表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

06 勅使河原 実

勅使河原 実

輝が死んで、通夜から告別式、追悼式、そしてアルバム発売まで。

知人から音楽家、レコード会社やその他諸々の関係者の窓口として

伊藤の手助けをしていた。

忙しいと気が紛れるが気が滅入るのも事実だった。

学校に行き理事長に事情を話すと快く事務所を連絡場所に利用させてくれた。

全ての行事は滞りなく済み、

輝の死から1ヶ月程度でアルバムも発売された。。

慌しかった非日常がようやく終わると思う間もなく、伊藤がホテルを辞めた。

ホテル業務は何事も無く続いていたし、オーナーの交代発表は滞りなく仕切られていた。

伊藤は突然「今日で辞める。」と言い出したのではなく、

業務に支障のないよう事前に手筈を整えていたのだろう。

だが何の相談も連絡も報告も無く、携帯も繋がらない。それはすなわち彼の意思表示。

勅使河原は一度大きく溜息をつき、彼の事を考えるのを止める。と決めた。

これからまた日常が始まる。過去に捕われ続けてはならない。

日方好に立ち直ってもらうためにも、私がいつまでも死者に拘ってはならない。

何とか自分を奮い立たせようとした言い訳かもしれない。

それでも、前を向こうとした。

そんな矢先の電話だった。

希の母親からの電話に「お悔やみ申し上げます。」と答えるのが精一杯だった。

勅使河原は膝から崩れるようにその場に座り込んでしまった。

親の落胆は自分とは較べようもない事くらいは判っている。

それだけが自分を慰める理由だったが

どうしても我慢できなくなり、「あの日」以来のアルコールを口にした。

私の親しいピアニストが続けて消えてしまった。

彼らが私に出会わなければこんなに早く死ぬ事も無かったのかもしれない。

私はピアノを辞めるべきなのだろうか。

勅使河原は飲み続けて倒れた。


翌日昼過ぎに目覚め、学校には体調不良で休講すると電話した。

頭は割れそうだった。自分の息が酒臭いのも判った。

それでも飲み続けた。

そんな事をしても忘れられないのは承知していた。

何の解決にもならない事も理解している。

頭の中ではわかっている。

だが他に何もできなかった。

1週間で家の中のアルコールは終わり、空腹も手伝い外に出た。

コンビニで弁当を買い戻る道中に好と会った。

好は勅使河原が何故休んでいるのかを学校で聞き

住所を聞いて見舞いに訪れてようとしていた。

勅使河原は部屋に好を招き入れた。

部屋の中は綺麗に片付いている。

好は勅使河原は落ち込んで酒を煽り部屋は乱雑放題だと勝手に思っていた。

コンビニの前で出会った勅使河原の格好と顔を見れば誰でもそう思っただろう。

文字通りの無精髭と目の下の隈。乱れた髪。

好を部屋のソファに座らせ、

勅使河原は奥のキッチンに向かい、コーヒーを淹れた。

自分はコンビニで買った缶コーヒーをそのまま飲んだ。

思ったよりも穏やかな表情の勅使河原に戸惑いながら

好は思い切って口を開いた。

「私には先生とアイツの付き合いがどの程度なのか知らない。」

「でもアイツは先生に会って良かったと思っていると思いますよ。」

「大好きなピアノを弾いて、ピアノが大好きな人と知り合えたのだから。」

「先生が輝の死にどれほど落ち込んでいるのかその顔を観れば判る。」

「だから、輝には私の隣にいてもらいます。」

「先生一人で背負う必要はもうありません。」

好は自分で何を言っているのか判らなかっただろう。

溢れる思い。とはこんな状態なのだろうか。と勅使河原は好を見ながら考えていた。

勅使河原は好の独白が終わると優しく言った。

「明日は行くよ。約束する。」


帰り際に好はもう一度念を押し、勅使河原もそれに応えた。

生徒に心配されるようでは救い難いが

1人でも私を必要としてくれているのなら、それに応えなければならない。

好の使ったコーヒーカップを片付けながら明日の予定を立てていた。

まず理事長に頭を下げないと。

好が帰ってから30分も経っていなかった。

ドアチャイムが鳴る。

清塚と名乗る青年が立っていた。

そう言えば彼に何か頼まれていたような。

清塚を招き入れると勅使河原は再びコーヒーを淹れる。

清塚は慌しく、「いただきます。」と言って一口飲むと堰を切ったように話し始めた。

「いつまでもいなくなった奴に構っていないでください。」

「希の思いは俺が引き受けます。」

「だから、俺にピアノを教えてください。」

勝手な言い分だが実にシンプルで判りやすい三段論法だった。

清塚はそれ以上余計な口を利かず、返事を待った。

勅使河原はコーヒーを一口飲んで静かに言った。

「明日は行くよ。約束する。」


自分は救われたのだ。

心の底からそう感じていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ