そして、今日も私はモフられる。
「はぁ。はぁ。はぁ」
背後から荒い鼻息が聞こえる。興奮しているのか恍惚とした溜息まで混ざっているみたい。
時折間があるのは何でだろう。まさか匂いを嗅いでいるのかしら?やめて欲しい。切実にやめて欲しい。
というか、そろそろ解放して欲しい。
「ねぇ、ご主人様。もういいかしら?」
「だめー! まだだめー! 今堪能してるの! 真っ最中なの! まだ待ってー!!!」
ふぅ、と一つ溜息を吐く。仕方がない。ご主人様が満足するまで今暫く待とう。どうせこんなのは日常茶飯事だから。
「あー! もう最高! 素晴らしい! この艶この弾力この肌触り!」
「はいはい。お願いだから涎は付けないでね」
こうして私は今日もご主人様の望むがままに、私の大切な体の一部を捧げる。
この愛されて止まない七本の尻尾を。
「うおー! 幸せー!!」
「きゃー!! ちょっと馬鹿! 何してるのよ! 逆撫でしないで!」
昼下がりの微睡む時間帯。
この一本の尻尾を抱き締めて大変楽しそうで幸せそうなのだが、思わず女性か?と言いたくなる様なだらし無い顔をしている人物は私のご主人様。
職業は陰陽師。名前は……そうね、 “ 陽子(仮) ” とでもしておきましょう。
どうして仮名なのかって? ご覧になった通りとても残念なご主人様だけれど、陰陽師としては優秀なの。だから呪いなどを避ける為にここは敢えて仮名でいかせてもらうわね。
……あら、気を悪くしたのならごめんなさい。あなたを疑っているわけでは無いのよ? 本当よ。
ほら、よく言うじゃない? 「壁に耳あり障子に目あり」って。力のあるものにとって名前って特別なの。だから用心しないといけないのよ。許してね?
そして、もう一人はこの私。
頭の上にぴょこぴょこと動く狐耳と七本の尻尾を持っている。その見た目からも分かるように人ではなく狐の妖よ。
尾は七本だけれど中々強いのよ。……自分で言うなって? いいじゃない。事実だもの。これでも傾国傾城、絶世の美女と言われ、もう少しで国一つを滅ぼせそうだったのよ。でも、自国に被害が出ることを懸念したこの国の長が討伐命令を出てしまって……。そこでご主人様とちょっとばかり戦って、負けて、今に至るのだけれど、その話はまた今度にしましょう。
そうね、私のことは……。
「あっちゃん、ごめーん! 謝るから尻尾返してー!」
“ あっちゃん ” と呼んで頂戴。
「何言ってるのよ! 逆撫では止めてとあれほど言ったでしょう! すっごく気持ち悪いのよ!? 今日はもうお仕舞い!」
「そんなー。私の癒しが……」
「情けない顔しないでよ。散々触ったんだからもういいでしょ」
本当になんて顔をしているのかしら。でも、ここで甘やかしてまた尻尾を触らせてはいけないわ。調子に乗るもの。というか、コレは私の尻尾よ。自分のものみたいに言わないでほしいわ。
「嫌だ! 良くない! あっちゃんの尻尾は至宝! 私はその宝を一日中と言わず何時迄も無限に愛でていられる!」
「なに馬鹿な事言ってるのよ。ほら、そろそろ着替えて。今日は人と会うんでしょ?」
「えー、今日会うのって確かあのおっさんじゃん。ムサイおっさんの相手なんてやる気出なーい。無理ぃ」
「無理ぃ、じゃないから。仕事の話なんでしょう? ちゃんと聞いてこないと。手伝ってあげるから準備して。」
「やーだー! いやだー! 出たくないー! 行きたくないー!」
まぁ、なんて事かしら。物凄く大きな駄々っ子が居るわ。
はぁ、何がそんなに嫌なのかしら。男なんて掌の上で転がしてきちゃえばいいのに。……ああ、ご主人様には難しいかしら。腹芸とか苦手だもの。もう、仕方がないわねぇ。
「ほら、ちゃんとしてきたらこの尻尾で包んであげるわよ〜」
ピクピクっ。
何かしら?ご主人様の耳が心なしか大きくなったような……。気のせいね。いくら変態だとしても、ご主人様は人間だもの。
「ご主人様が毎日丁寧に、丁寧に梳いてくれているお陰でフワッフワのフッサフサよ〜。枝毛一つない、弾力も肌触りも申し分ない尻尾が七本」
ピクピクピクピクっ。
やっぱりご主人様の耳、大きくなってるわ。どんな術を使っているのかしら。そんな風に耳だけを大きくする術なんてあったかしら?
「その魅力的な尻尾七本全部使ってご主人様を丸ごと包んであげるわよ〜。尻尾に包まれる幸せ、堪能してみたくなーい?」
「是非ともお願いしまーす!!」
あら、速い。
人間って此処まで速く動けるのね。しかも、頭まで下げちゃって。本当に尻尾が好きなのね。こんなにもあっさり動くなんて、欲望って凄いわねぇ。
「じゃあ、尻尾に包まれる為にはどうしたらいいのかしら?」
「速攻でお仕事終わらせて帰ってくる! はっ! こうしちゃ居られない! 今すぐ行ってくる!」
「はい、行ってらっしゃい。気を付けてね。」
慌ただしく準備をして出て行ったご主人様。
あの勢いじゃ他人を轢き殺しかねないけど大丈夫かしら。……まぁ、いいか。上手く避けるでしょう。
「さてと、ご主人様が戻るまでに家事を終わらせておこうかしら」
そう呟き私はフワッフワでモッフモフの自慢の七本の尻尾の内、六本を仕舞った。家の中で動き回るのに尻尾が広がり過ぎたりして全部出してると邪魔なのよねぇ。
じゃあ、一本だけ残さずに全部仕舞えばいいじゃないかって?私もそう思うわ。でもね、ご主人様曰く「獣耳と尻尾は二つで一つ。片方だけなんて邪道だ!」だそうよ。ほんと熱心よねぇ。
まぁ、それはさておき、尻尾はある方が妖らしくていいでしょう?
それにしても、ご主人様よ。
あの様子じゃ本当に早く終わらせて帰ってきそうだし、静かな内に色々済ませてしまおう。でも、この家そこそこ広いのよねぇ。
此処は一つ、妖らしくやりましょうか。
私は妖気を練って掌で一纏めにし、ふぅーっと息を吹きかけた。すると、掌から零れ落ちた妖気の塊は、形をどんどん変えてやがて人型に成って行く。その後、足元の黒い靄から晴れて行き、姿を現したのは狐耳と尻尾を持つ女性。顔は私と瓜二つ。そう、彼女は私の妖気から作り出した分身。それをもう一体作り出し、結果此処に居るのは三人の私。
「さぁ、ご主人様が帰ってくるまでに終わらせちゃいましょ。貴女は此方を掃除して頂戴。貴女はお風呂の用意を。私は食事の準備をするわ。」
「ええ、分かったわ。」
「任せて頂戴。」
「では、始めましょう。」
分身たちが動き出したのを見届けて、私も台所へ行く。任せてしまっていいのかって?当たり前でしょう。彼女たちは私なのだから。何も心配するような事はないわ。
この分身の術。
家事をするのにも男を落とすのにも勿論戦闘をするのにも、とっても便利なんだけど、ご主人様の前でするはやめておこう。
だって考えてもみなさいよ。
あっちで尻尾がフリフリ、こっちで尻尾がフリフリ。
あのモフモフ尻尾好きが黙っているとはとても思えないもの。下手したら興奮し過ぎて鼻血を出すんじゃないかしら?
そうなったら後始末も大変だし、うん、まだ見せない方がいいわね。
なんて考えながらも手を動かして料理を進めていると、声がかかった。
「ねぇ。」
「どうしたの?」
台所の戸口に居たのは居間の掃除をしている分身体。どうしたのかしら?何か問題でもあったのかしら?
「これ、要らない物よね?捨てても良いわよね?」
そう言って分身体が見せてくれたのは数枚の紙。最近ご主人様が作っていた資料かしら?
「何? 『モフリスト陽子(仮)が贈るモフモフの魅力特集』? こっちは『人を堕落させる最強のモフモフはどれだ!? 選手権』? あら、こっちは挿絵…………これどこにあったの?」
「居間の押入れに突っ込んであったわ。」
「そう。ならいいわ。仕事の資料は自分の部屋にあるだろうし。捨てましょう。むしろ狐火で燃やし尽くして」
「分かったわ。灰すら残さずに燃やしてくるわ」
そう言って分身体は外に向かって歩いて行った。
何あれ。あの人一体何やってるの? 最近やたらと資料が多いと思ったけど、仕事じゃなかったの? 何? モフモフ好きの同志がいるの? え? 世の中にそんなにいるの? え? え?
……駄目だわ。ちょっと吃驚して思考が止まっちゃったわ。
「ねぇ。」
「あら、次は貴女なのね。どうしたの?」
今度はお風呂の用意をしている分身体が来た。つい見てしまった手元には瓶を持っているけれど、今度はなにかしら?
「こんな物を見つけたんだけど、どうする?」
聞いてくるって事は碌でもないか、使い道が分からないんでしょうね。
「なぁにそれ? 瓶に入った糸屑? いえ、これは毛? 狐色って事は私の抜けた尻尾の毛かしら?…………これ一体どこにあったの?」
「洗面所の棚の奥の奥に隠すようにあったわよ」
「今すぐ無に帰して来て頂戴」
「分かったわ。塵一つ残さないでおくわ」
そう言って二体目の分身体も外に向かって歩いて行った。
……えー。なんであんなもの大事そうにとっているの? 変態? 変態なの? そもそも瓶詰めにしてどうするの? 眺めるの? え? なんで?
なんだかまだありそうで怖いわね。今度家捜ししましょ。
ふぅ。取り敢えずお茶でも飲んで落ち着きましょう。
モフモフ好きなのは知ってたけど、あんな変態だとは知らなかったわ。これは中々衝撃的ね。
ご飯、殆ど作り終わっていて良かったわ。ご主人様が戻るまでに平常心を取り戻しておきたいし。
と、思っていたのに。あら、この勢いのある走り方。いやだわ、もうご主人様が帰って来ちゃったわ。ゆっくりしている暇もないわね。
取り敢えず分身たちと眼を繋ぎ、件の物が抹消されている事を確認。……よし、綺麗さっぱり跡形も無く抹消されている。
そうと分かれば、ご主人様が着く前に彼女たちを消さないと。私はフッと手を横に凪いで分身たちを消した。そして、何食わぬ顔で台所に立つ。
「ただいまー! あれ? あっちゃん? あっちゃーん!」
「おかえりなさい。台所に居るわよ」
ドタバタと廊下を走る音がする。そんなに急がなくても逃げないのに。
「あっちゃん! たっだいまー!!」
「はい、おかえり。でも、一直線に尻尾に抱き着くのはどうかと思うわ。挨拶をしている私の顔はこっちにあるんだけど」
「はっ! ごめんね! 次からは気をつけるから!」
「そう言って出来た試しがないんだけど?」
本当に毎度毎度尻尾に一直線って……。なんだかご主人様にとって尻尾が本体のような気がして来たわ。
「ねぇねぇ、あっちゃん。私仕事頑張って来たよ。だからご褒美!」
もう? でも、駄目よ。
「先にご飯食べてお風呂に入ってからね。あんな勢いで走ったら砂埃とかで汚れるでしょ。汚い子は包みたくないの」
「待ってて! 隅々まで、ちょー綺麗にしてくる!」
「ちゃんと温まりなさいよ」
言うや否やご主人様はお風呂場の方へ駆け出して行った。
何故かしら。私今の気分はまるで母親なんだけれど。あんな大きな子ども産んだ覚えないのに、可笑しいわねぇ。
「洗ったー!」
「拭いて頂戴」
烏の行水とはこの事ね。あっという間に出てきてしまったけど。ああ、もう! 髪からまだ滴が垂れてるじゃない!
この様子じゃあ、廊下にはご主人様が通った跡が残っているわね。
私は一つ溜息をついて、ご主人様から奪った手拭いで髪の水分を取る。風邪を引かれてはたまらないもの。
「身嗜みくらい自分でちゃんとしなさい。全く、大きな子どもね」
「あっちゃんがやってくれるからつい甘えちゃうのさー!」
「……そう。じゃあこの際だから全力でやってあげるわね」
屈託の無い笑顔で言われたらなんだか火がついたわ。
ぐいぐいと力を入れて吹き始めると、ご主人様の頭が右に左にとグラグラ動く。
「あー! いだだだだだだ! あっちゃんごめん! ちょっと! まって! ちから! ゆるめて! あー! 首もげるー!」
まあ、賑やかだこと。折角拭いてあげてるんだから大人しくしていたらいいのに。
「ほら、あとは自分で乾かして。ご飯持ってくるわ」
「……すごい。……全力ってすごい」
「馬鹿なこと言ってないで早く動いて。ほらほら」
「はーい。いててて」
のっそりと動き出したご主人様を尻目に食卓を整える。作っている最中にちょっと衝撃的な出来事があったけど、味に問題はないわ。野菜も魚もいい塩梅よ。
「ご飯食べたらご褒美だよね!?」
「はいはい」
本当にどれだけ楽しみなのよ。それしか頭に無いのかしら。
「んまー! あっちゃんこれ美味しい! あー、仕事で疲れた体に染み渡るわー。」
「仕事より疾走の方が疲れの割合は大きんじゃない?」
「疾走はあっちゃんへの愛故だから疲れに入らない」
「あ、そう」
愛って凄いのね。いや、ご主人様の場合はご褒美への欲望かしら。
「ご馳走様でした! 今日もとても美味しかったです。」
「お粗末様でした」
うん、全部綺麗になくなってる。こういう所は作り甲斐もあるし、美味しいって言ってくれる所も良いわよねぇ。
あら、なんだか男の胃袋を掴んだ時みたいだわ。まぁ、いいか。
「あっちゃん! あっちゃん!」
「そんな見るからにソワソワしないでくれる?片付けが終わるまで待てよ。待て」
「わん!」
いいお返事ね。さ、待てが出来ている間に片付けましょう。
追い掛けてくる視線は無視よ。構うとまた長引くもの。と言うか、手伝えば早く終わるって思考は無いのかしら。あの様子じゃ無いわね。
「さ、お待たせ。ご褒美の時間よ。こっちへいらっしゃい」
「わーい!……ああ、遂にこの時が。魅惑のモフモフ。艶、弾力、肌触り、どれをとっても申し分ない至極のモフモフが遂に、遂に私を包み込む。いいのか。許されるのか。だが、この魅力に抗うことが出来ようか!」
「何ブツブツ言ってるのよ。いいからいらっしゃい」
何時迄もブツブツ言って動かないご主人様を、サッと尻尾で攫い包み込む。苦しくないように、けれども全体を満遍なく包む。勿論呼吸が出来る様に顔は出しているわよ。
「如何かしら? ご主人様のお手入れのお陰で、更に磨きのかかった尻尾に包まれる気分は?」
「……ああ、ここは地上の楽園か。それとも極楽浄土か。」
「大袈裟ねぇ。」
満足そうで何よりだわ。恍惚とした表情と声に私もなんだか嬉しくなる。こんな事で喜ぶのならまた今度もしてあげようかしら。
…………あら、なんだか異様に静かね。どうしたのかしら?
思考を中断してご主人様の方を振り向いた私は、衝撃を受けた。
「っ! きゃー! ちょっとご主人様! 鼻血が……え? やだ! 白目剥いてる! しっかりして! ご主人様!? ご主人様ー!」
なんて事! 鼻血を出すだけじゃなくて、白目剥いて気絶するなんて!
……これは駄目だわ。尻尾で包むのはもう辞めておきましょう。禁止よ。封印よ。
ご主人様に全部の尻尾は、だめ、絶対!
こうして折角のご褒美を無駄にしたご主人様。
可哀想だけれど仕方がないわよね。だって、私の尻尾まで血塗れだったんだもの。落とすの大変だったのよ。
忽ち今は……。
「あー! モフモフ! 全身包まれるのは私には敷居が高かった! 愛と興奮が昂りすぎた! だから今は、私の体でこの尻尾を包んでやるー!」
「はいはい。涎と鼻血は付けないでね」
寝転がりながら一本の尻尾を抱き締めて、そう宣うご主人様。私もその方がいいと思うわ。
「りょーかい。ところで、あっちゃんや。居間の押し入れに入れてた資料と洗面所に置いてあった瓶知らない?」
「ああ、あれね。燃やしたわ」
「燃やっ!? え!? 燃やしたの!?」
「ええ。燃やしたわ」
何か問題でも?と冷ややかにご主人様を見つめれば、フラフラと倒れ込んでしまった。
「……そんな。同志との情報交換用の資料と私のあっちゃんの貴重なモフモフの一部が……。」
「私を勝手に情報交換程度で売らないで。あと、変な収集も辞めて頂戴」
「くそー! こうなったら徹底的にモフってやるー! この魅惑のモフモフめー!」
「はいはい」
こうして今日も私の尻尾はご主人様にモフられる。
これが私とご主人様の日常よ。それじゃあ、またね。
調子に乗って第二弾。
前作よりは短く出来たよ!
短編らしくなったかな?
因みにこの尻尾に包まれたいのは私です。