第17話「巨船なのじゃ!」
リスタ王国 王城 財務大臣執務室 ──
リスタ祭から一週間が経過した朝、祭の熱気も収まり街は平静を取り戻しつつあったが、この部屋の主である財務大臣 ヘルミナ・プリストは、とある案件で頭を抱えていた。
「……やっぱり物資が不足してきているわ」
リスタ祭で使われた物やお金は大いに経済を潤わせたが、終わった直後のこの時期は毎年物資不足に陥るのだ。ヘルミナも当然対策は取ており、お祭の前後は陸路・海路ともにフル稼働で物資を輸送している。それでも圧倒的に不足しているものがアルコール類、所謂『酒』である。
「あの酔っ払いども、どれだけ飲めば気がすむのよ……」
前年の消費量を見越して、今年はリスタ祭直前に大量輸入したにも関わらずこの状況であり、ヘルミナでなくとも愚痴の一つも言いたくなるところだ。ヘルミナは輸入リストに目を通しながら呟く。
「そろそろのはずなんだけど……まだ着かないのかしら?」
その後しばらく書類仕事を進めていると、軽くドアをノックする音が聞こえた。ヘルミナはドアを一瞥すると
「どうぞ」
手は止めず簡潔に返事をする。ゆっくりとドアが開き予想通り秘書官が入ってきた。長く一緒に仕事をしていると、ノックの音一つでわかるようになるから不思議である。秘書官はヘルミナの前に立つと右手を左胸に当てて一礼して書類を差し出してくる。
「閣下、先ほど海洋ギルドより連絡が参りました」
ヘルミナは目を輝かせながら、勢い良く席を立ちあがる。
「来たのね!?」
「はい、グレート・スカル号です」
秘書官も意図を察したのか簡潔に答え、書類を引っ込めるとコート掛けからヘルミナの帽子を取って彼女に差し出す。その帽子を受け取り帽子を被るとヘルミナはマントを翻しながら
「すぐに港へ向かいますっ!」
と告げるのであった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 地下専用港 ──
ここはリスタ王国の最北端にある王城の地下で、王城が建っている丘の岩盤をくり抜くように造られた港である。普段は巨大水門で閉じられており、本来の用途は王家の脱出用ではあるが、通常はグレート・スカル号という船が港として使用している。
理由としては簡単で、大海賊団グレートスカルの旗艦グレート・スカル号は巨大な魔導帆船で、百門を超える砲台を備え、風力以外の動力を有する文字通り怪物船である。通常の海賊船で六門、クルト帝国が採用している最大級の戦艦ですら、六十門なのを考えれば如何に巨大な船なのかわかる。
その巨大さ故に通常の港では船体大きさと喫水の関係上、とても入港できないのだ。
かつて、このグレート・スカル号は大小六十もの海賊船と共に、船団を組んでノクト海を荒らしまわっていた。今でもクルト海軍の戦艦が、この船の影を見ると航路を変えると言われているほど恐れられている存在だ。
そんな超巨大船だが海賊稼業から足を洗った後、何をしているかというと……ただの大陸間輸送船である。リスタ王国が所有する最大の船として、その輸送能力や防衛能力を見込まれ、大陸間輸出入を受け持っているのだ。そして今回運んできたのは、ヘルミナが懸念していた『酒』である。
王城から続く長い階段を降ってきたヘルミナは、息を切らしながら港にたどり着き巨大な黒い船を見つめながら呟く。
「はぁはぁはぁ……何とか間に合いましたね」
グレート・スカル号はすでに入港しており、現在は係留作業が執り行われていた。息を整えながら待っていると、タラップから荒々しく乱れた長い黒髪で浅黒い肌の大男がドカドカと降りてきてヘルミナを見るなりと笑顔で挨拶をしてきた。
「よぅ、帽子のお嬢ちゃん、久しぶりだなぁ」
この男こそが、現グレート・スカル船長 ログス・ハーロードだ。海洋ギルド会長 オルグの息子であり、レベッカの父になる。
「私の名前はヘルミナです。いい加減に覚えてください、ログスさん」
「さん付けなんて他人行儀な呼び方じゃなくて、ログスでいいぜ? お嬢ちゃん」
「わかりました。ログスさん、積荷のほうは問題なく?」
双方相手の話を聞く気はなく、ヘルミナは事務的に頼んでおいた積荷に関して尋ねる。ログスは親指を立てながら歯を見せてニカッと笑う。
「もちろんだ、上物の酒を仕入れてきたぜっ! それに持っていった商品も上々だったなぁ」
グレート・スカル号は、リスタ王国を含むムラクトル大陸の特産品を他の大陸に運び、逆に相手国の特産品を持ち込むことで、リスタ王国の経済に大いに貢献している。リスタ王国から輸出する品や仕入れてくる銘柄に関しては、財務大臣 ヘルミナ・プリストが選定しており、その的確な選定眼からログスからの信頼も厚い。
だが……ヘルミナの方は、運び手としてログスを信用しておらず、ログスをジト目で見ると
「まさか今年は飲んでないでしょうね?」
と問い詰める。ログスはソッポを向いて口笛を吹いている。その様子にヘルミナはため息をついた。
「はぁ……やっぱりですか、ちゃんと数を調べてレベッカさんへの支払いから、差し引かせて貰いますからねっ!」
その言葉にログスは、信じられないといった風に右手で目を覆いながら天を仰ぎ
「マジか……娘に殺されちまうぜ……」
と嘆くのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 海洋ギルド 会長室 ──
グレート・スカル号が帰港したと聞いたリリベットは、すでに荷下ろしが始まっている地下専用港ではなく、邪魔にならないようにマリーと共に海洋ギルドに来ていた。
さっそく会長室に通されたリリベットだったが、すぐにレベッカに見つかり彼女の膝の上に座らされて頬ずりされていた。
「やっぱり陛下ちゃんはプニプニだね~癒されるわ~」
「や……やめるのじゃ」
後から抱きつかれるように捕まっているリリベットも、最初はジタバタと暴れていたが、すぐに無駄だとわかりグッタリとしている。マリーもレベッカなら危害を加えないことを知っているので特に助ける事はなく、隣で静かに紅茶を飲んでいた。
リリベットたちが、ここに来た理由は積荷を全て下ろしたあと、ギルドに来る手筈になっているヘルミナと合流するためである。オルグ会長のセクハラからヘルミナを護るために来ているのだが、肝心のオルグ会長はグレート・スカル号が運んできた大量の積荷を倉庫に入れるため、現在港の倉庫で陣頭指揮を取っているため不在だった。
しばらくしてレベッカの体温と二つのふくよかな枕のせいで、コクリコクリとうたた寝をしはじめたリリベットだったが、突然のノックの音にビクッと身を震わせる。
ドアの向こうからは威勢のいい受付嬢の声が聞こえてきた。
「姐御! 帽子の小さいのがきましたよ!」
「入ってもらいなっ!」
ドアが開き警戒しながら入ってくるヘルミナにレベッカは豪快に笑う。
「あははは、爺様ならいないよ、安心しなっ!」
その言葉にヘルミナは安心した顔になったが、すぐに警戒した表情になると右の手のひらをレベッカに向けた。
「いえ、貴女も危険なので近付かないでください」
「あははは、つれないねぇ……まぁ今日は陛下ちゃんがいるから、そっちは襲わないよ」
「助けるのじゃ、ヘルミナ~」
抱きしめられたリリベットが力無くヘルミナに助けを求めている。
「へ……陛下!? レベッカさん、陛下を離してください! マリー殿もなに落ち着いて、お茶なんて飲んでるんですか!」
「まぁ……レベッカさんなら大丈夫ですよ。これも国民との『ふれあい』という事で」
涼しげに顔で答えるマリーだったが、今日のマリーがこの様な態度を取るのには理由があった。今日も懲りずにリリベットがマリーの料理から逃げようとしたのである。つまり、ちょっとご立腹なのだ。
マリーの予想外の態度に戸惑ったが、自分ではどうすることもできないと悟ったヘルミナは、リリベットの事はひとまず置いておいて仕事を進める事にした。積荷のリストや、諸経費などをまとめた書類をレベッカに差し出す。
「ごほんっ……レベッカさん、これを」
「あぁ、受け取りと支払いのサインかい?」
レベッカは右手で書類を受け取り書類に目を通し始めた。いつもはふざけていても、このギルドの経理担当である、その流れる視線は真剣そのものだ。そして、その視線はある一点で止まる。
途端に額には青筋が浮かび、リリベットを抱きしめている左腕にも徐々に力が入ってきていた。いきなり絞まってくる腕に恐怖を感じたのかリリベットは暴れはじめる。
「レベッカ! いた……痛いのじゃ」
その瞬間、マリーは右手の親指でレベッカの肩口を強めに押し込むと、レベッカの腕からリリベットを救出した。ここを押し込まれるとほんの一瞬腕がしびれるのだ。
「いたっ! なにするんだい!?」
「陛下が痛がってます。気を付けてください」
冷たい視線をレベッカに向けるマリーに、レベッカは一瞬冷や汗をかいたが、すぐに豪快に笑いだした。
「あはははは、すまないね。陛下ちゃん、大丈夫だったかい?」
「うむ、平気なのじゃ」
その言葉に、マリーの表情が少しだけ柔らかくなったが、レベッカの表情は逆に怒りに満ちたものに変わっていった。
「それで大臣ちゃん……この『飲み代』って項目の件で話があるんだけど、クソ親父はどこにいったのかな?」
レベッカの表情と気迫に怯えながら、ヘルミナはおずおずと答える。
「えっと、倉庫の方に向かわれましたが……」
それと同時に書類にサインをしたレベッカは、ペンをテーブルに叩きつけ書類をヘルミナに返すと席を立ち
「じゃ、ちょっと行って来るから!」
と言い残して部屋から出て行った。
後日、かのグレート・スカル船長ログス・ハーロードが頬に拳の痕を作って、海に浮んでいたのを目撃したと釣り人の間で噂になったそうである。
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『グレート・スカル号』
ノクト海を荒らしまわった海賊団グレートスカルの旗艦。
謎の材質で出来ている巨大な船体に、百二十六門の砲台を備え、『竜の心』と言われる巨大な魔石を動力に持つ魔導帆船。とある遺跡から『竜の心』を見つけたオルグ・ハーロードが、鉱人に製作を依頼した船だ。
船体や帆は黒く、夜に出会うと島が動いているように見えるため、クルト帝国海軍では「動く島には近付くな」という教訓がある。