第114話「誕生なのじゃ!」
リスタ王国 東の城砦 城壁上 ──
夜中に響き渡った敵襲の報せに、騎士団長ボトスは階段を駆け上がり城壁まで上ってく。老齢と言える歳ではあるが、まだまだ健脚のようで息一つ乱していない。
そして、眼前に広がる光景に驚きの声を上げた。
「な……なんじゃと……!?」
闇夜を切り裂く一条の光、それは大軍勢の松明の光だった。かなりの軍勢がリスタ王国の東の国境線に現れたのだった。騎士団長ボトスはすぐに斥候を出し、城兵には魔導式ポリボロスの準備を急がせた。
魔導式ポリボロスとは、炸裂槍を発射する連射式のバリスタで東西の城砦に装備されている。リスタ王国の数の不利を補うために用意された、工房『土竜の爪』製の兵器である。
しばらくして斥候が戻り、突如現れた軍勢はやはりレグニ侯爵軍で数はおよそ一万であることがわかると、ボトスはすぐに王都へ向けて伝令を走らせるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 大広間 ──
翌朝、東の城砦からもたらされた報せで叩き起こされたリリベットは、すぐに作戦会議を開くため主だった者たちを招集した。
再び大広間で行われようとしている作戦会議には、女王リリベット、宰相フィン、各大臣たち、近衛隊長ミリヤム、そしてシグル・ミュラーが参加していた。
東の城砦の伝令が参加者に対して状況の説明をすると、大臣たちが驚きの声を上げた。
「東の城砦にレグニ侯爵軍が現れただと!?」
「しかも一万!?」
「帝国は、本気で我が国を滅ぼすつもりか?」
などと口々に叫んでいる。ただでさえ数で不利な上に、現在の状況は二正面作戦を強いられているのだ。パニックになるのも仕方ないと言えた。
そんな老人たちに、リリベットは机を思いっきり叩いて黙らせる。
「静まるのじゃ! シグル、今一度状況を説明を頼むのじゃ」
「はい、現在我が国は……」
シグルの報告では、西側にはリスタ解放軍を名乗る軍とレティ侯爵軍の混成軍が約二万五千、東側はレグニ侯爵軍が約一万で固めており、陸路は完全に包囲されている。ともに国境線を押さえるだけで攻勢には出ておらず、レグニ侯爵軍に至っては宣戦布告すら送ってきていない状態である。
しかし、レグニ侯爵軍が現れたことで、リスタ王国は東の城塞から騎士団と騎士家の戦力が動かせなくなり、それぞれの騎士団が城砦を護ることを余儀なくされてしまった。シグルを除いたクリムゾン百騎は衛兵隊三百や民兵五千と共に、すでに西の城砦に向かって出発していた。また昨夜の内にグレート・スカル号を旗艦に、およそ五十隻の武装商船が、三千の海賊衆を乗せてリスタ解放軍の後背を突くために出航している。
シグルの説明が終わると、再び大臣たちが騒ぎ始めた。
「民兵を半分にわけて、東の城砦にも向かわせるべきだ!」
「ここで軍を分けるのは愚策であろう!」
そんな言い合いをしたところで良い案が出るわけでもなく、しばらくすると会場内に重い沈黙が訪れた。リリベットは困った表情でシグルに助けを求める。
「シグルよ、何かよい案はあるじゃろうか?」
「そうですね。私は東のレグニ侯爵軍の行動は、おそらくブラフではないかと思います」
「ブラフじゃと?」
リリベットは首を傾げながら改めて確認する。
「はい、おそらく国境を越えるつもりはない気がします。攻める気があれば、レグニ侯爵の性格を考慮すればすぐに攻めてきますし、わざわざ国境線を固めておいて宣戦布告をしてこないのも不自然です」
リリベットは唸り声を上げながら考え込む。
「……と言っても万が一攻めてきた場合、東の城砦の戦力だけで対処できるじゃろうか?」
「それは、さすがに無理でしょう。いくら城砦があっても戦力差が十倍はありますからね……ですから、ここは宰相閣下に動いていただけないかと」
急に話を振られた宰相はシグルの方を見つめて、しばらく考えるような素振りをしたあと頷いた。
「なるほど、私に東の城砦を護れと言うのだな? レグニ侯爵軍であれば、氷の守護者の名を恐れると?」
「はい、本来であれば宰相閣下には陛下の側にいて欲しいのですが……割ける戦力が他にございません」
宰相フィンはシグル・ミュラーを高く評価しており、彼が「他にない」と言えば信じるに足る進言だった。宰相はシグルを見つめながら力強く頷く。
「わかった。城砦を放棄することも考えて、西の城砦と同じく非戦闘員は王都に避難させ、城砦の守備は私と百名ほどで何とかしよう」
続いてミリヤムの方を向き、真剣な眼差しで告げる。
「ミリヤム、お前が陛下を護るのだ。よいな?」
「わかっているわ、兄さん」
ミリヤムも任せなさいと言わんばかりに無い胸を張った。話がまとまったところで、リリベットが立ち上がった。
「では宰相は東の城砦の守護を、手筈通りヘルミナとタクトは学府エリアにて避難民の受入れを頼むのじゃ。わたしとシグルは近衛と共に、残りの民兵二千と物資を持って西の城砦へ向かうのじゃ」
リリベットはそこで一度切ってから、ヘルミナを見つめて告げる。
「わたしと宰相が王都を留守にしている間は、財務大臣ヘルミナ・プリストを執政に任ずる。他の大臣たちと共に協力して事にあたるのじゃ!」
「はっ!」
リリベットの言葉に全員が立ち上がると、敬礼で返答するのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 城門広場 ──
会議があった二時間後、宰相はすでに東の城砦へ向かって出発していた。城門広場には白を基調とした近衛が全員馬上にて待機しており、その中心には白馬を四匹繋いだ戦車が待機していた。
その馬車に向かって、白と赤を基調にした羽根付き兜を被り、ミスリル製の鎖帷子の上に、白と黒を基調にしたサーコートを着込んだリリベットがゆっくりと歩いている。その後ろには黒装束に身を包んだマリーが、剣と杖を持って付き従っていた。
リリベットとマリーが戦車に乗り込むと、御者台のラッツが振り返ってマリーに向かってニコッと微笑んだ。リリベットは不機嫌な顔をしながら、小さい足でラッツを踏むように蹴った。
「ラッツ、だらしない顔をしている場合じゃないのじゃ! もし死んでマリーを悲しませたら絶対許さぬからなっ!」
「当たり前ですよ。俺、この戦いが終わったら結婚するつもりなんですからっ!」
ラッツは小さくガッツポーズを決めていたが、リリベットとマリーは微妙な顔をしながら呟いた。
「……そういう奴から死ぬのじゃ」
リリベットは気を取り直して腰の短剣を引き抜くと、天高く掲げてから振り下ろし
「よし、出陣なのじゃ!」
と号令をかける。その号令に合わせて、戦車を囲んだ近衛隊は進軍を始めるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 西の城砦 ケルン邸 ──
その頃、決戦を控え緊張に包まれている西の城砦では、別の意味で緊張が走っていた。ここはリスタの騎士の一翼を担うケルン家の屋敷である。
当主であるライム・フォン・ケルンは、廊下に用意された椅子に座りながら、落ち着かない様子で小刻みに震えていた。その前を父であるザラロ・フォン・ケルンが、熊のようにウロウロと歩いている。
「父上、少し落ち着いてください!」
「お……お前の方こそ!」
親子がお互いに落ち着くように言いあった瞬間、部屋の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「おぎゃぁぁ! おぎゃぁぁ!」
屋敷中に響き渡る赤ん坊の声に、ライムとザラロはお互いの顔を見合ってから、我先にとドアに駆け寄った。しかし、慌てていたからか上手く開けることができず、そのまま転がり込むように部屋になだれ込んだ。
その様子に中年の女性は呆れた様子で注意する。
「あなた、それにライム、静かにしなさい! みっともないですよ」
「母上、すみません。それでナタリーは! 子供は!?」
看護士に汚れを落として貰った赤ん坊を受け取ると、ライムの母は微笑みながら赤ん坊の顔をライムに見せる。ライムは感動に身を震わせながら、生まれたばかりの我が子を見つめる。
「おぉ、これが私とナタリーの……なんと可愛らしい!」
そして、ライムの母は赤ん坊を抱いたままベッドの横まで歩くと、ナタリーの横に赤ん坊を置いた。ナタリーはやや虚ろの瞳で、赤ん坊を見つめると微笑を浮かべて
「わたしとあなたの子ですよ……ふふふ」
ライムは膝をついてナタリーの手を握ると、目に涙を浮かべながら
「あぁ、私とお前の子だ。ありがとう、ナタリー!」
と感謝の言葉を述べるのだった。その後ろでザラロがソワソワしながら呟いた。
「ワ……ワシにも、孫を見せてくれぬか?」
しかし、彼の妻はザラロの肩に手を置くと、首を横に振りながら告げるのだった。
「あなたの順番は、まだまだ先ですよ」
それを聞いた瞬間、ザラロは絶望の表情を浮かべたという。
◆◆◆◆◆
『勝利』
ナタリーは我が子を抱き上げながら、幸せそうに笑っていた。
「あなた、この子の名前はどうしましょうか?」
「決戦前夜に産まれてくるような子だ。君さえ良ければ、私はこの子を『ジーク』と名付けようと思うのだが……」
ナタリーは少し驚いた表情を浮かべると、我が子の顔を見て頬を突きながら
「あなたの名前は『ジーク』ですって、気に入ったかしら?」
「きゃきゃっ!」
赤ん坊は嬉しそうに笑った。
「この子も気に入ったみたいですよ、あなた」
嬉しそうに笑うナタリーにライムも微笑むが、意を決したように席を立った。その姿にナタリーは悲しそうな顔をする。
「やっぱり行くのですか、あなた?」
「あぁ、私にはリスタの騎士として、この国を護る責務がある。そんなに心配しなくても大丈夫さ、私には夫として父として、君とジークを笑顔にする義務もあるからね」
そう言ってウインクをすると、そのまま部屋から出て行くのだった。