第104話「成長なのじゃ!」
クルト帝国 レティ領 シュレー男爵邸 ──
黒い髪に赤い瞳の美しい新人メイドが一人、豪華な客室の掃除をしていた。非常に効率の良い身のこなしで掃除をこなしていくメイドに、部屋の入り口から中年のメイド長が感心した様子で頷いてから新人のメイドに声をかける。
「マーベットさん、素晴らしい手際ね」
「……メイド長」
マーベットと呼ばれたメイドは、メイド長に向かって微笑みながら一礼する。メイド長もニコリと笑い部屋に入ってきた。
「本当に貴女が来てくれてよかったわ。前の子は不器用でね……色々大変だったのよ。貴女はさすがレティ家に仕えていただけはあって、何でも器用にこなしてくれて助かってるわ」
「ありがとうございます」
突然メイドが一人失踪したシュレー男爵邸は、新たな奉公人の募集をしていた。マーベットは三週間前にレティ家の招待状を持って、その募集に応募してきた女性だ。最初は仮雇用の予定だったが、その働きぶりに即日本採用になったほど優秀な人材である。
「礼儀作法もしっかりしているし、貴女なら旦那様への給仕を任せても大丈夫そうね」
「お任せいただけるなら、是非」
マーベットは自身あり気にそう言いながら、朗らかに微笑むのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 中庭 ──
その二週間後リリベットはフェルトと共に、王城の中庭でお茶会を開いていた。ティーテーブルには椅子が四脚あったが、今回のお茶会への参加者はリリベットとフェルトの二人である。
メアリーなどがフェルトに会ってみたいと言っているが、惚れっぽいメアリーのことである。フェルトに会わせたら十中八九面倒ごとになると思い、リリベットは適当にお茶を濁し続けていた。
「別にヤキモチとか、そういうのではないのじゃ!」
独り言を呟いたリリベットに、フェルトはきょとんとした顔で首を傾げる。
「ん? 何か言ったかい?」
「な……なんでもないのじゃ!」
慌てた様子で首を振るリリベット。フェルトはティーカップでお茶を一口飲むと微妙な顔をしていた。
「不思議な感じのお茶だね? 一体何なんだい?」
「うむ、最近この国を訪れた黒豹商会がくれたお茶なのじゃ、ちゃんと毒見は済ませてあるから大丈夫じゃぞ」
実はグレート・スカル号に随伴を希望していた黒豹商会と、海洋ギルド『グレートスカル』の会合は失敗に終わっていた。表向きの理由としてはグレート・スカル号の船足について来れる商船を、黒豹商会が用意できないためである。その為、商会側はグレート・スカル号の貨物エリアの一部を借り入れる形で、リスタ王国で商売することになったのである。
フェルトがティーカップを顔に近付けて香りを楽しんでから、もう一口含んだとき同じようにお茶を飲んだ後のリリベットが
「変な味じゃが、なんでも妊娠前に飲むと良いらしいのじゃ」
と爆弾発言をすると、フェルトは口を手で押さえながら豪快に咳き込んだ。
「ど……どうしたのじゃ?」
涙目になりながらも、何とか息を整えたフェルトが慌てた様子で尋ねる。
「リ……リリー!?」
「あははは、なんとも気が早いことじゃな」
フェルトの慌てた様子などなかなか見れない光景だったので、リリベットはカラカラと笑うのだった。一頻り笑ったあと、一つ咳払いをするとリリベットは真面目な顔をする。
「ごほんっ……そう言えば、おめでとうと言えば良いのじゃろうか? お主の兄上のレオナルド殿が、帝国宰相へ就任が決まったそうじゃな?」
先程宰相のフィンから、下馬評通りフェルトの兄が軍務大臣と兼任で帝国宰相へ、就任したという知らせが届いたのだ。
「ん? あぁ、耳が早いね。僕も今日聞いたところだけど、どうやらそうなったみたいだ。まぁ兄上のことだから、何も心配はしていないけどね」
若干苦笑い気味の笑顔でそう答えたフェルトに、リリベットは首を傾げながら尋ねた。
「レオナルド殿は、どのような御方なのじゃ? 出来れば一度お会いしたいと思っておったのじゃが……」
「う~ん、出来れば会ってほしくないかな……」
さらに微妙な表情を浮かべているフェルトに、リリベットはさらに興味を持った様子で尋ねる。
「どうしてなのじゃ?」
「リリーにまで、兄上と比べられるのは嫌だからね」
小声で呟くように言ったフェルトの言葉に、リリベットはニヤッと笑うと
「ひょっとして、それは……ヤキモチじゃな!?」
と凄く嬉しそうに微笑んだ。これは自分だけではないという安心感なのか、ただ単純に嬉しかったのかはわからないが、それはマリーがいなくなってから初めての心からの笑顔だった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 レティ領 領都近郊の街 宿屋 ──
薄暗い宿屋の二階に金髪の青年ラッツがいた。部屋の中には、オンボロの寝台に机と椅子が一つずつ、その机の上でラッツはペンを走らせ手紙を書いている。
彼は一月ちょっとの調査で、ようやくマリーがシュレー男爵邸にいることを掴むことが出来た。そして、すでに一度男爵邸に忍び込み、遠めからだがその存在を確認している。
「いつものマリーさんもいいけど、黒髪もなかなか……っ!」
そんなふざけたことを呟いていたが、右肩に走った痛みでペンを落としてしまう。ラッツは左手で右肩を押さえながらペンを拾うとため息をつく。
一度目の潜入の際に、屋敷を護衛している黒衣の集団と遭遇し右肩に斬撃を受けたが、ミスリル製の鎖帷子のお陰で致命傷にはならず、逃げ遂せることが出来たのだ。
「それにしても、あれだけの警備を敷いているって……あの館になにかあるのか? それともシュレー男爵っていうのに何かあるのか?」
ラッツは少し考えるが結局考えはまとまらず、報告書には暗号文でマリー発見の報だけ書いて封を閉じるのだった。
「しかし、どうやって接触しようか……なんとか中に入ることはできないかな?」
そう呟きながら、報告書が入った手紙を持ってリスタ王国の密偵に会いに向かうのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 レティ領 領都近郊の街 路地裏 ──
フードをかぶったラッツは泊まっている宿屋から離れた路地裏で、宰相の部下である密偵と会っていた。密偵の風貌はどこにでもいる中年親父で、完全に街に溶け込んでいるようだった。
その密偵が突然鋭い眼光を光らせて、服の裏側から短剣を引き抜く。
「坊主、お前さん……つけられたな?」
「えっ?」
その瞬間、屋根の上から二つの影が襲い掛かってきた。ラッツは慌てて避け、密偵は手にした短剣で攻撃を受け止めていた。
路地の出口からは前も後ろも一人ずつ黒装束が入ってきており、合計で四名の敵に囲まれていた。ラッツと密偵はお互いに引き離された上、挟撃を受けている状態である。ラッツは舌打ちをすると、コウ老師のように刃を立てて構える。
「俺はこんなところで、やられるわけにはいかないんだっ!」
近くにいた襲撃者が手にした短剣をラッツに振り下ろす。ラッツがその刃に自分のダガーの刃を合わせると、シャラーン! という特徴的音と共に少し軌道を逸らした。同時に踏み込み、柄の底を相手の鳩尾付近に叩き込む。
「ごぶぅ」
ううめき声とともに襲撃者の一人が倒れこむと、ラッツはすぐに反転して路地の出口から入ってきた敵に向かって一直線に駆け出した。
驚いた襲撃者が横薙ぎの一撃を繰り出すが、ラッツはその軌道のさらに下を潜り抜けて、相手の剣を持っているほうの肩口を縦に裂く。
「ギャァ!」
襲撃者は短い悲鳴を上げると、手から剣がこぼれ落ちた。ラッツはそのまま相手の襟を掴むと、相手の頭を叩きつけるように投げて無力化した。
そして先程までいた方を振り向くと、今にもやられそうになっている中年の密偵の姿が瞳に映し出されるのだった。
「おっちゃん!」
◆◆◆◆◆
『ラッツの成長』
何だかんだ二年ほど、コウ老師の師事のもと訓練した結果。その若さゆえか、老師が驚くほどの成長を見せ、現在ではゴルドと同じ程度の技量を持っている。
捌きの技である『王者の護剣』以外にも、武神コウジンリィが来てからは組み技も教えてもらっており、武器がない状態でもある程度戦えるようになっているのである。