第122話「最後の戦いなのじゃ!」
リスタ王国 西の城砦 作戦会議室 ──
リスタ王国の包囲網が瓦解したことが西の城砦に伝わる前に、対峙していたリスタ解放軍がレティ侯爵の増援を得て、進軍を再開したという急報が届いていた。すでに決戦の覚悟を決めていたリリベットは、慌てた様子も見せずに将兵たちを真剣な眼差しで見つめている。
「一万から二万弱の増援……彼我の戦力はどうなっておるのじゃ?」
「はい、敵は増援を得て約三万弱になり、我々は負傷兵を含めても四千強です。魔導式ポリボロスの斉射はあと一度きり。援軍の見込みはありません」
リリベットの問いに、淡々と現在の状況を答えたのはシグルだった。その余りにも差がある戦力に会議室は重い空気に包まれる。
しばらくの沈黙のあと、突然リリベットが笑い出した。
「あははは、まさに絶対絶命じゃなっ」
「へ……陛下、笑いごとではございません!」
騎士の一人が彼女の態度を諌めるように発言すると、リリベットは微笑を絶やさずに答えた。
「そんなに顰め面をしていても良い案は浮かばぬのじゃ。ほれ、お主も笑うとよいのじゃ」
と言いながら、リリベットは自らの頬を引っ張り始めた。その緊張感のない顔に騎士たちは、眉を顰めながらもぎこちない笑顔を浮かべるのだった。場の空気が少し柔らかくなると、若い騎士の一人が歩み出て進言する。
「陛下! この上は東西の城砦を放棄して王都まで退き、王都決戦に賭けましょう! 王都の方が城壁が高く守りが堅いと思われます」
若い騎士が述べた通り王都の方が城壁が高く、最大戦力である宰相や王都防衛に残した兵力を含めた防衛が、可能である点を考えれば的を得た意見だった。しかしリリベットは静かに首を横に振る。
「王都を戦火にさらしては、我々が勝利したところで復興が難しくなるのじゃ」
「し……しかし!」
リリベットの考えに納得できない若い騎士が、説得を続けようと動いた瞬間、シグルが割って入ってそれを止める。そしてリリベットに向かって諭すような口調で
「私としましても陛下には王都へ戻って頂きたいのですが……おそらく聞き入れていただけませんよね?」
と尋ねるが、リリベットは黙って頷いた。リリベットの予想通りの反応に、シグルは諦めた表情を浮かべると作戦を提案し始めた。
「それでは……現状で勝てる方策を考えねばいけませんね」
シグルの立てた作戦では、前回の失敗も加味して全軍の弱点になりうるリリベットは城砦で待機させ、護衛には近衛隊と輸送などに従事していた二千、それに一部の民兵を当てることになった。その上で、現状最大戦力を投入しロイド・リスタ二世を討つ、これが基本構想であり例の黒騎士には基本手を出さずジンリィに任せることになった。
しかし、この作戦には大きな問題があった。数的に劣勢はもちろんのこと、攻撃側の主力である騎士たちの指揮官が不在なのである。シグルは一つ咳払いをすると騎士たちに尋ねる。
「ごほんっ……騎士たちの指揮ですが、誰か経験のある方は?」
「…………」
前任者が偉大すぎるためか、それとも圧倒的不利な状態で指揮は執りたくないのか、会議に参加している騎士たちはお互いの顔を見合わせるだけで、名乗り出る者はいなかった。シグルはため息をつくと
「仕方ありませんね。……それではあなた方の指揮は私が執りますが、構いませんね?」
と騎士たちに尋ねる。シグルはさほど武芸が達者ではないが、騎士たちも自らが指揮を執って戦える自信がなかったため同意しようと瞬間、突然大きな音を立てて会議室のドアが開け放たれ、鎧を着た凛とした顔の美女が入ってきた。
「ふ……副団長!?」
「ミュルン!? 無理をしてはいかんのじゃ!」
現れたのはミュルン・フォン・アイオ、前回の戦で瀕死の重傷を負ったリスタの騎士の副団長である。突如現れたミュルンに騎士たちもリリベットも驚いて立ち上がる。ミュルンは真剣な顔でシグルに向かって告げる。
「騎士団の指揮は貴公には任せられない。騎士たちの指揮は私が執ろう。異論は無かろうな?」
「もちろん貴女であれば異論などありませんが……ミュルン殿、戦えるのですか?」
シグルの問いに、ミュルンは額に汗を流しながら苦笑いをすると
「ふふふ……いまさら見栄を張っても仕方がない。正直、立っているだけでもやっとだな」
と答えた。シグルはミュルンの瞳を見つめると、その意思を感じ取ったのか力強く頷いた。
「わかりました。では、ミュルン殿に指揮は任せます」
「……ありがたい」
シグルの決定にリリベットは何かを言いたそうにしていたが、ミュルンが決めたことを止めることはできないと思ったのか、途中で飲み込んで口を噤むのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 西の城砦 城壁の上 ──
リリベットは城壁の上から、眼下の将兵を見つめていた。城壁の外にはミュルン率いる騎士たちがおよそ九百。ジンリィが自由に動けるように彼女を除いた、クリムゾン約九十をミュゼが率いている。そしてゴルド率いる衛兵隊と民兵がおよそ三千弱。総数四千弱、リリベットの護衛と城砦の防衛を除くと、これが西の城砦から出撃できる最大戦力であった。
リリベットは深呼吸をすると将兵に向かって出陣前の口上を開始した。戦う力がないリリベットに出来ることは、兵士を鼓舞することぐらいである。
「皆の者、これが最後の戦いなのじゃ!」
リリベットの言う通り、リスタ王国には勝っても負けても次の戦いを継続する力はすでに残っていない。つまり、これが正真正銘最後の戦いなのである。
「敵の数は我々の数倍、残念ながら現状では勝てるかはわからぬ……故に戦いたくない者は去るがよい! わたしは、それを咎めたりはしないのじゃ」
リリベットの言葉に集まった将兵や国民は沈黙を持って返す。誰もがこの状況から逃げたいと思っていた。しかし、同じように誰もがこの国を護りたいと思っていたのである。
「この国は我が祖父ロードスが建国し、お主ら国民が築き上げてきた国なのじゃ!」
「そうだ! ここは俺たちの国だ!」
民兵を中心に声を張り上げ始める。
「お主たちの国を護れるのは、他の誰でもない……お主たちだけなのじゃ!」
「俺たちの国は、俺たちが護るんだ!」
全軍が武器を掲げ始め、士気が高まっていくのがわかる。国民を死地に向かわせようとしている自分の言葉に、リリベットは自嘲気味に微笑むと腰の短剣を引き抜き天高く掲げた。
「全軍、行動開始なのじゃ!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
◇◇◆◇◇
リスタ王国 西部戦線 リスタ領土内 ──
前回までの戦いとは違い国境線付近ではなく、ややリスタ王国側に引きこんだ形で両軍は対峙していた。これは魔導式ポリボロスを含めた、城砦の防衛力を有効に利用するためである。
リスタ解放軍の陣容は、中央をリスタ二世が率いる解放軍本隊、その先鋒に黒騎士とその騎士団、右翼左翼は中央よりやや前に出ており、右翼にランガル・フォン・レティ。左翼と後方には、増援で現れた別の将軍が率いた部隊が展開している。
シグル・ミュラーが解放軍の陣形を見て呟く。
「何ともわかりやすい陣形ですね」
「あぁ、中央を攻めさせて取り囲むつもりだろうさ」
そう答えたのは、目を細めながら敵陣を見つめているジンリィである。包囲殲滅を前提とした陣形に対して、王国側はジンリィとクリムゾンを先頭に騎士たち、衛兵隊、民兵と続く突撃隊列である。包囲されるのは覚悟の上で、一点突破をしかけるつもりなのだ。
しばらくして、シグルは城砦の方を見ると手を上げて合図を送る。
「出来れば、この斉射であの騎士は倒したいのですが……」
「あはは、そりゃ欲張りってもんさね」
ジンリィに笑われたシグルは苦笑いを浮かべると、上げた手を勢いよく前に降ろした。同時に西の城砦から轟音と共に射出された無数の炸裂槍が飛来して、敵本陣前方に着弾し土柱を巻き起こしながら周辺の敵を薙ぎ倒していく。
ジンリィが掲げた戟を振り降ろしながら叫ぶ。
「全軍、征くぞっ!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
それに合わせて全ての王国軍が鬨の声を上げながら、敵の前衛目掛けて突撃を開始した。
こうして王国軍と解放軍の最後の戦いが幕を上げたのだった。
◆◆◆◆◆
『見守る瞳』
シグルの号令のもと魔導式ポリボロスから射出された炸裂槍を見送るように、城壁上のリリベットは今まさに突撃した王国軍の背中を見守っている。リリベットの側にはマリーが付き添っており、宝杖ラーズと共に宝物殿から持ち出したロードス王の剣をリリベットの代わりに抱えていた。
ふいに北から吹く強風に煽られてリリベットがよろけると、マリーは慌ててリリベットを支える。
「陛下、気を付けてください……城壁上は風が強いですので」
「うむ、大丈夫なのじゃ」
リリベットはそう言いながら微笑むと、再び真剣な表情で戦場を見守るのだった。