第109話「効果抜群なのじゃ!」
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
ヨクン大臣が倒れたあと、その報せを持ったフェルトがリリベットのもとを訪れていた。リスタ祭も近付いており外交関連も大忙しであるため、最近はあまりフェルトと会えていなかったリリベットは、彼の顔を見た瞬間嬉しそうに微笑んだ。
「どうしたのじゃ、今は忙しい時期のはずじゃろう?」
「リリー、実はクレマン閣下が倒れられたんだ」
いきなりの報告にリリベットは慌てて席を立つと、フェルトの前まで駆け寄った。
「ど……どうしたのじゃ? ヨクンは無事じゃうな!?」
「あぁ、命に関わるとはではないんだけど、腰をね……痛めてしまったようなんだ」
首を振りながら答えたフェルトに、リリベットは力を抜くように息を吐くと咳払いを一つして確認する。
「ごほんっ……では、ヨクンは公務を続けれそうもないのじゃな?」
と尋ねると、フェルトは黙って頷いた。リリベットは残念そうな顔をするが、これはフェルトがわざわざ報告に来た時点で予想済みである。
リリベットは少し考えたあと、フェルトの方を向いて頷く。
「では、外務大臣ヨクン・クレマンの権限を、外務大臣補佐官フェルト・フォン・フェザーに委譲し、お主を外務大臣代理に任ずるのじゃ。書面及び通達は後ほどするものとする」
突然のことにフェルトは少し驚いた表情を浮かべたが、姿勢を正して敬礼する。
「はっ、謹んでお受けいたします」
そんなフェルトに、リリベットは満足そうに微笑んだ。こうしてヨクン大臣が復帰するまで、フェルトが外務大臣の職を代行することになったのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 外務大臣執務室 ──
フェルトが外務大臣代理に任じられてから、さらに二ヶ月が経過していた。今年のリスタ祭は大きな事件もなく、いつも通り酔っ払いの乱闘騒ぎがあった程度で終わったので、リリベットたちもホッと胸を撫で下ろしていた。
本日は帝都に向かうことになっているフェルトを見送るために、リリベットが外務大臣執務室を訪れていた。部屋の中には出発準備が完了しているフェルトと、負傷から復帰したオズワルトとリュウレ、そして見送りに来たリリベット、そのお供にマリーと近衛隊のラッツが控えていた。
「帝都へは、本日出発じゃったな?」
「そうだね。帝都まで一週間、兄上の婚約発表の式典に参加しつつ滞在して十日ぐらい、帰路に一週間ってところかな。たぶん一月もかからないと思うよ」
リリベットが、心配そうな顔でフェルトを見つめている。現在帝国の情勢は不安定であり、またフェルトが危ない目に遭うのではと心配しているのである。フェルトはしゃがみ込むと、リリベットと同じ視線にあわせてから微笑む。
「そんなに心配しなくても大丈夫さ。フェザー領を通って行くし、帝国も招待しておいて危害を加えたりはしないはずだよ」
やや楽観的な考え方であったが、リスタ王国は元々クルト帝国と友好関係を結んでおり、その関係性を崩してまで、賓客を害する真似はしないというのがフェルトの考えである。
「やはり、ジンリィに護衛を……」
リリベットがそう提案しかけると、フェルトは首を振って口を開いた。
「大丈夫だよ、リリー。僕は外交官なんだ、これからも諸国を行き来することになる。それなのに毎回ジンリィさんに護衛をついて貰うわけにはいかないよ」
フェルトに諭され口は噤んだが納得していない顔のリリベットに、フェルトは両手を広げながらウィンクをする。
「そんなに心配なら、また『お守り』をしてくれるかい?」
突然のフェルトの言葉に、リリベットは顔を赤くしながら、両手で口を隠して一歩下がる。そして眉を吊り上げると
「も……もう、勝手に行けばいいのじゃ!」
と怒りだして後ろを向いてしまう。フェルトが困った表情で
「やれやれ……っと」
と立ち上がろうと瞬間、リリベットは急に振り返ってフェルトに抱きついた。次の瞬間フェルトの頬に柔らかいものが当たる。
すぐに離れたリリベットは、恥かしそうに俯きながら
「……その『お守り』は、効果抜群なのじゃ! 無事に帰ってこなかったら、許さないのじゃからなっ!」
と早口で捲くし立てると、踵を返して部屋から出て行ってしまった。その後をマリーとラッツが慌てて追いかける。フェルトは頬を軽く擦ると苦笑いしながら
「ははっ……必ず戻ってくるさ」
と呟くのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 帝都 フェザー家別邸 ──
その一週間後、フェルト、オズワルト、リュウレの三人は、帝都にあるフェザー家別邸に来ていた。現在はフェルトの兄であるレオナルド・フォン・フェザーの住まいになっているが、帝都にいた頃は、彼らもここに住んでいた。
ここまでの道中は至って平和そのもので、リリベットが心配していたような襲撃などもなく、ちょっとした小旅行といった気分の旅路だった。
屋敷の中に入ると、家令の老紳士が出迎えてくれた。
「フェルト坊ちゃま、お待ちしておりました」
「セトスさん、さすがにお坊ちゃまはよしておくれよ、僕はもう十八だよ?」
セトスと呼ばれた老紳士は、悪びれもなく笑うとフェルトの荷物を持つ。
「ははは、よいではないですか、レオ坊ちゃまは何も申しませんぞ?」
「それは……たぶん、説得するのが面倒になったんだよ」
フェルトは苦笑いを浮かべていたが、セトスに案内されて客間に入ると、フェルトに良く似た美男子が座っていた。違いと言えば背が一回り大きく髪を伸ばしていた。
その美男子は立ち上がると、微笑みながらフェルトに近付き右手を差し出した。フェルトはその手を取って握手する。
「兄上、お久しぶりです」
「あぁフェル、よく来てくれた」
この美男子がフェルトの兄であり、帝国宰相と軍務大臣を兼任しているレオナルド・フォン・フェザーである。帝国は皇帝の下は平等とされているが、実質的に帝国のナンバー・ツーだと言えた。
そして今回の婚約を経て、サリナ皇女と結婚することで皇族となり、名実的に最高実力者となる予定である。
フェルトは手を離すと、勧められるままにソファーに腰を掛ける。その対面にはレオナルドが座った。フェルトは朗らかに笑顔を見せる。
「兄上、まずはご婚約おめでとうございます」
「ははは、それを言ったらお前もだろう? お前の時も祝いに行きたかったのだが、職務上なかなか帝都を離れられなくてな」
レオナルドはとても多忙な人で、この屋敷にもほとんど帰ってこないほどである。今日はフェルトが帰ってくるという事前の報せを受けて、無理して戻ってきていたのだった。
「しかし、まさかサリナ殿下と婚約されるとは思いませんでしたよ」
「ははは……ある時から突然積極的になられてな、なんというか押し切られる形でな」
レオナルドは少し弱った顔で顎を擦っている。兄のそんな表情など初めてみたので、フェルトはとても驚いた。彼にとって兄のレオナルドは、すべてにおいて完璧な人物だと思っていたのだ。
実はサリナ皇女が積極的になるように、背中を押したのはフェルトである。レオナルドへの密かの想いをフェルトに見破られて、サリナ皇女は覚悟を決めたのだった。
「それで……フェル、お前のほうはどうなんだ?」
「僕とリリーですか?」
「あぁ、確かまだ随分小さいのだろう?」
レオナルドは子供ぐらいの背丈の位置で、「これぐらいか?」といった感じに右手を左右に振っている。
「あはは、さすがにもう少し大きいですよ。確かに、まだ子供ですが可愛らしいですよ」
リスタ王国を出国する際に見せた、リリベットの態度を思い出しながら少し照れた表情するフェルトに、何度か頷くとレオナルドはニコッと笑う。
「ほぅ、いい顔だな。仲が良さそうでなによりだ」
と安心した表情で言うのだった。
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『リリベットの不安』
外務大臣執務室から、自身の執務室に戻ってきたリリベットは、若干涙目でマリーのスカートにしがみついた。困惑した表情のマリーは首を傾げながら尋ねる。
「どうしたのです、陛下?」
「あんな態度を取るつもりじゃなかったのじゃ……嫌われてしまったじゃろうか?」
少し震えているリリベットに、マリーは微笑みながら頭を撫でる。
「大丈夫ですよ、あのぐらいでは嫌われたりしません。むしろ可愛いと思われたかもしれませんよ?」
リリベットはキョトンとした顔で首を傾げたが、マリーの言葉に安心したのか徐々に笑顔になっていくのだった。