第108話「操縦なのじゃ!」
リスタ王国 王城 診療室 ──
ラッツたちが隠れていた山小屋を出発してから一週間が経ち、ラッツとマリーの二人がリスタ王国へ戻ってきていた。通常であればリスタ王国までは三日程度の道程だったが、マリーの傷の具合を気遣ってゆっくり戻ってきたのだった。
王城に到着したマリーは、すぐに侍医ロワのもとに連れていかれ診察を受けている。その報せを聞いたリリベットが、慌てた様子で診療室に飛び込んできた。
「マ……マリー、無事じゃろうなっ!?」
丁度椅子に座って上半身を肌蹴た状態で傷を確認していたため、左の肩から背中まで痛々しい傷がリリベットの視界に飛び込んできた。リリベットは眉を吊り上げると、ツカツカとマリーに歩み寄り、右手を振り上げるとマリーのお尻を思いっきり叩いた。
パーン! という音とともにマリーの身体がビクッと震える。
「痛いっ、へ……陛下、何をなさるのですか!?」
「心配をかけた罰なのじゃ!」
マリーは立ち上がると肌蹴ていた服を直し、リリベットに前に傅いた。
「もう二度と……このようなことはいたしません、陛下」
「絶対じゃぞ! 絶対じゃからな……うぅ」
リリベットは泣くのを堪えながら、マリーの首に手を回して抱きついた。マリーの耳には嗚咽が聞こえていたが、何も言わずリリベットの背中を優しく撫でる。
しばらくしてマリーから離れて、澄ました顔をしようとしているリリベットに、マリーは口を押さえながら笑う。
「ふふふ……陛下、お目々が真っ赤ですよ?」
「なっ……泣いてなどおらぬのじゃ! 本当じゃぞ!?」
リリベットは頬を膨らませながら抗議したが、マリーは微笑みながら立ち上がるとリリベットの頭を撫でるのだった。
こうして……リスタ王城にあるべき日常が戻ってきたのである。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
それから、さらに一週間ほど経ち完全に体調が戻ったマリーは、女王付きメイドとして再びリリベットのもとに戻ってきていた。周囲のメイドたちからも、以前はどこかトゲトゲしかった雰囲気も丸くなり、以前よりさらに美しくなったと評判になっている。
本日の公務が終わり、リリベットはマリーが用意してくれたクッキーを食べながら、満面の笑顔を浮かべている。
「やっぱり、マリーのクッキーが一番おいしいのじゃ!」
「あらあら、褒めたってクッキーの枚数は増えませよ。陛下?」
朗らかに微笑みながら首を傾げるマリーに、リリベットは頬を膨らませていた。その後二人とも笑いあっていたが、突然マリーが何かを思い出したように真剣な顔で呟いた。
「あ……そういえば、陛下。私、ラッツさんにプロポーズされましたわ」
「ほ~? ラッツにプロポーズを……なっ!? プロポー……げふっ!」
いきなり突きつけられた衝撃の事実に、リリベットは食べていたクッキーの欠片を喉に詰まらせてしまった。マリーは慌てて水差しを取ると、コップに注いでリリベットに飲ませる。
しばらくして呼吸を整え、涙目のリリベットは改めてマリーに尋ねた。
「あ……あのラッツがプロポーズじゃと!? そ……それで、ど……どうするのじゃ!? 受けるのか?」
リリベットは自分が受けたプロポーズの時より動揺しており、ぎこちなく左右に小刻みに揺れていた。そんな様子が面白かったのか、マリーは笑いながら頷く。
「はい、そのつもりです」
「お……おかしいのじゃ、あのマリーが、ラッツを……お主、もしや偽物じゃ……」
リリベットは、そんなことを言いながら頭を抱えながら震えている。マリーはニッコリと微笑むとクッキーの乗っている皿を持ち上げた。
「あら、陛下? 偽物なら、このクッキーはいりませんね?」
「あわわ! 待て! 待つのじゃ、冗談なのじゃ!」
好物を奪い取られ慌てふためくリリベットに、マリーは皿を元のテーブルに戻した。
「それで陛下に、許可をいただきたいのですが?」
二人とも王城に住んでいるので、ナタリーの時のような仕事を辞めて移住しなければいけないような問題は起きないが、マリーは女王付きメイドには違いないので、リリベットの許可を取ることにしたのだった。
しかしリリベットは、子供が駄々をこねるように首を振りながら
「い……嫌じゃ、マリーを取られたくないのじゃ……あぁ、クッキーがっ!」
と抵抗を試みてみた。リリベットにとって生まれた時から一緒にいるマリーは、母であり、姉であり、家族なのだ。しかし、そのマリーによって再び持ち上げられたクッキーに、涙目になりながら諦めた表情を浮かべると
「わ……わかったのじゃ。お主の好きにすればよいのじゃ!」
と投げやりに叫んだ。マリーはその言葉に再びクッキーをテーブルに置くと、ニッコリと微笑むながら感謝の言葉を述べるのだった。
「ありがとうございます、陛下」
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 外務大臣執務室 ──
それから、さらに数週間が過ぎていた。
現在、この部屋には外務大臣ヨクン・クレマンと、彼の部下であるフェルト・フォン・フェザーが公務をこなしていた。もうすぐリスタ祭があり、諸外国に送った招待状の返事が大量に届いているのだ。
その返事に目を通しながらヨクン大臣は、別の席で同じように書類に目を通していたフェルトに尋ねた。
「フェルト君、最近陛下とはどうかね?」
「どう……と言われましても?」
いきなりの質問に真意を掴めなかったフェルトは、キョトンとした顔をしながら首を傾げて尋ね返した。ヨクン大臣は自慢の髭を触りながら
「いやね、ワシも歳じゃろう? せめてお世継ぎの顔を見てから引退しようと頑張っておるが、いつポックリ逝ってもおかしくない」
「いやいや、閣下はまだまだお元気でしょう。それに、リリー……いえ、陛下はまだ十歳ですよ?」
突然の話題にフェルトは慌てながら首を振って答えた。確かに婚約者ではあるがリリベットはまだ幼く、当然そのような行為にはしていない。ヨクン大臣は唸りながら首を傾けて
「おや、まだ十じゃったか? 最近陛下は随分大人びて来ておるからのぉ……フォフォフォ」
と楽しげに笑っていた。ヨクン大臣の言うように、リリベットは身長もどんどん伸び、胸も膨らみ始め、女性として日々美しく成長していくのが見て取れていた。
しばらくして、書状に目を通したヨクン大臣は驚きの声を上げた。
「おぉ、これは! ……おめでとう、フェルト君」
突然ヨクン大臣から、祝いの言葉をかけられたフェルトは首を傾げる。
「何がです? クレマン閣下」
ヨクン大臣は席を立つと、その書類を持ってフェルトの机の前まで歩くと、書状を机の上に置いた。フェルトはお辞儀をしてから、その書状を受け取り中を確認する。
「こ……これは!?」
書状の内容はフェルトの兄であるレオナルド・フォン・フェザーと、クルト帝国皇帝の妹であるサリナ・クルトの婚約が決まり、その発表式典への招待状だった。
「フォフォフォ、これで君と陛下、レオナルド殿とサリナ皇女が結婚すれば、陛下とサリマール皇帝は義理の兄妹ということになるのじゃな。よきかな、よきかな!」
ヨクン大臣は笑いながらそう言うと、自分の席に向かって歩き出したが急に膝を折って倒れてしまった。
「おぉぅ!」
「いかがしましたか、クレマン閣下!?」
フェルトは慌てて駆け寄ると、ヨクン大臣は脂汗を流しながら呻いていた。フェルトはすぐに外に助けを求めた。
しばらくして侍医のロワが慌てて執務室に入ってきて、ヨクン大臣を診察すると一言
「これは……腰ですな」
と告げたのだった。
◆◆◆◆◆
『八つ当たり』
通路の影でラッツとマリーがヒソヒソと話している。ラッツは困った表情を浮かべると
「あのマリーさん? 最近、なんだか陛下の機嫌が悪いんだけど」
と尋ねた。理由がわかっているマリーは、クスクスと笑って微笑みながら首を傾げる。
「ふふふ……そうですか?」
「あれ? やっぱり俺の気のせいかな?」
頭を掻きながら首を傾げるラッツ。他の誰に尋ねても「そんなことはない」と答えられたが、リリベットの機嫌の悪さはラッツにのみ発動しているのである。
「しばらくすれば、きっと機嫌もよくなりますよ」
「そうだといいんですが……」
その後、結局リリベットの八つ当たりが収まるまで、一週間かかったのだった。