表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

07 清塚 誓

清塚 誓

ようやく本格的にピアノを「学ぶ」事ができる。

今まで感じた事のない緊張感と昂揚感に包まれていた。

浮かれてはいない。浮かれている暇などない。

時間が無いわけではないが、焦ってもいた。

誓は笑わなくなった。

今の誓のピアノは祖母や希が愛したピアノではない。

この時期の誓を知っている者は皆一様に

「鬼気迫る」と評した。

編入テストではそれが功を奏し勅使河原以外の講師から高評価を得た。

勅使河原は何も言わなかった。

今は、本人が激しい曲を欲している。

それで手先の技術だけでも向上すれば少しは救われる。

おそらくは、本人も無意識に自分の苦手を克服しようとしていたのだろう。

技術も知識も必要なかったただ楽しむためのピアノ。

甘えていた過去への贖罪。

勅使河原が心配していたのは酷使。

誓は1秒でも長くピアノに触れていたかった。

それは強迫観念に近い。

立ち止まってなどいられない。酷使は承知している。しかし他にどうしたら?

誓は課題曲を完璧にこなしていた。

一度弾けても、二度、三度。

嫌いだった反復練習も続けていた。

そして同時に発生した問題。

与えられた全ての課題曲が、全て同じ曲に聞こえてしまう。

何を弾かせても、激しく強い曲調。構成もなく、抑揚もなく、ただただ機械的。

ピアノで感情を表現しているのでなく、

感情がピアノを支配している。

今の誓のピアノからは、

陽だまりのような暖かさは失せていた。


誓が編入してしばらくしたある日。

他の生徒達が与えられた課題曲を順番に弾いていた。

勅使河原は全員に同じ曲を与え、各々に注文した。

譜面を見て感情を読み取りなさい。

そしてそれを「大袈裟に」表現しなさい。

結果的に演奏が譜面と異なるのは構わない。

誓は譜面を読みながら他の生徒の演奏を聴いていた。

隣の音と隣の音との繋がり、小節の流れ、

誓が思い描いていた構成と

他の生徒の創る構成にたいした差異はなかった。

穏やかな音、激しい音、悲しい音、楽しい音。

本能的に感じるのか、それとも歴史がそうさせているのか。

毎日同じ練習を繰り返す者たちの集まり。

音に対する感じ方も似てしまうのは当然だろう。

誓が退屈を感じた頃、好に順番が回る。

好の演奏はジャズの要素が強かった。

だが「ジャズとして」は本格的に学んでいないのが判る程度。

スケール、コード進行の基本もなく、ただ本人が心地良いと感じている音を

ジャズ風に詰め込んでいる。に過ぎない。

音の数は多かった。

誓にはその音の多さが耳障りに感じる事もあったが

それ以上にその演奏の技術力に圧倒されてしまった。

他人の演奏に聞き入ってしまったのは始めてだった。

憧れや尊敬よりも先に自覚した嫉妬。

何より好が楽しそうに弾くその表情が誓を苛付かせた

育ちの良いお嬢様が道楽で弾くピアノ。

きっと幼い頃から英才教育を受けてきたに違いない。

自分ももっと真面目に通っていれば。

この先また過去を嘆く事のないよう、今まで以上に練習量を増やした。

しかし縮まらない差。

落ち着かず、苛立ち、焦り、もがいているのが自分でも判った。

だからって、他にどうしろと。

子供の頃基礎をおろそかにしていたツケだ。

「もっと弾ける。もっと弾ける。」


技術的には誓は決して低いレベルではなかった。

しかしその上には好がいる。

勅使河原は誓の焦りの原因が好にあるのを知りながら二人を組ませた。

「二人で協奏曲を弾きなさい。」

誓は他の人と組ませて欲しいと直訴したが

「君のために組ませるのだがね。」

「技術を盗むのにこれ以上の相手はいないだろう。」

落ち込むだけだ。

見てどうなる。技術を手に入れるなら自分の手で練習するしか無いだろう。

誓は好にリードパートを弾かせた。

明らかに自分より巧いからと素っ気なく言った。

こいつの口からパートナーを解消したいと勅使河原に言ってくれると助かる。

しかし好は何も言わなかった。

二人での練習が始まる。

誓は躓く。

引っ掛かり、苛立ち、指が止まる。

焦るほど、指が止まる。

だが好の台詞は決まっていた。

「もう一度、最初から。」

何度も繰り返された。

同じ映像が何度も何度も繰り返されていた。

思い通りに動かない指、

圧倒的なまでに遠い技術の差。

誓はピアノを蹴った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ