03 外典 華麗なる黒猫の生活
外典は本編のサイドストーリーとなります。
本編では語られなかった設定や、各キャラクター達のお話となります。
外典は時系列どおりには並んでいません。
本外典「華麗なる黒猫の生活」は、本編「01 黒猫、異世界転生する」よりも少し前から始まります。
ここはH県K市。ニホンと呼ばれる国の一つの街である。
南には海があり、北にはすぐ山がそびえている。
海と山に挟まれたわずかな場所。
その街のとある家に目を向けてみたい。
「ラックーごはんよー」
一人の女性が何かに呼び掛けている。
手には器を持っているようだ。器の中身は。。。
茶色の球状の物体。球状というには少し形はいびつか。
豆ではない。猫と呼ばれる生き物によく食べられているもののようだ。
「ラックー、ラックー」
女性は器を手に持ったまま、呼びかけ続ける。
おそらく猫と呼ばれる生き物に呼び掛けているのだろう。
――とっとっと
何者かの足音が聞こえる。軽い音だ。
女性の元に小さな生物が現れる。
4足歩行の生物だ。黒色の体毛をもっている。
目は切れ長、小さな口と鼻、それに触覚が生えている。ヒゲというらしい。
小さなというが、生まれたてという感じの小ささではない。
ちょうど女性が両腕で抱えて胸にすっぽりと収まるくらいの大きさだ。
女性が持っている器をねだっているのか、小さな生物が女性の足にじゃれついている。
「よしよしラック、さあごはんよ。お食べなさい」
女性が手に持っていた器を猫と呼ばれる生物の前に置く。
ラックと呼ばれていたか。この生物の個体名だろう。
今後はラックと呼称することにする。
――うなぁ
ラックが得体のしれない声を出す。
「どうしたのラック、食べないの?」
女性がしゃがみ込み、ラックをのぞき込む。
器の中に満たされた食べ物。
ラックは顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。
ひとしきり匂いを嗅いだと思ったら、踵を返して走り去った。
一口も口にせず、だ。
この生き物はなかなか跳躍力に優れるようだ。
一跳躍で自分の背丈の数倍の高さまで跳んでいる。
寝床用と思われる構造物が人間の背丈と同じくらいの高さにあるのだが、
そこに跳び乗ったと思ったら、そのまままた跳躍。
ドアから部屋への出入りを妨げる目的であろう置かれたバリケードの上を超えて床に着地した。
まるでこの国に太古に存在したニンジャとよばれる人間たちのようだ。
そしてラックはそのまま俊敏に部屋の外へと消えていった。
「ラックったら、気に入らなかったのかしら。いつものキャットフードが売り切れだったから奮発してちょっとお高いのにしてみたのに」
女性はラックが走り去った方向を見てそうつぶやいた。
・
・
・
さてさて、ラックの様子を追ってみることにしよう。
女性の元から走り去ったラックはというと、開いている窓の隙間から家の外に出たようだ。
窓の外はベランダ。建物の2階である。
開いている窓からベランダに向かう動作は手馴れているようだが、ここからどうするのだろう。
と思うそばから、ラックがベランダの手すりの上に飛び乗る。
手すりは隙間のあるタイプなので、ラックの体なら隙間から抜けれそうではあるが。
あと、表面はつるつるしてて滑りやすそうである。
手すりから落ちないように気を付けて。
心配しているうちに、手すりの端から木の枝に飛び乗った。
庭に植えてある大きな木だ。2階の屋根よりも木の天辺は高い。
みるみるうちにラックはその木の枝から、家の外に面している塀へと着地した。
なるほど手馴れている。いつもこのように家から脱出を図っていたというわけだ。
塀の上を悠々と歩くラック。
人の背丈よりも高いブロック塀だ。
人間なら軽々とは進めない高さをすいすい進んでいる。
どうやら猫とよばれる生き物は平衡感覚に優れているようだ。
少し進んだところで塀が途切れている。
途切れているというか、直角に曲がっては続いているのだが、まっすぐには進めない。
ここがラックの住んでいる家の境目。
この先は道を挟んで別の民家が続いている。
ひょいっと軽やかに塀から飛び降りるラック。
問題なく地面に着地するのだった。
そのまま地面を歩いていくラック。どこに向かっているのだろうか。
てくてく歩いているラック。
と、歩みが止まる。何かを見つけたようだ。
どうやら民家の門の前のようだ。
金属を格子状に組み合わせた白色の門。
外敵を阻むかのように、しっかりと閉っている。
とは言え、隙間からは中の様子が伺える。
その門に目を止めているラック。
ラックは不意にその隙間に片前足を差し込んだ。
通り抜けようとしているのだろうか。
でも少し隙間が狭いのではないだろうか。
案の定、前足の付け根までしか入らず、胴体は阻まれている。
それでもラックは前足を上下に動かしている。
もしかして通り抜けるつもりは無いのではないか。
ラックが引っかかっている門の先をよくよく見てみると、別の生き物が横たわっている。
この生き物は犬というやつだ。
栗色の毛のそれは体を丸めて地面に寝そべっている。
犬としては大型であり、猫であるラックと比べてかなり大きな体をしている。
どうやらラックはその犬が気になってしかたないようだ。
門の隙間に突っ込んだ前足で地面をがりがり引っかいたり、手招きしているように上下させたりしている。
届きそうで届かない。ラックはそう思っているのだろうか。
実際、門からそう遠くないところに犬は寝そべっていた。
ラックが門でガサガサしているうちに、どうやら犬がラックに気づいたようだ。
閉じていた目がゆっくりと開く。
が、ラックの姿を確認したかと思うと、また閉じてしまった。
危険は無いと判断したのだろうか、寝そべった姿のまま微動だにしない。
犬のその様子を知ってか知らずか、ラックは引き続きガサガサやっている。
おっと、今までガサガサしていた前足を抜いて、今度は反対側の前足を突っ込んだ。
逆の前足なら届くのだろうか。もちろん届きません。
――なーう
時たま鳴き声を混ぜるラック。
――がっさがっさ、なーう、がっさがっさ、なーう
これはさすがにご近所さんも気になるレベルの騒音。
――ウヮン
目を閉じていた犬が急に一声吠えた。
ラックはびくっと震えたかと思うと、あわてて門の前から走り去る。
速い。さすが4足歩行。
と、ラックが足を止めた。
先ほどの家から数メートル先の十字路手前。
その体勢のまま、首を後ろに向ける。
どうやら先ほどの家の方を見ているようだ。
そのまま固まったように動かない。危険が無いかしっかり確認しているのだろうか。
体はいつでも走って逃げられる体勢だ。
どうやら犬の追撃はないようだ。鳴き声もしない。
安眠を邪魔されて怒ったのだろうか。
ただただラックを追い払いたかっただけのようだが。
そんなこともつゆ知らず、急に吠えられて驚いたラックが逃げ去ったというわけだ。
しばらく同じ体勢のまま固まっていたラックだが、ようやく危険がないと判断したのか、後ろを向いていた首を戻し、ゆっくりと前に歩き出した。
気を取り直して散歩を続けるラック。
人間が飲み物を購入する四角い機械。
その横に飲み物の空き容器を捨てる箱がある。
ラックがその箱の上に跳び乗る。
そこからさらに跳び、またまた民家の塀の上に登ったのだった。
このルートはお気に入りの散歩コースなのだろうか。
すたすたと塀の上を歩くラック。
猫にとっては平たい地面も幅が細い塀の上も関係ない。
人間は通り抜けできないくらいの家と家の狭い隙間をラックは進んでいく。
いったいどこまで行くのだろうか。
家と家の狭い隙間を抜けると、視界が開けて道沿いに出る。
ん、ラックの歩みが止まったようだ。なにかあったのだろうか。
ラックの視線を追ってみると。。。
蝶だ。暖かい日差しの中を蝶がふわふわと漂っている。
その動きを追うようにラックの顔が上下に左右に動いている。
これはもしかして……。
跳んだ!!
塀の上から跳んだ!!
蝶の動きが一瞬ゆっくりになったところを見て、狙いすましたかのように、蝶に向けて跳躍したのだ。
ラックは2本の前足を伸ばし蝶を襲う。
だが、残念ながら蝶はひらりとラックの前足をかわしたのだった。
ん?
どうやら……
自分が塀の上にいて、そこから跳んだのを忘れていたのか。
ラックの跳躍先に塀は無く、落下した底の底に固い地面が待っている。
当のラックもそれに気が付いたようだ。
このままでは地面に激突してケガをしてしまう。
と、思った矢先に、ラックが空中でくるりと一回転し、何事もなかったかのように地面に着地した。
お見事。猫という生き物はあんな動きもできるのか。
と安心したのもつかの間。
――パパーッ
けたたましい音が鳴り響く
っと、ラック、そこは道の真ん中。
スピードが出て勢いのついた車がラックに迫っている。
ラック、逃げて逃げて。
しかし、ラックは音のした方向に顔を向けたまま微動だにしない。
車が発した音に驚いて、体が固まっているようだ。
――キキーッ
車が急ブレーキをかけた音だ。
そして同時に大きな衝突音がした。
車とラックがぶつかったのだ。
衝突の勢いで宙に舞うラックの体。
じきに重力に引かれて地面に落下するであろう。
が
瞬間、その体が光に包まれる。
そして、一際まぶしい閃光があたりに放たれた後、徐々に光が治まっていく。
完全に光が消えた後、どこにもラックの姿は見当たらなかった。
車を運転していた人間があわてて車から飛び出すが、何が起こったのか理解できていない様子だ。
音と光そして衝撃。
何かが起こったという痕跡を残して、消えてしまった。
ここはH県K市。ニホンと呼ばれる国の中にある一つの街である。