第8話「慰問なのじゃ!」
リスタ王国では特定の国教は定められていない。海洋国家なので海神を信仰している人々が比較的多いため、宗教が全く無いわけではないのだが、それ以上にリスタ王家への信望が厚く宗教が入り込む余地があまりないのが現状である。
そんな情勢ではあるがこの国にも、いくつかの神殿や修道院が存在しており、それぞれ診療所や学習塾、孤児院が併設されている。その運営資金の九割は貯蓄資金から賄われている。
リスタ王国 王都 修道院 ──
火事から数日後、リリベットと女王付きメイドのマリー、そして護衛にレイニーという女性衛兵、その三人が修道院に来ていた。この修道院は海神信仰の修道士が運営しており、隣には孤児院が併設されている。
火事の現場から一番近かったため、怪我人と家を失った人々がこの修道院へ身を寄せることになったのだ。本日の訪問は、その火事で被災した人々への慰問のためである。
修道院には王家から事前に連絡を入れてあった為、修道院に着くと比較的若い修道士が笑顔を浮かべて待っていた。
「陛下、ようこそおいでくださいました」
「此度の受け入れご苦労なのじゃ」
「勿体無きお言葉……」
一連の挨拶が終ると、リリベットたちは修道士に連れられて修道院の玄関から中に入る。そこでは併設されている孤児院に預けられている子供たちが掃除をしていた。子供たちはリリベットの存在に気が付くと、掃除用具を放り捨てて駆け寄ってくる。
「あっ陛下ちゃんだ~!」
「なになに、どうして来たの~?」
子供たちがリリベットの周辺に集まり、汚れた手でベタベタと触ってくる。そんな様子に修道士は顔面蒼白で固まってしまっていた。慌てて衛兵のレイニーが、リリベットと子供たちの間に入り
「こら、あんたたち! 陛下に失礼でしょ!」
と叱り付けるが子供たちはレイニーの顔を見ると、さらに騒ぎ出してしまった。
「レイニーだ!」
「レイニーお姉ちゃん、お帰り~」
レイニーは十六歳の女の子で、ゴルドがいる詰所の中では一番若い衛兵だ。この孤児院の出身でもあり、この子供たちにとっては一緒に育った姉のような存在なのである。
今でも休日には、子供たちの世話をしにたびたび孤児院を訪れているらしく、今回護衛役を任されたのは、そういった経緯からだった。
「よいのじゃ、レイニー」
「はっ」
リリベットの言葉に、レイニーは畏まって一歩下がる。そして、リリベットは子供たちに向かって
「すまぬが……今日は被災者の慰問に来たのじゃ」
と告げるが、すこし寂しそうな顔をしている。いくらしっかりしていると言っても、リリベットは八歳だ。本来であれば同じ年頃の子供たちと遊んでいる年齢である。リリベットの様子に気が付いたのか、マリーがそっとリリベットの背中に手を当てる。
「陛下……」
「マリー……うむ、行くのじゃ」
その間に修道士は、子供たちに掃除に戻るように言いつけていた。修道院側からすれば、王家は運営資金のほとんどを出してくれている大切なスポンサーでもあるため、粗相がないように必死なのである。
◇◇◆◇◇
修道院 中庭 ──
中庭に入ったリリベットたちの目にまず飛び込んできたのは、中庭に所狭しと張られたテントだった。サイズは大小さまざまで、衛兵隊が備蓄している野戦用装備のようだった。リリベットは、案内役の修道士に尋ねる。
「全て建物内に泊めることは無理じゃったのか?」
その質問に、修道士はすまなそうな顔で頭を下げる。
「はい、焼き出された家族が多くいましたので、怪我人や病人、身体が弱い方に建物内の部屋を優先的に割り当てさせていただきました」
「ふむ……そうか、わかったのじゃ」
それを聞いたリリベットは隣に控えていたマリーに指示を出して、他の修道院へ協力させる旨を記録させる。そんなやり取りをしていると、リリベットの存在に気が付いた被災者たちが現れ始めた。
「あぁ、陛下ちゃんだ! 陛下ちゃんが来てくれたぞ」
リリベットの周りに集まりはじめた民衆に、咄嗟に前に出ようとするレイニーだったが、リリベットは右手を上げ控えるように伝える。
「皆の者、もうしばらく苦労をかけると思うが、頑張って欲しいのじゃ」
と激励の言葉を伝えると、人々は口々に不安を伝えてくる。それに対して、リリベットは一つ一つ的確な対策案を伝え安心させていく。幼く子供の姿をしていても彼女は民を案じる王なのだ。
その時の様子は後に「かつてのロードス王」の様だったと噂されることになる。一通り国民を安心させたリリベットは彼らと別れ、怪我人が寝ている部屋に向かうことにしたのだった。
◇◇◆◇◇
修道院 仮設病室 ──
軽い火傷や転倒時の怪我などの軽症者は、すでにこの部屋におらず重症者の三名だけがベットに寝ていた。重症者はヤケドが二名と煙を吸い込んだ影響で未だに起き上がれない少女だった。
リリベットが部屋に入ると、まず見慣れた金髪の青年が少女の横に座っているのが目に入った。少し驚いた表情を浮かべたリリベットが、マリーを見ながら尋ねる。
「なぜラッツがおるのじゃ?」
「さて、今日は非番だと聞いておりましたが」
マリーは首を傾げながら答えた。彼女が護衛を依頼した時には、確かに「非番」だと言われたのだ。そんな話をしていると、ラッツがリリベットたちに気が付いたようで手を振りながら
「陛下にマリーさん! ……それにレイニー先輩じゃないですか!」
呼ばれたリリベットたちがラッツに近付くと、レイニーがまず口を開いた。
「あたしのことを先輩と呼ばないでってばっ! ラッツ君のが年上なんだし!」
「いやいや、レイニー先輩のが衛兵は長いからね」
レイニーは渋い顔をしながら、それ以上の口論は無駄だと思ったのか一歩下がる。リリベットはラッツの顔を見ながら首を傾げる。
「それで……ラッツ、どうしてここにおるのじゃ?」
「えっ? あぁ、お見舞いですよ。火事の時、この子を助けたので、その後が容態が心配だったので」
マリーは少女を見ながら、リリベットに耳打ちするように伝える。
「報告書でみましたが、何でも燃えさかる家屋に突入して救出したらしいですよ」
「ほほぅ……ラッツもなかなかやるのじゃ」
「いや~それほどでも……」
リリベットに褒められたラッツは、髪を掻きながら照れていた。
「謙遜をしなくても、なかなか出来る事ではないと思いますよ。勇敢なのですね」
と言いながら、マリーがラッツに向けた眼差しには、例の『変態疑惑』の軽蔑の色が無くなっていた。それを感じたのか、ラッツは嬉しそうに笑顔を浮かべている。
騒がしかったのか少女は目を覚まし、周りに多くの人がいることに驚いた様子でキョロキョロと周りを見ていた。
「えっ……えっ? あっ、陛下ちゃんだ」
自分の周りにいる人物の中に、リリベットを見つけるとそう呟いた。リリベットは少女に向かって問いかける。
「起こしてしまったようじゃな。少女よ、調子はどうなのじゃ?」
その問いかけに、少女は少し暗い顔になり脚を擦る。
「うん、脚にまだ力が入らなくて起きれないんだ……」
「修道士さんの話では、治癒の魔法で少しずつ元に戻るらしいです」
とラッツが補足すると少女の頭を撫でてあげた。嬉しそうに笑う少女に、リリベットは安心したのか少し笑顔になる。
「そうか、しばし大変じゃろうが頑張るのじゃ」
「うんっ頑張って直して大人になったら、お兄ちゃんが結婚してくれるって約束してくれたんだ~!」
元気いっぱいに答えた少女の言葉に驚くラッツ。マリーの眉が少し上がると、リリベットを少し下がらせた。
「陛下お下がりください。陛下のお歳なら大丈夫かと思っていたのですが……」
「いやいや、マリーさん、誤解ですってっ!」
ラッツは必死に首を振っている誤解だとアピールしているが、リリベットが真剣な顔で
「ふむ……わたしも気をつけるとしよう。では、そろそろ帰るのじゃ、愛する二人の邪魔をしてはいかんのじゃ」
と告げると固まってしまったラッツ。
そして、リリベットとマリー、若干暗い顔をしたレイニーの三人はそそくさと席を立ち、少女に挨拶すると病室を後にするのだった。
病室を出た通路で、リリベットは茶目っ気のある笑顔でマリーの方を向いて尋ねる。
「まさか本気にしたわけじゃあるまいな、マリー?」
「もちろんです。よくある子供の可愛い約束でしょう」
と穏やかに微笑むマリーだった。
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『リスタ王国の宗教』
リスタ王国では国教を定めてはおらず、信仰の自由を保障している。
海洋国家という事もあり、特に海に面している北部では、海神信仰している人が多く、航行の安全や大漁を祈願する神殿もいくつか存在している。その近くには、修道院があり診療所や学習塾、孤児院などが併設されているものもある。
またガルド山脈が連なる南部では、猟師たちを中心に山神信仰が盛んである。国民間で二つの信仰がぶつかることがあまりないのは、国民にとっては神などという不確かな存在より、リスタ王家という信じるべき対象がいるためであると言われている。