最終章
どこからか声が聞こえてきた。
とても、強く、気高く、凛とした声。でも、どこか悲しげで、何かを求めている声だ。
暗闇の中に差し込む光りの柱に、クウトは手を伸ばして触れると、現実世界へと引き戻された。
最初に見たのは、緑だ。
青々としていて、枯れた草木はどこにもない。照りつく太陽はクウトのよく知るものなのに、この光景は見た事がない。少し歩いてみると所々に見覚えのある瓦礫の山が見え、それが居住区の跡だと気付き、全てを理解した。
(ここは、僕の生きた時代じゃない)
あの後、自分は死に、ここは死後の世界なのだろうか。
それにしては、太陽の日差しは肌を刺すように痛み、ここが現実の世界だと教えてくれているようだ。
(何か、何か証拠になるものは……)
再び、森の中へ行き、三人の遊び場のあった滝へと向かった。
生い茂る草花は、クウトの腰まで伸び、行く手を塞ぐ。
両手で泳ぐように進んだ先に、ようやく目的の場所へとたどり着いた。
「……あった」
茂る草葉をどかした木の根元に、一体の苔の生えた石像が置かれていた。
片膝をついて、その石像に触れる。彫りは薄くなってしまっているが、石像の右腕にある文様な彫りに頬を綻ばせた。
「……やっぱり、そうだ」
石像に彫られた紋様のようなもの。それは成人の儀の時に、サラがくれた腕輪の形をしていた。
「本当に、戻ってくるなんて。……君は最高の職人だよ、ザギ」
長い眠りの中にいたせいか、友人の顔をろくに思い出す事もできない。それでも、石像に触れると、胸の奥が暖かくなり、不思議と笑みが零れてしまう。
もう泣く事はない。涙は枯れ、心は目の前の石像のように硬く凍っている。
(不思議だな。温かいのに凍ってるなんて、矛盾も良い所だ)
苦笑を漏らし立ち上がると、起きてからずっと感じていた気配の元へ向かった。心や身体が、急げと催促し、そこへ向かう。
視界が開けた場所に出ると、そこは元、“リディアの戦士”たちの訓練場の跡地である広場だった。
何年経っても変わらずにある広場は、どちらかというと今の方が綺麗に整備されていた。
(掃除は僕の仕事だったなぁ)
苦い記憶を思い出しながら失笑する。ふと、広場の中央に目を転じると、銀色の長い髪を一つに縛った少年が、こちらに背中を向けて一心不乱に両刃剣を振るっていた。
(す、すごい)
少年はクウトと同じ年くらいだろうか。
それなのに、少年の剣戟には華があり、力強さがあり、見る者を魅了する何かがあるように思えた。
一つ一つの型が丁寧で美しい。
少年は指先で柄を弾いて剣を宙へ投げ出した。回転しながら落ちてくる剣の柄を器用に持ち直して構える。
一通りの流れが終わったのだろう。
少年は肩で息を切らせながら、深く息を吐きだした。
クウトは笑みを湛えて、手の平を数回叩き、賛辞の言葉を送ると、少年が驚くように振り返った。紅い、綺麗な目をした少年だった。
「君、凄いね。感動しちゃったよ」
「…………お前は、誰だ?」
全身の毛を逆撫でてた猫のように少年は警戒心を剥き出しにして、こちらを睨みつけてくる。クウトは叩いていた手を降ろて、真っ向から彼を見つめ返した。
「僕の名前はクウト。君は?」
「……カイトだ」
「へぇ、カイト。珍しい名前だね」
「そうか? 普通にありふれていると思うが………」
怪訝な顔をするカイトに、クウトは笑みを深める。
「ところで、君はこの島の子?」
「は? んな訳ないだろう、ここは元無人島で、今は国家機密機関ヴァルキュリアの管理下にある島だ」
「国家機密、ヴァルキュリア?」
「そうだ、俺はそこの精鋭部隊候補生に選ばれたんだ。お前もそうじゃないのか?」
「僕は……」
カイトはクウトのことを同じ候補生だと思い込んでいるらしい。
なんと返答すればいいのか分からず、クウトは視線を空へ向けた。
どうやら自分は思っていた以上に深く眠っていたらしい。自分が眠っている間に、この島の住民の全ていなくなる程、長い月日が過ぎていた。自分を貶めた者も、妹を流した者たちも、誰一人として存在しない。
ここにいるのは見知らぬ未来人だけだ。クウトは目を閉じて、…………開いた。
「僕は、違うよ。迷い込んだだけ」
カイトはあからさまに落胆していた。何か期待するようなことを言っていたらしい。
「ならば、早々に立ち去るがいい。さっきも言ったが、ここは国家機密機関だ。無関係の人間がうろうろしているとなれば、懲罰は避けられないだろう」
「懲罰って、僕はここの住民だから、立ち去ることはできないよ」
「何をバカな……」
さあっ、と風が二人の間を通り抜ける。
葉擦れが波の音と同化して波紋が広がった。カイトはクウトから目を離せず咄嗟に剣に手を触れていた。
「そこまでだ」
場の空気を切るように放たれた言葉に、クウトとカイトはそちらを見た。
いつからいたのだろう。
木々の間から一人の男性が現れる。長身の筋肉質で、髪と同じ色の茶色の髭を生やしていた。
ピンクのスーツと紫のネクタイは趣味が悪いとクウトは思ったが口には出さずにいた。
「司令!」
シレイ――聞いたことのない言葉だ。
だが、カイトの様子から見ると、シレイと呼ばれる彼の方が偉いということだけは分かった。
「君は、クウトくんと言ったかな? 話は聞かせてもらったよ。この島に原住民がいるとは知らなかったのだよ、まずは非礼を申し上げる」
「いえ、ずっと隠れていましたし、僕自身も久しぶりに外に出るので、今のこの島の状況が全く分からないんです」
自分がどういう経緯で、この時代に来たのかは分からない。だが、それを素直に話せるほど、クウトは彼――シレイを信用していなかった。
シレイは自身の髭を触りながらうなり声をあげる。
「ふむ、この島を開拓する際、徹底的に調査したつもりだったが、不十分だったようだな。だが、この島はすでに我々VKが買い取っているんだ。だから、君に居住権は与えられない」
申し訳なさそうにしているが、確実に追い出そうとしている。
(また、奪われるのか? 何もせず、今度はこの島を外の奴らに奪われるのか?)
ザギや他の仲間が眠るこの島を、サラとザギとの思い出がたくさん詰まったこの島を、外から来た人間に奪われるのか?
クウトの身体から紫の靄が現れ、身を包む。
異国の衣装を着たクウトは、黒紫色に鈍く光る剣を持ち、腰を低くして構えた。
「この島の不法侵入はお前たちの方だ。警告する、“リディアの戦士”の名に懸けて、侵入者は排除しなければならない。今すぐに出ていけ」
「その姿は…………、まさか」
「警告はした!」
駆け出し、クウトは地面を蹴って跳躍し、剣を振るい上げて下ろした。
キイィイイィィィン
金属がぶつかり合う音が響き、クウトは驚愕した。
カイトの姿がいつの間にか、自分と同じような異国の服を身に纏い、剣を振るっているではないか。
しかも、クウトの着る服と違って、カイトの服はゆったりとした布をふんだんに使い、桃、橙、赤、白と淡い色で統一され重ね着になっている。
首や胸元、足には肩無しのピッチりとした黒い布を着ているため、激しく動いても素肌があらわになることはないが、重ね着の布は邪魔にならないだろうか、と気にかかる。
「君も、僕みたいな力を持っているんだね」
「……ふんっ、俺は天才だからな。神薙として巫術を使いこなせなくてどうする」
「神薙? 巫術?」
「おまえ、そんなことも知らずに使っているのか?」
カイトは剣を払い、クウトは宙で一回転をした後に着地する。
「俺たちは神々に選ばれた存在なんだ。世界の秩序を、人々を悪から守るため、神が己の力を選んだ人間に分け与えてくださっている。神は人の世界とは不干渉でいなければいけないから、俺たちが神の仕事の代行をしているというわけだな」
腕を組み、悦るように話してくれているが、クウトにはちんぷんかんぷんだ。
「ごめん、意味が分からない」
「なっ!? 俺たちの使命を理解できないというのか!」
「使命じゃなくて説明がよく分からないんだけど」
「だから、神が俺たちを選び、俺たちは神に代わって悪を倒す! それ以外の説明が必要なのか!」
「むしろ、いらない方がビックリだよね!」
ふーーっ、ふーーっ、と興奮を抑えられないカイトの肩を叩いて後ろに下がらせ、シレイは前へ出た。
シレイの薄汚れた瞳にクウトの姿が映る。
シレイは手を差し出した。
「我々、国家機密機関ヴァルキュリアは、君を向かい入れたい」
「拒絶したら?」
「受け入れてくれたら、君の求める質問にすべて答え、衣食住の保証は必ずする。どうする?」
悪くない条件だ。
正直言うと、この時代で目を覚ましたものの、クウトには目的がない。
やりたいことも、自分自身が生きている理由もない空っぽの存在だ。
さっきは、「“リディアの戦士”として~」と言ったが、あれはザギたちが眠るこの地を“リディアの戦士”として守るために戦えば、少しは報われるかもしれないと、とんでもなく無意味なことを思って実行したに過ぎない。
クウトはジッと、シレイの手を見つめた。
(きっと、この手を取ってはいけないんだろうなぁ)
良い話には裏がある。彼の瞳を見る限り、それは根強く、深く、一度足を踏み入れたら戻れなくなるような、底なしの闇を見た。
目を閉じて脳裏を過るのは、薄れゆく友人と妹の背中。
クウトが二度と会えない、愛してやまない二人。
きっと、二人が側にいれば「行かせない!」と言ってくれただろう。
けど、今ここにその二人はいない。
「分かりました、受け入れます。ただし、こちらからも条件があります」
「何かな?」
「ここの広場から、向こうの方にある居住跡地には足を踏み入れないでください」
居住跡地には村人たちの墓場があり、ザギはそこにいる。それと、どんなに月日が経ってしまいボロボロで原型がなくなってしまったとしても、サラと過ごした家に他の人間を入れたくはなかった。
シレイは顎を撫で、小さく頷いた。
「分かった、すぐに部下たちに手配させよう。他にはないかな?」
「特にありません」
シレイは笑みを深め、クウトは彼の手を握った。
恐ろしく冷たく固い掌だった。
「ようこそ、国家機密機関ヴァルキュリアへ、こころより歓迎するよ」
こうして、クウトは国家秘密機関ヴァルキュリア、αチームの一人となった。
END
これにて、”リディアの戦士”は終了となります。
この先、クウトが主人公の話を書く予定はありません。
この物語自体は嫌いではないので、もしかしたらサブメンバーとして書くかもしれません。
その時、また読んでくれたら幸いです。
最後に、ここまで読んでくださり、また評価を付けてくださった方、
本当に、本当にありがとうございました。




