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第一章



「うわぁぁっ!」

 喉の奥から声を出し、襲い掛かる悪夢から逃れようと薄い毛布を蹴り払いながら身体を起こした。

「……あれ?」

 ぼんやりする視界を手の甲で擦ってはっきりさせると、そこは見慣れた寝室だった。

 石を積み互い違いで組み建てられた白い壁に、木の机が一つと椅子が二つ。自分がいる寝床も石を積んで作られているもので、その上に綿を詰めた布を敷き、薄い布地で身を包んで眠る簡素な物だ。

 頭を掻き、今ある状況を把握しようとした時、向こうの部屋と繋がっている境の布が開かれた。

「どうしたの、お兄ちゃん。あんなに大きな声を出して」

 顔を出したのは妹のサラだ。自分と同じ紺碧色の髪に漆黒の瞳をしている。ただ髪は少女らしく長く伸ばし、それを頭の高い位置で長い組紐で1つに結んでいた。

 村の女性たちに教わって作った髪留め用の組紐は、兄妹でお揃いにしたいからと言ってサラの初の手作りだ。自分はサラと違って髪の長さは肩よりも短いため、ブレスレットとして愛用している。

 神様のご加護がありますように、と紐の色は暁の赤と黄昏の橙で編んでくれた大切なものだ。

 両親を流行り病で亡くして以来、ずっと周りの大人たちに助けられながらも、たった二人で暮らしてきた大切な家族であり、何よりも変え難い存在。

 サラはジッと見つめてくる兄を不審に思い、片眉を曲げて小さく首を傾げた。

「何? 人の顔をジッと見て」

「……いや、何でもない。ただ変な夢を見ただけだから、心配する事はないよ」

「なんだ、ビックリした。てっきり毒蛇でも出たんじゃないかって心配しちゃったじゃない」

 頬をリスのように膨らませて怒るサラに、つい苦笑を漏らして手を軽く振った。

「そんな、毒蛇なんて滅多に出るもんじゃないよ。……まぁ、あの時はビックリしたけど、結局は毒蛇じゃなかったしね」

 以前、家に入ってきた蛇に噛み付かれて起こされた事を思い出し、目を泳がせる。そう言えば、あの時も 今日と同じような悲鳴を上げて飛び起きたので、その事を危惧していたのだろう。

 嫌な思い出だ。

「まぁ、大丈夫ならいいよ。さ、外で顔を洗ってきて。ご飯にしよ?」

「うん!」

 サラが部屋から出て行くのを見送った後、自分の手を開き見つめる。夢の中では泥に塗れて汚れた手が、今は少しも汚れていない。

「あれは、夢だ。絶対にただの夢なんだ」

 自分に言い聞かせるように拳を握ると、身体に反動をつけて寝床から飛び降りた。境の布を上げて、入り口近くに置いてある木の箱の中から洗われている布を手に取り、朝御飯の支度をしているサラの背中に一声掛けた。

「顔洗ってくる」

「早く戻ってきてね」

「分かってるよ」


 外に出ると、痛いほど強い輝きを大地に放つ太陽に、手の甲を翳して直視しないように空を見上げた。雲ひとつない快晴な空が広がっている。

「今日も、雨は降りそうにないか……」

「おっはよ! クウト」

 声を掛けられて振り返ると、同じ年の友人がいた。

「おはよう、ザギ。今日もいい天気だね」

「ああ、嫌になるほどな」

 皮肉めいた調子でザギは空を仰いだ。

 その通りだ。ここ最近、雨の量は一気に減少し、今では畑に当てるだけの水を確保するのにも一苦労な状況が続いている。

 もし、この状態が一ヶ月も続けば村は甚大な被害に見舞われるか、最悪、死人が出るだろう。そうなる前に、大人たちは必ず“アレ”を行う。

 クウトはザギに気取られないように、拳を握り締め、手の平に爪を立てた。

「ま、そう言った話しは大人たちに任せるとしてだ、なぁ、クウト! 今日だよな!」

「え?」

 一気に間合いを詰められ、ザギの顔がクウトの鼻頭まで近づけられる。寝起きで頭の回転が鈍っているせいか、ザギの言葉に反応ができずに問い返すと、ザギは「信じらんねえ!」と、大袈裟に仰け反った後、クウトの背中を思い切り叩き飛ばした。

「今日は、オレ達の成人の儀だろ! 忘れんな、アホ!」

「……あぁ」

 朝の悪夢ですっかり忘れていた。確かに今日はクウトたち十一の年の子供の成人の儀だ。

 この島では子供が十二になると、一人前と認められ大人の仲間入りをする。

 子供時代は、朝は島の伝統や森について学び、昼から日暮れまでは大人たちの手伝いをして、手伝いが少ない時は各自の自由時間になっていたが、それが無くなる。

 大人になれば、朝は日の出と共に起きて仕事に向かい、仕事場に日が入らなくなるまで働き、家に帰る。このサイクルで一日が回る事になるので、自由時間というものはほとんど存在しない。皆、日々の生活だけで手一杯だからだ。

 でも、辛い事だけではない。大人の仲間入りをすれば果実酒以外のお酒も飲んでも怒られない事になっているし、子供の時には入れなかった森の奥や作業場の出入りも可能になる。他にも大人の特権というものが存在するが、詳しい事は大人になってからだと聞かされているので、まだ分からない。

「やっぱさ、仕事をするなら“戦士”がいいよなぁ」

 恍惚とした表情で空を見上げるザギに、クウトは苦笑を交えた笑みを浮かべた。

「 “戦士”って、あの?」

「そうさ! 村の為に戦う“戦士”。畑仕事とかよりもカッコいいじゃん!」

 ザギが足を振り上げて、戦士のマネをしてみせた。

 この島では、戦神リディアを祭っており、島に点在する村々に諍い事があったとき、各村に5人ずつ任命された“リディアの戦士”たちが互いの技や力で勝敗を決し、自村の意見を通すことができるという習わしがあった。

 それは遥か昔、大陸で世界全土を巻き込んだ大戦争が行われた時代、力なき人々を哀れんだ“戦神リディア”は海を割り、人々をこの島へと導いたと言われている。


『力なき者たちに永遠の安らぎを約束しよう。しかし、汝らは戦ってはならぬ、外から来た脅威には我の力を得た“戦士”のみに退ける力を託そう。もし我との誓いを破れば、汝らの未来は闇に包まれることを努々、忘れるでない』


 この習わしに則り、島では小さな諍いも起こったことがない。

 “リディアの戦士”たちが全ての政を決してくれているおかげでもある。

「けど、“リディアの戦士”になるのは無理じゃないかなあ?」

 歴代の“リディアの戦士”の中でも、一番の最年少は十六歳だったという。成人し立ての子供は、身体の作りも中途半端で経験も技量もない為、とてもではないが熟年の“リディアの戦士”たちに交って戦うのは無謀としかいいようがない。

 何よりも、そんな未熟者に大切な政の一端を任せられる事がないのは、ザギも分かっているはずだ。

「そりゃあ、まぁ、知ってるけど……」

「なら、ザギは職人になればいいよ。手先は器用だし、前に作ってもらった陶器も、水釜として、とっても役に立ってるよ」

「あれは花瓶だ!」

 怒鳴るザギを尻目に、クウトは腹を抱えて笑った。前にザギに作ってもらった花瓶は、全長が一メートルほどもある巨体で、どう見ても花瓶としては使えない代物だった。

 それなのに、顔を真っ赤にさせて花瓶と言い張るザギに、笑いが込み上げてきて止まらない。

 一頻り笑うと、クウトは呼吸を整える為と不安を吐き出したい為に、深く息を吐き出した。

 ザギには無理だと言いつつも、内心ではクウトも“リディアの戦士”になりたいと思っている。

 ただ、クウトが戦士になりたい理由は、ザギのようにカッコいいとかではなく、サラのためだ。

 戦士になれば、他の職業とは違って年貢を納める必要がない上に、栄養価の高い食べ物を優先的に購入する事ができ、更に今までのように日が昇る前に家を出て、日が沈みきった後に帰ってくる事がなくなる。

 今まで、ザギの家の者に妹を預けていたり、あまりいい物を食べさせてあげられなかったが、“リディアの戦士”になればそんな思いをさせることがなくなる。

 つまり、クウトの力だけでサラを養う事ができるようになるということだ。

 戦士になるための訓練がどれほど過酷なものかは想像でしかできないが、それすらもサラを前にすれば些細な問題だ。サラに少しでも楽をさせてあげる事ができるのなら、村の問題でも、戦士の厳しい特訓でも、ドンと来いだ。

「……やっぱり、無理だよなぁ」

「ん? 何がだ」

 口に出していたらしい。クウトは口を弧の字に変えて「何でもないよ」と笑って返した。

「ふ~ん。あ、そいやさ、オレんちの母ちゃんが、後でクウトに来て欲しいって言ってたぜ」

「僕に?」

「ああ! 来たらきっとビックリするぞ!」

 クウトは持っていた布を唇に押し当てて黙り込む。

 成人の儀は太陽が真上に来た時に行われ、その間、成人の儀を受ける子供たちは、成人の儀専用の正装を身に纏い、儀式で使う予定の証を身に付けて半日、静かに過ごす事になっている。

 しかし、今まで働いて稼いだお金は、ほぼ全て生活費でなくなり、僅かに残ったお金も、いざという時の為に取っておいた非常時用のもので、おいそれ簡単に使う訳にはいかない。

 成人の儀と言っても、結局は近所の人々に成人した事を認めて貰い、村長から自分たちに適した職業を神様からの進言として言い渡されるだけの、云わばお披露目会のようなものだ。

 その為、クウトは正装ではなく普段着で受けるつもりだし、儀式で使う証も父の形見である短剣にしようと決めている。

 つまり、儀式までの間、静かにしているだけなので時間に十分、余裕があった。

「うん。分かった、すぐに行くよ」

 返事をすると、ザギは飛ぶように跳ねて、身体を半回転させて帰路に爪先を向けた。

「じゃあ、待ってるから、ちゃんと来いよ!」

「分かってる」

 軽く手を振り、ザギを見送ると、クウトは顔を洗うために、森にある川へと向かった。



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