 それに街の中には魔獣も多くいるから、魔獣が知能が高いと言っても襲われる可能性はある。


 気を付けないといけない。


「まあ、本当は俺が手を繋ぎたいだけなのだが」

「っ……そう、ですか」


 レオニダ様の言葉に照れてしまったが、危ない。

 本当は守るためだけなのに、レオニダ様が優しいからそう言ってくれているだけ。


 勘違いしないようにしないと。


「よろしくお願いします、レオニダ様」

「ん? ああ」


 私の言葉に少し首を傾げたレオニダ様だったが、そのまま手を繋いで城下町を歩き出す。

 私達の後ろには側近のレイス様と、メイドのエリセがついてくる。


 城下町では私は人族なので、あまり目立たないようにしないといけない。


 そう思っていたのに――。


「――魔王様だ!」

「あっ、魔王様。こんにちは」

「わふっ!」

「きゅるるるる……」


 道行く人や魔獣達が、結構話しかけてくる。


 魔王様はやはり顔を知られているようで、挨拶をされたりするし、子どもに遠くから指差されたりしている。


 失礼な感じがするけど、魔王様は特に気にした様子もなく手を挙げたりして答えている。


 あと魔獣は……魔王様よりも、私が絡まれている。


 小さな子犬のような魔獣から、大きな鳥のような魔獣まで。

 私達の行く道を塞ぐかのように、すれ違う魔獣が全員私の前に来る。


 みんな可愛いんだけど、さすがに魔獣の数が多すぎる。


 それによくわからないけど、みんな私に頭を預けるように寄ってくる。


「えっと……」

「オリビア、魔獣達は頭が撫でられたいから寄ってきているようだ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ、とりあえず頭を撫でたら離れると思う」

「わかりました」


 一番近くにいる足元の犬の魔獣。


 普通の犬に近いけど、体毛が赤くて白い羽が生えている。


 魔獣の子どもだろうか。


 そう思いながら頭を撫でると、気持ちよさそうに「わふぅ」と鳴いて目を細める。


 か、可愛い……。

 撫で心地もいいし、ずっと撫でていたいくらいだ。


 右手でその子を撫でながら、私から見て左にいる鳥の魔獣。


 レオニダ様よりも大きくて、丸っこい感じの容姿をしている。フクロウに近いのだろうか。


 その子も軽く身をかがませて、私に頭を差し出してきている。


 この子の頭も撫でると、今までで一番のふわふわの感触。


 犬やキツネなどと感触が少し違う、頭のところが羽毛でふわふわしている感じだ。


 私よりも身体が大きいのに、とても可愛い。

 両手で二体の魔獣の頭を撫でているという不思議な状態だけど。


「わふっ!」

「きゅるるぅ」

「ま、満足してくれた?」

「そのようだな」


 その二体が満足そうに鳴いたので安堵する。

 でも今のを見て羨ましがっているのか、周りにいる魔獣達も一気に寄ってきた。


「わ、わっ……!」


 数が多くて魔獣の子達も大きいので、私はビックリして後退る。

 その瞬間、ドレスの裾を踏んでしまった。


「あっ」


 後ろに倒れる、と思って目を瞑ったのだが――何かに支えられた。


「大丈夫か?」


 目を開けるとレオニダ様の顔が近くにあって、彼の身体に寄りかかっていた。

 背中に腕を回されて支えてもらっている体勢だ。


 レオニダ様の端整な顔立ちが目の前にあってドキッとしてしまう。


「す、すみません!」


 私はすぐに立ち上がって離れた。


 離れたけど、初めて男性に抱きしめられたので胸の高鳴りがまだ収まらない。

 レオニダ様、とても固かった。


「お前ら、オリビアのことが好きな気持ちはわかるが、全員で突撃してきたら危ないだろ」


 魔王様は私を後ろに隠すようにしながら、魔獣の子達にそう注意している。

 魔獣の子達も反省しているようで、シュンっとしている子が多い。


 その姿もなんだか可愛らしい。


「オリビア、怪我はないか?」

「はい、大丈夫です。ご迷惑おかけしてすみません」

「いや、迷惑なんかじゃない。それにこういう時は、お礼を言われたほうが嬉しい」


 レオニダ様の言葉に、一瞬だけ私は固まった。


 そういえば私は――いつから「ありがとう」という言葉を言ってないだろうか。


 思い返してみると、お礼の言葉を言う機会のない人生だった。


 家族からは罵倒されて、冤罪をでっちあげられて暴力を振るわれ、謝ってばかりの人生だった。


 レオニダ様に助けてもらってからも、ずっと謝っていた気がする。


 迷惑をかけて申し訳ないと思って、お礼を言うような場面でも「すみません」と謝っていた。


「――ありがとう、ございます」


 私は少し言葉が詰まりながら感謝の言葉を言った。

 生まれて初めて言うかもしれない、感謝の言葉を。


「ああ、それでいい」

 レオニダ様は優し気にそう言って、頭を撫でてくれた。

 初めてのお礼は心が温かくなり、表現しきれないものが胸いっぱいになって――。


「あ……」


 思わず、涙が零れてしまった。

 目の前にいるレオニダ様も驚いたのか、目を丸くした。


「す、すみません……!」


 私は俯いて涙を拭いたが、勝手に涙が出てくる。

 こんな街中でいきなり泣き出したら迷惑になる。


 そう思って止めようとしているのに、止まらなかった。


 すると、私の頭上に影が落ちた。


「大丈夫だ、オリビア。これで誰も見えないし、すぐに移動しよう」


 そんな言葉が上から降ってきて、レオニダ様は私をマントの中に閉じ込めてくれる。


「お前ら、今日は俺と寵姫とのデートなんだ。少しいなくなるぞ」

「えっ、ちょ、陛下!? 転移はしない約束じゃ――」

「また後でな」


 側近のレイス様の焦る声が聞こえたが、それを無視したレオニダ様。

 そして一瞬の浮遊感とともに、周りの声が聞こえなくなった。


「ここなら俺とオリビア以外に誰もいない。俺も見ていない。涙が止まるまで待つぞ」


 なんだかわからないが、私はレオニダ様の優しさに甘えて――温かい匂いがするマントの中で、声を押し殺して泣いていた。



「すみません、レオニダ様の服を汚してしまって」


 数分ほど経ってようやく私の涙は止まった。

 その間、レオニダ様のマントに顔を押し付けるような形になってしまった。


「このくらい大したことない。俺の魔法ですぐに元通りになる」


 レオニダ様がパチンと指を鳴らすと、マントが白く輝いた。


 すると涙でにじんで汚れていた部分が綺麗になった。


「すごい……綺麗にする魔法なんですか?」

「いや、物の時間を戻す魔法だ。とても便利だぞ」

「そんな魔法があるんですね」


 私も魔法というものは聞いたことあるけど、そんなにすごいものだったかしら?

 魔法は意外と便利なものじゃない、と聞いた気がするけど。


「えっと、レオニダ様、ここはどこですか?」

「街外れの高台だ。転移魔法で街から飛んできた」

「な、なるほど」


 さすがに転移魔法なんてものは聞いたことがないし、それがどれほどすごいものなのかは世間知らずな私でもわかる。

 やはりレオニダ様の魔法が規格外なだけかもしれない。


「ここは静かで落ち着ける場所だから、俺もよく来ているんだ。景色もいいから一人で来ると心が休まる」

「確かに、良いところですね」


 城下町と魔王城が一望できて、視界を遮るものがない。


 まだ日は沈んでないけど、夕日も綺麗に見られそうな場所だ。


「ああ――誰かと一緒に来たのは、生まれて初めてだな」

「っ……」


 レオニダ様の優しい口説き文句に、胸が高鳴ってしまう。

 突然泣いたことで嫌われてしまったかもしれない、という不安を簡単に消し去ってしまうような言葉。


 まるで魔法の言葉だ。


「その、いきなり泣いてしまってすみません。感謝の言葉というものを、人生で初めて言ったかもしれないと思って……そうしたら、なぜか涙が」

「謝る必要はない。感謝の言葉を言って涙が零れるのは、オリビアが心優しいものだからだ。とても愛らしいと思うぞ」

「……ありがとう、ございます」


 彼の言葉にまた泣きそうになってしまい目が潤むが、ぐっと堪える。


 こんなに恵まれていいのだろうか。

 こんなに優しい環境にいて、罰が当たらないだろうか。


「オリビア、俺は君の欲望を聞きたい。君はここに来てから感謝の言葉も言えずに、欲望も聞いていない。自ら何かをしたい、何かが欲しいという欲望を」


 欲望……そんなの、感謝の言葉よりも言った覚えはない。


 あの家では私が欲しいものが手に入ったことなんて、一度もない。


 むしろ全てを奪われて、捨てられた。

 人としての生活も、尊厳も、何もかもを。


 物を与えられたことはないから、物を得る機会すら奪われている。


 だから何かを欲するという心さえ、奪われていた気がする。


 でも、魔王国では……レオニダ様の前では欲望を言っていいのなら――。


「私は……ここで、生きたいです。この温かな気持ちをもらえる環境で、尊厳を踏みにじられない環境で。エリセさんやレイスさんと笑って話して――レオニダ様のお側で、生きたいです……!」


 私はまた頬に涙を零しながら、胸の内から出てくる欲望を言ってしまった。

 今までの人生で、自身の欲望をこれほどはっきりと言ったことがない。


 だから不安で怖くて、誰かに否定されそうで。


 今でも両親や妹の声が脳裏に聞こえてくる。


『お前は本当に使えないな!』

『呪われたあんたなんて生まれてこなければよかったのに』

『お姉様はなんで生きているの? 早く死ねばいいのに』


 そんな酷い言葉が現実でも夢でも繰り返し思い出される。


 私は想像以上に、あの家でのことがトラウマになっているみたいだ。

 だからこそ、この欲望を言うのは勇気が必要だった。


 また欲望を否定されたらどうしようかと思い、不安だった。


 でも、レオニダ様だったら――。


「もちろんだ、オリビア。君の欲望は、魔王である俺が全て叶える。だから俺の欲望も言おう――俺の側にいてくれ、オリビア」


 優しい笑みとともに私の手を取って、レオニダ様は強くそう言った。

 その言葉にさらに涙が零れて、彼の顔が見えなくなる。


 すると私は手を引っ張られて、温かい彼の身体に抱きしめられた。


 私はその温かさに縋りながら、また涙が枯れるまで泣いた。



◇ ◇ ◇



「お姉様は死んだかしら」


 イオラはふと呟いた。


 リッカルダ辺境伯家の庭で、メイドを控えさせながら紅茶を飲みながら。

 二カ月前に少し燃えた家の跡を見て、思い出したように。


「あの魔王に連れていかれたんだから、多分死んだのよね」

「おそらくはそうかと思います」


 後ろにいる比較的若いメイドが受け答えをする。

 その言葉にイオラも笑みを浮かべて頷く。


「そうよね。お姉様を連れて行った魔王様はあんなに怒っていたし、絶対に殺されているわよね」

「はい、そうだと思います」

「お姉様も何をやっているのかしらね、魔王様をあんなに怒らせるなんて」


 ――イオラは、覚えていない。


 いや、覚えていないのではなく、魔王への恐怖であの時のことを記憶できていなかったのだ。

 魔王が誰に怒っていたのか、なぜ怒っていたのかを。


 だから都合よく「オリビアが魔王を怒らせて連れていかれた」という間違ったことを記憶しているのだ。


「まあお姉様がいなくなってせいせいしたけど。でも魔王様が最後にお姉様にやられた腹いせに家を燃やしていったのは許せないわ」

「おっしゃる通りです。今正式に、辺境伯様から魔王国の魔王に抗議文を送っている最中だということです」

「さすがお父様ね。私の服がほとんど全焼しちゃったんだから、損害賠償を求めないとよね」


 あの時に燃やされた炎は魔法だったのか、水をかけても消えなかった。


 家が全焼しなかったのはよかったが、大事な服や宝石までも塵となった。


 宝石が塵となるほどの炎だから、燃え尽きるまで誰も近づけなかった。


「でも魔王様、とてもカッコよかったわよね」

「私は見ていなかったので、なんとも言えませんが」

「本当にカッコよかったのよ。髪は銀色で長くて輝いていたの。私達の国では男性であそこまで長い髪を持つ人がいないから新鮮だったけど、すごい綺麗だったわ」

「確かに男性でしたら長くても肩くらいですね」

「ええ。髪だけ見たら女性と思うかもしれないけど、顔立ちはとても凛々しくて素敵で。本当にあんな絵に描いたような美しい男性っていたのね」


 イオラは恍惚とした表情を浮かべながらレオニダのことを思い出す。

 都合のいいことしか記憶していないイオラは、レオニダの顔しか覚えていない。


 その美しい顔で睨まれて威圧をされたことも、覚えていないのだ。


「イオラ様、ダメですよ。デニス様という婚約者がいながら、他の男性に恋慕しては」

「むぅ、いいじゃない。別に何もないんだから、妄想くらいは」

「まあそうですが……」

「デニス様もカッコいいけど、魔王様には負けるわ」


 侯爵家の嫡男と婚約しているというのに、他の男性を褒め続けるイオラ。

 ここが辺境伯家の庭だからいいことに、使用人達も苦笑していた。


 そうしていると、庭に父親がやってきた。


「イオラ、王都で大規模な社交パーティーが来週開かれることは知っているな?」

「お父様。ええ、もちろんですわ。私もデニス様と行くのですから」

「そこに……魔王が来るようだ」

「えっ? 魔王って、あの魔王様ですか?」

「そうだ」


 魔王がこの国の社交パーティーに来ることなんて滅多にない。

 実際に、イオラが生まれてからは一度もなかった。


「なぜいきなり来るのかはわからないが、十分に注意するように」

「注意、ですか?」

「ああ。くれぐれも変なことはするなよ、イオラ」

「別に私は変なことなんて……」

「するな、と言っているんだ! わかったな!?」


 辺境伯はいきなり怒ったように大声でそう言った。

 それにビクッとしながらも「わ、わかりました」と返事をする。


 イラついた様子の辺境伯は舌打ちをした後に、屋敷へと戻っていった。


「イオラ様、大丈夫ですか?」

「え、ええ、大丈夫よ。お父様、最近は忙しいようだけど、どうしたのかしら?」

「辺境伯家の仕事が大変のようで、最近は寝不足とのことです」

「ああ、だからあんなに苛立っているのね」

「そのようです。書類作業も増えて、さらには辺境伯領の領民からも不満が上がっていて、その対応に追われているようです」

「そうなのね。確かお姉様は家の雑務をやっていたのよね」

「はい、そうです」

「じゃあお姉様がいなくなったのが原因じゃない」

「それも一因かと思います」

「もう、お姉様はいてもいなくても家に迷惑をかけるのね。本当に最悪だわ」


 ため息をつきながら背もたれに身を預ける。


 邪魔者である呪われたオリビアがいなくなったことで、イオラはスッキリしていたが辺境伯は違うようだった。


 だがそれはイオラにとってはどうでもよかった。

 今気になるのは、王都の社交パーティーに魔王が来ることだ。


「まさか魔王様が来るなんて。どうしてかしら」

「私にもわかりません」

「そうよね……あ、もしかして私を奪いにくるとか!」

「はい?」

「前に来た時に魔王様が私に惚れちゃって、正式に私を奪いに王都に来たりして!」

「イオラ様、それは……」

「ふふっ、冗談よ。さすがにそれはないわよね」


 イオラのよくわからない冗談に、メイドは苦笑する。

 そんなメイドの様子に気づかず、イオラは妄想を話し続ける。


「でも本当にそんなことがあったらどうしよう……私は公爵家嫡男のデニス様と婚約をしているけど、魔王様だったら攫ってくれそうよね。ふふっ、それもよさそうね」

「はぁ……」

「ふふっ、なんにしても魔王様の美貌をまた見られるだけで嬉しいわ」


 イオラは王都の社交パーティーを楽しみにしていた――。



 ――そして、一週間後の王宮で。


「はっ? おねえ、さま……?」


 魔王レオニダの隣に寄り添っている女性、オリビアの姿を見て愕然とした。


 とても綺麗に着飾っていて、二カ月前のボロ雑巾のようなドレスを着ていた女性だとはわからない。

 現に、イオラの隣にいた婚約者のデニスも、両親であるリッカルダ辺境伯も、オリビアの姿を見ても気づいていなかった。


 魔王の銀髪と相対するかのような漆黒の髪は、二カ月前とは違い艶があって美しい。


 痩せ細っていたころと比べて肉もついたので、顔立ちも変わって愛らしい顔立ちとなっている。


 純白なドレスはとても高級そうで綺麗な刺繍が入っていて、黒のマントを羽織っている魔王の隣に並び立つには相応しい装いだ。


「俺の寵姫だ。国交を結ぶこの国には、紹介しておこうと思ってな」

「まだ妻ではないんだがな。俺が求婚しているだけで、彼女は前向きに検討してくれている。魔王であるこの俺を振り回せるのは、この世で彼女だけだろうな」


 社交パーティーのど真ん中で、魔王が国王陛下にそう紹介していた。

 恥ずかしそうに頬を赤らめて、幸せそうに微笑むオリビア。


 その姿を、イオラは唇を噛んで睨んでいた。


(なぜ、お姉様が魔王様と結婚なんて……!)


 その後、パーティーは順調に進んでダンスなどの催しなどもあったが、イオラは姉のことが気になってそれどころじゃなった。


 パーティーも終盤になって、魔王とオリビアが壁際によって休憩をしている。


 父親の辺境伯には「変なことをするな」と言われていたが、話しかけるなとは言われていない。


 ちょうど婚約者のデニスも隣にいないので、イオラは一人で近づいていく。


 すぐにレオニダがイオラに気づいて目を細めて睨んでくる。


 イオラはなぜ睨まれているのかはわからなかった、そんな覚えも記憶もないから。


 オリビアと視線が合うと、彼女は少しだけ驚いた顔をする。


 だが、彼女の目には怯えはなかった。


 いつもイオラと視線を合わせる時は、怯えの色があったのに。


 それがまたイオラを腹立たせた。


「ご機嫌よう、魔王様、お姉様」

「何のようだ、リッカルダ辺境伯令嬢」

「魔王様、お姉様と二人で話をさせてもらえないでしょうか?」

「無理に決まっているだろ。お前がオリビアに何をしたのか、わかっているのか?」


 レオニダの睨みにイオラは言葉が詰まる。

 レオニダは威圧を出してはいないが、イオラは男性に睨まれるという経験がほとんどない。


 それだけで後退ってしまうが、イオラは笑みを保ち続ける。

「なぜ、魔王様はお姉様と? お姉様は、魔王様を怒らせて連れて行ったのではないのですか?」


「はぁ? どういうことだ?」

「そうじゃないと、魔王様がお姉様を連れていく理由なんてないですよね?」

「……ああ、そういえば俺が彼女を連れていく時に理由を言っていなかったな」

「そうだったんですか?」


 レオニダの後ろにいたオリビアが質問をした。

 いつもならイオラに怯えて何も喋れない役立たずのはずなのに。


「ああ、早くオリビアを連れて帰りたいと思っていたからな。無駄な話をしたくなかった、しかもオリビアを虐待していた者達に時間を奪われたくないからな」

「な、なるほど」

「わ、私達はお姉様に虐待なんかしていません。お姉様には躾をしていただけです」

「……お前は、あの日のことを覚えていないのか?」

「はい? いったいどういう――ひっ!?」


 今度はレオニダが威圧を出したので、イオラは悲鳴を上げて尻餅をついた。

 魔王の威圧に周りの貴族達も驚いたのか、一斉に注目し始めた。


「ああ、そうか。貴様は俺の威圧で記憶を失ったのだな。道理で話が合わんと思った」

「記憶を失ったって、大丈夫なんですか?」

「オリビア、心配するな。威圧を喰らった時のことを覚えていないだけだ、こういう気の弱い奴に威圧を当てると時々あるんだ。だが、もう一度威圧を喰らうと思い出すことが多い」


 レオニダとオリビアが目の前で話しているが、イオラは顔を引きつらせて怯えていた。


 イオラは威圧を喰らって、一度目のことを思い出した。


 魔王レオニダが威圧を放って怒っていた理由も、思い出した。


 あの時は、姉のオリビアのために怒っていた。


 オリビアが虐待されていることに怒り、リッカルダ辺境伯家に魔獣と共に来たのだ。

 そしてオリビアを連れて行き、辺境伯家の屋敷を軽く燃やした。


 それを思い出してから、イオラはオリビアと視線が合った。


 双子なので身長は同じ、でもいつもはオリビアのほうが卑屈そうに背を丸めていたから見下せていた。


 しかし、今はイオラが無様に尻餅をつき、レオニダの横で背筋を伸ばして綺麗に立っているオリビア。


 立場が、逆転している。


「オリビア、この女はどうする? 君が不快なのであれば、今すぐに消し去ってもいいのだが」

「……いいえ、レオニダ様。私はいいです。私はイオラを虐めても、気分が良くなるわけじゃありませんから」

「まあ、人を虐めて気が良くなっている奴は愚かな者ばかりだ。だがオリビアの場合は、虐めるというよりかは仕返しだと思うのだが」

「それでも、気が晴れるとは思いません。それなら魔獣の子達と一緒に散歩をしたほうが楽しいです」

「ふっ、そうか。なら帰ったらデートでもしよう」

「はい、レオニダ様」


 二人はイオラのことを放って、楽しそうに微笑み合っている。

 イオラに仕返しをしない、と言ったオリビア。


 普通は喜ぶべきはずなのに、「あなたなんて眼中にない」と言われたかのようにイオラの胸に深く突き刺さった。


「さて、デートの話をしていたら帰りたくなってきたな。そろそろ帰るとするか」

「早くないですか? まだパーティーは終わっていないですが」

「もうだいたいの催しは終わっただろう」


 尻餅をついているイオラを放って、二人は手を繋いでその場を離れた。


 イオラはその後ろ姿を唇を噛みしめ、悔しげに見送るしかなかった――。



 ――数カ月後、リッカルダ辺境伯領では領民による大規模な一揆がおこった。


 イオラの父、辺境伯が領民を蔑ろにする領地運営をし続けて、領民の我慢が限界に達して蜂起したのだ。


 辺境伯家の私兵だけでは抑えきることができず、王国騎士団が出兵するほどの一揆となった。


 首謀者が処刑されそうになったところに、魔王レオニダが助けに来た。

 リッカルダ辺境伯が雑な領地運営をしている証拠を持って。


 それによりリッカルダ辺境伯家は爵位剥奪となり、平民落ちをした。


 辺境伯領は魔王国の領地として統合され、初めて人族と魔人族が共存する領地となった。


 その領地を治めるのは――魔王の寵姫であった。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] イオラの婚約者だったデニス君はどうなったのですか? 都合良く逃げ出して普通に貴族生活をしていたら、引っ叩きたくなるのですが。
[一言] 魔王の番の印が生まれながらに体についてたら無知な人間はその人を虐めてしまう…現実世界でも痣やアレルギーのネタに虐めをするクズが多いですからね。 虐められて卑屈になってたヒロインが魔王に溺愛さ…
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