四
父神は、御子の死が神々の世界の破滅を齎す切欠で或る事を知っていた。
母神は、冥界に使いを出して冥界の女王に彼の蘇生を嘆願した。
冥界の女王は「全世界の者が彼のために涙するというならば帰そう」と約束した。
全ての生きるものと生きないものとが彼のために涙した。
ところが、たった一人、洞窟の女巨人が涙を流そうとしなかった。
神々の使いが彼女に懇願するが、彼女は歌った。
『私は御子とやらのために乾いた涙しか流さぬ』
『生きようと死のうと私にとっては同じだから』
『冥界の女王、持てるものを放すな』
そして御子は遂に帰ることはなかった。
女巨人は、冥界の女王の父である奸智の神が姿を変えていたものであった。
***
今、諸葛恪の軍は建業へ退いている最中である。
彼が倒れたその日を境に気温が上がり始め、たちまち疫病が襲った。
「動員した兵は既に半数以下にまで減少しています、これ以上の戦は無理です!」
「黙れ!貴様らがその様な事をほざくから、余計に兵の士気が下がるのだ!
今度その様なことを申したら、その場で斬り捨てるぞ!」
そう怒鳴られた都督は、数日後に魏に降ったと聞いた。
漸く動けるようになった彼が巡察をしたところ、
暑さから生水に手を付け、下痢や黄疸の者が大半となり、 路を彷徨い、穴や溝で動かなくなる者が多かった。
山越討伐等で数々の功績を挙げ、数多の戦場を見てきた彼も、
ここまで酷い生き地獄絵図には遭遇したことが無かった。
最早、彼自身も胸の矢傷が悪くなる一方であったので、退くより外無かった。
その退却を、待っていた者達が当然いた。
魏軍が、三万の騎兵を以て追撃した。たちまちにして、七万以上の兵を失った。
退く途中の潯陽で一月程屯田を図ったが、建業から詔が来て、やっと帰る事になった。
民はもう二度と彼に心寄せることはないだろう。
―――元遜殿とは思えない失態だ。
張悌は、自らがいまだ五体満足で或る事を奇跡だと感じる程であった。
敗走の途上で諸葛恪は幾度も喀血したが、
『胸を矢で射られたからであろう』とその真の意味を問い質す者はなかった。
全く関係ありませんが、筆者は大学に提出するレポートの中で『山越』を悉く『三越』と誤植し、
提出直前に修正液で皆書き直したという苦い思い出があります。