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お客様は神様です!  作者: 宵宮祀花
◆壱夜 暗がりで待つ
1/12

噂のあの子

 ――――その髪、どうやって手入れしてるの?

 染めたりしないほうがいいよ、もったいないから。


 君みたいな、綺麗な長い髪が好きなんだ。

 大和撫子って感じがするだろ。だから――――



 長い髪を、ある日突然、短く切ってくる女子生徒が相次いだ。

 最初の一人二人は誰も気にしなかった。けれどそれが、短期間に十人近く続いたとき、なにかあるのではないかと囁く者が現れ始めた。話題の波紋は徐々に広がり、学年を跨ぎ学校中へと蔓延していく。やがて遠巻きに噂される居心地の悪さから、教室に来なくなる生徒まで現れる始末。


 朝のHR前。僅かな自由時間で賑わう教室の片隅で、百々梅雪乃はひとりぼんやりしていた。頬杖をついて窓の外に視線を投げ出し、なにを見るともなく眺めている。教室内の声は自分と無関係に流れていき、予鈴が鳴っても教師が来ない限り、それが鎮まることはない。

 夏休みが終わり数日経ったいまでも、雪乃はクラスに馴染めずにいる。虐められているわけではないし、話しかけても無視されるといったこともない。だが、特別親しい誰かがいるわけでもなく、特定のグループに所属してもいない。集団作業がある授業では人数が少ないところに割り当てられて、終業と共に会話も途絶える。

 休み時間も一人で過ごし、雪乃本人もクラスメイトもそれを気にしない。空気のようにただそこにあるだけの学園生活は、雪乃にとってはそれなりに気安かった。


「ねえ百々梅さん、二組の香住さんと三池さん、今朝髪切ってきたって知ってる?」


 だがこの日は、いつもと少し違った。

 クラスの中でも比較的アクティブなグループに所属する女子生徒が、雪乃の机に片手をついて唐突にそんなことを訊いて来たのだ。


「え、知らない……それがどうかしたの?」


 雪乃の問いに、赤茶色のボブヘアが特徴の女子生徒が神妙な顔で頷いた。チラリと目を教室の隅にやり、それから雪乃に向き直ると軽く屈んで声を潜める。


「でさあ、昨日はうちの久見さんでしょ。さすがに多過ぎじゃない?」

「う、うん、まあ……なにかあったのかなとは思うけど……」

「髪切り女子が増えてきたのと同時くらいに、ある噂を聞くようになったんだよね」


 雪乃を見下ろしながらそう話す女子生徒の表情に違和感を覚えたとき、朝のHR開始を告げる鐘が鳴った。前方の扉から担任教師が教室に入ってきて、教卓に立つ。女子生徒はその先を言うことなく切り上げて、自分の席へ戻っていった。

 そこから、いつもと違う一日が、本格的に始まろうとしていた。


「今日は皆に転入生を紹介する」


 担任は黒板に女子生徒のものと思われる名前を書くと、隣に「せんごひさめ」と読みを書きつつ名前を読み上げた。雪乃も百々梅と書いて「ささめ」と読む変わった名字だが、転入生もまた変わった名字のようだ。数字のつく名字に、雪と氷という類似点に少しだけ親近感を覚えつつ、担任の話に耳を傾ける。


「千護、入りなさい」


 担任が扉の奥へ声をかけた直後、担任が入ってきた扉が開き、一人の女子生徒が入ってきた。

 華奢な体躯、色白の肌、つり気味の大きな黒い瞳に、長い黒髪。アイドルというよりは女優めいた涼しげな佇まいの美少女で、教室内は俄に色めき立った。

 ここは女子高で、男子生徒がいない。もし男子がいたなら、ざわめきの声はいま以上に大きくなっていたことだろう。


「ご両親の仕事の都合で、九月からの転入となった。仲良くするように」

「千護氷雨です。中途半端な時期からですが、よろしくお願いします」


 恐らくは大半の生徒がそうだったであろう、ぽかんとした表情で氷雨を眺めていると、不意に氷雨の顔が雪乃のほうを向いた。思わず心臓が跳ねたが、すぐさま目を逸らすのも心証が悪い気がして、かといって、じっと見つめるのもどうなのだろうと過ぎったとき、氷雨が雪乃に、にこりと微笑んだ。


「先生。私、彼女の隣ですよね」

「あ、ああ、そうだな。百々梅、隣同士色々と面倒見てやってくれ」

「えっ、はい……」


 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花という言葉があるが、彼女の立ち居振る舞いはまさにその言葉を辞書から抜き出してきたが如くだった。真っ直ぐ伸びた背筋にすんなりした手足、皆と同じ上靴を履いているはずの足音すらも心地良く感じられるほどだ。

 隣の椅子を引いて座りながら改めて「よろしく」と言われた雪乃は、白昼夢の中にいる心地になりながら、どうにか頷くので精一杯だった。

 氷雨を見つめる目がどこか夢心地なのは、生徒たちだけではないことに、教室内の誰も気付くことはなかった。ひどく浮ついたような熱の籠った担任教師の視線が、氷雨の後ろ姿――綺麗な長い髪に注がれていた。


 HRが終わると、当然というべきか氷雨は興味本位の生徒に取り囲まれた。家はどこにあるのか、どこから来たのか、SNSはなにかやっているのか、好きな食べ物は、好きなタイプは等々……氷雨は質問攻めを一つ一つ丁寧に捌いては、ころころと鈴のような声で笑った。それだけで、クラス中の心を掴んだようなものであった。

 ただ、今朝雪乃に話しかけていた女子のグループだけは輪に加わっていなかった。

 面倒を見るよう言われた雪乃も、午前中の休み時間は彼女が取り囲まれていたために、全く出番がなかった。


 興奮冷めやらぬまま昼休みになり、雪乃が購買を案内するついでに昼食のパンを買い、戻ろうとしたときだった。氷雨が雪乃の手を取り呼び止めた。


「どうしてそっちから帰るの? ここの階段のほうが近いじゃない」


 購買は一階、教室は三階。購買側の階段を使えば、長い廊下を端から端まで歩かなくて済む。けれど雪乃は、奥側の階段を使おうとしていた。

 いつもの癖でやってしまったと後悔するも、氷雨は雪乃の説明を待っている。


「え、と……ダイエット、とか?」

「ふふ、説得力ないと思うけど」


 氷雨の視線は、雪乃が抱えているパンの山に注がれている。焼きそばパンにあんぱん、チョココロネにメロンパンに丸ごとじゃがバターにコロッケパン。飲み物はカフェインの入っていないお茶を選んだが、それも霞む物量だ。

 我ながら苦しい言い訳だとわかっていた雪乃は、辺りに人がいないことを確かめてから声を潜めて答えた。


「……ここの階段、好きじゃないの」

「ふぅん。なにかあったの?」


 氷雨は特に馬鹿にしたふうでも、問い詰めるふうでもなくただそう言うと、雪乃の隣に並んで歩き出した。


「よく、わからないんだけど、何となく暗い気がして……それに放課後……」


 そこまで言いかけて、雪乃はハッとして口を噤んだ。


「ごめん、何でもない」

「……そう。ところでそれ、昼休み中に食べ終わるの?」


 氷雨もそれ以上は追求せず、話題を変えた。それ、というのは雪乃が抱えている大量のパンだ。


「うん。……寧ろ千護さんのほうこそ、それだけで足りるの?」


 氷雨の手にあるのは、パックのいなり寿司だ。主に教員向けだが、購買には弁当の他に巻き寿司やいなり寿司、ちらし寿司などがランダムに並ぶことがある。いなり寿司などは三個入りなので、大抵は他にもおかずになるものを買うのだが、氷雨はそれと小さなお茶一つだけだった。


「私はこれが好きだから。それに、あまり量は食べられないの」

「そうなんだ……」


 美少女という生き物は食べる量も可愛らしいのかと妙なところで納得しながら、雪乃は氷雨と共に階段を遠回りして教室へ戻った。

 南階段は、建物の向きなのか他の原因があるのか不明だが、雪乃にとってはひどく暗く近寄りがたい雰囲気を持っている場所だった。他の生徒は気にならないらしく、人通りはいくらでもある。普段はあまり利用されない特別棟端の階段でさえこのような感覚になることはないというのに、なぜ本校舎南階段だけ近寄りがたいのか。

 雪乃には、そこはかとない薄暗さ以外にも、通りたくない大きな理由があった。それが階段の暗さと関わりがあるのかまではわからないが、通りたくない理由としてはこちらのほうが大部分を占めている。


(でも、いきなり階段で悲鳴を聞いたなんて言ったら変な子だと思われるし……)


 大量のパンを吸い込むように消費しながらぼんやりと考え事をする雪乃を、氷雨は目を細めて見つめていた。

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