七
※いつもより長いです。
主神は戒めを解かれた狼に呑まれた。狼は主神の子に裂かれた。
雷神は海中より現れた大蛇と戦い、撃ち倒したが毒を受けて斃れた。
隻腕の神は冥界の番犬と共に倒れた。
奸智の神は彼が唯一罵らなかった番人と相打ちになった。
豊穣の神は炎の巨人と争うが、嘗て求婚の為に剣を手放したことが仇となって死んだ。
炎の巨人はその眷属と共に炎をまき散らし、全世界を燃やし尽くした。
***
「痛み止めを飲んで寝付けたと思ったら、直ぐに鶏が鳴いた」
余り眠れなかった事は、顔でわかった。
「昨夜に限って、傷が酷く痛んでな」
***
顔を洗う水が濁り出して、血の様に紅くなった。取り替えてきても、同じ結果。
やむなく濡らした手拭で顔を拭いたら、使用済みの手拭は真っ赤になっていた。
こんなあからさまな凶兆を前にしても、当の本人は気にする素振りを見せなかった。
馬車に乗ろうとすれば、張悌が昨年拾ってきた
―――というか勝手についてきた―――黒い犬が、裾を引っ張ってきた。
「どうした。お前も参内したいのか?」
突然、その勢いが増し、危うく馬車から転げ落ちる所であった。
「おい、こいつを繋いどけ!」
張悌が引き離そうとするが、中々離れてくれない。
やっと諸葛恪の衣から引き剥がすと、今度は張悌の手に噛み付いた。
馬車が出発した頃に、やっと押さえつける事ができた。
鎖につながれたその刹那も、瞳は馬車の方を向けていた。
「大丈夫か、巨先(張悌)!」
「いいえ、大した傷では御座いません」
「いや、犬の咬み傷は時として命に関わるともいう。父上の様になっては遅いのだ。今すぐ医者へ向かえ!」
いつもと人が打って変ったような諸葛恪の次男・諸葛竦の剣幕に押され、
張悌は渋々諸葛家に時々通う医者の家へ一人向かった。
***
参内中に滕胤邸前に馬車を見つけた張約は、
半ば助けを求めるように「こんなに凶兆が盛りだくさんなのに、宴に出るって仰っているのですよ!!」と叫び、
滕胤もそれに賛同するように「体調が万全とは言えないのだろう?」と暗に帰宅を促した。
彼等の意見をなおも振り払い、諸葛恪は馬車を内裏へ進めた。
人間、死ぬ時は死ぬのだ。諸葛恪の前から光が突如として消え失せたように。
だが、彼も悪知恵には自信がある。彼を奸智で斃す者がいるとしたら、それこそ先は長くあるまい。
***
此度の宴の支度を整えた孫峻が、囁く。
「丞相、まずは盃を――」
「いや、医者から『傷に悪いから』と酒は止められている。
その代わり、『どうしても御飲みになりたければ』とこの、調剤していただいた薬酒を」
諸葛恪は、張約に持たせていた酒甕を見せた。
「子遠(孫峻)、余り怪我人に無理強いさせるものではないよ」
「そうですか、失礼」
***
全てが輝いていた。私は、その輝きの近くに身を置けたからこそ、この才智を発揮する事が出来たのだ。
光がなければ、全ては闇に埋もれて見つからぬ。活動を停止し、凍てつき、やがて滅びが訪れる。
この国から光が消え失せてからというもの、明けぬ夜と冬の世界が続く。
私の信ずる人々でさえも、その永い冬の中で幾人も斃れた。
もうあの光が還る事はないと解ってはいるが、滅びの時など迎えさせはしない。
この脳漿は、この国に再び春を齎す為に存在するのだろう。
だのに、錯乱した凡人共は、私を諸悪の根源のように追い回す。
私は、ひたすら闇を走る。背後から、追っ手の声がする。
奴らの位置を確認しよう振り向くと、矢が飛んできて、額を掠めた。
二度と貴様らの為になど振り向いてやるものかと決意し、再び走り始めた刹那、胸元に鋭い痛みが走った。
胸元を見ると、何か鉄の刃物のようなものが生えていた。
矢ではない。戟だった。
「逆賊諸葛恪に、天誅を下す!」
諸葛恪はやっと自分の身に何が起こったのかを理解した。
短刀を抜いたが、もう間に合わなかった。孫峻が戟を捻りながら抜き、更に激痛。
支えを失い、倒れ込んだ。
「卑怯なっ!」
張約が抜刀し、孫峻に斬りかかった。
しかしその攻撃は彼の指を僅かに傷つけるに留まり、張約の右腕は宙を舞った。
諸葛恪の躰には幾つもの白刃が振り下ろされた。
「この国っ、を…っ、再、び、輝か…すこと…きさっまに、できるのか…?」
朱く染まった左手を、灯火の方に伸ばしたところで、瞳の光が消えた。
諸葛恪暗殺前後は演義でも正史でも屈指の『死亡フラグのフルコース』なんで、全てを書ききれないのが辛い。