第101話「決意なのじゃ!」
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
へレンが倒れてから数日が経過していた。幸い彼女は復調しつつあり、リリベットも一先ず安心と胸を撫で下ろすのだった。
その間にレティ領から戻ったフェルトとジンリィの二人が、女王の執務室に訪れていた。不思議なことにオズワルトとリュウレの治療後、動けるようになるまで滞在した三日間、そしてリスタ王国への帰路でも特に襲撃はなかったのである。
あの夜の襲撃で数多く撃退されたため、再び襲撃するほどの人員が確保できなくなったのか、それともジンリィの強さに襲撃を諦めたのかはわからず、フェルトたちは首を傾げるしかなかった。
重症の負ったオズワルトとリュウレは入国後立ち寄った西の城砦で、そのまま入院することになったため、王都への帰還報告はフェルトとジンリィの二人だけになった。リリベットは執務机の席に座って二人の話を聞いている。その後ろにはマリーが控えていた。
「ただいま、リリー」
フェルトは微笑みながらの挨拶だったが、リリベットは頬を膨らませてそっぽを向いてしまっている。どうやら寂しくて不満だったらしく、顔を見た途端それが爆発したようだった。それを見てジンリィは苦笑いをしながら敬礼をする。
「主上、コウジンリィ。フェルト殿の護衛任務から、ただいま戻りました」
「うむ、ご苦労なのじゃ。疲れたじゃろう? 数日はよく休むがよいのじゃ」
コロッと態度を変えるリリベットに、ジンリィは思わず笑い出してしまう。
「あははは、それでは報告はフェルト殿に任せて、私は帰って休ませて貰うよ」
ジンリィはもう一度敬礼すると、フェルトを残して部屋を後にした。取り残されたフェルトは、少し気まずそうにしている。
「改めて、ただいま……リリー」
「……怪我とかは、なかったのじゃな?」
リリベットは再びそっぽを向いていたが、小声で呟くように尋ねた。自分を気遣ってくれた言葉にフェルトは、自分の頬を擦りながら二コリと笑う。
「うん、僕はね。これもリリーのお守りのお陰かな?」
その言葉にリリベットは声にならない叫び声と共に、顔を真っ赤にしながら両手を宙を掻くようにジタバタと暴れさせ、そのまま顔を隠すように机に突っ伏したのだった。
しばらくして気を取り直すと顔を上げて、咳払いを一つしてから改めて尋ねる。
「ごほんっ……それでは報告を聞かせるのじゃ」
フェルトは道中の襲撃や街に着いてからの出来事、リュウレやオズワルトの状況などを報告していった。リリベットは相槌を打ちながら話を聞いている。
「……と言った感じかな」
「『ザハの牙』に『傀儡術』……よく無事じゃったな」
「うん、ジンリィさんには、だいぶ助けられたよ……っ!?」
それまで笑顔だったフェルトが急に顔を凍りつかせたので、リリベットが首を傾げる。
「どうしたのじゃ? ……っ!?」
フェルトの視線を追ってリリベットが見たものは、今まで見たことないような顔で笑っているマリーだった。その彼女が横にいるリリベットすら、聞き取れるかどうかの小さな声でボソリと呟いた。
「……見つけた」
いつもと様子が違うマリーに、リリベットは恐る恐る尋ねる。
「……どうしたのじゃ、マリー?」
「何がですか、陛下?」
先程の怖い雰囲気はすでになく、いつも通りのマリーだった。リリベットは気のせいと思うことにして首を振ると
「な……何でもないのじゃ!」
と微笑むのだった。
しかし、その数日後マリーは寝室に置き手紙を残し、王城から姿を消したのである。
◇◇◆◇◇
数日後、リスタ王国 王城 女王執務室 ──
「な……なんじゃとぉ!?」
突然、廊下まで聞こえるような叫び声が鳴り響いた。リリベットの叫び声である。彼女がこんな大声を張り上げるのはとても珍しく、側にいたお付のメイドも驚いた表情を浮かべている。彼女が持ってきたマリーの置き手紙を読んだ瞬間、リリベットが大声を張り上げたのだ。
置き手紙の内容は日々の食事には十分気をつけることや、来客時はローブをちゃんと着ることなど、リリベットを心配するお小言が書かれており、最後に別れの言葉と共に『血の制裁を』と記されていた。
その時突然執務室のドアが開いて、今日の護衛担当だった近衛隊のラッツが入ってきたのだった。
「陛下! どうしたんですか!?」
顔面が蒼白になっているリリベットが、入ってきたラッツを見つめている。彼女は震えた手で置き手紙をラッツに手渡しながら
「マリーが……マリーが出て行ったのじゃ」
と力なく呟いた。ラッツは驚いた顔をすると、受け取った置き手紙を読み始めた。読み終わると慌てた様子で部屋を出て行こうとするが、それをリリベットが怒鳴るように止める。
「ラッツよ、どこに行くのじゃ!」
「どこって……マリーさんを捜しに行くんですよ!?」
リリベットは、諦めた表情を浮かべると首を軽く横に振る。
「無駄なのじゃ。マリーは一度決めたら曲げたりしないのじゃ」
「何を言ってるんですか、心配じゃないんですか? だって、これ遺書みたい……」
ラッツはそこで口を噤んだ。この目の前にいる幼子が、いつも家族のように一緒にいた女性を心配していないわけがないのだ。それでも必死に我慢して、気丈に女王としての態度を示している。
ラッツは目を瞑ってしばらく考えたあと、目を開いて真剣な顔をリリベットに向けると敬礼する。
「陛下、俺に行方不明者の捜索任務を、お与えください。必ず……必ず捜し出して無事に陛下のもとに連れ帰ります!」
その瞳はどこまでも真っ直ぐで、決意に満ちた目だった。その瞳に心が動かされたのか、姿勢を正してからラッツに掌を向けて告げるのだった。
「我、リリベット・リスタの名において、近衛隊員ラッツに王命を持って命じる。マリーをわたしの前に連れてくるのじゃ!」
「はっ!」
ラッツは再び敬礼すると、部屋から出ようと歩き出した。その背中にリリベットが
「ラッツよ、おそらく西じゃ……まずは西の城砦へ向かうのじゃ」
と伝えた。これはフェルトの報告を聞いた時、マリーの様子がおかしかったことが、ずっと心に引っ掛かっていたからである。ラッツは振り返って頷くと、そのまま部屋を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 西の城砦 病室 ──
ラッツに王命が出てから二時間ほど経った頃、いつものメイド服ではなく旅装束を着たマリーは、リュウレたちが入院している病院に訪れていた。リリベットの慧眼は間違っていなかったのだ。
マリーは病室に入ると、リュウレの眠っているベットの脇に座った。リュウレは相変わらず感情を表に出さずマリーをじっと見つめる。
「お加減はいかがですか?」
「……問題ない」
「それはよかった。ところで……別に貴女を害そうとは思ってませんので、ベッドの中で握っているナイフは不要ですよ?」
ニコリと微笑むマリーに、リュウレは大人しく手をベットから出すとマリーに見える位置に置く。
「それで、血染め……何の用?」
「その名で呼ばないでいただきたいのですが……まぁいいです。貴女が捕まっていたというシュレー男爵について、知ってることを全て話してください。特に警護状況などを詳しく」
「……男爵? あの貴族のこと?」
リュウレは問われるままに、男爵邸にいた時の話をマリーに聞かせた。かなり厳重な警備体制を敷いているらしく、マリーは眉を顰める。
「かなり多いですね。……参考になりました、ありがとうございます」
マリーはお辞儀をすると立ち上がり、入り口まで歩き振り返りながら微笑む。
「それではお大事に」
◆◆◆◆◆
『マリーの置き手紙』
マリーが王城より姿を消した夜、彼女は机に向かって手紙を書いていた。リリベットのことを考えながら書いていたため、所々で思い出しながら口元が緩む。
「陛下、泣いてしまうかしら? ……いえ、きっと大丈夫」
別れの言葉までは穏やかな表情をしていたマリーだったが、最後の『血の制裁』の文字を書くときだけは、この国に来る前のマリーと同じく決意の表情を浮かべていた。