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03 清塚 誓 と 小見 希

清塚(きよづか) (ちかい)

老舗の、地元ではある程度有名な料亭。

父は朝から夜まで調理場にいた。

母は女将として励んでいた。

長男は父の元で板前の修業を始めていた。

支店を出す計画もあり清塚家の誰もが忙しなく動いていた。

持て余した両親は幼い誓の面倒を、引退した祖母と

がらくたや玩具と、多くの習い事に押し付けた。

誓の家族は祖母だけになった。

テストで100点を取ると喜んでくれた。

家族の似顔絵で祖母を描いた。

祖母にピアノを聞かせると喜んでくれた。

祖母が喜んでくれるのは

何処かで聞いた事のある曲。穏やかで優しい曲。楽しい曲。

学校では少々浮いた存在になっていた。

喘息のため体育は休みが多く、昼休みに校庭で遊ぶ事も少ない。

それでも中学、高校と進むにつれ自分の置かれている状況を理解し

たいした問題もなく同時に何にも熱心な関心を示す事も無く過ごしていた。

やがて祖母が亡くなった。

同時に、自分が祖母以外の誰からも相手にされていないと気付く。

祖母は、自分のお守りに疲れて死んでしまったのだろうか。

無気力な毎日。

それでもピアノだけは辞めなかった。

祖母との繋がりが全て消えてしまいそうで辞められなかった。

高校卒業を控えて、両親は大学に行くよう勧めた。

両親が最低限希望していた大学には受かると思っていたが、

それを裏切った。

誓は世間的には二流の音楽学校に入学した。


欲しい物は与えられるのでバイトをする気にもならなかった。

喘息があるのでスポーツで発散する事もできない。

少々我侭に振舞ってきたので友人は少ない。

集られては困るので人付き合いを極力減らしていた。

気楽に、揺る揺ると過ごせる現状から抜け出したいとも思わなかった。

楽しみの手段でしかない音楽の授業は興味の対象にはならなかった。

誰がいつ何処で産まれて、どんな生活をして、いつ何処でどんな死に方をしたのか。

はっきり言ってどうでもいい。

技術を先人から学ぶことはあっても、それは表現の手段でしかない。

誰が発明したか、いつ始めたかどうでもいい。

だから誓は専門用語を覚えていない。覚える気がない。覚える必要を感じていない。

音を学ぶ音学には何の意味もない。

幼い頃からずっと、弾きたい(聞かせたい)曲を覚える事だけが目的。

基礎やら用語やらは無視し続けた。

必要ならば体が覚えるだろう。

講義を休み、ピアノを弾いているだけの日も少なくなかった。

ある日、時折現れる外部からの講師に講義をさぼってピアノを弾いているのを見付かった。

「君はたしか僕の講義を受けている筈じゃないのかな。」

わざわざ外部から講師を呼ぶような学校で、

のこのこやってくる講師も大した奴じゃないだろう。程度の認識。

「君のピアノは軽いな。」

「なんだと。」

「楽しいがそれだけだ。」

講師が単位をちらつかせ脅迫する。

「私の代わりに病院に行って、ある子を見舞ってほしい。」

臨時講師に何故そんな事を頼まれるのか。と

何か理由を付けて断ろうとしていた。

「今君のピアノを聞いて思いついた。君の穏やかなピアノは病気の子にはイイと思ってね。」

悪い気はしなかった。

祖母が亡くなってからは誰かのためにピアノを弾いていない。


小見(おみ) (のぞみ)

本人は「血の病気」以外の詳しい事は知らない。

物心つく頃から手首には点滴の管。痛くはないよ。と笑った。

母に玩具のピアノを貰ってからは足首になった。

午前中は朝食を摂った以降検査が続く。

12時から1時間の食事時間。その後1時間の昼寝。

ピアノが弾けるのは14時から15時までの1時間の自由時間。

晴れている日、

風のない日、暑くない日、寒くない日。

母親が少しでも退屈しのぎにと買ってきた小さな玩具のピアノ。

最初は母親が弾いているのを傍らで聞いているだけ。

やがて痛くないからと母からピアノを奪った。

CDEから始まって左手の訓練に入るまで時間は掛からなかった。

屋上に行けない日だけではなく、

毎日の検査の合間にも、食事の途中でも、

紙に描かれた鍵盤の上で指を躍らせていた。


勅使河原が屋上に現れたのは

看護師からこの病院の屋上にピアニストがいると言われたからだけではない。

希の母親は彼を知っていた。

勅使河原は彼女に請われて少女のピアノを触れた。

長い間弾いていないから。と言いながら

右手だけで触れていた。

少女は衝撃を受ける。

同じピアノなのに。こんな小さな玩具のピアノなのに。

「事故で左腕が動かなくなってしまったんだ。」

「でもピアノが弾きたいから今頑張って治療している。」

「君だってもっとピアノを弾きたいだろ?」

この子は素晴らしいピアニストになると母親に告げた。

母親は笑いながら「そのときはお願いします。」と頭を下げた。

限られた時間、限られた空間、限られた音階。

少女にとっては何もかもが限られていた。

だからこそ、その与えられた環境の中で、全てを吐き出していた。

自分の命さえも。


清塚誓と小見希

受付で病室を聞くが、部屋には誰もいない。

看護師に尋ねると、「この時間なら屋上にいますよ。」と言われた。

屋根の上のピアニスト。

たいした病気でもない子が退屈しのぎにピアノを弾いている程度の勝手な思い込み。

屋上のドアを開けると、青空と、心地良い風と、柔らかい陽射し。

数人の医師、数人の看護師、数人の患者。

その中心にオモチャのピアノをテーブルに乗せて弾いている車椅子の子供。

聞こえてくるのは温かな春の音色。

その子の母親が誓に気付いて声をかけた。

講師の代理で来る事は聞いていた。

母親は過去にその講師に教わっていた。

病院で見かけ、それから何度もお見舞いにきてくれている。

まだ遠巻きにしか見ていなかった誓は何の悪気も無く

元気に見えますけど何処が悪いのですか。と尋ねた。

母親は答えなかったが、誓を娘の前に連れて行き

「勅使河原さんの生徒さんよ。」と紹介した。

「じゃあお兄さんもピアノを弾くの?」

小さく、白く、細い腕には包帯が巻かれていた。

帽子を被っているのは、頭髪が無いからなのが判った。

暖かいのに、セーターを重ね着していた。

「何か弾いてくれる?」

言葉が出なかった。少女が車椅子を後ろにずらすが

「今日は君のピアノを聴かせて。」

「明日僕のピアノを持ってくるから。」


誓は校内で勅使河原を探し問い詰める。

「単位の件、忘れないでください。」

約束通り、誓は玩具のピアノを持って現れた。

祖母に聞かせていたピアノは楽しかった。

希はすぐにそれを真似て

二人並んで弾いていた。

「今日はこれくらいで」と病室にと戻らされる。

母親は誓に

「また来てください。」

と頼む。

「え?はい。」

「来月、渡米が決まったの。それまで出来るだけ会いに来てあげて。」


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