第百六十七回 傀儡兵
その光景を見た呼延灼は言葉を失う。
(な、なんだこの異様な者達は……!?)
高俅は失態を演じた呼延灼に汚名返上の為の機会を密命という形で与えた。
「わ、私を北京の軍の指揮官に!?」
突然言われた内容に驚きと喜びとで困惑する。そんな呼延灼に高俅は懐からあるものを取り出し差し出す。
(──よいか。あの者達はこれをつけた者以外には従わぬ。故にお前が──)
呼延灼の周りにいる者達はただぼうっと立っているだけで誰も彼を見ていない。よく見ると兵士に混じって全く武装していない者がいるだけでなく女子供までいるではないか。それだけでこの軍勢の異様さがわかるだろう。彼が思考を乱したのも無理はない。鈍い動作で高俅から預かった面を取り出して見つめる。
「狐の面……」
これは一体なんなのか。なぜ狐の面なのか。高俅はどこまで関与しているのか。さまざまな疑問が浮かんでは消えた。しかし呼延灼に答えは分からない。悩んだ呼延灼だが自分の置かれている立場や良心と自尊心などの葛藤から半ば思考を放棄し、ゆっくりと顔を面で覆った。
「ぐ!? うあ、うわぁぁ!!」
突然両手で頭を挟んで激しく揺さぶりながら苦しみの声をあげる。
(──主が妾の玩具かえ? 名は?)
「だ、誰だ!?」
直接頭に響く声に戸惑うもその声は彼の意思などお構いなしに圧を増して再度問うてきた。
(──名は?)
「こ、呼延灼……」
名乗った瞬間。彼の両手がだらりと下がり全身が硬直したかのようにそのまま動かなくなった。
「わたしは……コ……エンシャク……」
ぽつりと呟いた一言を最後に彼の目に宿る光が消えていく。
「よいよい。駒は揃った」
着物の女が誰へともなく笑顔をみせる。鬱蒼としたその場所には女ともう一人。
「ではこちらもゆるゆると参りんす。……頼みましたえ?」
「ハイ……オマカセ……クダサイ」
共に居たのは過去の悪事を文春にあばかれ王家村から逃げ出した裴如海だった。彼は視点が定まっておらず、足元もおぼつかない様子でふらふらと歩き出す。
そしてこの裴如海の様子は、今まさに動き始めた北京の者達と非常によく似ていた。
「軍師様! 北京軍が動き出しました!」
陣中にて伝令が状況を叫ぶと呉用は敵を確認しやすい場所へと移動する。
「くっ……とうとう来たか。ここからが我らの正念場だぞ!」
(緒戦で官軍を翻弄した朱武殿の八曜の陣ではあるが北京の兵が王倫様の言われる通りだとすれば──)
朝廷側が八門金鎖と断定した陣形。だが正確にはそうではない。これは朱武が八門金鎖をさらに洗練させ「八曜」と名付けた陣形だったのだ。一見八門金鎖の陣に見えながらも内部構造を自在に変化させる事で欠点をなくす事に成功していた。この梁山泊の戦いで初披露された陣形だけに聞煥章ですら見抜けず、過信した東京軍の部隊を誘い込んで殲滅する事に成功したのである。
陣形の長い歴史の中で初登場したので研究しているのは発案者の朱武と伝授された呉用のみであった。あえて弱点を挙げるとするなら統制された部隊でなければ運用自体が難しいところと、守備型の陣形に共通して言える機動力重視の場面には不向きな点だろうか。だがその堅固さにかけては守備陣形の中でも一二を争う。
(──だとすればこの八曜の陣、北京の兵相手には効果が見込めぬのでは──)
呉用が内心に迷いを生じさせていた頃。首領の王倫は梁山泊から戦場が一望できる場所で一人呟いた。
「密かに調べさせた時遷からの報告によれば北京の者達はとても兵とは呼べぬらしい。さらに羅真人先生によるとこれを仕掛けた相手は人の枠を外れているとか……」
到底信じられる話ではない。普通に生活している者ならば。既に王倫は神にも会い、仙人の子として認識されている桃香や瓢姫とも過ごしている。彼の現在の世界観からすればそのような存在が他に居てもおかしくなかった。
彼の懸念はその存在が理解できぬ力を広範囲に行使している点。羅真人や戴宗など不思議な術を操る道士達はもとより、北斗聖君や南斗聖君の神でさえその力の行使は限定的だったのだ。
(何かしらの条件があるのかも知れぬがそれよりもこの一連の動きと梁山泊がどう繋がるのか)
疑問は残るが王倫は今の状況を悲観してはいない。
「──そちらは羅真人先生に任せた。北京の者達へもいくつかの『偶然』が重なったおかげで打てる手も見つけた。頼みましたぞ軍師殿──」
一方、円陣を組んで座り瞑想をしていた道士達であったが、突如出現した怪しい気配を羅真人と瓢姫が察知した。羅真人はすぐにその場所へ樊瑞と馬霊を向かわせる。
「こ、これは──!?」
二人がそこで見たものは……倒れて痙攣している裴如海の姿だった。
「うん? 確かこの者は以前村で騒動を起こして逃げたという男では?」
以前出回った情報紙の記事と似顔絵を覚えていた樊瑞。その裴如海は何かを抱き抱えるようにして気絶していた。
「こやつここで一体何を。むむ、こいつは!?」
それは王倫の不調を回復させるために二人の師である羅真人が製作し、梁山泊全体に目立たぬよう配置した術具。そのひとつが半ばから折られ、折れた部分は裴如海が抱き抱えている。
「まさか身を犠牲にしてまで施してある術を解こうとしたのか!?」
その術具が破壊された。つまり羅真人の術の効果が弱まったかもしくは消失したという事。
「ここまでするとはやはり?」
「うむ。先生の言っておられた我らと因縁があるという相手が遂に現れたに違いない」
表情を硬くする馬霊と樊瑞。二人は報告する為痙攣している裴如海を担ぎ上げ静かにその場を立ち去った。
その頃北京の軍に対応している呉用は決断して号令を下す。
「良いか! この先誘い込んで殲滅する門のある守備陣形は意味をなさない! よってこれより湖を背にしたまま八曜の陣から変則の偃月の陣形へと移行させる! 苦しい展開になるが桃香様と安道全殿の教えを活かすのだ!」
「「おおおー!!」」
偃月とは半月を意味するが移行したその陣形はひとつの半円に近い形だ。そしてその最前線には刺股を持った解珍と解宝の兄弟も居た。
「あ、兄貴。いよいよ俺達の出番だな」
「お、落ち着け解宝。俺達は相手の動きを封じるのが仕事なんだからな」
「わ、わかってる」
そしてゆっくりと迫ってくる北京の兵が見える。そのあまりの姿に梁山泊の者達は息をのむ。足元がおぼつかずふらふらとこちらに向かってくる一団。それは兵士と言うよりも老若男女が入り交じる住人の集団。
「あー……あー……」
言葉にならない声をあげながら武具や農具、果てはその辺の棒を緩慢な動作で振り上げながら襲いかかってくる人の波。いや雪崩。北京の正規兵とて装備が整っているだけで住人となんら変わらない動きだった。
「き、来たぞ! 抑えろー!」
意思も思考もなくただ目標に向かい突き進む。その数だけで梁山泊の精鋭を圧倒し所構わず飲み込もうとする。知性を感じない戦い方をする相手なのではその誘導を目的とした門など確かに無意味であった。もはや兵とは呼べない者達と罪もない住人達の混合部隊。力量は上ながら相手に武器を振るえない梁山泊軍。戦う方法はひとつに絞られた。
「よし抑えた! 兄貴!」
「お、おう任せろ!」
刺股で相手の動きを封じる解宝。すかさず解珍が飛び出して縄で拘束した!
「一丁あがり!」
縛られもがく相手を梁山泊の手下が抱えあげて素早く後方へ下がる。
「──良いですか皆さん」
医者である桃香と安道全は医療に関する講習だけではなく、怪我人や病人を効率良く運ぶ訓練も行っていた。相手の体格や性別、負傷箇所や病気によって適切な運びかたがあるというのだ。運ぶ側の体格にもよって運びやすい相手とそうではない相手があり、背負う、肩に担ぐ、道具を使うなど方法も多岐にわたった。
例えば負傷し倒れた味方の脇の下から自分の首を差し入れ、肩の上に相手を担ぎ上げると比較的軽く持ち上げて速く退避できる。治療に通じる専門の部隊へ速く運べればその者が助かる可能性が高まるとの考えからだ。
王倫が相手の動きを封じる罠を利用する作戦を立案した事で縄などの拘束向きの道具が大量に用意され、偶然とは言え余ったそれらが利用できる状況にもあった。
「今の我々の戦いは弱い者を守るためのものでなくてはならない」
この王倫の信念を皆が支持し、桃香と安道全からの訓練で身に付けた技術も活用して梁山泊は敢えて苦しい戦い方を選択していたのである。心意気を感じた解珍と解宝も罠の設置だけでなく猟師の技能を活かすべくこの「北京軍拘束作戦」に率先して参加した。二万対十万の「自らの意思を持たない」決して倒してはいけない「傀儡と化した民」との戦いに。
だがそんな思惑など高俅には関係なく、想定通りの展開になったと見た彼は党世英と党世雄の二人に五千の兵を与えて出撃させた。戦場は王倫が碁盤で見立てた左辺への攻防にも広がろうとしていたのである。




