第103話「宰相暗殺なのじゃ!」
クルト帝国 領都近郊の街 路地裏 ──
マリーがリスタ王国を出国してから、すでに一週間が経過しており、今はシュレー男爵が治める街に辿り着いていた。現在は夕暮れ時で街の大通りでは、夕食の買い物客の雑踏や出店や商人たちの客寄せの声でにぎわっている。そんな中、一人の若者が路地裏に連れ込まれていた。
「えっと……お姉さん、俺に何か用ですか?」
若者を路地裏に連れ込んだのは、旅人風の装いをした女性で赤い瞳の美人だった。その女性にやや引きつった顔で若者が尋ねると、彼女は優しげにニコッと微笑む。
「貴方が、ケラさんですね?」
突然名前を呼ばたケラはビクッと身構え、咄嗟に腰の武器に手を伸ばしたが、その手は女性に掴まれてしまう。その力は女性のものとは思えないほどの力で、ケラはピクリとも動かせなくなってしまった。
「貴方に害意はありませんよ? 私の名前はマリーと申します。貴方のことはフェルト様に聞いたのですよ。貴方には協力いただきたいことがあるのです」
「協力? アンタがフェルト様の関係者だという証明ができるものは?」
明らかに怪しむ表情でマリーを睨みながら尋ねるケラに、マリーは手を離してポケットから銀製で羽の形のブローチを取り出して見せる。これはマリーがリュウレの病室から勝手に拝借してきた物で、フェザー家の証だった。
「確かに、これはフェザー家の……わかりました。それで俺に何をして欲しいんですか?」
フェザー家の証に納得して警戒を解いたのか、ケラは元来の愛嬌のある笑顔で首を傾げた。マリーはブローチをポケットにしまいながら小声で耳打ちする。
「えぇ、それ本気ですか!?」
ケラは驚いた表情を浮かべて尋ね返すが、マリーは迷いなく頷くのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
それから、さらに一月が経過していた。
その間リリベットの元にはラッツから報告の手紙が届いていたが、残念ながらマリーの発見の情報はなかく、レティ領のとある街で滞在中ということだった。
今も新しく届いた手紙を開いて、読んでいる最中である。
「どうやら、まだ見つかっておらぬのじゃな」
「もう一月になりますが、大丈夫でしょうか?」
本日の護衛であるレイニーが、心配そうな表情で首を傾けながら尋ねてくる。マリーが失踪してから近衛隊は、いかなる時も必ずリリベットの側に待機していた。マリーが抜けた穴を埋める為と、リリベットが無茶をしないように見張るためである。
リリベットはラッツからの手紙をレイニーに渡しながら、彼女からの質問に答える。
「向こうでは、宰相の部下とも連絡が取れているようじゃ。たぶん大丈夫じゃろう」
その言葉にレイニーは少しほっとした顔をすると、読み終わった手紙をリリベットに戻した。リリベットはそれを机の上に置くと、少し考えるように椅子を前後に漕ぎ出した。
「ここ数回の報告は、全てこの街からなのじゃ。この街に一体何があるのじゃ?」
リリベットはそう呟くと、執務机の席から立ち上がりドアに向かって歩き始めた。レイニーは慌てて追いかけながら尋ねる。
「陛下、どちらへ?」
「うむ、宰相のところへ行くのじゃ」
と答えて、部屋から出て行くのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 宰相執務室 ──
リリベットたちが宰相フィンの執務室に訪れると、宰相の部下が報告している最中だった。宰相は入ってきたリリベットたちを一瞥すると、報告が終った部下に下がるように命じる。その部下は、その場で一礼してから部屋を後にするのだった。
宰相は席から立ちあがると、リリベットの前まで歩き彼女にソファーを勧める。しかしレイニーに対しては席を外すように命じた。レイニーは確認するようにリリベットを見たが、彼女が頷いたので部屋の外で待機している旨を伝えて部屋から出て行った。
宰相はリリベットの対面のソファーに座ると、彼女に訪問の理由を尋ねた。
「それで陛下、今日はどのような用件で?」
「うむ、ラッツがいる街について、何か情報を教えて欲しいのじゃ」
「情報ですか……」
宰相が掴んでいる情報では、あの街には確かにマリーが入った形跡があり、今のところ出て行った様子はないとのことだった。そして宰相でもマリーが現在どこにいるかまでは、確認できていないとのことだった。
「う~む……ラッツが手紙で送ってきたシュレー男爵については、なにか情報を掴めておるのじゃろうか?」
「シュレー男爵については、こちらも調査を進めていますが……彼の周りは異様に警備が厚く、密偵も入り込めない状態が続いています」
宰相が申し訳なさそうな顔で答えると、リリベットは唸り声を上げながら首を捻る。
「陛下、実は私の方からも報告がございまして」
「うむ、どうしたのじゃ?」
リリベットは首を傾げて尋ねる。
「はい、先ほど報告があったのですが、数日前にクルト帝国の宰相が暗殺されたようです」
「なっ!? クルト帝国の宰相が暗殺じゃと?」
リリベットは驚き声をあげて、テーブルを叩きながら身を乗り出した。宰相は落ち着いた様子でゆっくりと頷く。
フィンの報告では数日前にクルト帝国の帝都で、皇帝と食事を共にしていた宰相が急に苦しみだし死亡したということだった。検死の結果、使われた毒は『ザハの毒』であることが判明。暗殺の実行犯は全員自決、そちらの死因もやはり『ザハの毒』であり、ザハの牙が皇帝の暗殺を狙って誤って宰相を殺したのでは? と結論が出されたという。
この暗殺の実行犯は、長年宮殿の調理や給仕、毒見を担当していた信頼できる人物だったらしく。これは八年前のリスタ王国の先王暗殺事件と酷似していた。
「それで、これからどうなるのじゃ?」
「はい、次期宰相はおそらくですが、現軍務大臣レオナルド・フォン・フェザーが有力視されています。つまりフェルト殿の兄上ですが……」
フィンが珍しく言い淀むので、リリベットは首を傾げながら尋ねる。
「ですが……何なのじゃ?」
「実は宰相暗殺が皇帝暗殺の失敗ではなく、元々狙ったことでレオナルド・フォン・フェザーが主犯なのではという声もあるようです」
「なんじゃと!? ふむ……わたしも上の従兄弟殿のことは、よく知らぬのじゃが……どのような人物なのじゃ?」
レオナルド・フォン・フェザー ── 彼を表す最もピッタリの言葉は『天才』以外はない。武術の腕は剛剣公である父ヨハンにも及び、知略においても帝国内でも比類なしと謳われる人物で部下からの信頼も厚い。才能溢れるフェルトですら、彼の前では霞んでしまっているほどである。
「……と言った感じの人物だと評されていますね。もし噂通りの人物であれば、このようなあからさまな行動はしないでしょう」
レオナルドには次期宰相という噂は前々からあり、そんな状態で宰相暗殺など嫌疑をかけてくださいと言っているようなものであり、愚か者がすることであった。
「うむ、そちらの動向にも注視しておいてほしいのじゃ」
「はっ」
リリベットの命令に、宰相は力強く頷くのだった。
◆◆◆◆◆
『宰相の密偵』
クルト帝国を中心に諸外国に放たれている宰相フィンの密偵たち、あくまで諜報がメインで暗殺を担う部門ではないが、リスタ王国の闇の部分を司る部門だと言える。
その出自は、暗殺者や泥棒と言った闇の稼業をしていた人々の再出発組が多いが、宰相が引き取った子供たちが、彼への恩を返すために子飼として密偵になるケースも多い。
密偵同士のネットワークもあり、時々帝国の密偵との小競り合いも起きたりするため、人数が必要な場合は周辺に散っている密偵が集まってきて任務をこなすこともある。