俺はいつも、つかれているから青春できない。
青春したい。
この、俺のささやかな願いは永遠に叶わないのだろうか。
♢
スマホの目覚ましアラームで目を覚ます。今日も憂鬱な一日の始まりだ。
プラス思考で物事を考えるなら、久しぶりに悪夢にうなされることも、金縛りにあうこともなくてよかった。よく眠ることができたというのは、せめてもの救いといえる。
俺の名前は岡本快陽。
快晴の快に、太陽の陽。晴れやかで爽やかな、なんとも縁起の良い名前だが、悲しいことに名前負けしている。
なぜなら、俺はいつも疲れているからだ。
♢
朝食を簡単に済ませ、時間に余裕をもって家を出る。そうでないと遅刻するかもしれないからだ。
俺は徒歩通学なので、電車やバスの遅延を気にしている訳ではない。
理由は一つ。
ああ、噂をすれば影。いや、噂じゃなくて脳内予想をすれば影か。
目の前に、俺の行く手を遮るものがいる。
人、ではない。シルエットは人間のように見えるけれど、手足が異様に長く、全体的に赤黒い色をして、ゆらゆらと揺れている。
直感が走る。こいつを絶対に、見てはいけない。
奴の存在に気づいていないふりをして、さっさと通り過ぎる。それが最善策だ。
地面だけを見て、できるだけ距離をとって、早歩きする。生ぐさい臭いがして、気持ちが悪い。俺は足を前に進めることだけに集中した。
だんだんと臭いが薄れ、ほっと一息ついて顔をあげる。良かった。今回もうまくいった。
無事に学校に辿り着き、下駄箱で靴を脱ぎ、しまおうとした、その時だった。
「うわああああっ」
下駄箱の上から落下するようにして、さっきの赤黒いバケモノが現れたのだ。俺は驚きと恐怖で尻もちをついてしまった。やばい。早く逃げないと。
「うっわ、まじ何なの。怖いんだけど」
「それな。急に叫ぶとかびっくりするから、ホントやめて欲しいよね」
叫んで尻もちをついている俺を一瞥して、女子生徒二人が通り過ぎていく。そう、普通の人にはこのバケモノは見えていないのだ。
……うん、わかるよ。
何もないところでいきなり奇声をあげるクラスメイトとか、怖いよね。でも、仕方ないだろ。誰だってこんなバケモノ見たら、悲鳴の一つでも上げるに決まってる。
昔からそうだった。
俺には、他の人には見えないバケモノが見えていた。そいつらは人や動物や煙みたいに、様々な姿をしていた。
幽霊なのか、妖怪なのか、正体は分からない。でも、奴らは確実に存在していて、うめき声みたいなのも聞こえるし、寝ているときに上に覆いかぶさってきて金縛りになることもある。さっきみたいに脅かしてくることもある。
小学生の時、友達にバケモノが見えると正直に言ったところ、嘘つきだと言われ孤立した。本当のことなのに。教師もまともに取り合ってくれなかった。人は基本、目に見えるものしか信じないのだと俺は学んだ。
一度親が心配して、お祓いに連れて行ってくれたことがあるが、効果はなかった。これ以上心配をかけたくなかったので、それ以来親には相談していない。
霊感体質にするなら、除霊スキルも付与してくんないと。もし、俺に奴らを祓う力があったら、凄腕除霊師になってじゃんじゃんバケモノ退治して、活躍してたかもしれないのに。
なんて、そんな都合の良い設定、アニメや漫画、ラノベじゃあるまいし。ありえないよな。
気が付くと、赤黒いバケモノはいなくなっていた。
俺はよろよろと立ち上がると、転がってしまった靴を拾い、下駄箱にしまった。上履きに履き替え、教室へと向かう。人の目が気になるので、いつも下を向いて歩くのだが、
「うっわ、ひっどい顔……。よく生きてられるわね」
と廊下で前から歩いてきた女子生徒に、すれ違いざま、そう言われた。
やばい。クソ雑魚メンタルなんで泣きそう。そこまで言う?
咄嗟に振りかえって、暴言を吐いた相手を見る。
ぱっと目を引く金髪のストレートロングヘアが、窓から入ってきた風で靡き、差し込む日の光でキラキラと輝いている。
颯爽と歩いていく後ろ姿は小柄だが、長い足を短いスカートで惜しげもなくさらしていることからも、スタイルが良いことがわかる。
見慣れない生徒だな、と思う。あの金髪は相当目立つはずだ。転校生かもしれない。
それならなおのこと、初対面の人間にあんな酷いことを言うなんて。相当性格悪いぞ。
まあ、恐らくさっきの俺の醜態を見ての発言なんだろうけど。
ああ、疲れる。バケモノに怯え、周りの人には気味悪がられる。青春したいなんて、夢のまた夢だ。もう本当に疲れた……。
♢
「岡本くん! 文化祭の出店希望のプリント、提出期限今日までだから出してほしいな!」
教室に入り席に着いた俺に話しかけてくれたのは、大きなくりくりの目、内巻きのセミロングがよく似合う美少女。
クラスメイト達に敬遠されている俺に、唯一話しかけてくれるのは彼女だけだ。
小岩井天音。このクラスの学級委員長で、成績優秀、品行方正な優等生だ。それだけでなく、小岩井さんは明るくて優しくて性格も良い。まさに完璧、そして俺の癒しだ。
「ごっ、ごめん。遅くなって」
慌ててバッグから文化祭出店希望のプリントを取り出し、手渡す。
小岩井さんは受け取ったプリントを見ると、にっこり微笑んだ。
「ありがとう! あ、岡本くんもたこ焼き屋さんが第一希望なんだ。わたしもね、一緒!」
「……そ、そうなんだ」
もっと良い返しがあるだろ! と心の中で自分にツッコミを入れる。
「天音〜ちょっと来て〜」
「まって。岡本くんごめんね。行くね」
あーあ、小岩井さんは彼女の友達に呼ばれ、行ってしまった。もっと話したかったな。
でも、小岩井さんと話せただけで、今日学校に来て良かったと思える。
贅沢は言わないから、せめて小岩井さんともう少し仲良くなりたい。でも、そのためにはこの霊感体質をなおさないといけない。そうじゃないと、小岩井さんまで白い目で見られてしまう。
♢
一日の授業とホームルームが終わり、やっと放課後になった。帰り支度をし、そそくさと教室を出る。
俺は部活に入っていないし、あまり学校に長居するとロクなことがないのだ。暗くなればなるほど、バケモノの数が増える。せっかく今日は朝の一件を除けば、バケモノに遭遇していないのだ。
下駄箱の手前で深呼吸する。朝のバケモノがまた現れないとも限らない。
「朝の妖魔なら、もういないわよ」
「うわあああっ」
突然後ろから声をかけられ、心臓が飛び出るかと思った。聞き覚えのある声。
朝の暴言を吐いた金髪の女子生徒の声だ。俺は恐る恐る振り返る。
その女子生徒は、息をのむ程の美貌の持ち主だった。
意志の強そうな、大きく澄んだ瞳。長い睫毛は、まるで人形のようだ。肌は透き通るように白く、顔は小さいのに手足はすらっとしていて、身長もおそらく平均より低いくらいで華奢なのに、存在感がある。長く艶やかな金髪は近くで見るとさらさらで、思わず見惚れてしまう。
あまりの美貌に呆気にとられていると、美少女はずいっと顔を近づけてきた。
「ちょっと、話聞いてる? 朝の妖魔はいないから安心しろって言ってるでしょ!」
「はっ、えっ、ようま……?」
ようま……って、妖魔? もしかして俺と同じで、バケモノが見える人なのか?
「そうよ。朝、下駄箱にいたでしょ。私がやっつけといたから」
「そ、そうなんだ。君がやっつけて……やっつけた!?」
「そうよ」
「えええっ! 君、バケモノを退治できるの!?」
「ちょっと! さっきから私のこと君って呼んでるけど、私君って呼ばれるの嫌いなの。雛宮って呼んでくれる?」
美少女は腕を組んで、いかにも不服そうにしている。慌てて俺は訂正する。
「あ……すみません。ヒナミヤさん」
「よろしい。質問に答えるわね。できるわよ!」
組んでいた手を今度は腰に当てて、自信満々にヒナミヤという少女は答えた。
まじか……。もしかして救世主? あ、でも今朝暴言を吐かれたんだった。とすると、俺を助けてくれるとは限らないよな、なんて俺が考え込んでいると、
「ねぇ、気づいてないの?」
と訪ねてきた。気づいてないって、何を? と聞こうとする前にヒナミヤが俺の肩を指さした。
「肩が一番ひどいけど、頭とか背中にも、つかれているわよ」
つかれている? そりゃ疲れているけど……。この話の流れだと、もしかして、憑かれている?
俺は自分の肩を、背中を交互に見る。何も見えない。
「な、なんにも見えないんだけど……」
「雑魚ばっかだからね。視認できるクラスだと、身体が重いだけじゃすまないわ。精神を病んだり、事故にあったりするわね。朝も危なかったのよ? あいつをあのまま放置してたら、あんたに憑いていたと思うし」
「こっわ……」
ぞくぞくと寒気がして、鳥肌が立つのを感じる。
「ま、でもよかったわね。ラッキーよ」
「え……? 全然ラッキーじゃないと思うんだけど」
今現在も雑魚とはいえ妖魔とかいうのに憑かれていて、今朝も憑かれるところだったなんて、全くもってラッキーじゃない。アンラッキーだ。
「私が来てあげたんだから、超ラッキーでしょうが!」
ヒナミヤさんが大声を上げる。そして、ため息をついた。
「せっかくこの私が助けてやろうってのに。有り難く思いなさいよぉ……」
「は、はぁ……」
「物わかりが悪いのね。感謝しなさいって言ってるの!」
「え……と、ありがとう、ございます?」
「なんで疑問形!? あーもうっ、私、理解が遅くてうじうじした奴って嫌いなのよ!」
また腕を組んだ。怒らせてしまったらしい。
「ふんっ、まぁいいわ。後ろ向いて。……猫背ね。もっと背筋伸ばして、しゃんとしなさい。そんな風になよなよ、しょんぼりしてるから、つけ込まれんのよ」
俺が後ろを向くと、ヒナミヤは俺の背中に手を当てた。彼女の手触れた場所に、熱を感じる。
女子に触られるなんて初めてだしドキドキしてるのかな、と一瞬思ったけれど、違った。暖かいを通り越して熱い。
「こんな雑魚、術を使うまでもないわ! えいっ!」
彼女の掛け声と同時に、どんっと身体に衝撃が走り、まばゆい光が俺を包んだ。それはほんの一瞬のことで、瞬きをすると光は跡形もなく消え、背中の熱も引いていた。
そして、びっくりするほど、身体が軽くなっている。気持ちも晴れやか、頭もすっきりだ。
すげぇ……。除霊師って本当にいるんだな。
「ふんっ、ざっとこんなものよ」
ヒナミヤはまた得意げに腰に手を当てている。勝気な瞳はキラキラと輝いていて、どうだ! と自信満々そうだ。
「あっ、ありがとう! すごいよ! 助かったよ!」
俺は感謝と素直に思ったことを続けて伝える。すごく清々しい心地で、今なら名前負けだなんて絶対に思わないし、青春もできちゃうのでは? ってくらい前向きな気持ちだ。
「まっ、まぁね!」
俺の言葉に照れたのか、ヒナミヤの頬が赤く染まっている。
「本当にありがとう」
「当然よ! 私は天才なんだから!」
そう言って、ヒナミヤはにっこりと笑った。怒って眉を吊り上げているときの顔も美人だったけど、笑った顔は無邪気で、はちゃめちゃに可愛いかった。
ヒナミヤは良い人だった。文句を言いながらも、助けてくれたんだから。じゃあ、今朝の発言はなんだったんだろう。
俺は一呼吸おいて、尋ねた。
「あのさ、今朝俺に、酷い顔とか、よく生きてられるわね、って言ったの、あれって……どういう……?」
ヒナミヤは、きょとんとして、それから「それね」と思い出したように口を開いた。
「独り言よ。雑魚とはいえたくさん妖魔に憑かれて、精気を吸い取られたひどい顔色で、よく対処も何もしないで生きていられるなって思って。妖魔は妖魔を引き寄せる。このままじゃ遅かれ早かれもっとやばい奴、朝みたいな奴に憑かれて絶対大変なことになるし。助けてあげようって、思ったのよ」
「な、なんだぁ……」
俺は肩の力が一気に抜けた。そうだったのか、俺に対する悪口ではなくて、心配、助言のつもりだったんだ。それにしたって言い方、他にもあるんじゃないか?
「よくわからないけど、私はもう帰るわね。あ、そうそう、このことは他言無用、いいわね? さっきのは、私が結界をはっていたから誰も見ていないし気づいていないからね」
ヒナミヤはそう言うと、靴に履き替えて校舎から去っていった。
怒涛の出来事に、俺はしばらく呆然として、彼女の遠ざかっていく後姿を目で追っていた。
♢
翌朝、いつも通り目覚ましのアラームで目を覚ます。今日から清々しい一日の始まりだ! と思ったのだが、何故だろう。家を出てから、どんどん身体が重たくなっている気がする。
学校についたころには、もうだいぶ疲れていて、まるで足に重りをつけているかのようだった。
気のせいだろう。だって昨日除霊いてもらったばかりだ。昨日の今日でまさか。
「はぁーっ? なんっで昨日の今日で、そんっなに憑けてんのよ!!」
突然のヒナミヤの怒声に、俺は飛び上がってしまった。
ああ、どうりで体がだるいと思った。どうやらまた、俺は憑かれているらしい。
ふと、自分が今いる状況を見る。校門を通り過ぎてすぐだったので、周りにたくさん生徒がいる。他言無用と言っていたのにいいのか? と思い辺りを見回すと、昨日彼女が言っていた結界というものがはられているらしく、人の動きが止まっている。すごすぎる。
「ありえない……完璧だったはずなのに。それにおまけで、雑魚が今後寄り付かないように守りの結界をはってあげたのに……。こんな屈辱は初めてだわ……」
ヒナミヤは下を向いてぶつぶつと独り言を呟きながら、わなわなと震えている。
「……あんた名前は?」
独り言をやめると、ぱっと顔をあげ、俺を見つめた。真っ直ぐ俺を見据える大きな瞳に、吸い込まれそうになる。
「岡本……快陽」
そう答えると、ヒナミヤは「ふーん」と頷いたかと思うと、びしっと俺を指差して、
「決めた! 私があんたに憑く奴ら一掃して、ついでにその体質の原因を調べて治してあげる!」
と宣言した。俺はその言葉に、どくんと胸が高鳴るのを感じた。体質がなおれば、俺の夢が叶う。でも……。
「それはありがたい……けど」
「けど? うじうじしないでくれる? そういうの、嫌いだって言ったでしょ」
俺はクラスメイトから敬遠されている。白い目で見られている。原因を調べるということは、今日や明日で終わることではないだろう。
ずっと一緒にいれば、彼女が嫌な思いをするのではないか。そう思うと、苦しい。素直にお願いしますと言えない。
「……俺、クラスで浮いてて。俺と一緒にいると、ヒナミヤさんが変な目で見られる、と思う。良くない意味で注目されるだろうし」
「そんなこと? 別に気にしないわ」
俺の不安の吐露に対し、ヒナミヤは何を躊躇しているんだと心底不思議そうだった。
「私、人に注目されるのなんて慣れっこなのよ。ま、この学校で有名になるのも時間の問題だし? だからね、どうってことないわ!」
ふふんっ、と自信満々のヒナミヤをみて、なんだか胸のわだかまりが解けるような、気を抜くと泣いてしまいそうな、あたたかい気持ちが込み上げてきた。
「白い目で見られるとかそんなことどうでもいいわ。それより、私のプライドが許さないの」
「それじゃあ……よろしくお願いします」
俺が頭を下げてお願いし、顔を上げるとヒナミヤは右手を差し出していて、
「これからよろしくね。カイヨウ!」
太陽のように眩しく、それでいて花が咲いたみたいに愛らしく、にっこりと笑った。
また、胸がどくんと高鳴る。俺は差し伸べられた手を、微かに震える手で握り返した。全身が心臓になったみたいに、熱くて、目が眩む程どきどきした。
♢
この日から始まった、ヒナミヤ──雛宮晴との日々は、それはそれは目まぐるしかった。
徐々に明らかになっていく俺の体質の謎。雛宮の力、そして転校してきた理由。クラスのマドンナ小岩井さんの秘密。青春の行方。
でもそれはまた、別のお話だ。