第99話「傀儡術なのじゃ!」
クルト帝国 領都近郊の街 宿屋 ──
ボタボタと水がこぼれるような音と共に、部屋の床に赤い点がついていく。突き飛ばされベッドの上に倒れているフェルトは、すぐに身を起こして叫んだ。
「オズワルトさんっ!?」
名前を呼ばれたオズワルトは、苦悶の表情を浮かべながら左腕を振り回して、小柄な人影……黒装束を着た刺客を振り払う。彼の左脇腹には黒い短剣が深々と刺さっており、血が滴っていた。
距離を取った刺客は無言のまま、再び飛び掛るタイミングを計るようにゆらゆらと揺れている。
「こいつ……」
オズワルトはその見覚えのある動きに眉を顰めたが、脇腹の痛みを我慢して剣を構える。
しばらく緊張感と共に重たい空気が流れたが、次の瞬間とても怪我をしている者の動きとは思えない斬撃が、黒装束に向かって振り下ろされた。しかし刺客はすでにそこには居らず、オズワルトの剣は木製の床に突き刺さる。
斬撃を避けて横に飛んでいた黒装束が壁を蹴ると、三角飛びの要領でさらに高い位置から、フェルトに対して小振りのナイフを四本投擲する。
その内の二本が身を挺してフェルトを護るオズワルトの、脚と肩に突き刺さった。
「ぐぅ!」
「オズワルトさん!」
オズワルトは苦悶の表情を浮かべながらも振り返り、再び刺客に対して剣を構えた。初撃の負傷が無ければと思いながらも、なんとしてもフェルトだけは逃がそうと考えたオズワルトは
「フェルト様、ここは私がっ! 窓から逃げて、ジンリィ殿と合流してください!」
と外のジンリィにも聞こえるように大声で叫び、剣を振り上げながら刺客に斬りかかった。刺客はその渾身の一撃すら避けて、カウンター気味にナイフをオズワルトの首筋を目掛けて振り抜いた。
ガキィィィィィィ!
激しい金属音と共に火花を散らす剣とナイフ。ナイフがオズワルトに届く前に、フェルトが剣を割り込ませていたのだ。
「やらせはしないっ!」
◇◇◆◇◇
クルト帝国 領都近郊の街 宿屋の外 ──
最後の頭目を殴り倒したジンリィの耳に、オズワルトの叫び声が聞こえて来た。
「フェルト様、ここは私がっ! 窓から逃げてジンリィ殿と合流してください!」
その声に反応して、ジンリィは宿の二階を見上げると舌打ちをする。
「チィ、こいつらは囮ってわけかい……やられたねぇ」
そして二階の窓から中に入ろうと跳躍した瞬間、体に糸のようなものが巻きついてきて阻止されてしまった。
空中でバランスを取って地面に着地したジンリィは、両腕の動きを封じた糸が伸びてきている方を睨みつける。
「これは鋼糸か……誰だい!?」
その声に応じて、建物の影から一人の青年が姿を現した。鋼糸のスロウである。
「おいおい、こっちのセリフだぜ。囮とは言え、五十人はいたと思うんだがな……おっと、動くなよ。その鋼糸は、お前をバラバラにするなんて造作もないんだからな」
その言葉にジンリィは豪快に笑う。
「あっはははははは、こんな鋼糸で私をバラバラにするって? 最近は聞くことがなかった大言だよ。やれるもんなら、やってみるといい」
ジンリィから放たれた殺気ゆえか、スロウは突き動かされるように鋼糸を引っ張った。
しかし、その瞬間ジンリィに巻きついていた部分から一斉に鋼糸が爆散した。
「なっ!?」
「気には、こういう使い方も出来るのさ」
ジンリィは気を鋼糸に張り巡らせて、内部から膨張させたのだった。そして残っていた鋼糸を掴むと、スロウを引っ張り寄せて右手で首を掴んで締め上げる。
「カハッ!」
苦悶の表情を浮かべながら足をジタバタさせるスロウだったが、ジンリィはそのまま二階を見上げると、跳躍して二階の壁に向かってスロウを投げつけるのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 領都近郊の街 宿屋 ──
フェルトと小柄な刺客が対峙していると、突然木が砕け散る音と共にスロウが壁を破って中に転がり込んできた。その乱入に巻き込まれる形で、小柄な刺客も部屋の隅まで吹き飛ばされる。
壁に穴が開いたことによって月明かりが部屋を微かに照らす。照らされた月明かりの元に、立ち上がった小柄な刺客がフラフラと歩み出た。その姿を見たフェルトは驚きの表情と共に呟く。
「……リュウレ?」
その姿は間違いなく行方不明になっていたリュウレだった。フェルトは彼女の元に駆け寄ろうと一歩前に出ようとするが、オズワルトに止められる。
「いけません……彼女は明らかに貴方だけを狙っている」
「そんなバカな、リュウレだよ!?」
その時、壊れた壁からジンリィが入ってきた。そしてリュウレの姿を確認すると嬉しそうに微笑むが、すぐに睨むように目は細めた。
「確かに可愛い子だけど……どうやら操られてるようだね。今まで襲ってきた連中も、どことなくそんな雰囲気があったけど趣味が悪いったらないねぇ」
彼女の出身国であるジオロ共和国にも、傀儡士という人を操って暗殺などに使役する者たちがおり、ジンリィも何度か戦ったことがある。自身の手を汚さない手段であるため、暗殺者の中でも忌諱される存在である。
しばらくしてダメージから立ち直ったリュウレは、袖口から黒いナイフを取り出すとフェルトに向けて飛び掛った。ジンリィはすぐさまフェルトの襟を捕まえると、一緒に一階まで飛び降りた。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 領都近郊の街 宿屋前 ──
「うっ……うわぁぁぁぁぁ」
突然の出来事に悲鳴を上げるフェルトに合わせて、リュウレが部屋から飛び出してきた。
「狙いがフェルト殿だけってのは確かなようだね。『奴を殺せ』とかそんな感じの簡単な暗示のようだ。まぁ私に任せな、傀儡の術とは何度か戦ったことがあるしね」
ジンリィは腰を落として拳を構えながらそう言うと、彼女の右手に赤い霧状のものが集まっていく。尻餅をついていたフェルトは、彼女を見上げながら
「な……何をするつもりですか?」
と心配そうに尋ねる。ジンリィは苦笑いを浮かべながら答えた。
「ちょいと悪い気を吹っ飛ばすのさ! 可愛い子を殴る趣味は無いんだけど……まぁ骨の二、三本は勘弁しておくれよ」
ジンリィはそこまで言うと息吹と共に、さらに赤い霧が右拳に収縮させる。それに合わせて地面や空気が震えるように振動していた。
おかしな気配がするジンリィを警戒していたリュウレだったが、突然フェルトに向かって飛び掛ろうと動き出す。
その瞬間……勝負は決まった。
リュウレが一歩踏み込んだところで彼女の鳩尾付近に、いつの間にか踏み込んでいたジンリィの掌底が突き刺さったのだ。
リュウレの体がくの字に曲がり、メキメキっと骨が軋む音と共に口から小さな卵状の物を吐き出すと、そのまま宿の壁まで吹く飛ばされ壁を壊しながら転がっていった。
「リュウレ!?」
吹き飛んだリュウレを心配して、駆けつけようとしたフェルトの肩をジンリィが掴んで止める。
「まだ終わってないかもしれない」
その言葉と同じくして瓦礫の中から、ガラガラと音を立てながら、口や額から血を流しているリュウレが現れた。
「……殺す」
明確かつ純粋な殺意を向けられて、呆れた顔で首を振るジンリィが呟く。
「やれやれ……まさかあの瞬間、後ろに飛んで衝撃を緩和するとはね」
「リュウレ、もうやめるんだ!」
フェルトの言葉に、しばしの沈黙が訪れる。
そして、リュウレの頭がカクッと傾き
「……フェルト様、どうしてここに?」
と呟いたのだった。
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『傀儡術』
薬や精神的な洗脳から、魔力や気を使って対象者を操る術の総称。長い年月がかかる時間のかかる精神的な洗脳でなければ、服薬やディスペル系の業や魔法で対処が可能。
今回ジンリィが使ったのは気を使った『破邪術』で、気を打ち込んで内部から邪悪な気を霧散させる業である。これ自体は基本的に肉体的には無害な業だが、相手が止まってなくてはならず打撃とセットで使うことが多い。