第7話「火事なのじゃ!」
リスタ王国 王城 女王寝室 ──
深夜、天蓋付のベットの中でぬいぐるみに囲まれた少女、この部屋の主であるリリベットがスヤスヤと寝息をたてて眠っている。その安らかな眠りを邪魔するように、微かなざわめきが聞こえてきていた。
「……むにゃ?」
ベットから身を起こしてキョロキョロと辺りを見渡すと、バルコニー側のガラス製のドアから見える空が、微かにオレンジ色に染まっていることに気が付くと、リリベットはベットから這うように抜け出した。フラフラと左右に揺れながらバルコニーに出た。丘の上に建てられた王城のバルコニーからは、眼下の街が見渡せる立地になっている。
冷たい夜風と共に届く、先ほどよりはっきりとしたざわめきを捉えると、バルコニーの柵に手を付け城下を見渡す。見下ろした街の一点がオレンジ色に染まっていることに気が付いた。
「火事……?」
火事現場と思われる一点から王城は遠く、取り急ぎ危険が無いことを確認すると、リリベットはそのまま寝室に戻っていく。バルコニーから寝室へ入ると丁度ドアがノックされる音が聞こえてきた。
「……なんじゃ?」
「フィンでございます」
「むにゃ……宰相か……入るがよいのじゃ」
と告げてから、ベットの端にちょこんっと座って眠い目を擦る。その後、女王付メイドのマリーに案内されて宰相フィンが寝室に入ってきた。宰相は胸に手を当てて一礼する。
「陛下、おやすみのところ申し訳ありません」
「よい……起きておったのじゃ」
眠そうに左右に揺れているリリベットの姿をみて、マリーは慌てて自分が羽織っていたケープをリリベットに羽織らせる。
「陛下、いけません! 宰相閣下とはいえ、そのような格好で!」
「むにゃ?」
リリベットは薄手のネグリジェを身に付けており、色々と透けてしまっている。寝起きで寝ぼけていたため、そのまま宰相と応対してしまっていた。普段ならローブの一つも羽織るところではあるが、子供には起きているのが難しい時間帯だ。
「ご安心を、マリー殿。私が陛下にその様な感情を抱くことはない」
「そうじゃぞ。宰相はロリコンじゃから、わたしを大切にしてくれるのじゃ……むにゃ」
リリベットの爆弾発言に、マリーは驚いた顔で宰相を見るが宰相は表情を崩さず一つ咳払いをする。
「ごほんっ、陛下がどこでその様な言葉を覚えてきたのかは、後で問い詰めるとして……今は火事の話です」
リリベットが首を傾けると、そのままカクッと崩れそうになる。しかし、何とか持ち直すと真剣な面持ちの宰相に向かって尋ねた。
「ただの火事ならば、街の者が消火するはずじゃが……ひょっとして敵襲か?」
宰相は、オレンジに染まった空を見ながら首を振る。
「いえ、今の所そのような報告はございません。おそらくただの失火かと思います。しかし、事後の処理がございますので、その許可を頂きたく……」
「よい……お主、いやヘルミナに任せるのじゃ……むにゃ」
ベットへ倒れ込みながらそう告げると、ついにスヤスヤと寝息をたてはじめてしまった。
「プリスト卿ですね、承りました。では、マリー殿あとは頼みます」
そう言い残すと、宰相は眠ってしまったリリベットをマリーに託して、部屋から出て行ってしまった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 火事現場 ──
その頃、火事現場では周辺住民による懸命な消火活動が続けられていた。この国の消火活動は、近くにある井戸からのバケツリレーが基本であり、火災が発生すると周辺の住民が率先して集まり消火活動に参加する。
衛兵隊長であるゴルドは、衛兵隊を指揮し混乱した住民の誘導を行っていた。
「慌てるな! 住民の避難が優先だ! 近くの詰所の広場に誘導しろ!」
「はっ!」
そんなゴルドの元に中年女性が走り寄って、燃え盛る家屋を指差しながら訴える。
「助けて、助けておくれよ! メアリーが……娘がまだ二階に取り残されているんだよっ!」
「な……なんだと!?」
ゴルドは指差された家屋を見るが、すでに一階には火の手が回っており玄関からの進入は不可能に思えた。しかし、周りを見渡しても梯子になるようなものもない。無理に侵入を決行すれば、二次災害も予想される状態だった。衛兵の命を預かる立場であるゴルドは、歯軋りをしながら母親に向かって非情な言葉を告げる。
「すまない、もうすでに……」
その言葉に泣き崩れる女性、絶望的な空気が流れる中……一つの希望が声をあげた。
「隊長、俺が行きます! 踏み台お願いします!」
金髪の衛兵ラッツは決意の表情を浮かべながら、そう言うと肩にロープを掛け。バケツリレーをしている民衆から桶を奪い取ると、自身に浴びせ掛けた。そして、そのまま燃え盛る家屋の壁に向かって走り出す。
その意思を感じ取ったのか、ゴルドは窓の下の壁際に背を付けると腰を落とし膝を立て、腕をクロスして頭の上に乗せた。これは数日前にゴルドがラッツに教えた、兵士が障害物を飛び越える方法の応用で、通常なら踏み台役は二人で盾を使う。それでも常人なら届かない高さだが、ゴルドはラッツを信じるかのように叫ぶ!
「こいやっ!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
それに応えるかのように気合の咆哮をあげたラッツは、ゴルドの膝、頭上でクロスした腕と駆け上がり、思いっきり飛び上がると窓の上部枠を掴むと、そのまま木製の雨戸ごと蹴破って室内に侵入した。その結果、ガラスや木片などがゴルドに降り注ぐことになったが、意にも介さずラッツが進入した二階の窓を見上げる。
室内は徐々に煙が立ち込め始めていたが、幸いすぐに倒れている少女を発見できた。ラッツは姿勢を低くしながら少女に駆け寄ると、首に手を当て安心したように微笑む。しかし、さらに勢いを増してきた黒煙がタイムリミットが近いことを示していた。
持っていたロープを近くにあったドアノブにかけると、少女を片手で担ぎ進入して来た窓に足をかけると一気に飛び出した。タンッタンッっと懸垂降下のように二度ほど壁を蹴ったところで、飛び出した窓から炎が噴き出し反動で尻持ちをつきながら着地するラッツに、先ほどの母親が駆け寄り娘を抱き上げる。
「メアリー! メアリー!」
「ごほっ……娘さんを早く医療班へ」
「あ……ありがとうございます! ありがとうございます!」
何度もお礼を言いながら去っていく母娘を見送りながら、安心したように微笑むラッツの頭上にゴルドの拳骨が炸裂した。
ゴンッ!
「いきなり無茶するんじゃねぇ! ……だが、よくやった」
殴られた頭を擦りながら、ゴルドの方を見上げたラッツはやり遂げた顔で
「はいっ!」
と返事をするのだった。
一方、海洋ギルド、木工ギルドともに消火活動を行っていた ──
海洋ギルド『グレートスカル』のレベッカは、ギルドの倉庫を開け船舶用の消火剤を開放しながら、威勢のいい声で指示を出していく。
「おらぁ、テメーら、どんどん持ってきなっ! 山猿なんかに負けんじゃないよ、自分の船が燃えてると思えば気合も入るだろっ!」
「はいっ、姐さん!」
そして、もたもたする新人の船乗りに向かって檄を飛ばす。
「なんだい、そのヘッピリ腰は? 尻を蹴りあげるよっ!」
「姐さん、それじゃご褒美になっちまわぁ、がっははははは!」
と豪快に笑いながら、ベテラン船乗りたちが新人をしっかりサポートしていく。
対する木工ギルド『樹精霊の抱擁』の会長ヴァクスは、火事現場付近で斧を振り回しながら、すでに燃えている建物の隣の建物を指しながら指示を出していた。
「壊せー! 風下のあの建物だ!」
その号令に木こり達は一斉に壁を破壊していき、一棟をあっという間に崩してしまう。傍目からみれば完全に蛮族の焼き討ちにしか見えないが、これは破壊消火という立派な消火活動で、燃え広がる前に周辺や風下の建物を崩してしまうことで延焼を防いでいるのだ。
「次はあの建物だ! どうせ後で俺らが建て直すんだ、遠慮する事はねぇ! 水ぶっかけるだけしか能がねぇ、半魚人どもにゃ負けてられねぇぞ!」
「おー!」
こうして、それぞれのギルドや周辺住民たちの協力により、翌朝までには火事は完全に鎮火したのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 財務大臣執務室 ──
翌朝、財務大臣ヘルミナ・プリストは、リリベットの命を受け、火事の後処理を行っていた。昨夜から続々と届く被害報告書を睨みながらペンを走らせている。
「死者一名、重症者三名、軽症者も三名……全焼三棟、半焼四棟……消火活動中の破壊で四棟……あとは被災者への生活費、仮設住宅の設営、両ギルドへの備蓄の補償……」
今回の火事では人的被害は比較的少なかったが、建物の被害が甚大だった。その被害額の概算を一つ一つ算出していく。
「あっ、そうだ。まずは焼き出された人たちに何か温かい物でも……」
「炊き出しに関しては、すでに海洋ギルドが磯汁、木工ギルドが猪鍋を振舞っているそうです」
「あら、気が利きますね」
秘書官の報告に安心したヘルミナだったが、実はこの炊き出しも両ギルドの『どちらが美味いか』という争いから始まっている。しかし、そんな事情は知らないヘルミナは、その分もギルドの補償額へ追加していく。算出した被害額のメモと、予算書と見比べながらため息をつきながら
「はぁ、今年の予算も厳しそうだなぁ……」
と呟くのだ。リスタ王国では、民衆の生活を慮って税率が低く、少ない予算でやりくりをしなくてはいけないのが現状だ。
そんな事を考えていると、秘書官に通されてリリベットとマリーが執務室に入ってきた。リリベットの存在に気が付いたヘルミナは慌てて席を立つ。
「陛下、出迎えもせずに……」
「よいのじゃ、それより被害状況はどうなっている?」
「はい、現状ではこちらに……」
ヘルミナは、被害額をまとめたメモをリリベットに手渡す。それを難しい顔で目を通すリリベット。
「被害者が出てしまったのじゃな、それに建物の被害が大きいようじゃ……十分な補償は出せそうなのか?」
「……出来る限り、努力は致します」
と言うヘルミナの言葉に、いつも厳しい予算で頑張ってもらっている事がわかっているリリベットは、すまなそうな顔をすると
「やはり厳しそうなのじゃ。……わかった、今回の不足分は貯蓄資金から賄うのじゃ。よろしく頼むぞ」
と言い残すとマリーを連れて部屋から出て行った。残されたヘルミナは、希望の光でも見えたかのような顔で小さくガッツポーズをする。
「よかった、これでなんとかなりそうね」
嬉しそうにそう呟いて、そのまま机に向かって火事の処理を進めるのだった。
◆◆◆◆◆
『貯蓄資金』
リスタ王国には税収が財源の国家予算と、身一つで逃げてくる人などが多い再出発を支援するための貯蓄資金の二つの予算がある。この貯蓄資金の財源は、文字通り再度罪を犯し『死罪』か『国外追放』になった者の私財であり、こちらの貯蓄量はかなりのものと噂されている。
この二つの予算はお互いに不干渉が基本で、別の目的で予算をやり繰りする際には国王の裁可が必要になる。