第四章
乾いた地面を蹴り、呼吸を忘れるほど、意識を走る事だけに持っていく。日が落ちた後のお陰で、誰ともすれ違うことなく、家に帰ることができた。
「…………っ!」
大きな音を立てて扉を開けると、目を丸くさせて驚きを隠せないサラの姿が視界に映ったが、クウトは気にせず通り過ぎ、境布を乱暴に捲った。
「ちょっ、お兄ちゃん!」
サラの声を背で聞きながら、クウトはサンダルを脱ぎ捨てて寝台に登り。奥の石壁を触り、小さな窪みがある石を左右にずらしながら引き抜いた。
中には、今まで少しずつ貯めたお金の袋が入っている。大きさはクウトの手の平二つ分ほど。これだけあれば、一か月分の酒か、もしくは日用品が買えるだろう。
クウトは躊躇いなく袋を持ち、裸足のまま駆け出して、扉に向かおうとしたが、両手を左右に大きく広げたサラに阻まれた。
「そのお金、どうするの?」
訝しむサラに、クウトは笑顔を向けて応えた。
「何も、心配はいらないよ」
諭すように優しく語り掛けるが、察しのいい彼女は首を左右に振って頑と譲らない。
「ダメ、ダメだよ。そんな事をしたら、絶対にダメ!」
「どうして?」
「どうしてって……」
「僕は勝ちたいんだ。いや、勝たなくちゃいけないんだよ!」
クウトは怒鳴るように言い放った。“リディアの戦士”としての責任。自分自身の技量の無さ。妹と友人の存在。いくつもの重圧に押し潰されそうになる心が、悲鳴を上げて助けを求めている。この重圧に打ち勝つ為に必要なものは唯一つ。
(完全なる勝利だけだ)
リディアの“戦士”としての責務を果たし、尚且つ妹と友人を救える手段が、この手の平の小さな袋に詰まっている。普段の冷静なクウトならば、これがどれだけ愚かな行いか理解できただろうが、今は魂を悪魔に売ってしまっている。
誰にも止められない。止めてほしくない。
自分の視界に映る妹が、目に涙を溜めて懇願している。それでも……。
「僕は行くよ。絶対に」
サラの姿がクウトの心に油を注し、決意の炎をさらに燃え上がらせて確固たる存在になる。
クウトはサラの横をすり抜け、走り去ろうとした。が、腕に絡みついてきた手が、それを阻止した。
「駄目。……あたし、お兄ちゃんが絶対勝つって、信じてるから…………。こんなマネはしないで」
掠れる声を振り絞って言い切るサラの手は暖かかった。温もりがあった。幼い頃から手を繋ぐたびに、この暖かな手の平がクウトの荒んだ心に水を与えて、潤してくれるようで、大好きだった。
(だから、こそ!)
クウトはサラの頭を優しく撫でて、目線を彼女に合わせた。潤んだ瞳は、まるで枯れる前の泉のように綺麗で透き通っている。
クウトは微笑を浮かべて彼女の頬に手を当てた。
「大丈夫。きっと、上手くいく。それで、儀式が終わってザギの体調も良くなったら、また三人で遊びに行こう。な?」
誰に言い聞かせているのかは分からない。自分の口が自分のものではないような感覚に陥る。
「いってきます」
これだけは自分の意思で言った。絶対にここに帰ってくるという意味で。
サラは手の甲で、目に溜まった涙を拭い、口端を上げて、作ったような笑顔を見せた。
「いって、らっしゃい。お兄ちゃん」
「うん!」
帰ってきた時は、満面の笑みを向けて欲しい。そう心で呟き、クウトは駆け出した。
これがサラと交わした最後の会話とも知らずに。