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 火照った頬を涼やかな風が撫でて、少しだけ冷やしてくれた。まだ動悸が激しく動き、耳元で鳴り続けている。もう、走る事はない。やれる事は全てやってしまったのだから。クウトは空になった右手を拳にして、強く握った。


 深夜に近い時間、クウトは儀式の相手である別の村の“リディアの戦士”の元へと向かった。

 同じ短槍使いなら、一度だけクウトが“リディアの戦士”になった初日の挨拶回りの時に会ったことがあるので、彼の元へ行った。

 最初は訝しむ様子だったが、順序立てて訪問した理由を説明すると、短槍使いの彼は喜んでクウトの頼みを快諾した。

 彼にはザギと同じ病気の母がいて、クウトの気持ちがよく分かるとも言い、お金を受け取ってくれた。

 これで全て終わったのだ。妹と友人が助かる唯一の方法。それは、対戦相手の“リディアの戦士”にお金を渡して、戦闘を優位に進めるという所業。

 先ほどまでは、これしかないと思っていた方法が、夜の冷たい風に頭が冷やされて、本当に自分は正しい判断をしたと言えるのだろうか、という疑念が頭を掠め、鉛を飲み込んでしまったような感覚だけが、喉に残り呼吸を浅くする。

(でも、彼も言っていたじゃないか……)

 相手側の雨神様の伴侶候補は、本当に身寄りの無い娘でいつもボロを纏って河原近くに住みつき、実りの季節になるたびに畑を荒らして食べ物を盗むような子だという。

 それと、あちら側の居住区では、雨神様の伴侶の事を雨神様の生贄と称し、本当の意味で厄介払いをする為のものと考えている傾向があるので、クウトの気にすることではないと言ってくれた。

 これで、サラが死ぬ事はない。

 嬉しかった。

 嬉しかった?

 不思議と彼の言葉に引っかかりを感じて、クウトは手放しに喜べなかった。サラが生贄にならなくてすむのは、いいことのはずだ。

 それなのに。

「どうして、痛むんだよ」

 胸を押さえても、全身に締め付けられるような痛みが広がり、手の平だけでは足りない。腕を押さえても、擦っても、痛みは取れない。むしろ広がっていく。

 クウトは駆け出した。

 どうして。

 自分にできる事は全てした。後は儀式の日を待って過ぎれば、もうクウトを縛り付けるものはなくなる。


―――本当に?


 疑問が頭を過ぎり、クウトは知らず知らずの内に、速度を落として棒立ちとなった。虫たちの声は聞こえない。耳鳴りすらない。完全なる無になる世界。

 目の前に広がるのは、純粋な黒。そこから触手のような手がクウトの手足に絡みつき、身体の自由を奪う。

 鬼に似た恐ろしい形相がこちらを睨み、震え上がらせる。

 分からない。分からない事だらけでクウトは悲鳴を上げた。甲高く、枝に一夜を過ごす予定だったカラス達を一斉に羽ばたかせるほどの咆哮を上げた。

「………っ!?」

 頭に何かを叩きつけられ、クウトは横倒れになり地面に頬を擦る。目の焦点が合わない。それどころか、まともな思考を持っていることすら危うい。

 半ば無意識とも言える本能だけに囃されて、クウトは土を握り、目を空の方へと向けた。

「おバカなクウトちゃん、こんばんわ」

 だれだ。

 否、こんなしゃべり方をする人は、クウトの知る限り一人しかいない。

「……ナリ、ア、さん」

「正解。でも、ね」

 ナリアは足を振るい、クウトの鳩尾に爪先を叩き込んだ。

「っは!」

 唾が飛び、気管が潰れて呼吸を忘れる。頭蓋骨の中に警笛が鳴らされても、身体が思うように動いてくれない。正常に動いてるのは、聴覚と感覚だけだ。

 ナリアはクウトの前髪を掴み、立たせる様に引っ張るが、クウトは足に力が入らず、膝立ち状態になった。

「おバカな、おバカなクウトちゃん。君は本当に面白いくらい、素直で純粋な子なのよね」

「?」

「だから、クルドちゃんは君を可愛がったのかもね」

 妖艶な笑みを浮かべて、ナリアは愉しげに喉元に笑い声を溜めた。

「ねぇ、知ってる? クルドちゃんが初めて戦場に立ったのは十六歳の頃なの。今みたいに、干ばつが続いて雨神様の儀式をする為の伴侶選びの為にね」

 今のクウトちゃんと同じだね。

ナリアは声を潜めるようにクウトの耳元で囁いた。

「その時、周りは身体も立派で技量も経験もある“リディアの戦士”たちに混ざって戦ったのよ。結局はクルドちゃんたちの方が負けちゃったけど、クルドちゃんは戦ったんだよ」

 君と違ってね。

 ナリアが何の為にこの話しを始めたのか、分からない。否、分かりたくなかった。だが、分かってしまう。

 クウトは拳をさらに強く握り締め、血が滲むまで下唇を噛み続けた。

 ナリアは軽快な笑みを浮かべて、クウトの頬に手を添えた。

「お兄さんね。君みたいに大した努力もしないで、勝ちを取ろうと足掻く弱者が大嫌いなの。だから、つい苛めたくなっちゃってね。そしたら、こぉーんな卑怯な事もできる外道だったって、分かってビックリしちゃった」

 ナリアの言葉の一つ一つが胸に突き刺さって痛い。だが、どれも否定はできない。甘んじて耳を貸すしかクウトにはできなかった。

「村長は君を、『神に愛された少年』って言っていたけど、あたしから見れば、『神に愛されたが故に、自分を見失ってしまった少年』に見えるのよ」

 ナリアは手を離してクウトを解放した。

クウトは崩れるように地面に横倒れになる。

「覚えておいてね。あたしはクルドちゃんの期待を裏切った君が大嫌い。だから、君なんかいなくなればと思っているよ」

 ナリアが立ち去った後も、クウトは動けずにいた。

 考える力は残っていない。ぼんやりと掠れる景色を見て、ただ思う事は一つだけ。

(サラに……、逢いたい)

 自然と涙が流れた。



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