聖女は本当に自分を支えてくれる王子様と一緒にいます
しねっ。しねっ。そして私の礎となれっ。
一年で一番盛り上がる学園のダンスパーティーの中心で、並び立つ王子アドラスクがおとなしい婚約者エリザに婚約破棄を申し渡すあいだ、聖女さくらは心の中で怨嗟の声をあげていた。
なお主人公は聖女さくらのほうである。異世界転移して国を守護している。そういうことになっている。
「君には申し訳ないが、君との婚約はなかったことにさせてもらいたい」
言われた令嬢エリザは来たな、とでも言いたげに一瞬目を爛と輝かせ、しかし表向きはしおらしく、うつむきがちにふるえる声を張り上げた。
「それは、アドラスク様がさくら様と恋に落ちてしまわれたからでしょうか?
世界中からレースや布地やくじらのほねなど、奢侈をきわめて買いあさる、聖女さくら様と?」
聖女さくらはすでに相当イラついていたので、そして頭の中では何度もエリザを殺していたので、険しい表情でエリザの言葉を遮った。
「私がぜいたくしてることとか、私とアドラスクが恋愛関係にあるかどうかってあなたの婚約破棄に関係あります?」
あるだろ。
令嬢エリザはあまりの強いことばにやや鼻白んだが、観衆はことのあらましを、おおむね令嬢エリザよりの視点で知っていたので、若干冷めた表情で見守っている。
「あと今しゃべったの私の胸じゃないんですけど。マナーとか以前の、人間同士の礼儀として、顔を見てくれませんか?」
「…………」
観衆は気まずく視線をそらし、聖女さくらの顔を見るより床を見るほうを選んだ。
やばい。聖女さくらの胸のことを言われると皆弱いのだ。
奪われたペースを取り戻すべく、エリザは上品に眉をひそめた。
「お、王子殿下を呼び捨てにするなんて。よほど親しいのですね。たしなみがないととられても仕方ないと思いますけれど」
「たしなみがないのはあなただ、エリザ」
王子アドラスクは深く深くため息をついた。
「影であなたが友人たちを集めては、さくらのことをどのように呼んでいるのか、また俺のことをなんと呼んでいるのか、俺は知っている。ここでは言いはばかられるが……」
聖女のことはともかく、王子をどう呼んでいるかもばれていて、さすがにエリザは青ざめた。
聖女さくらは巨乳であった。
おへそが見えないどころか足元も見えないのだ。さくらは胸が重い肩がこったもう死ぬなどとしじゅう騒ぎ立て、その重荷を、見目よき王子と、その配下の貴公子たちに支えさせるのである。
手で。こう、ガッと。
巷に言われるところの、乳休めである。
エリザは二人を影で、おっぱいおばけと色ボケ王子と呼んでいる。
ただエリザにも言い分がある。事実は事実であると。
聖女さくらは胸が大きすぎて知性が足らないとはよく言われるし、テーブルマナーもなっていない。粗暴なふるまいも目につく彼女はおっぱいおばけに相違ないし、その彼女(の胸)を率先して支える王子アドラスクは色ボケ王子に間違いない。
一応人目を避けてはいるようだが、なにかと衆目を集めがちの面々であるため、彼らのよからぬ噂を聞かぬ日はない。
婚約者たる王子アドラスクが、ほかの女の胸を触っているというのだから、なにか一言物申す権利くらい令嬢エリザにはあろう。
その内心をまるごと察したごとく、アドラスクは威厳を保ってうなずき、謝意を示す。
「婚約者であった俺が、結果的にあなたに不義理をしたように見えたのは申し訳なく思う。
この点は、説明が行き届かなかった俺の落ち度だ。
『聖女さくらはただただ肩がこってつらいのだ』と、何度でも皆へ説いて聞かせるべきであった。
しかし、これでも再三言ったではないか。さくらは胸が重くて肩こりと頭痛が耐え難いのだと。皆で少しずつ手を貸してやれば救われる魂が一つあるのだぞ」
「破廉恥で受け入れがたいです」
さりげに婚約を過去形にされていた、元婚約者エリザは言い返す。
観衆がかもしだしたのはそうだよねーっていう雰囲気だった。
肩がこってようとなんだろうと、ものには限度があろう。
どう人目を避けようとも、空室にしょっちゅう男を引き込むような聖女が尊敬を集められるだろうか。また、引き込まれる王子を慕えるだろうか。
しかしアドラスクはかぶりを振った。
「思いやりと聞く耳を持ってはくれないか、エリザ。故郷を離れてこの国のために尽くしてくれた聖女を孤立させるようなことを、なぜ、あなたはした? 人の本質とは関係ない、体型のことをあげつらい、売女のように呼んだ?」
「それは……」
エリザはもっといろいろ言おうとしたが、それは聖女さくらの哄笑によってさえぎられる。
「アーハハハハ!! 負けを認めろエリザ!!
お前なんか娼館行きからのピーーーッのピーーーーッのピピピーーーエンドよォ!!!」
聖女さくらが人の口からはとても言えないような罵り言葉を連発したので、運悪くこの場に居合わせただけのご令嬢たちの幾人かは、それだけで卒倒した。
なおこの語尾の「よ」は、女言葉のよではなくて覇王が使う方のよである。
エリザも当然、ショックを隠せないようだった。手にした扇子が小さくふるえる。
「な、なんでぇ? どうして娼館行きエンドなの? 味方も増やしてあるのにっ、王子の好感度もほどほどに上げてあるのにっ……」
「さくら、エリザを娼館行きにするなどとは俺は一言も言ってない」
きっぱり王子アドラスクは言ったが、女ふたりの耳には入っていないようだった。
聖女さくらはあごをあげ、勝利の笑みで小柄のエリザを見下した。
「妊娠すると胸が大きくなるって言うでしょ」
今度はエリザ、あぜんとする。
「そんな……たったそれだけのために……!?」
突如さくらはその美しいみどりの黒髪を、気でもくるったのかと思うほどかきむしり、地団駄を踏んだ。
「ああああああああああーーー!!!!??? たったそれだけぇえええ!?!?!? 人の痛みを知れよ!!!!!! お前は!!!!!!」
「ひい」
エリザはひきつった悲鳴をもらす。
「巨乳は淫乱の証拠だとか単なるデブの言い訳だとかはただの悪口だし頭が痛いのは気の持ちようだとかは話聞いてないバカの発言だからぶち殺す程度ですますがぁ!!!」
ぶち殺す程度で。
エリザもおっかなびっくり訂正する。
「それ、全部が全部わたくしが言ったわけでは」
「自分主催の茶会の発言は訂正しなけりゃ自分が言ったも同然なの分かれゴミクズ!! その覚悟もないのに女子どもあつめて根回しごっこしたのかおのれは!!!! ていうか私がマジ許せないのそこじゃないから!!!」
ここまでキレておいてマジ許せないポイント、ここじゃないのか。
聖女さくら以外のみながそう思った。
「お前のいっっっっちばん気に入らないところはぁああ!!! 肩がこるのは姿勢が悪いからですよ、背筋をしゃんとしていれば胸の重みは気にならなくなるはずですとかしゃあしゃあと上目でアドバイスしたつもりになってるところだ!!!!! 気にならないわけあるかボゲーーーッ!!!! わたくしお手製のオイルで毎晩あたためながらマッサージしなさいとか、適度な運動が重要ですとか、ストレスも原因になるからリラックスして時間をていねいに過ごしなさいとかどれもこれもそれもこれもあれも余計なお世話&迷惑&笑止千万だわ!! 裏でおっぱいお化けだの露出狂のド変態だの重たいのは胸だけで頭は空っぽだの言われてるの知ってるんだからな私は!!!」
乳休めがわりと見た目に破廉恥かつバカっぽいことが分かっているだけに聖女さくらは傷ついたのだった。
そしてふと何の前触れもなく我にかえり、聖女とか妖精とか慈母とか呼ばれるうつくしい微笑みをうかべた。なおこめかみには世にも恐ろしい青筋が浮いている。
「いいですか、私は世の苦しみすべてを祈りによって取り払ってまいりました。魔物を結界によって退け、大地をみどりで満たし、飢えを消し去り」
ここで……まあ些細なことだが、群衆の中の一人が声を張り上げた。
「魔物を本当に退けてきたのは本当は私の力よ! 聖女は偽物です!」
「うるせえーーーっ!!!」
「ひええっ」
さくらがまた喉も割れんかというばかりの絶叫をあげると、群衆の中の一人は引っ込んだ。
「お前人の苦しみを知れよ!!!! 聞いてんのか話を!!!! 私が聖女として召喚されたの!!!! どっちの力が本物かとかの話は今してねーーーの!! 仮にお前が本物だとして私の召喚がきっかけになったのは間違いねーーーーだろうが!!!! 地上の苦しみはもう肩こりしか残ってねぇーーーーだろうが!!! もう一声ちょっとは思いやれよ巨乳の苦しみを!!!! ……どこ行ったお前ーーーーっ!! 本物の聖女ーーーっ! 代われ今すぐーーーーっ!! 巨乳ごと代われーーーっ!!!」
色とりどりのドレスの波の間に、また私が本物ですと名乗る女はもう現れない。
聖女の狂気があまりに高まってきていたので、王子は仕方なく衆目を承知でさくらの背後に回り、胸を支えてやる。
するととたん、さくらはおとなしくなってすすり泣きだした。情緒不安定である。
重みを軽減されたことでやっと脳みそに血が巡り始めて、さくらは落ち着きを取り戻しつつあるように見えた。
なおいいブラをつけても所詮は胸の重みを自分で支えていることにはかわりないし、机に乗せて休めても若干前のめりの姿勢を強いられるせいで長時間はやはり難しいのと、だらしがないだのそしられる。
「どうせだらしのない巨乳のバカ扱いなら一番楽な姿勢を取らせてもらうわ……聖女業務の報酬がそれなら安いものよなあぁぁ?」
またさくらの語尾が覇王になっている。聖女の情緒は安定しない。王子アドラスクは背後でうなずいた。
「安いものだ。それでお前がひととき安らぐのなら」
「そ、それです!!」
たじろいでいた令嬢エリザが再度声を張り上げた。
「あなたのそれ!! 高貴なる人々ばかりをその乳休めとやらに駆り出すの、おかしくないですか!? 美形を侍らせてハーレムを作って喜んでるようにしか見えません!」
「美形を侍らせてハーレムを作って喜んで何が悪いのかは知らないですけど、私はとりあえず違います」
乳が休まって身が軽いので、さくらは今のところ寛大だった。寛大って言っていいのかわからないけど。
「平民はたった一人の女性を選んで幸せな結婚をして、毎日朝から晩まで仕事して、休日は楽しんで、子供を産みはぐくまねばならないでしょう?」
まだこの世界には結婚をしなくても幸せになれる時代は訪れていない。あとゲイに関してはこの際勘定にいれないものとする。
「地に足つけて、毎日生活していかなくちゃいけない人々です。他の女の乳休めさせる仕事の人の、奥さんになりたい人なんていないでしょう。
乳休めなんかに駆り出して、人生を空費させるわけにはいかないです。
貴族とか王族とかは愛人とか側室とかありがちだからいいかなって思うけど」
そ、そんなもんだろうか……? いやしかし……? みたいなとまどいが高貴なる群衆の間に満ちた。
命知らずの令嬢がそっと口をさしはさむ。
「高貴なる方々の時間を空費するのはよろしいの……?」
この世界に労働単価の概念はなかったが、たぶんそこらへんを気にしているんじゃないかと思われる、遠慮がちなツッコミである。
「そう思うなら人数を増やしてください。一人頭の時間が減るから」
この世界に労働単価の概念はなかったので、聖女のへりくつに対抗する手段はなく、未熟なツッコミは引っ込んだ。
アドラスクはさくらの背後からひょいと顔を出して言う。
「肩こりからくる頭痛がない間は彼女も聖女でいられるのだ。
エリザ、きみは手ずからに薬草を育てたり美容石鹸を作ったりしていて、変わってはいるが面白い趣味だなと思っていたが、それをだしに茶会をひらいては女性同士で集まって、苦しんでいる人に追い討ちをかけていたのはいただけない」
「だ、だって……女子的にはハーレム築いて胸揉ませてるってだけでわりと嫌悪の対象だし……」
「揉んではいない」
「揉ませてはいない」
王子とさくらは口々に否定した。ついでにさくらは諭すように眉をひそめて言う。
「ていうかエリザの正体、もううすうす分かってはいるけど、架空の乙女ゲーを遊ぶのやめなよね……。
仮にエリザが影でひそひそ言ってるとおり、ハーレム作って国を傾けてたとして、一人の女の子のために身を持ち崩すイケメンダサすぎて恋愛対象じゃないから……。
そんなのに囲まれてもグッドルッキングな家具みたいなものでしかないから……」
まあ王子らが受けているのがまさに乳休めのためのすっごいお高い家具扱いなのだが。
「巨乳はクッソ重い……支え一回につき五分で交代するとして十人でシフト組んでもまあまあツラいから……」
「まだあなたに侍る殿方を増やすおつもり!?」
ちょうどそのとき、王子は忌憚なく言った。
「エグバート、重たくなってきた」
「は」
そばにひかえる騎士エグバートは礼儀正しく王子と交代した。
背後にまわって、ぐっと下から支えてやる。乳を。というか重みを。
聖女の金切り声を容赦なく浴びていても、まだパーティー客たちからの冷たい視線は三人へ注いだが、さくらは静かだった。
乳が軽いためである。
「私の乳は一人では支えきれないから。男がいやらしい目で見てきて不愉快とかいう段階はもはや通り越してる。しゃべってて目が合わない不愉快さはまだ通過してないけど」
異世界の聖女さくらは世界をまたいで度重なるセクハラにさらされたせいで、胸に関する貞操観念がもう死んでるのである。
「ていうかなぜその身の回りに殿方ばかりを侍らせるのです!? 高貴とか平民とか空費とか関係なく!!」
「男は仲間だから」
男は股間とかいうよりいっそうしんどいところにそのお道具をぶら下げている。ちょっとしたことで死にそうなほど痛い思いをする急所をである。同情に値する。
「体の前面にうっとうしいものをぶらさげているものにしか私の苦しみはわからない」
なお巨乳の侍女を連れる案もあったが、既に苦しむ人々をさらにいっそう苦しめることはさくらには出来なかった。根は善良なのである。たぶん。
凹凸の多いボディのさくらは、声だけは平坦に、抑揚なくつぶやいた。
「ていうかエリザが観念するまでが長い。もういいこんな世界。滅ぼす。ブラジャーのある世界に帰る」
読者がおぼえているかわからないが、レースや布地やくじらの骨など買いあさっていたのはこの世界にはない、高機能なブラジャーを自作するためだった。うまくいってはいないが。
「待て待て待てさくら」
アドラスクに肩をつかまれたさくらはその手を強くはじき返す。
「だから重いんだってばーーーーっっ!!! 私の肩に手をのせるなああああっ」
「ごめん」
これはアドラスクのうかつであった。アドラスクは素直にあやまる。あやまって、エリザに向き直った。
「とにかく、エリザ。君も俺と結婚するつもりはもはやないだろう。
俺もこの国にとって必要な聖女に……そもそも苦しんでいる人に追い打ちをかける人とは結婚はできない。国母となる資質もあるとはいえない。
悪いが婚約は破棄とさせてもらう」
「それは……」
貴族たちはみなざわめいた。国母という言葉で、思い出したのである。
王子アドラスクと聖女さくらが恋仲であるとふたりは認めていないが実質そのようなものでありそうだ。
というか、元婚約者エリザがそのようにひそかに喧伝――矛盾しているようだが――していたのである。前々からそのようにすりこまれていたので、二人が否定しようと、なかなか意識はあらたまらない。
仮に令嬢エリザと婚約を破棄したとして、王子アドラスクは誰と結婚するのだろう?
まさかこの頭のおかしい聖女さくらと?
と、ここで乳がそっとおろされる。剣を支えるのとも軍旗を掲げるのとも違う筋肉を使うのと、淑女に対する礼儀を保ってちょっと距離をとりつつ支えたので、騎士エグバートの手をもってしても重たくなってきたのである。
聖女さくらはまたあらぶりだした。
「ほらああやっぱり人数足らないじゃないかーーーっ!! 重いーーーっ! 重いーーーー!! 痛いーーーー!! もう帰るーーーっ!!」
「落ち着いてくれさくら」
「なんでこんな思いをしてまで結界張らなきゃいけないんだーーーーっ!!」
「魔物が攻めてくるからだ」
「なら私が魔王を滅ぼす!!!! あっいやまてよ、そうだ人間であーだこーだ言われるくらいなら魔物をしつけて乳を支えさせれば良いんだ!! なぜそれに気づかなかった……? あっ魔物が攻めてこなかったからだ。よけいなことしやがって!!!!!! どこだ本物の聖女!!!」
「ひいっ野蛮っ」
自分が結界を張っているのか、さっき群衆の中にいた本物の聖女とやらが張っているのか、さくらにはわからなかった。さくらは肩こりと頭痛の合間に祈ってるだけだったので。
さほど可動域はなかったが、それでも肩をぐるぐる回せるところまで回して気をまぎらわせながら、さくらは貴き群衆をにらんだ。
「もういやだ……これだけ言ってもまだ貧乳とその味方は人の心が分からないんだ……胸に栄養いってないから……」
「さすがにそれはあまりの暴言」
「体型のことをあげつらうのは確かにあまりのことと思いこうしてエリザをたしなめているのにおまえまで同じところに落ちてはいけない」
あまりのことに騎士エグバートと王子アドラスクから口がさしはさまれたが、さくらはくの字にした親指で鎖骨のツボをぐるぐる強めにさすりながらうつむいた。
「……見せしめにしてごめんエリザ……私が、こんな風につらいって言ってるのにわかったふりをされるのが一番つらかった……。憎悪が募ってしまった……やっぱりエリザが一番嫌い……」
まるで自供だった。
エリザはおそるおそる、肩の高さまで挙手して問うた。
「あともうひとつよろしいでしょうか……?」
「なんだよ」
「この流れからいったいどのようにして異世界恋愛カテゴリに持ち込むのです……?」
「知るかボケーーッああーーーーーーーっっっ!!!!」
さくらのストレスが再度大噴火し、収拾がつかなくなったところで一度このシーンは幕である。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
胸のトップサイズがすくなくとも85を超えるまで許すことまかりならぬとのさくらの強弁があって、しばしエリザは不敬罪で投獄されることとなった。狂気の聖女さくらからの避難措置ともいう。
「グラビアアイドルなんかは一回太ってから、胸に肉を残すようにダイエットして大きくするらしいッスね」
ということでエリザは今はあったかいお部屋のあったかいベッドで食っちゃ寝食っちゃ寝、動かないでやれる趣味だけをやりながら自堕落にすごしている。
もし胸に肉がつかなければ、さくらの機嫌次第でマジで娼館行きになる可能性が億万分の一くらい残っていることを、エリザは察知していた。
さくらの方もあれだけの騒ぎを起こした身の上であったので、学園は休学となった。もしかするとこのまま退学となるやもしれない。
聖女さくらの私室には、彼女が強請って作らせた特製の乳休め台がある。
木枠に帯を一本張り渡し、そこに前のめりの姿勢で胸をひっかけるのである。上半身は帯の下部にしつらえたクッションに預けて、負担を軽減する。
これを使えば根本から支えることができる分、ただ机などに乗せるよりはずっと楽になるが、前のめりの姿勢になることにはかわりないために腰に負担がかかるし、なにより重みのかかる場所を肩から腹へ移動させているに過ぎないので、やはり直立した姿勢のまま、ちょうどいい塩梅で角度をつけてくれる人間に支えさせるのが一番楽だ。身動きが一切とれなくなるのだけが難点だが。
人間の乳休めがしばらくいらないので、王子は聖女の肩でももんでやろうとその背後に回ったが、いつものことながら、こりすぎて指が入っていかない。
アドラスクはふと思い立って、体重をかけてさくらの肩を肘で突いた。効くかと思ったのである。
もちろん抗議の声があがった。
「いたーい!! おもーい!!」
「すまん」
「ぐえー」
許したのか許してないのかわからない、くぐもったいらえがある。
アドラスクは一切肩こりしない体質なので、さくらが何をされると楽なのか、なかなか想像しにくい。
普段通り、石製の棒で押してやる。アドラスクはふと遠い目をした。
「どさくさで婚約破棄の承諾を得そこなったな……」
「ごめん……なんかもう……ごめん……。
乳休めのせいで人生をふいにさせたくなかったから貴族じゃない人には頼まなかったのに、そういえばそもそも結局アドラスクの結婚をダメに……」
乳が休まっているので聖女さくらは殊勝であった。
「いや、いい。先ほども言ったが、エリザの方こそ俺との結婚は嫌がるだろう。
エリザのほうもつとに変わり者であったからな。
読書の会だとか前世占いの会だとか、女同士の社交には熱心であったが、俺とは折々の機嫌うかがいの手紙のやり取りがほどほどにあっただけで、俺のことを好いておったとはとても思えん。
あれ自身は悪くないと思っていることに関して断罪されたのと、婚約破棄とでプライドが傷ついたのであろう。
……婚約自体も気乗りしない風であったのに、ああして食い下がるとは思っていなかったが……そういえばむしろ、婚約破棄のされはじめはちょっと楽しそうであったな、エリザ」
「ざまあしようとしてたんじゃないかな」
「ざまあ?」
「いや、こっちの話」
さくらに細かい説明をする元気はなかった。
さくらはわきの下に小さいボールを入れて、上半身を乳休め台に寝そべらせたままツボを押す。
極泉といってめちゃくちゃ痛いがめちゃくちゃ効くツボだ。押したあとしばらくは楽だろう。しばらくは。
痛みに耐えつつさくらはうめいた。
「……王子たちは……。さっさと『その悩みはわからない』って割り切ってくれるから助かってるかも。
女子のほうはこう、なまじ同じ形のものがくっついてるから、半端な理解でいろいろ言ってきたりして……つらい」
たとえば令嬢エリザのように。
「悪気がないだけにな」
「悪気が本当にないのかもわからない……自分の知ってることひけらかしたかったのかも……転生者ってそういうとこある……」
「お前もあまりレッテルを貼るなよ」
「私は乳を……なんでもいいから乳を支えてくれさえすればそれでよかった……いっとき安らがせてくれればそれで……ほんのささやかな望みだったのに……」
味方のアドラスクからもたしなめられて、なんとなく、さくらは孤独を感じた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ところで悪口雑言のために聖女さくらの神聖性がうしなわれたのか、それとも群衆の中の聖女が祈りをやめたのか、あるいは令嬢エリザが投獄されたためか、理由は判然としなかったが、とにかく王国の結界はうしなわれた。
なかば予測されていたことだったので、王子アドラスクは兵をあつめて襲いくるであろう魔物にそなえんとしたが、元は人望をあつめた王子であったのに、聖女の乳置きと成り下がったいまは思うようにならない。
腹心の騎士エグバートを最前線に送り込まねばならないかというとき、ふと、聖女の耳へ悪しき言葉をささやくものがあった。
そう、けがらわしき魔物の王、略して魔王である。
結界がうしなわれたので、人の住む土地へ攻め入る前に、思念を飛ばして聖女を誘惑することも、今となっては可能になったのだった。
魔王はささやく。
『わが軍門にくだれ、聖女よ。手勢のいくたりかを分け与えよう。そなたが淫蕩の魔女と呼ばれても、こちらではなんの不名誉にもなりはしない』
聖女さくらは考えて、誘われた通り、魔王のところへ行った。
ごく少数の味方をつれた王子アドラスクが、聖女さくらを追って魔王城に乗り込んでいったそのとき、城内はぶきみな静寂に包まれていた。
アドラスクたちはみな、何がここで起こったか、なんとなく察していた。
なんの戦いもないまま、魔王城の玉座の間にたどりつき、王子一行はその重たい扉を押し開ける。
聖女さくらは返り血に染まり、血の海でたたずんでいた。生きているものはほかに誰もいない。
彼女にアドラスクたちはそっと背後から近寄っていって、その重荷を少しだけ持ち上げてやる。するとさくらはうつむいた。
「やってしまった……虐殺を……ついかっとなって……。
支えてくれるって言ったのに……インプどもが揉むから……」
「揉まれたのか」
ここで、揉ませたのか、などと失言しないところにアドラスクの王者の資質は現れる。いらぬところで命を捨てないのも立派な資質である。
人類の宿敵、魔王とその配下どもが倒されたのである。
本来なら虐殺とは呼ばず誅伐とかいうはずであったが、とはいえさくらの声が涙でくぐもっていたので、そこにアドラスクは触れなかった。
さくらは涙を見せたがらないから、後ろから包んでやれるこの支えの役目も悪くないかな、と王子アドラスクは思う。もともと、女に振り回されるのがきらいでない性質なのだ。
さくらは魔王から手勢を分け与えられるまでもなく、王子アドラスクからすでにそうされていた。
騎士エグバートをはじめとして、そのいとこ、宰相令息、伯爵家令息、侯爵家のあとつぎ……みな信頼がおけて、聖女を託すに値する、ようするに将来を嘱望された王子アドラスク腹心の若者たちばかり。
さくらはそれをみな、乳置きにしてしまい、名誉をうばった。
貴族社会であざ笑われ、もはや学園卒業後、かれらが要職に就くことは難しいかもしれない。
みな、綺羅星のごとく輝く才能の持ち主であったのに。
床の血だまりへ聖女の涙がひとつぶ落ちて、はごろもフーズもかくやというきれいなミルククラウンを作ったが、奇跡はおこらない。アドラスクが身動きする足音がぴしゃぴしゃ鳴っただけだった。
聖女さくらは絞り出すような小さな声でつぶやいた。
「アドラスクの国が……私のせいでほろびるかもしれない……」
アドラスクは苦笑した。
「ずいぶん飛躍したな。そのようなことはない」
いかに君主制国家といえど、ちょっと王子とその腹心がアホに思われているくらいでほろびはしない。父である王からはほどほどの理解を得ているし、聖女のことを性女などとか言って侮辱する貴族たちの説得を、あきらめると決めてしまいさえすれば、ほとぼりはいつか冷める。聖女の乳休めも3年5年と当然のこととしてつづけていけば、そのうちみな納得しないながらも慣れはするだろう。
腹心以外にも人材はいるし、魔物との戦費を内政にまわせるようになって、国はゆたかになった。
火事とか強盗とか戦災孤児とか大小さまざまな利権のからみあいとか、聖女の力のおよばぬわざわいはあるものの、魔族とのあらそいがあったころに比べれば問題は些細なものばかり。
アドラスクの憂いはべつにある。
すなわち、ちょっと肩に手をのせるだけでもいやがるさくらが、王と王配のための、神賜の黄金宝冠や、金糸銀糸や金剛石で、麗しく、そして重たく刺しゅうされた王妃の衣をまとえるだろうか、ということ。
ばかばかしいようだが、解決策がないだけに切実であった。
「おまえの重荷を代わってやりたいが、それもままならん。許せ」
王子アドラスクがつぶやくと、聖女さくらはかぶりを振った。
「みなを説得もできん俺がふがいないのだ。筆頭のエリザを諌めただけではみなおさまらなかった。
お前のこれからの人生の、礎を築くことはできなかった」
「別にそんなの……どうでもいいし……」
「しかしな」
「私なんかのために身を持ち崩すアドラスクなんて、ダサすぎて恋愛対象じゃないから……グッドルッキングガイ的な家具でしかないから……」
聖女さくらは、口でだけ強がって、背中に立つアドラスクに気づかれないように、また泣いた。
さくらはアドラスクを筆頭に、友人とも呼べる仲の彼らをグッドルッキングな家具にしてしまったことを心から悔いているのだった。
言外に振られたかっこうのアドラスクは、眉間に深い深いしわを寄せた。
王子アドラスクはこのとき、心を決めたのだった。
まだ気づいていない聖女さくらの胸の肉をおろして、ずしりくる重みに絶望したみたいなためいきをもらす彼女の正面へ、アドラスクは向き直る。
「おそろしい女だ、おまえは。お前がそんなだから、俺はお前に真心をささげることもできんのだぞ」
いつも背後から抱きしめる格好をとっていた王子アドラスクは、はじめて小柄の聖女さくらを正面から抱きしめた。
巨乳が二人の間でつぶれ、アドラスクにひっぱりあげられる形になる。
重さが楽になった度でいうと、後ろから支えられたときに比べてさほどでもなかったが、聖女の心はやすらいだ。
アドラスクはさくらへささやいた。
「お前の重荷はなんでも請け負う。持ちきれなければ人に回す。
しかし一度でいいから、お前の口からききたいことばがある」
聖女さくらは王国をひとつほろぼして、新しいのをつくった。
圧倒的武力と癒しの力と守りの力と、ふとい神経と大きな胸を持つ聖女に勝るつわものはいなかったため、比較的平和裏に政権交代はなった。
共和制の体裁をとるものの、平民に教育がゆきとどき、選挙制度がそれなりに回りだすまでの半世紀、その国の頂点に立つのはつねに聖女であり、その愛人たちであったといわれている。
聖女は男ばかりを五十人ほども周囲にはべらせ、宝石にはさほど興味がなかったが代わりに布地やレースや秘境に住む大鷲の骨などには異常とよべる興味を示し、金貨を林のように積み上げてそれを求めた。
淫蕩を極めたように他国からは言われたが、ベッドに引き入れたのは愛人たちのうちたった一人、ずしりと重たい神賜の宝冠一対と、王と王妃の衣をかわるがわるにまとった、元王子アドラスクだけだったという。
なおたまたまだが、聖女は子どもを8人ほどさずかって、乳をあたえるごとにその胸は少しずつ縮んだそうだ。
聖女さくらはそのたび、元王子アドラスクの手をとって、感謝のことばとともに、正面からぎゅうとかたく抱擁したと、歴史には伝わる。
令嬢エリザが84まで育てたことまでは歴史に語られていない。