第56話「氷龍なのじゃ!」
リスタ王国 東の城砦前 戦場跡地 ──
仮初の軍隊が両軍ともに歩を進め、ある程度距離を詰めるとリリベットと宰相を乗せた戦車は後ろに下がり、代わりにボトス団長を中心としたリスタの騎士が前に出た。
四十年前の戦ではロードス王が先陣を切ったという説もあるが、実際は騎士たちが先陣を務めたのだ。しかし両軍は激突することはなく、突然勝敗が決まる出来事が起こったのである。宰相はフードを取ると立ち上がり、右手を前に突き出しながら高らかとその名を呼ぶ。
「ブラード!」
その声に反応して、宰相の後方上空に突如巨大な氷塊が現れた。ビキビキと音をたてながら真っ二つに割れた氷塊の奥は、ここではないどこかの空間に繋がっているようだった。
その異様な雰囲気にすでに侯爵軍役の部隊は歩みを止めて、怯えた様子でその空間の奥をじっと見つめている。そして恐ろしい咆哮と共に、亀裂のように見えていた空間を押し開けて、冷気を纏った巨大な龍が姿を現したのだった。
氷龍ブラード ── 宰相フィンの契約精霊で、巨大な水色のドラゴンの姿をしている。グレート・スカル号や宝物殿のラーズと同じく、名実ともにリスタ王国最大戦力の一つである。
その巨躯は巨大な戦艦程の大きさを誇り、氷のブレスは一度に千騎の敵兵を飲み込むほど強力であり、見るもの全てに恐怖に感じさせる恐ろしい容姿をしていた。他の精霊種とは違い普段は別世界で暮らしており、宰相の呼びかけによって召喚されるの存在だった。
遠くにいる観客は初めて見る氷龍に大歓声を上げたが、劇に参加している民衆や一部の衛兵は泣き叫びながら即座に逃げ出した。これは生物として当然の反応である。眼前の氷龍はそれほどの威圧感を感じさせる存在なのだった。
「グガァァァァァァ!」
氷龍ブラードの咆哮と共に、白い息を吹き付けると両軍の間には巨大な氷柱が発生した。四十年前の戦では敵兵六百を飲み込んでいるのだが、さすがに歴史再現でそこまではできない。
侯爵軍側で参加していたゴルドが必死に声を張り上げて隊列を維持し、混乱している国民を誘導しながら撤退を開始した。そこに史実の通りリスタの騎士が追撃を加えるのだった。こうしてレグニ侯爵の軍は瓦解し、歴史に残る大敗が再現された。
半壊して離脱していく侯爵軍役の奥から、千程度の騎兵隊がこちらに向かってくるのが見えた。先頭にいたボトス団長は怪訝そうな顔で止まると、従士から望遠鏡を受け取ってそちらを覗き込み驚きの声を上げた。
「あの旗は……レグニ侯爵の領主軍だ!」
◇◇◆◇◇
クルト帝国 レグニ領 監視砦~リスタ方面 ──
遠くに現れた氷龍にエヴァンは怯える部下を叱咤しつつ、動ける者だけをまとめてすぐに監視砦を出発した。エヴァンは馬上で隣を走っている副将に向かって
「どれぐらい付いて来れている?」
と尋ねる。副将は青い顔をしながら後ろを振り向くと、後続の状況を確認して報告する。
「……千騎程度です」
あの恐慌状態から千騎余りを立て直したのだから、エヴァンは優秀な指揮官だと言える。しかしブラードが咆哮を上げる度に続々と脱落し、近付くだけで戦意を消失していく状態だった。徐々に近付いてくる氷龍の姿を見ながら呟く。
「正真正銘の化け物だな……」
それでも状況を確認しない訳にはいかず、ひたすら国境に向かって馬を走らせるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 レグニ方面 国境線 ──
レグニ侯爵の軍の来襲を知ったリリベットは、ゴルドと衛兵隊に命じて劇に参加していた民衆を何とか下がらせると、宰相フィン、近衛隊長ミリヤム、シグル・ミュラーと共に国境線まで移動を開始した。
対面に現れた二十騎ばかりの一団の中から、二騎がリリベットの方へ向かってきていた。リスタ王国とクルト帝国レグニ領との間には馬なら苦も無く進める小川が流れており、両陣営はその両岸にて対峙する。リリベットは一度深呼吸をしてから向かってきた者たちに向かって
「わたしは女王リリベット・リスタなのじゃ。お主はレグニの将軍じゃな?」
と名乗りを上げる。氷龍ブラードはすでに消えていたが、リリベットの横にいる宰相を警戒してエヴァンは馬に乗ったまま答える。
「俺はレグニ侯爵が一子、エヴァン・フォン・レグニ。リスタ女王、戦場にて馬上から失礼する」
国主であるリリベットと大国であっても一領主の息子であるエヴァンでは、外交上はリリベットの方が格上であり、馬上で挨拶を受けるのは礼に失する行為である。それでも謝罪の意を示すだけ、外交上の礼儀を保っていると言えた。
「戦場とは異なことを言うのじゃ。我が国は祭りの最中であり、お主たちの行動によって妨害されておる。何ゆえ邪魔をするのじゃ?」
「祭りだと!? ふざけるなっ! 国境線で軍事行動など挑発であろうがっ!」
そう叫ぶエヴァンだったが、恫喝されて怯むようなリリベットではなかった。そして両者の前に静かに出てきたのはシグル・ミュラーである。
「人は自分を通して相手を見ると言いますが、まさにその通りですね」
「なんだとっ!?」
「貴方たちが公国に対してそうしたから、我が国もとお思いのようですが……これをご覧ください」
と言いながら、シグルは筒状の物を相手側に投げ込む。警戒しながら副将が拾い上げ、封を開けると中身をエヴァンに差し出した。彼が差し出された紙を開くと、眉を顰めてその紙を握り潰してシグルを睨み付ける。
「……演劇だと?」
シグルがエヴァンに見せた紙は、リスタ国中に撒かれた今回の演劇告知のビラである。演目内容や今回の見所、すなわち現在行われている歴史再現についても書かれている。睨んでいるエヴァンにシグルはニコリと微笑みながら
「そうだ、貴方たちも参加なされてはいかがです? せっかくの再現ですからね」
と尋ねる。エヴァンは歯軋りすると、持っていた紙を投げ捨てて手綱を引いて馬を反転させる。そして部下たちの前に戻る前に、一度振り返ってシグルを睨む。
「おい、お前……名は何と言う?」
「シグル。……シグル・ミュラーです」
「覚えておく、次はないぞっ!」
エヴァンはそうと言い残し、副将と共にそのまま去っていくのだった。
その二人を見送ってから、シグルは軽く息を吐くと笑いながら
「いやぁ~怖いですねぇ、あははは」
と照れた表情を見せる。リリベットはそんなシグルにニコリと笑った。
「どうやら、お主の作戦は成功したようじゃ。さぁ皆が待っているのじゃ!」
リリベットがそう告げると戦車は動き出し、国民が待つ戦場跡地へ戻っていくのだった
◇◇◆◇◇
クルト帝国 レグニ領 リスタ方面国境付近 ──
国境線でリリベットとの対談を終えたエヴァンは、後ろに控えていた部下たちと合流したあと、ゆっくりと監視砦に向かった。その道中で副将がエヴァンに尋ねる。
「いったい、どういうことだったのでしょう?」
「簡単に言えば、騙されたということだ……」
エヴァンは副将に自分の考えを語っていく。
「同盟に請われたリスタ王国は我々を引き付ける策として、祭りと称して国民を国境線に集めたんだ。それを監視砦の兵が大量の兵と見間違えたんだろう。もっとも何らかの偽装をしていたのだろうが……」
「それでは一万の大軍の正体は、ただの民衆ですか?」
驚きながらそう尋ねてきた副将に、エヴァンは頷きながら話の続きを進める。
「まんまと騙された我々は、同盟側から兵を動かしリスタ方面に急行した。そして我々に氷龍を見せることで戦意を消失させる。これにも成功しているな……」
エヴァンが周りを見回すと元々いた三千は三分の一以下まで減っており、付き従った騎士たちも氷龍と戦わずに済んで安堵の表情をしている。そこまで聞いて副将は憤りを覚えたのか
「くそっ、リスタの奴らめ! エヴァン様、国境周辺に軍を展開したのは事実です。これを口実に!」
と苛立った様子で叫んだ。その様子にエヴァンは目を瞑り首を振る。
「その為の演劇ということにしているのだ。何度も出来るものではないし、他の場所では出来ないが……これを外交問題として取り上げるのは難しいだろう」
「くそっ、あんな不可侵条約がなければ、これでも十分な理由になるはずが……」
口惜しそうに顔を顰める副将にエヴァンは首を振る。不可侵条約とは俗にいう『皇帝の密談』のことである。
「いや、おそらく不可侵条約が無くても攻めれないだろう。お前は、あの国の何が一番怖いと思う?」
「やはり氷の守護者の存在でしょうか? 私も氷龍の姿を見てやはり肝を冷やしました……」
副将はグレート・スカル号の存在や、元海賊からなる大陸有数の海軍力の存在などが上げれらていくが、どれも正解であり不正解であった。
「確かに氷龍などは怖いが、被害を考えなければおそらく一万も兵があれば押し切れる。あの国で一番怖いのは国民だ。建国から四十年、善悪問わず集められた人材の宝庫であり、命令でもないのに国民の三分の一が動く国民性、どう考えても異常だろう」
騙されたと悟り落ち着きを取り戻したエヴァンはやはり優秀な指揮官であり、父譲りの軍人然とした考え方をする人物だった。そんな彼が何かを思い出すように空を見上げると
「全ての絵を描いたのは、おそらく……あの男だな」
と呟くと先程の対談の場にいた、眼鏡をかけた優男風の人物を思い浮かべるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 東の城砦前 戦場跡地 ──
エヴァンとの対談が終わったあと、リリベットは心配している国民の下へ戻ってきていた。
「陛下ちゃーん!」
「凄いぞ、レグニの野郎どもを追い出したっ! ロードス王の再来だぁ!」
などと叫びながら、戻ってきたリリベットたちを大歓声が迎える。リリベットもややぎこちない笑顔を浮かべながら戦車の上から手を振って応えている。
国民たちの中心まで来ると、リリベットは腰の短剣を引き抜き天高く掲げる。
「国民たちよ、我々の勝利なのじゃ~!」
そう勝利宣言をすると国民たちの盛り上がりは最高潮に達し、口々にリリベットとリスタ王国の勝利の言葉を口にしていた。そのまま祝勝会と称した大宴会が始まり、閉会宣言の後も終わることはなかった。
こうしてリリベットの戦わない初陣は幕を閉じたのだった。
余談ではあるが……この戦いを、後に劇団『運命の紬糸』が演じ、題名を『幼女王の初陣』とした。その演劇はリスタ王国のみならず、七国同盟でも大好評となったと言う。
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『幼女王の初陣』
ほぼ史実が元になっている『幼女王の帰還』とは違い、こちらは創作がメインとなっている。
友好国である同盟が援軍を求め幼女王が快諾、多くの国民の協力のもと帝国兵をおびき寄せた幼女王が怒り狂う帝国から国民を逃がしたあと、敵軍に自ら飛び込みこれを撃破すると言った内容である。
しかし、いつかこの創作が『幼女王の初陣』として、歴史書に残るのかもしれない。




