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・†・



 どれだけの時間が経ったのだろう。

 薄暗い独房に日が差す事はないが、辛うじて入り口の方から僅かな光りの線が入っているのが見える。

 両の手首には鉄の手枷を填められ、岩に打ち付けられた鎖と繋がっていた。

 二十代以上の人間がこの手枷に填められたら、両手を上げて最も辛い中腰の状態で過ごさなければいけないが、幸いにもまだ成長途中のクウトは膝を少し曲げる程度で済んでいた。

 何も考えられなかった。己の誇りを捨て、相手“戦士”の守護神に頭まで下げて頼み込みこんだもの全て水の泡だ。

 対戦相手の“リディアの戦士”がどうなったのかは分からないし、知ろうという気にもならなかった。


(……こうするしか、方法は、なかったんだ)


 自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返される自問自答に、答えを割り出す事はできなかった。

 仲間の“リディアの戦士”たちだけではなく、クルドにすら認めてもらえず足手纏いにしかならない戦場に出たとして、クウトに一体、何ができたと言うのだろうか。

 ナリアの言っていたように、クルドの初陣の二の舞を演じろと? 冗談ではない。

 クウトは目を閉じて、さらなる暗闇の世界へと潜り込もうとした。

 自分の手で妹を守りたい。

 ただ、それだけを思って行動した結果、クウトに突きつけられたのは残酷な現実だ。


(もう、疲れたなぁ…………)


 後悔するのにも、いい加減に飽きが来た。

 手枷に繋がれた当初は必死で振り続けていた腕も、今では手首から流れた血が固まり感覚がない。叫びすぎて喉も嗄れ、クウトの心は風穴が空いてしまったかのように、空虚で何も残らなかった。

 このまま眠ってしまうのもいいだろうと、夢現に思っていると、暗闇の向こうから砂を踏み締める音に身体が反応した。まだ聴覚が正常だったという事実に、クウトは苦笑いを浮かべようと口端を僅かに上げた。

「…………」

 足音はクウトの少し手前で止まる。クウトは瞼をゆっくりと上げ、僅かに顔も上げてその人を視界に捉えた。

「あ…………」

 声も、出た。

「クル、ド……」

 最後に彼を見たのはいつぶりだろうか。懐かしさで胸が熱くなると思ったが、クウトの心は未だに冷え切った状態で、妙な感情だけが渦を巻き、身体の中心に居座り続けた。

「五日後、お前をこの村から追放する事が決定された」

 淡々と事務的な口調で言われる。いつも、こんな風に話しをしていたなぁと、思い出しはしても、やはり感傷深く考える事はできない。

 目を閉じて、クルドが立ち去るのを待ったが動こうとしない。話そうともしない。それならそれでも構わない。クウトは何も考えず眠りにつこうとした時、クルドがポツリと漏らす。

「何故、あんな事をした」

 自分に言っているのだろうか。否、ここにいるのはクルドとクウトの二人だけだ。自分でなければ独り言になってしまう。クウトは薄く目を開き、クルドの足元の方を見遣り、口を動かした。

「妹を、守り、たか……った」

「金を使ってか?」

「…………」

 何も言えない。クウトは“リディアの戦士”たちの誇りを汚してしまったのだ。許されるはずがない。ここに繋がれる前にもブロックや他の“リディアの戦士”たちに殴られ、蹴られ、思いつく限りの暴行という名の制裁を受けた。

 もう、これ以上、何をされても無関心でいられる自信はあった。

「…………?」

 何もしてこない。

 沈黙が二人の間に流れる。クルドは腕を組み、壁に背を付けて寄りかかって遠くを見上げた。

「………俺には」

「?」

「俺には、大切な恋人がいた。ガキの頃からの友人であり、唯一、愛した女性とも言える存在がな」

 唐突に語られるクルドの過去。今のクウトには右の耳から入り、左の耳から出るだけの小さな騒音でしか認識されなかった。

 その事に気付いていないのか、クルドは目を閉じて昔の情景に思いを馳せながら語る。

「前の干ばつは十数年前に起こった。当時、俺は十六で“戦士”になり、戦った」

 その話しならば、ナリアに聞いたことがあると、ぼんやりと思っていたが、ふと、急に脳が働きだし、クウトはある結論に至った。

 クルドの過去について、ナリアはこう言っていた。


『今のクウトちゃんと同じだね』


『君と違ってね』


 妙に含みの込められた言葉。それだけが、何故かクウトの心に残り、簡単に思い出す事ができる台詞。

「まさか………」

 クルドは目を閉じて続けた。

「俺の恋人が伴侶として選ばれ、流された」

 妙な既視感がクウトを襲う。真っ白だった頭に様々な感情が生まれては消え、クウトの四肢に新たな感覚を生み、何も感じていなかった手足が急に痛み出し、全てを現実のものへと変えた。

「俺は大切な恋人を守ろうと戦った。だが、お前はそれをしなかった。戦う事を恐れた臆病者に、守れるものなど一つもないと知れ」

 クルドは冷たく言い放った。

 思い出される妹の笑顔が浮かんでは儚く消えて、クウトの両目に大粒の涙が溢れ出る。

「…っ……ふっ………ぅ……っ……」

 嗚咽を繰り返し、クウトはようやく必死で守ろうとしていた物が粉々に壊されていく音を耳にした。

 ナリアの本当に言いたかった事が分かった。

 それは、どんな状況であってもクルドは逃げる事はしなかった。実力が無くとも必死で相手に喰らい付くだけの覚悟はあった。大切な人を守るとはクルドの様な者の事を指し、クウトの様に戦う前から勝敗を決め付けて、戦場から逃げ出す者が軽々しく大切な人を守りたいなど、いえることではないという事だ。

 白く塗り潰された脳裏に、黒点が落とされて灰色に変わる。グチャグチャと、混ぜっ返したパン生地のように思考が定まらず、頭の中で早鐘を打ち鳴らされているような頭痛がクウトを襲った。

「…………だ、だ」

「?」

「まだ、サラは流されていない! 外せ! 僕が、サラを、妹を守らなくちゃいけないんだ! 約束したんだ! また、三人で、笑い合うって! ザギと、あいつと! 三に」

「ザギは、職人になった奴か」

 言葉を遮られた事と、クルドの言葉が場違いのように冷静で落ち着いた言葉が癇に障り、クウトは堪らず「そうだ!」と、喉が張り裂けんばかりの声で肯定した。

「……そいつなら今朝、死んだ」

 脱水症状だったと、あっさりと言ってのけるクルドの声が、今度は遠くに聞こえた。

 抗う力を全て取り払われてしまった。全身の力が抜け落ちても、膝が地面に付く事はなく、クウトは手枷に全てを委ねることになった。軋む音を立てる手首の骨も、頬から滴る涙も、全てが無意味であり変えられない現実だ。


『じゃあまたな、クウト。今度は像が完成したら会おうぜ!』


 鮮明に再現される友人はもうこの世にはなく、屈託なく笑う彼の笑顔も、もう見る事ができない。

 胸の奥から沸々と沸き起こる激情に、クウトは歯を喰いしばり手を硬く握り締め拳を作り、足に力を入れて膝を伸ばすと、クルドを残る全ての力を使って睨み上げた。

「どうして、どうして、干ばつが起こるって、分かっているのに事前に準備とかしておかないんだよ! 何十年も起こっていることなんでしょ! なら、水を蓄えておく貯水庫を造るとか、色々な方法を考えれば」

「だからだ」

「え?」

 壁から背中を離し、クルドは正面からクウトの睨みを受け止めた。

「だから、生贄を海に流すという伝統が生まれたんだ」

 クルドは伴侶ではなく、間違いなく生贄と言った。雨神様の儀の、意味を分かっているからこそ言えるセリフだ。

「なら……」

 奥歯が擦れる音を耳で聞き、握った拳を壁に打ち付けた。

「なら、それが間違った行為だと、何でみんなに言わないんだよ。人を流したところで、雨なんか降るわけが……」

「降る」

 目を閉じ、クルドは遠くを見るように、クウトから目を反らして言った。

「高確率で、降るんだ。だから、止められない」

「――――――っ!!」

「何よりも、妹を救う唯一の手段をお前はおまえ自身の手で蹴った。常々、言っているだろう」


『弱き者に価値はない。』


 クウトは叫んだ。何かを伝える為ではなく、吐き出すために無意味に声を上げ続けた。

 いくつもの光景が走馬灯のように駆け抜け、クウトの中から零れ落ちていく。

 強ければ守れたかもしれない。

 訓練では役に立たなくとも、本番では万が一の可能性があったかもしれない。

 様々な可能性と、希望の光りが、クウトの断末魔と共に独房に響いては空しく消える。

 クルドはそれを黙って見守る事しかできずにいた。

 同じ傷を知るもの同士。クルドにはクウトの気持ちが痛いほど、よく分かる。よく分かるが、戦いを回避する方法など思いつきもしなかった。

 “リディアの戦士”である以上、戦って勝つ事しか、その者の価値はない。クルド自身にも身体の隅々まで染み込むように叩き込まれた教えだ。

 クウトが疲れて寝入った頃を見計らって、クルドはクウトに背を向けてその場を去った。

 雨神様の再来の儀を行う為に。




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