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恋磁石シンドローム

作者: ひなこ

 トウヤ・ベルヘックは暗い運転席から窓の外の景色を眺めていた。

 眺めていたといっても、深夜の外界は運転席と同様に真っ暗で、空の星々だけが輝いていた。

 彼は左腕にはめた夜光表示のアナログな腕時計で時間を確認する。

 40歳の誕生日を迎えて、2時間丁度過ぎたことを示していた。

 全開にしていたドアウィンドウから風がトウヤの右から入り込み、ルームミラーに引っ掛けてあったペンダントを揺らした。

 20代の頃に付き合っていた女性とペアでつけていたものだ。

 別れてからは長いこと独身を貫いている。

『お互い惹かれ合うって、ステキなことよね』

 磁石で作られたペンダントトップを彼女はそう喜んでくれた。

 恋愛に興じる若者たちの間でパズルやキーロックと言った2つで1つになるモチーフが流行ってきたように、当時は恋を成就させるペア磁石が流行し、<マグネット・シンドローム世代>などと揶揄されたものだ。

 N極とS極のように引きつけあって離れない、という売り文句はとても魅力的だったことを思い出す。

 しかし現実は違った。

「お互いN極同士だったんだよ……」

 小さなペンダントトップを指先で軽くはじいて、苦い思い出を掻き消した。



 静寂を引き裂いたのは、2つのエキゾーストノートだった。

 2台分の前照灯の後ろのやつは、ご丁寧に赤いパトランプを回し、けたたましくサイレンまで鳴らしていた。

「やっこさん、現れたぜ」

 無線特有のザップ音のあとに、チームリーダーのベイトンの声がトウヤの耳に届く。

 この時代、非合法だが稼げるお仕事ってものが主流になっていて、ベイトンはトウヤをこの世界に引き入れた張本人だ。

 トウヤよりも10歳も若いが、その剃りあげたスキンヘッドと彫りの深い顔は中年の貫禄を備えている。実際、仕事の段取りや進行指示は的確で、総じて貫禄に真実味を持たせた。

「ったく、どじを踏んでくれたものだ。レイナとトウヤはマッポを挟め。俺とマーカスでカーゴを護衛する」

「オーケー、ボス」

 ベイトンの冷静な指示を受けて、トウヤはエンジンキーを回す。

 セルモーターが回ってノックハンマーが下りる音がすると、車体後部に積まれた2台の星型14気筒エンジンがうなりをあげた。

 運転席は数多のボタンのバックライトが点灯し、長い髪を後ろに束ねたトウヤの顔を浮かび上がらせる。しゅっとした顎のぱっと見イケメンだが、病的に目つきの悪い顔が灯りに照らされて悪人面を演出した。

 トウヤは大排気量のエンジンの揺れの中でハンドルを掴む。

 木製のハンドルの握り心地は良い。

 6つの前照灯を点すと、カーゴの真後ろにぴったりつけていたパトランプが次第に距離を開けるのが見て取れた。

 18段変速のミッションギアにつながる3本のシフトレバーを巧みに操作し、トウヤは一気にアクセルを吹かして加速した。

「トウヤは右から威嚇して」

「オーケー、レイナ。当てるなよ」

 チームの紅一点のメンバーに応えて、トウヤはハンドルを大きく右に回す。

 トウヤの乗るハウンド社製<ランデブーゾーン>は30年以上前の旧式で、大型だが足回りの良さには定評のある、ニッチな人気を誇る漆黒の人型車両であった。

 車両とはいっても後部座席はなく、前輪があるはずのフロントフェンダーはのっぺりとし、そのかわりにセンターピラーの直後からマニピュレーターの肩部が突き出している。さらには車台の底面からは腹部を含むロボット様の下半身が生え、大きな足の底にはインナーブレードのように駆動輪が片足につき前後1列に並んでいた。

 合わせて28気筒の雷音エキゾーストノートに強制空冷システムの甲高い音が混じってクラシックの音色を奏でると、全高4.5メートルの人型車両<ランデブーゾーン>は頭ひとつ低い警察の人型車両〈パトカー〉へと肉薄する。

 銀と青のツートンに塗られた<パトカー>は迫る人型車両に慌てた様子で75口径のハンドガンをマニピュレーターで引き抜いた。

「させるかよっ!」

 トウヤは足裏のタイヤを軋ませながら急制動をかけると、車体の背中に突き出した重たい2台のエンジンをカウンターウェイト代わりにしてドリフトする。

 ドリフトするトウヤの<ランデブーゾーン>の足元から、タイヤが砕いたアスファルトの石つぶてが<パトカー>のフロントウィンドウに向かってバチバチと飛散した。<パトカー>は堪らず、ウィンドウが割れないようにと左アームのフェンダーバンパーで石つぶてを防いだ。

「ヒューッ、トウヤもやるねぇ。あとで褒美にたっぷりチューしてやるからな」

「遠慮するよ。兄弟をこれ以上増やしたくないんだ」

「まるでわたしがビッチみたいに言わないでくれるかなぁ?」

「実際ビッチじゃねぇかよ」

 トウヤは応えながら<パトカー>との距離を取り、横目にレイナの真紅の車体を確認する。

 高級人型車メーカーであるヒューリエン社特有の流線型を持つ新型<ヴォルケーノ>はその名に恥じぬ真紅に塗装され、女性を思わせる大きなふたつの胸のふくらみを配したフロントグリルの中央にはドラゴンのエンブレムが金色に輝いていた。その双房の奥には空水冷式のV16エンジンが1台ずつ収まっている、総排気量22リッターを超えるモンスターマシンだ。

 レイナはその<ヴォルケーノ>の右アームに重火器トリガーのリミッターを違法に解除したマニピュレーターを取り付け、口径20ミリのサブマシンガンを装備していた。

 正直、一般人がやばい仕事に手を出してですら、買えるかどうかもわからない高級車だ。仲間の素性を詮索しようという気は毛頭ないけれど、彼女が優秀なパトロンに尻尾でも振っているだろうことは想像に難くない。いくらレイナが人並みに美人で、トウヤが女日照りでも、手を出すにはやばい案件だと理解できる。

 トウヤは「当てるなよ」と警告してはいたが、トリガーハッピーな彼女のことだ、すぐに銃口から火を噴くことだろうと予想していた。

 案の定、小気味良い音が周囲にこだまして、無線からベイトンの怒り狂った声が響き渡る。

 右足から右腕にかけて被弾した<パトカー>は片膝をつくように右に傾いて、手にしていたハンドガンは前方の地面に投げ出されている。

 トウヤは運転席に被弾してないことにほっと胸を撫で下ろした。

 ベイトンの怒声にレイナの笑い声が混じって無線はカオスの様相を呈していた。

 ルームミラーで背後を確認すると、カーゴと呼ばれる人型車両はベイトンとマーカスの2台に守られて、だいぶ離れた位置にテールランプが小さく赤く見て取れた。

「オーケイ、レイナ。お仕事優先だ」

 トウヤの声に怒声と笑い声が同時に止む。

「マッポの応援が来る前にテンパックスのお荷物を持ってずらかろうぜ。俺はこいつを無力化してから行く。先に本隊に合流してくれ」

「あいよ。ヤサのベッドで待ってるよ」

 レイナの投げキッスの音に胃がキリキリと痛むのはきっと気のせいだろう。

 <ヴォルケーノ>の小気味良いエキゾーストノートが遠ざかる。

 いつの間にか<パトカー>のサイレンも止んでいた。


 アスファルトの上に転がるハンドガンを挟んで対峙した、2台の人型車両の間を肌を刺すような緊張感が支配している。

 片やトウヤの操る<ランデブーゾーン>、かたや警察車両の<パトカー>。

 1対1の攻防は、どちらが先にハンドガンを手に入れるかで決着するのは火を見るより明らかだ。

 被弾しているとは言え<パトカー>は最新の人型車両だ。

 トウヤの旧車とはスタートダッシュの速度が違う。その差を補うなにかはないかと思考を巡らせる。

『エンジンをなおすついでにサービスしといてやったからな』

 先日、整備工場で勝手に装備を増やしたチーフエンジニアの言葉を思い出した。

 旧車<ランデブーゾーン>の星型エンジンは磨耗しやすく、こまめに整備が必要だ。そんなお得意様にサービスをしておくのは、整備士としてはリピーターを増やす常套手段である。

 サービスと称して取り付けられたのはマグネットアンカーだった。

 先の戦争では人型車両の現地運用において標準装備として使用されていた代物だ。ウィンチ機構を有していたため、車両の捕縛、物資の牽引、昇降や登坂にと利用された。果てには磁気通信の電気信号化技術の開発により、無線を使わない近距離個対個通信手段として傍聴されない利点を備えるものとなった。

 やがて、宇宙人との遭遇、交流、移民を経て急速に時代が変化すると、次第に利用されることがなくなったアナクロなアイテムである。

「人型車両のハンドガンだって金属の塊だ」

 トウヤはマグネットアンカーでハンドガンを引き寄せることにした。

 しかし、<パトカー>の運転手が先に行動を起こしていた。膝をついた右足を軸に左足の駆動輪だけにアクセルを伝え、車体がかしぐのに合わせて左のマニピュレーターをハンドガンへと伸ばした。

「させるかよーっ!」

 トウヤは素早くマグネットアンカーのセンサーの照準ハンドルを操作して、不恰好にインパネの横に据えられたボタンを勢いよく叩く。

 照準はわずかに逸れた。

 マグネットアンカーの先端の分銅は<パトカー>の左前腕を覆うカーボンパネルのフェンダーバンパーに弾かれ、<パトカー>の運転席目掛けて進路を変えた。

「くっそ!」

 トウヤの悪態は失敗したことに対するものではない。

 いくら強化ガラスとはいえ、マグネットアンカーの直撃は運転席のフロントウインドウを粉々に砕くだろうことが予想されたからだ。

 非合法な仕事に手を染めても、人殺しにはなりたくない。

 バガンッ!

 っと、金属装甲を打つ大きな音が響く。

 <パトカー>の運転席の視界を塞ぐようにボンネットカバーが開いて、マグネットアンカーの分銅が磁力で張り付いていた。

 トウヤは<パトカー>の運転手であろう警官の機転に賞賛の口笛を吹く。

 それは図らずもマグネットアンカーの通信回線によって<パトカー>の運転手に伝わっていた。

 <パトカー>の運転手であり警官であろう彼女の声が、トウヤの耳にも届いた。

「好き」

 ハンドガンの銃口を向けられたまま、宇宙移民訛りの告白が聞こえた。



 マグネットアンカーは軍事利用の歴史上欠かすことのできないマストアイテムと思われたが、その利用価値は思わぬところで綻びを見せ、全世界において利用禁止を通達された。

 それは宇宙移民が強力な電磁によって発情してしまう身体的特徴<マグネット・ラブ・シンドローム>に由来し、それを悪用させないため厳しく取り締まられる対象となっていた。


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[良い点] 「恋磁石シンドローム」というお題がどこから出てくるんだろう……と思ったら、まさかのラストでおぉぉぉぉ!ってなりました! いいですねぇ! 磁石のように男女が惹かれるわけでなく、磁力によって恋…
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