第九十二回 滄州と東京
一一○四年、夏。林冲は滄州にある柴進の屋敷に滞在していた。戴宗はすでにこの屋敷を発っている。史進という人物の事を伝える為に梁山泊に寄っている事だろう。その後崔得章の使いで東京の蔡京の所に向かうはずだ。
……林冲達が到着した時は季節が春から夏へと移り変わろうとしていた時だった。柴進に梁山泊を紹介されて以来、再びこの地に来た林冲を柴進は暖かく歓迎してくれたのだが……
「私の身に危険が迫っていると? ははは。この地は皇帝から丹書鉄券(一種の治外法権のお墨付き)を頂いているのです。ここを襲うは朝廷に弓を引く行為にも等しい」
王倫の心配性にも困ったものだと苦笑いし、安全だから大丈夫だととりあってもらえなかったのである。林冲は何度も説得してみたが結果は同じであった。
本来なら柴進のこの行動に途方に暮れるところであったが、林冲は梁山泊を出発する直前に王倫からいくつかの策を書いた紙が入っている袋を渡されていた事を思い出す。
「よいか林冲。いくつか予想できる展開に対してとるべき行動を書き示してある。もし柴進殿が話を聞いてくれない場合は「断」と書いてあるこの袋を開けよ」
今がその時と断と書いてある赤い袋を開ける。そこには最低限の備えの方法が記されていたので林冲はせめてこの内容を実行させて欲しいと願い出た。
柴進もそれくらいなら好きにさせておいた方が良いだろうとの判断から最後には折れ、早速林冲は柴進の食客達に協力を頼み、屋敷周辺の防衛力の強化と必要な物資がすぐに運び出せるよう準備にとりかかる。
見事な庭園のある柴進の屋敷とは言え、そこが戦場になっては全てを失う。また防衛力を強化しても柴進側の戦力で相手を撃退するのは無理な話。
王倫の指示とはあくまで時間を稼ぎ効率良く脱出する為のものだったのである。食客達も柴進が許可を出した上、元禁軍師範の林冲が相手とあっては逆らう者はいなかった。
特にその中の一人、鈕文忠という男は積極的に林冲に協力し、林冲も彼を信用出来る人物と判断する。
この鈕文忠、機を見るに敏な男で武芸の心得もあり頭の回転も速い。なぜ柴進の所にいるのか問うとどこかで身を立てたいと考えていたが伝手も知り合いもなく、身の振り方を決めるべく噂で聞いた柴進を訪ねてきてそのまま世話になっていたのだとか。
そこに梁山泊の林冲が来たものだからこれにはきっと意味があると考え、自分を売り込むつもりであったと話す。林冲もまた歓迎する意向を示し、王倫に引き合せると約束した。
計画を聞かされた鈕文忠は世話になった柴進の危機が救えるなら恩も返せるし、働き次第では梁山泊首領王倫に義弟林冲からの口添えで覚えも良くなるとあって懸命に働き林冲と共にその時に備える。
一方、東京では。
蔡州で再び聞煥章に会った孔明、孔亮の兄弟は彼から東京の宿元景を紹介され、三人で彼のもとを訪ねた。兄弟は宿元景に認められ意気投合した四人は連日色々話し合う。国の現状を憂いている宿元景と聞煥章の気持ちを知った孔明、孔亮は二人との繋がりをより強くする為に自らの立場と狙いを明かした。
「梁山泊がそんな者達の集まりに……」
宿元景は朝廷の臣である。が、梁山泊の実情を知り賊と非難するような事はしなかった。そして朝臣だけにその情報も朝廷からの見方が多く孔明達には重要なものだ。
彼は軍部の人間ではない為そういった部分に深く精通する情報は持っていないものの、朝廷側から見れば賊の存在は州が抱える問題程度との認識で、脅威と伝えられているものではないと説明した。
「もちろん情報が捻じ曲げられている可能性も否定はできないが……賊に対して動きがないのは事実と見て良いだろう」
宿元景も孔明達もお互いの協力は不可欠であると実感し、今後も水面下で連絡を取り合う計画を立てる。聞煥章は聞煥章で一計を考案し、蔡州から東京に移り私塾を開く事を決めた。
孔明達は聞煥章を梁山泊に連れて行きたかったが、今は所属のない客将の方が実際役に立てるという彼の言葉を聞いてその考えに従う。
後にこの言葉を伝え聞いた呉用は古の名参謀、張良の名を挙げこれを称え、味方を得た事を大層喜んだという。
※張良
秦末期から前漢初期の政治家・軍師。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、彼の覇業を大きく助けた。元は韓の臣で在籍しつつ客将として協力。韓王が処刑されると官を辞して劉邦と再会し正式に参謀となる。




