06 いざ学院へ
ここはオルサリィ女学院。
名前の通り男子禁制の女子校である。
貴族街の一角にあるこの学校に、マフラスに住むお金持ちたちが自分の娘を立派な淑女に教育するために通わせるのである。
「あぁ、クリスティーナお嬢様よ、今日も素敵だわ」
「気品あふれるお顔立ちよね。見つめられたら失神してしまうかも」
ティナとラックが校門をくぐると、通学中の女学生がティナを褒めたたえる声が聞こえる。
「あら、お嬢様の横にいる男の子は誰かしら。学校は男子は禁制のはずよ」
「でもでも、あの子ちょっとかわいいかも」
きゃいきゃいと、会話がそこかしこで行われている。
その中を優雅な所作で歩くティナ。
そしてティナの後ろに続くラック。
今日はティナも周りの女学生と同じ制服を着ている。
「てな、ここなに? おなじふくきたひとがいっぱい」
女学生たちが珍しいのか、きょろきょろと周囲を見回すラック。
前世では制服の女学生を見たことなかったのだろうか。
「ここは学校よ。たくさんの人が集まって、立派になるために勉強するのよ」
「べんきょう。すきじゃない……」
「今日はその首輪を外してもらいに来ただけよ。勉強はしないわ」
「よかった」
安堵した様子のラック。
――リンゴーン、リンゴーン
突然大きな鐘の音が鳴り響く。
「わわっ、なに!?」
突然の音に驚くラック。耳としっぽの毛が逆立っている。
「この音は予鈴よ。勉強の時間が近いことを教えてくれるのよ」
「よれい。びっくりした」
ほっと胸をなでおろすラック。
まだ落ち着かないのか、毛は逆立ったままだ。
「さあ、もうすぐ授業が始まるけど、首輪を外してもらいに職員室に乗り込むわよ」
何やら気合が入っているティナ。
「しょくいんしつ?」
「そうよ。学院の先生たちがいる部屋ね。リブというエルフ族の男の先生がいるんだけど、その先生がマジックアイテムについて詳しいの」
「くびわとってくれる?」
「ええ、一瞬よ。たぶん」
最後の単語は声が小さく、よく聞き取れなかった。
校舎内に入ると入口に下駄箱が見える。どうやら校舎内は土足厳禁のようだ。
「ほらラック。これに履き替えなさい」
あからさまに周りとは豪華さが異なるティナの下駄箱。
エヴァード家が学園の出資者なのを物語っている。
ティナの下駄箱には何足もの上履きが入っている。そもそも何足も必要なのだろうか。
どうやら中に恋文の類は入っていないようだ。
来客用の上履きをラックに履かせる。
「くつはすきじゃないよ。はだしがすき」
「子供じゃないんだから、普段からきちんと靴は履きなさい。いいわね」
前世では素足で闊歩していたラックも素足だと足の裏が痛いのに気づいたのか、 さすがに移動の際にはきちんと靴を履いている。
上履きに履き替えた二人の前に、分かれ道が立ちふさがる。
右に行くか、左に行くか、それとも2階への階段か。
さすがに校舎内で迷うわけはなく、迷わず左に進むティナ。
教室は2階のようだが、宣言どおり教室には行かず職員室に直行する。
廊下を歩く二人だが、ここでもやはり二人の姿は目立つのか、注目を集めていた。
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「失礼します。リブ先生はいらっしゃる?」
職員室の扉を開けて中に入る。
「あら、お嬢様。今日はリブ先生は腹痛でお休みですよ」
ティナの姿を見た入口近くの女教師がそう答える。
多くの生徒がいる中 、エヴァード家の令嬢ということでティナは極めて知名度が高い。大人である教師陣には尚のこと。
「なんてこと……腹痛だなんて。確か、前に用事の時も腹痛だった気がするわ」
ティナの中で胃腸の弱い教師のイメージが固まったようだ。
「せんせいいない?」
「そうよ。腹痛ですって。ラックも拾い食いとかしちゃだめよ」
しかし、前世では飼い猫だったラックも、今では立派な宿無し生活。
生きるためには食べる必要があり、腹痛を起こしている場合ではない。
ラックは常に野生と戦う腹の強さだ。
「くびわとってほしい」
「どうしようかしら。当てにしてた先生がいないんじゃ……」
考え込むティナ。
悲しそうな表情でその様子を見ているラック。
「あらエヴァードさん。もう授業がはじまるわよ。早く教室に行きなさい」
先ほどの教師とは別の教師だ。
授業の用意を手にして教室に向かうところだろう。
「教室……。そうだわ。教室に向かうわよラック」
ラックの手を引いて駆け出したティナ。
「エヴァードさん、廊下は走ってはいけませんよ。常に他人の手本となれ、ですよ」
教師がティナに呼び掛ける。
最後のは学院の教育理念らしい。
「そうでしたわ。エヴァード家の者として、はしたない振る舞いはいけませんわね」
流れるように早歩きに移行する。
その様子を見て、教師はうんうんと頷いた。
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「リーズ!!」
教室の中に入ると一直線にとある女生徒の前まで行く。
「ひぃ、びっくりした。なんですかお嬢様」
急に大声で呼ばれたため驚いたようだ。 机からずり落ちそうになる。
リーズと呼ばれた女子学生。
眼鏡をかけたこの女学生はハーフリングと呼ばれる種族のようだが、通常のハーフリングよりも背丈が高いようだ。人間との混血であろう。
ハーフリングは小柄な見た目と少し尖った耳が特徴の種族で、草原などに集落を作って住む手先が器用な種族である。
「あなた、マジックアイテム得意でしたよね」
「いや、言うほどではありませんよ」
「ご冗談を。裏魔法具士ランキングの国内10位以内なのは知っていますわよ」
通常の魔法具士ランキングは成人して魔法具士の資格を持っている者のランキングである。
だが裏魔法具士ランキングはそれとは違い、何らかの事情で資格を有していない者や成人前の優秀な魔法具士の卵たちをすべてひっくるめたランキングのことだ。
裏社会の人間たちが勝手にランク付けしているため、一般人は存在すら知らないものだ。
「どこでその情報を。お金持ちって怖いですね。でも、うちは貧乏ですが金持ちに屈するつもりはないですよ」
「学院ではわたくしとあなたは同じクラスメイトで、家が金持ちかどうかは関係なくてよ」
「簡単に言ってくれますね。まあ、学院では私は特待生ですけどね」
リーズは成績優秀なので授業料を免除してもらえる特待生なのだ。
「それで、クラスメイトのお嬢様が私に何かご用ですか。できれば面倒ごとには関わりたくないんですが」
「首輪を外してちょうだい」
「首輪? いやそれって面倒ごとですよね。お引き取りください」
取り付く島もない。
「おねがいー。とってほしい。こまってる」
ここでラックもお願いに加わる。
「こまってる、っていわれても、、、って!?」
リーズがようやくラックの存在に気付く。
「この子の首輪を外して欲しいのだけれど」
ずいっと、ラックを前に出す。
「……」
ラックを見て固まるリーズ。
「どうしたの。この首輪よ」
「そ、そそう、でした」
明らかに挙動不審である。
「こほん、でわ」
咳ばらいをし、気を取り直したのか、しっかりとラックの首輪を見る。
「これは服従の首輪ですか。かなりの魔力を持っていて難しそうですね。外せないことはなさそうですが」
ぺたぺたと首輪に触り手触りを確認するリーズ。
「おねがいー。だれもはずしてくれない」
「大丈夫ですよ、安心してください。この私、リーズが絶対に外してあげます」
ラックとリーズの身長は同じくらい。
不安そうな目線と力強い目線とが交わる。
「あら、外してくれるのね」
「え、ええ。このままじゃ、この方が可哀そうですからね。別にお嬢様に屈したわけじゃないですからね」
――ガラリ
扉を開け、先生が教室に入ってくる。
「はい皆さん、授業を始めますよ。着席してください」
がやがやしている室内に声を張る先生。
「リーズ、休み時間よ。これはお願いだけど、次の休み時間が終わるまでに外していただけるわね」
「えぇ、そんな、無理ですよ。外すとは言いましたけど、難しいって言いましたよね」
難しいと言ったそばからのティナの無茶振り。
「ほらラック、あなたからも頼みなさい」
「りーず、おねがい。はやくとってほしい」
「わかった、わかった、わかりましたよ」
「こらそこ、早く席につきなさい」
一向に席につかないティナ達に先生からの注意が入る。
「よろしくね、リーズ」
そう言って自席に向かうティナ。
「はぁ。授業中に解析するしかないか」
リーズは小さくため息を付いた。
「あら、男の子。だれの弟ですか。学院に連れて来てはいけませんよ」
教壇に立った先生がラックの姿を見つける。
「はい先生。私の家の者ですわ。今日は特例にして下さる?」
手を上げて発言するティナ。
「エヴァードさん、またあなたですか。いいですか、今回だけですよ」
大人の事情からか、先生が渋々了承する。
「そしたら座席は……」
さすがに立ったまま授業を受けさせるわけにもいかず。
「先生、ここ空いてます。ここに」
リーズが横の席を指す。
リーズもちゃんと手を上げてから発言している。
「そうね。ええと、あなたお名前は?」
「らっく。おなまえ」
「ラックさんね。ではそちらに座ってください」
流れから席に座らされるラック。
教室内の座席配置を確認しておくと。
まず正面に先生がいる教卓がある。
教室の右側が入口のある廊下側で、その逆の左側が窓側。
一番窓側の列の一番後ろが今ラックが座っている席。
その右隣がリーズ。ティナはというと、ラックの一つ前の席に座っている。
「それでは授業を始めます。今日は、やさしいニンフ言語の続きからです。前回も言いましたが、ニンフは川や山などを守る精霊です。われわれとは異なる言語を使用しますが、将来の旦那様のお客様として会うことがあるかもしれません。そんなとき失礼を働いては淑女失格です。しっかりと学びましょう」
そうこうして授業が始まったが、ラックは内容をさっぱり理解できない様子。
5分もたたないうちに頭がぐらんぐらんしている。
最初はリーズが首輪を触ったりして調査していたので眠気に耐えていたようだが、直接触る必要もなくなったのか、一人机で何かを始めたため、眠気に耐えきれなくなってきたようだ。
「……」
そして、おそらく無意識のうちに、机にうつ伏せになり睡眠に入っていった。
「こら、ラックさん」
先生からチョークが投擲される。
「ふぎゃっ」
頭部にチョークが命中する。
見事な投擲だ。スキルレベルも高いに違いない。
「あなたは特例で教室内にいるのですよ。しっかり学びなさい」
「うぅぅ、わかった」
チョークが当たった部分の頭を押さえながらしぶしぶ返事する。
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「ちんぷんかんぷん。もうげんかい。ほしがまわってるー」
ラックが限界を告げる。
「もうだめ。にげるー」
窓から外に脱走しようとする。
外には運動場が広がっている。だけど教室は2階だ。
「こらラック、ハウス」
ティナがラックに呼び掛ける。
強制力のある首輪の力だ。
「わわわ、体が」
後ろ向きに歩き出したが、足がもつれて転んだ。
「てな、べんきょうしないっていったのに」
床に倒れたままのラック。
「あれは嘘よ」
「ひどいー」
そのまま首輪の魔力で席につかされた。
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なんとか1時間目を乗り切ったラック。
目が虚ろだ。口も開いており魂がそこから抜け出そうだ。
そんなラックの様子を意に介さず、リーズとティナが首輪を外す作業を行っている。
「リーズどう?」
「これで外せます」
かちりと音を立てて首輪の結合部分が外れる。
「はずれたー。じゆうだ。やったー」
目に生気が戻り、飛び跳ねて喜びを表現するラック。
早速窓から出ていこうとする。
「ラック、どこに行くの?」
窓枠に手をかけ、さんに足を乗せたところに声をかけるティナ。
「え……、じゆう」
「それ、もう帰ってこないっていうことでしょう。いい? あんたはわたくしに恩があるのよ」
再度主従の関係を思い知らせるティナ。
「う、……」
ラックの自由に満ち溢れていた表情が一瞬で曇ってしまう。
「ま、まあ、ずっといろとは言わないけど、せめて今日だけは一緒にいなさいよね」
そのラックの様子からさすがに言い過ぎたと思ったのか、無茶な要求だと思ったのか、ティナは顔を背け、ラックから視線を外す。
「わかった。きょうだけ」
先ほどまでと違うティナの様子から何か感じ取ったのだろうか、ラックは素直に従うことにした。
「さあ、湿っぽいのは終わりよ。2時間目は体育よ。楽しく行きましょう」
パンパンと2回手をたたき、いつもの声のトーンに戻すティナ。
「だから、着替えるからラックは出てお行きなさい」
未だ窓枠に足をかけたままのラックの背を押すティナ。
「わわわ、おすなー、おちるー」
抵抗虚しく、ラックは窓から押し出された。
でも着地はしっかりできる。
だって猫だから。
『空中回転のレベルが4から5に上がりました。』