02
十六歳になったイザベラは見た目は容顔美麗、中身は庶民だった前世の影響で少し口が悪い…良く言えば気さくな令嬢に成長した。
家族仲は変わらず良好、婚約者とも適度な距離を保っている。
これなら問題ない、そう思っていた。
学園の入学式の日、ヒロインらしき少女がクリストファーの目の前で転んだのを見ても「ああ、やっぱりヒロインもいたのか」としか思わなかった。
王子の外面しか知らない女生徒達が、クリストファーの側妃や愛妾狙いで群がるのを「むしろ正妃の座をあげるのに」という目で眺めていた。
そんなイザベラの様子は他の者にとっては「寛容な婚約者」と好意的に見られているようだった。
平穏だった学園生活に変化が出てきたのは夏季休暇明けだった。
「イザベラ。お前がライラを虐めていると聞いた」
ある日イザベラを呼び出したクリストファーは顔を見るなりそう言った。
「ライラ?」
イザベラは首を傾げた。
「私がライラと親しくしている事に嫉妬して彼女に嫌がらせをしているだろう」
「…ええと…どなたの事でしょうか」
イザベラは更に首を傾げた。
「申し訳ございません、殿下が親しくしている女性の名前をいちいち把握しておりませんの」
イザベラが放置しているのをいい事に、クリストファーの周囲にはいつも複数の女生徒達がいた。
その顔ぶれはよく変わるため、名前を言われてもイザベラには分からないのだ。
「そもそも…私は誰かに嫉妬した事も、嫌がらせをした事もございませんわ」
好きでもない男のために嫉妬するなど無駄でしかない。
「ライラは平民ながらこの学園で頑張っているんだ!それをお前という奴は…」
———ああ、ヒロインの事か。
イザベラはその存在を思い出した。
ゲームはヒロイン目線のため、ヒロインの容姿が出てくる事はほとんどない。
名前も変えられるため、初期設定の名前を忘れていたのだ。
「殿下。私はその方の名前も存在も今初めて聞きましたわ。そんな方をどうやって虐めると言うのです」
「ライラが言っていたぞ、平民のくせに生意気だ、立場を弁えろと罵られたとな」
「私はそのライラという方の顔も知りませんし、誰にもそんな事言った事はありませんわ。他の方と間違えたのではありませんか」
おそらく言われたとしたら、クリストファーに群がっている令嬢達の誰かだろう。
側妃や愛妾を狙う彼女達にとって平民の娘が王子に近づくなど許せないのだろうから。
「しらばっくれるのか!」
「本当に知らないのです」
(まったく…本当に人の話を聞かない男だわ)
ゲームのクリストファーはもっとまともだったはずなのに。
どうしてこんな風に育ってしまったのだろう。
「殿下…恐れながら、イザベラ様はそのような事をおっしゃる方ではないかと」
側に控えていたニールが口を開いた。
ニール・アクロイドは王家の護衛騎士を務める家系で、学園に通いながらクリストファーの護衛も務めている。
彼もまたゲームの攻略対象の一人だ。
幼い頃はひ弱で、イザベラを含む令嬢達に虐められた事が原因で女性不信となったがヒロインだけには心を許す…というのがゲームでの設定だった。
たが現実のイザベラは彼を虐める事もなく、むしろ彼が虐められそうになっていた所を助けたくらいだった。
そのおかげか女性不信になる事もなく、正義感のある真っ当な騎士に育っていた。
「お前はライラが嘘をついているというのか」
「そうではありませんが…イザベラ様の言うように、どなたかと間違えておられるのではないかと。…殿下をお慕いになる方は多いですから」
「…ふん。まあいい。いいか、二度とライラを虐めたら許さないからな」
(だから二度も何も、虐めてないから)
思い込みの激しいクリストファーに、イザベラは困った顔のニールと顔を見合わせるとため息をついた。
それ以降も、事ある毎にクリストファーはイザベラがライラを虐めていると言いがかりを付けてきた。
ニールや弟のモーリス達が否定しても聞く耳を持たない。
虐めの内容は言葉だけでなく、教科書を破いたり持ち物を捨てた、水を掛けたり転ばせようとしたなどといったもので———イザベラはそれらの内容に心当たりがあった。
全てゲーム内でイザベラが行なっていたものだ。
(ああ…これはあれかな。ヒロインも転生したかな)
ゲーム通りに動かないイザベラに苛立ち、捏造しているのかもしれない。
(厄介だな…そんなに殿下が欲しいなら、のしつけてあげるのに)
しかし、やはりヒロインの本命は王子なのだろうか。
気になりモーリスとニールに探りを入れてみると、ライラは彼らにも接触していたらしい。
だが女性不信ではないニールはヒロインに特に思う事もなく、モーリスも婚約者のマリーとラブラブだ。
———モーリスがそうなるよう仕向けたのはイザベラだが。
姉弟の関係を改善する傍ら、婚約者を大切に、浮気などしないよう躾けたのだ。
(もう一人の攻略対象は…接点があまりないからなあ)
四人いる内の最後の一人は宰相の息子、オリバー・テルフォードだ。
学園は既に卒業しており、彼のルートは王子と途中まで親しくなり、王宮に招かれそこで出会うのだ。
イザベラも王宮には定期的に通っているが、オリバーとは顔を合わせる程度で親しく話した事はなかった。
(あと確か隠しキャラがいたのよね)
イザベラはプレイしていないが、どこかのルートである選択をすると登場するキャラがいたのだ。
そのキャラの名前も分からないが、学園に該当する者はいないように思えた。
(そんなにライラがいいならサッサと婚約破棄して欲しいなあ)
娼館に追放されたくはないが、もう一つのルート、イザベラが正妃でライラが愛妾というのも嫌だ。
この調子では結婚した後もある事ない事で文句を言われ続けるのだろう。
(本当に———誰でもいいから殿下を貰って欲しいわ。何であんなの欲しがるのか分からないけど)
第一王子の妃というのはそんなに魅力的なものなのだろうか。
イザベラにとっては責任も学ぶ事も多く、面倒なだけだ。
(婚約解消して、小さくていいから田舎の領主あたりと結婚したいなあ)
前世でもスローライフに憧れていたイザベラの、それが願いだった。