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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
十二冊目 セバストポリ
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第八十九面 報告お疲れ様

あるドミノの話。

「坊ちゃんなら出かけてるぜ」


 屋敷を訪れた俺に対し、裏門の脇に立っていたヘンリーはそう言った。


「報告なら俺が聞くよ。上がりな」


 ふさふさの黒い尻尾が揺れる。ヘンリーに案内されて俺は裏口から屋敷の中に入った。使用人の気配もしない薄暗い廊下を進み、ヘンリーの部屋に通される。


 部屋というよりも、まるで牢獄のようだった。石の壁が冷たく空間を取り囲んでいる。壁際には人間トランプの女の形をした鉄製の何かが置かれていて、壁からは鎖が垂れ下がり、錆びた剣や鋸がぶら下がっていた。


「この部屋は居心地が悪い」

「俺は好きだよ。本能が愉悦を感じる。こいつとかで痛めつけたら、さぞいい声で鳴くんだろうなって……。へへ、ふへへへへ……。おっと、いけないな。妄想で燻り狂っちまうぜ。首輪してても本能には逆らえないよなあ。危ない危ない」


 ヘンリーは首元に手を当てる。鋭いスタッズの付いた首輪がしっかりと嵌められていた。


「じゃあお話聞こうかな。ユニコーン、今日は何の用だ」


 薄暗い部屋の中で赤い瞳が揺れている。まともな光源がないにもかかわらず、ヘンリーの足元には濃い影がゆらゆらと揺らめいていた。あまり長い間足元を見ていると影に飲まれてしまいそうだ。


 俺は石壁に凭れる。


「やはりあの少年は怪しいな。家の近くで張っていたが、あの家に入る所もあの家から出る所も見ていない。それなのに家にいる」

「裏口から出入りしてるんじゃないのか、オマエがうちに来る時みたいに」

「そうだろうか」

「オマエも坊ちゃんも気にしすぎなんだって。でもまあ、報告はちゃんと坊ちゃんに伝えておくよ」


 留守の主の姿を思い浮かべているのだろうか、尻尾がぱたぱたと動く。従順な犬だ。飼い主の手を噛まなければいいが。


 ヘンリーは机の上に置かれた本のページを捲る。臓物のはみ出た動物のデッサンがちらりと見えた。趣味の悪いやつだ。俺にはよく分からないが、この部屋に置かれたあらゆるものはそういう類の使い方をするのだろうな。


「報告お疲れ様。帰っていいよ」

「オマエ、好きだよなそういうの」

「ああ、これか? わくわくするだろ。血とか見てると興奮するしよ……。くそっ、落ち着けよ俺。落ち着け……」


 ヘンリーは首輪を撫でる。しばらくそのまま俯いていたが、顔を上げたかと思うと俺に飛び掛かって来た。歪められた口元からは涎が垂れている。


「馬肉が食いたい……」


 牙が俺の首に触れる直前で殴りつける。


「ぎゃんっ」

「俺を食べようとするな」

「冗談だよ」

「半分本気だったような気もするが」


 俺から体を離し、机の方へ戻っていく。ヘンリーは涎を拭いながらにやにや笑っている。


「オマエと一緒にいるライオンの姉ちゃんいるだろ?」

「キャシーか」

「あの柔らかそうな頬、ほどよい大きさの胸、腰から尻にかけてのライン、引き締まった腹筋、健康そうな脚……。美味そうだよなあ……」


 気が付いた時、ヘンリーが壁に打ち付けられていた。俺の足は高く上げられている。ずるずると床に滑り落ちたヘンリーが咳き込む。


「いってぇ……。いきなり蹴り飛ばすなよ。冗談に決まってんだろ」


 無意識に蹴っていたらしい。俺は足を下ろす。


「喰わねえよ。でも、美味そうなのは確かだな」

「次は本気で蹴るぞ」

「ふへへ。好きだよなあ、オマエも」

「アイツはただの同僚だ」


 俺がそう言うとヘンリーは嘲笑うような笑みを浮かべた。


「何の話してるの? 蹴ること好きだよねえって言ったんだけど?」

「オマっ……」

「あはははははは。何勘違いしちゃってるのー?」


 このまま対峙していると再び蹴り飛ばしそうだ。さっさと帰ろう。


 薄暗い部屋の中、赤い瞳が揺れている。嘲笑を浮かべるヘンリーに背を向けて俺は部屋を出た。裏口から屋敷の外に出て、裏門から通りに出る。





 商店街で猫の兄弟を見かけた。片方はとても猫には見えないが、あれでも兄弟なのだという。猫に見えない方の弟は年末年始にかけて色々あったらしいが、様子を見る限りではだいぶ落ち着いて来たのだろうか。


 そのまま立ち去ろうとしたが向こうに気が付かれてしまったらしい。声をかけられた。適当に何か話して別れよう。今夜も仕事だから早く帰って昼寝をしたい。


「兄弟仲良く買い物か」


 二人の顔がそっくりに歪む。この話題は振らない方がよかったか。


「仲良くないですし、こんな猫は兄ではありません」

「買い物だけど、こんな帽子屋は弟じゃない」


 面倒臭いことになった。


 チェシャ猫と帽子屋は互いのことを「兄弟ではない」と言いながら叩いている。じゃれているのか。仲良しだな。


「今夜も仕事なんだ。一休みしたいんだが帰ってもいいか」

「呼び止めてしまい申し訳ありません」

「頑張れよー」


 兄弟と別れ、俺は帰路に着く。家に帰ると父が出迎えてくれたが適当に相手をして自室に入った。キャシーが迎えに来るまで寝よう……。





 午後八時頃、キャシーが家に迎えに来た。母から手渡された弁当を持って外に出る。


「ううー、寒いね。雪降ってるんだよー」

「厚着すればいいだろう」

「でも動いたら暖かくなるし、いいかなあって」


 薄手のコートにマフラー。その中は相変わらず露出が多い。


「よーし、パトロール開始!」


 元気よく駆け出したキャシーの後を追う。


 チェスハンター。その名の通り、チェスを狩る者。最初は幼馴染のキャシーと共に、チェスに襲われているトランプをきまぐれに助けているだけだった。次第に注目されるようになり、いつしかそれが仕事になった。


 北の森には雪が深く積もっている。空から降ってくる雪もなかなかやみそうにない。このままでは俺は白馬になってしまうな。


 これほど雪が降り続いていて寒いのだ、森を歩いているトランプなんていないだろう。しかし、そのような油断は禁物だ。好き好んで森を歩いているやつもいるかもしれないし、昼間に迷ってそのままのやつもいるかもしれない。


「ぎ、ぎぎぎぎぎ……」


 軋むような音が聞こえて来て、キャシーが立ち止まる。


「今の音、チェスだよね」


 時折チェスが発する謎の声。金属が錆びて軋んだような音。実際に鎧が軋んでいるのかもしれないが、わざわざ口で言っているチェスもいるのだ。何か彼らにしか分からない合図のようなものなのだろか。それとも鳴き声なのか?


 声のする方へ歩み寄り、二人で茂みに隠れる。


 黄色い鎧を着た人物が三人歩いている。剣を携えた者と、大振りの銃を肩に掛けている者と、法衣を纏い杖を持っている者だ。黄色の陣営のポーン、ルーク、ビショップか。近くにトランプの姿は見えないからこのまま様子を見ることにしよう。


 ポーンが兜の前を開けて周囲を見回す。ルークは銃の手入れをし、ビショップは杖を撫でている。


「あっ」


 何かに気が付いたらしいポーンが小さく声を上げた、その瞬間だった。チェス達の斜め前方から飛んで来た矢がポーンの兜を跳ね飛ばした。違う、兜ごと首を飛ばした。ポーンは鮮血を噴き出して雪を赤く染めながら倒れ伏す。矢の飛んで来た方向を確認し、ルークとビショップが銃と杖を構える。


 斜め前方からの遠距離攻撃ということは別の陣営のビショップだろうか。クイーンも遠距離攻撃をすると聞くが、クイーンが簡単に姿を現すとは思えない。


「そこかっ!」


 黄のビショップが杖を振り上げる。しかし飛んで来た矢が腕に当たり、杖を握ったままの手首が吹き飛ばされた。


「ああっ、あ、て、手がっ、あぁっ!」

「下がっていろ、ここはオレが」


 体の向きを変えて数歩進んだルークが銃を構えた。撃つ前だが、銃口から影のような煙が上がっている。照準を合わせて引き金に指をかける。チェス同士の戦いを、俺達は息を殺して見守る。


「そこだっ」

「ひゃっはー!」


 ルークが引き金を引く直前、愉快そうな声が聞こえた。相手のチェスだろうか。そして、無数の矢が降り注いだ。ルークの頑丈な鎧は傷付いただけで済んだようだったが、法衣のビショップはポーンと同じように雪の上に倒れた。いくつもの矢を受け、見るに堪えない姿となっている。


 ビショップの状態にさすがのキャシーも恐れをなしたのか、俺に擦り寄って来た。チェスハンターと雖も、あれほどまでにむごいものを目にすることはほとんどない。俺達は装甲を破壊し、確実に急所を突き一撃で仕留めるからだ。


 ルークはポーンとビショップを振り向き、息がないことを確認すると銃を下ろした。そして足下から影を放ってその中に消えてしまった。諦めたのだろう。


「ギャアアアアオオース」


 地の底から響くような咆哮が聞こえた。やや遠い位置にいる上に雪が降り続いているため視界が悪い。目を凝らして見ると、大きくて黒い何かが空中に浮かんでいた。その下に人影が見える。あの人影が弓を放ったチェスだろうか。一緒にいるのは何だろう。


 大きな何かとチェスがこちらへ近付いてくる。


「この程度か。つまらないな」


 くぐもった声が聞こえる。チェスがドミノを襲うことはないだろうが、用心するに越したことはない。俺達は音を立てないように様子を窺う。


 そして、黒い何かがその姿を俺達の目の前に晒した。髭や触覚のようなものを揺らし、赤い瞳をぎらつかせ、鋭い爪を光らせている。俺は悲鳴を上げそうになったキャシーの口を押える。それは、おどろおどろしい漆黒の龍だった。


 龍は黄のポーンとビショップに食らい付き、鎧ごと噛み砕く。辺りがどんどん赤くなっていった。


「よしよし、たんとお食べ。トランプよりもチェスの方がいいかもしれないねぇ」


 チェスは木陰で龍を見ている。しかし、先程とは俺達との位置関係がずれている。月明かりが逆光になっていてシルエットしか分からない。大振りな弓を携えているが、それよりも目を引くのは頭に被ったシルクハットだった。なにやら飾りが複数付いているようだ。


 全てを喰らった龍が帽子の男の方へ飛んでいく。


「帰りましょう」


 そのまま彼らの姿は森の向こうに消えて行った。


 あの龍の外見はアイツが言っていた通りだ。あれが、ジャバウォック……? いや、それらしきもの、か。


「むぐー! がうっ!」


 キャシーに手を噛まれた。


「いっ……」

「苦しい! いつまで口塞ぐのよ!」

「悪い」


 キャシーはチェスと龍が去って行った方を見る。……いいや、あれはチェスだったのか? あれは、どう見ても……。


「ねえ、あれって帽子屋さん……? ちょっと声が違ったけど、何かで口を覆ってるみたいだったし……」

「アイツは無罪になったはずだ」

「でも……。……チェスなら影に消えるはず。あの人徒歩で帰ってたわ」


 確かにそうだ。あの帽子の男は徒歩だった。しかし、帽子屋がチェスを殺して龍に喰わせる理由が見付からない。そもそも、あの龍はどこから来たんだ。家に置いているのを見たことはない。


「ねえ、明日本人に確認に行ってみようよ。噂でしか聞いてなかったけど、アタシ達ついに見ちゃったんだし」

「そうだな」


 帽子屋本人と兄のチェシャ猫に確認を取って、その後アイツに報告しに行こう。留守だとまたヘンリーの趣味の悪い部屋に通されることになる。アイツが屋敷にいますように。












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