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02 宮前 輝

宮前(みやまえ) (かがやき)

彼はいつもイヤホンをしていた。

その先のラジオはどの放送局も受信していない。

父親はプロのピアニストだった。母のいない理由は判らない。

幼い輝の手を引く大きな手。

それが父との唯一の思い出。

輝は父親の親類に預けられる。

それなりに著名なピアノ講師。評判も悪くない。

輝に渡されたのは少しの着替えの入った木のトランクと

玩具のピアノ。

男には、封筒。

父親が去るとすぐに

「お前は捨てられた。」

と言われ、それはずっと続いた。

倉庫のような冷たい部屋にはピアノとベッド。

課題曲が与えられ、男は部屋の鍵を締め消える。

夜、戻った男は輝にピアノを弾かせる。

少しでもミスをすると食事を与えられなかった。

男が酔って戻る日は、決まって殴られた。

度々学校を休んだのは、他人から見える場所にアザができたからだった。

「父親に会っている。」「風邪を引いている。」

学校は輝の父親の知名度から深くは詮索しなかった。

友人はできなかった。苛めも受けた。

逃げた先はピアノだった。

心を閉ざし、耳に聞こえる全ての音をピアノに乗せた。

目に見える全ての景色をピアノに乗せた。

朝、誰かが走っている。新聞配達のバイクが通り過ぎる。

小鳥が囀り、カラスが憐れみ、蝶が舞う。

朝陽も、雲の流も、沈む夕陽も全て音にした。

「いつか父が迎えに来てくれる。」

ただそれだけを信じてピアノを弾いた。


欧州のいくつかの地方への巡業。

深夜の移動中。他の団員達はバスの中で寝ている。

蛇行運転に気付いたのは輝の父親と、勅使河原。

シートベルトを外し運転席へ向かうが

辿り着く前に何かに衝突し、二人は車外に放り出されてしまう。

輝は父親が迎えに来たのだと思っていた。

車に乗せられ、知らない街で降ろされ、ずっと待っていた。

傍らにはトランクと、小さな玩具のピアノ。

その時ピアノの音が聞こえる。

ホテルから漏れてくるその音に引き寄せられた。

清掃員の掃除で零れた音。

ホテルのラウンジに人はいなかった。輝は座り、ピアノを弾いた。

鳴り響くピアノの音に従業員が驚き支配人を呼ぶ。

「無料で弾いてくれるならそうしてもらえ。」

と笑ったが

1時間ほど経っただろうか、突然手が止まる。

静かに近寄ると、輝は意識を失っていた。

支配人の伊藤は彼に食事を与えた。

向かいに座り、夢中で食べ続ける輝に言った。

「そうか。なら父親が来るまでここにいなさい。」

伊藤は輝に部屋と、ピアノを与えた。


輝は何かに怯えていた。

輝は引きつった笑顔を浮かべていた。

輝はどもりながら会話をしていた。

輝は常にピアノを弾いていた。

食事と寝る場所が約束されていた。それ以外に輝は何も望まなかった。

輝は誰かが止めなければピアノを弾き続けていた。

あるとき、トイレに行かず、その場で済ませた。

それから彼は2時間に1度、必ずトイレに行くように言われた。

どんな音でもピアノで表現してしまう即興性と

その音を広げる想像力にジャンルは無かった。

食事中、誰かがナイフを落す。

「ガシャン」と鳴る。

輝はピアノで音を拾う。

輝は頭の中でフォークを落す。フォークは一度跳ねて、落ちる。

ナイフとフォークが同時に落ちる。

別のテーブルからも落ちる。皿も落ちて回る。

レストランのテーブルの上のあらゆる物が落ちる。厨房のフライパンも落ちる。

音は繋がり曲になる。

だから彼はチューニングの合っていない「サー」と鳴っているだけのラジオを聞いている。

そうしなければ、どんな音も曲になり、彼の頭の中で音が跳ね、彼の手は止まらない。

伊藤が友人の勅使河原に輝を自慢すると

その演奏聞いて輝に近寄り言った。

「君のピアノは痛いよ。」

勅使河原は右手でピアノに触れる。

その音に輝は驚き、燥ぐ。

「も、もっと。教えて。」

伊藤も勅使河原に頼む。

「この子にもっと楽しいピアノを教えてやってくれ。」


勅使河原に連れらた学生達もただ圧倒されていた。

好も、背中の冷たい汗が気持ち悪かった。

勅使河原に促され座ると、

輝は立ち上がり席を譲ろうとするが勅使河原に座らされる。

伊藤は楽しい曲をとリクエストする。

好は少し悩み、what a wonderful world「この素晴らしき世界」を弾き始める。

勅使河原から渡された曲の一つ。

誰かのピアノアレンジで

元が誰の歌かも知らずに聞き覚えていた。

(原曲よりもテンポが速い事すら知らなかった)

きっと幸せな歌詞なのだろうと勝手に思っていた。

途中、輝は申し訳無さそうに好の演奏に参加する。

「誰かとピアノを弾くのは久しぶりだ。」

好は幼い頃の母とのピアノを思い出す。

「こ、これは僕のピアノだ。君のじゃない。」

「は?」

「き、君は君のピアノを弾いて。ぼ、僕は僕のを弾くから。」

「何?」

好に合わせる輝。

心地よい旋律。

最初からその一音は決められていたかのような。

好が輝に笑顔を向けると、

彼も笑って見せた。


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