03
「イザベラ。お前の非道ぶりにはほとほと愛想が尽きた」
ああ、このセリフには聞き覚えがある。
怯えながらこちらを覗き見る少女を背に、怒りに満ちた顔のクリストファーを眺めながらイザベラは思った。
ここは王宮にあるサロン。
王子達の後ろにはやはり怒り顔のオリバーが立ち、離れた場所ではニールが不安そうな表情で控えている。
(このセリフはあれだ、ゲームのクライマックスでイザベラを断罪するシーンのセリフだ)
ただしそのシーンの舞台は学園最後、卒業式。
国王夫妻も出席する大勢の前で行われるのだ。
いまこの場にいるのは五人の他は侍女や護衛ばかり。
弟モーリスは今頃婚約者とデート中だろう。
「…あなたのその人の話の聞かなさにも愛想が尽きましたわ」
随分とショボい断罪シーンだな。
そう思いながらイザベラは答えた。
入学してから約二年。
クリストファーとの間では、ライラをいじめたいじめてないとの不毛なやり取りが延々と続いていた。
イザベラがライラをいじめたという事実は全くない。
当然目撃情報も物的証拠もなく、ただライラの証言のみだ。
この証言を鵜呑みにしてしまっているクリストファーには周囲も頭を痛めていた。
国王夫妻の耳にも届いており、諫めているのだが周囲から言われるほど頑なになっているようだった。
(ああもう。本当に鬱陶しい)
一年以上も続く不毛な争いにイザベラは疲れていた。
クリストファーの味方はただ一人、オリバーのみ。
それ以外の者達はみなイザベラの潔白を信じている。
クリストファーの後ろで怯えている、可憐な印象のライラが実は神経の図太い娘だというのも皆知っている。
彼女が狂言でイザベラを陥れようとしている事も。
そしてクリストファーとオリバー、二人だけがライラの本性に気付いていない。
そして平民の娘に誑かされている愚かな男だと陰で笑われている事を。
現実を見られないこの男と、これ以上関わりたくない。
早く———終わらせて欲しい。
「イザベラ・オルブライト!」
クリストファーが声を張り上げた。
「貴様との婚約を解消し、私はこのライラを正妃に迎える!貴様は罰として娼館へ入れ!」
ザワ、とどよめきが響いた。
「殿下!」
ニールが声を上げた。
「それは余りにも酷い仕打ちです!」
「ふん、ライラがこの女に受けてきた事を思えば温いものだ」
「ですからそれは…」
「ニール様」
す、とイザベラは手をあげるとニールを制した。
「庇ってくれなくて結構ですわ」
「しかし…」
「殿下」
イザベラはクリストファーを正面から見た。
「私がしたという罪に、全く身に覚えはございませんが罰は受けましょう。———貴方と結婚するより娼婦になる方がはるかにマシですから」
「は…?」
「ライラ嬢」
イザベラがクリストファーの背後に視線を送ると、ライラはわざとらしく肩を震わせた。
「ありがとう、こんなバカ殿下を引き取ってくれるなんて」
「え…?」
「お似合いのお二人ですわ。どうぞお幸せに」
呆気にとられた二人に背を向けるとイザベラはサロンを後にした。
「イザベラ様!」
ニールが慌てて追いかけてきた。
「本気ですか…娼婦など…」
「ええ」
立ち止まるとイザベラはニールを見上げた。
「私、もう疲れましたの。あの男の婚約者である事に」
「ですが…」
「娼婦の方がマシというのも本心からですわ」
前世の記憶を取り戻して以来、娼婦にだけはなりたくないと思っていた。
だが自己中心的なクリストファーと接し続ける内に———もしかしたら、この男と結婚するより娼婦になった方が幸せではないかと気付いたのだ。
一応この国の性産業について調べてみた。
すると、思っていたよりも娼婦に対する待遇は悪くなく、性病に関する予防や治療法もそれなりに確立されていたのだ。
そして実績を積んだ娼婦の中には娼館経営に回る者も珍しくないという。
女性の自由がないこの国で、娼婦というのは自立できる可能性が高い、数少ない職業なのだ。
(キャリアを積めば独立も可能って事?それは…面白そうかも)
前世、イザベラはやりたい仕事のためのキャリアアップの途中で死んでしまった。
その無念さが心の奥に残っていた。
だから———仕事としての娼婦に興味を持ったのだ。
愛のない結婚をして夫が他の女を侍らせるのを黙認しているくらいなら、男を手玉に取る娼婦になった方がいい。
———いっそこの国一番の娼婦を目指そう。
いつしかイザベラはそう考えるようになったのだ。
「ですが…このような事、許されません」
ニールが声を震わせた。
「陛下が知ったら…」
「だから今日なのでしょう」
国王陛下夫妻は今、隣国で開かれる王太子の結婚式に参加している。
オリバーの父である宰相も地方視察中だ。
今この国で一番権力があるのはクリストファー。
このタイミングを狙ったのだろう。
(そういう知恵はあるのに。何であんな女に騙されるんだか)
でももう、これであの男と関わる事はない。
私は第二の人生を始めるの。
スッキリした気持ちでイザベラは王宮を後にした。