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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
十二冊目 セバストポリ
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第八十八面 立派になったね

あるドミノの話。

 約二十年前、コーカスレースの活動が軌道に乗り始めた頃。南東の島国プラーミスクで大規模な噴火があった。南東の国は常に煙を上げている火山国家のため、国民は定期的に避難訓練等を行っており、溶岩が溢れようともほとんど死傷者が出ない。しかし、その時の噴火は想定外のものだった。いくつもの山が同時に火を噴き、大量の溶岩や火砕流が土地を薙ぎ払って行った。


 観光で訪れている者や、移住して住んでいる者など、プラーミスクにもワンダーランドの者は少なからずいる。そのようなドミノの支援のため、儂はグスタフと共に現地を訪れた。


 そこで儂は小烏を拾った。燃え尽き、荒れ果てた家々の中、彼だけが生き残っていた。酷い火傷を負っているようだったが、命に別状はないようだった。儂はみなしごとなった彼のことを手元に置いた。あの災害の中生き残ったこの子は強運の持ち主かもしれない。大事に、大事に育てよう。





          ○





 極秘依頼で謎の龍について調べることになり、我々は南東の浜辺を訪れていた。ホテルに泊まろうと思っていたが、ウミガメモドキの若者が是非協力させてほしいと言って来たので彼の店に世話になっている。


「ハワード、そろそろお茶にしよう。イグナートを呼んできてくれるかな」


 書類に目を通していたハワードが顔を上げる。


「分かりました」


 ハワードは眼鏡のブリッジを押し上げると、書類の束を整えた。


「ひとまず、これを部屋に置いてきますね」


 そう言って奥の階段を上って行く。様子を見ていた店主のパーヴァリが盆を手にしたまま歩み寄って来た。亀の甲羅から牛の顔が出ている難解な生き物だ。


「コーカスレースさんって、やっぱり忙しいんですか?」

「なあに、忙しいのはハワードだけだよ」

「梟さん、過労で倒れません?」


 パーヴァリは首を傾げる。


「ハワードは仕事が趣味だからね」

「おー、ワタシと一緒ですね!」


 おそらく違うと思う。


 書類を置いてきたハワードが下りて来て、外へ出て行く。彼は本当に真面目で気が利くいい子だ。イグナートの傍に置いて正解だった。手負いの烏を支えるのに、儂だけでは力不足だから。


 家族を失い、自らも深手を負った小さな烏は儂に心を開かなかった。光り物に興味があるようだったので宝石を与えてみると、その時だけ笑顔を見せてくれたのだ。当時所属していた梟が息子を連れて来た時、小烏は遊び相手になってくれたその息子に随分と懐いてしまった。それ以来、梟の息子は学業の合間を縫って岩の広場を訪れるようになったのだ。兄ができたようだと言って儂に笑いかけてくれた顔は、つい最近の出来事のように思い出せる。出入りしていたアヒルの令嬢にも随分とかわいがってもらったようだった。それから少しずつ、儂にも心を開いてくれるようになった。


 パーヴァリが海の方を見る。つられてそちらを見ると、イグナートとハワードが並んで座っているのが見えた。


「烏さん、格好いいですよねえ。お若いのにコーカスレースのオーナーだなんて」

「儂の自慢の息子だよ」

「息子? おじいちゃんはドードーですよね」

「あの子はプラーミスクの出身でね。ほら、昔ものすごい噴火があっただろう」

「んー、ワタシもすっごくちっちゃい時ですね。でもすごかったのは覚えてます。火山灰がここまで飛んできましたからね」


 惨状を思い出したのだろうか、パーヴァリの表情が曇る。


「あの子は火砕流で壊滅した村の生き残りなんだよ」

「へえ」

「おっと、この話は口外しないようにね。コーカスレースのオーナーたるもの、敵も多い。過去話で揺すられても困るから」

「任せてください! ワタシ、秘密は守ります!」





 その夜、イグナートの叫び声で儂は目を覚ました。平気だと言っていたが、やはり駄目だったか。寧ろ今日までよく耐えたと思う。


 寝ずに仕事を続けていたハワードが駆け寄って介抱する。やがて落ち着いたらしいイグナートは、シャワーを浴びると言って部屋を出て行った。


「起きてるんでしょう、チャドじいさん」

「おや、気が付かれてしまったか」


 ハワードが座り直し、椅子が軋んだ。儂は軽く体を起こす。


「あまり翼の近くを触らないであげてくれ」

「ええ、すみません……。苦しそうだったので、つい……」


 初めてあの子を見た時、その背中は焼け爛れていた。翼もぼろぼろで、もう飛ぶことはできないのではないだろうかと思った。しかし、恐ろしいほどの回復力によって自在に飛び回る翼を取り戻した。焼けた痕は戻らなかったが。


「イグナートは体が丈夫ですよね」

「怖いくらいにね。……あの子は、特別な子なのかもしれない」

「生き残り、か……」


 ハワードは眼鏡のブリッジを押し上げて溜息をついた。


「君やレベッカがいてくれてよかったよ。これからもあの子を頼むよ、ハワード」

「改まってどうしたんですか」

「イグナートの過去を知っているのは君達とグスタフと儂だけだ。知っている相手だからこそ話せることもあるだろう。儂らがオーナーを支えてやらんとね」

「チャドじいさんは本当に彼のことを大事に思っているんですね」

「儂のかわいい息子だからね」


 表情が緩んでいることが自分でも分かる。儂の顔を見てハワードが笑みを浮かべる。


 子供の成長は早いものだ。イグナートはオーナーとして頑張っているし、ハワードは大学で立派な成績を収め、レベッカに至ってはすっかり奥様だ。嬉しいようで寂しいような、不思議な感覚だ。


「さて、儂はイグナートが戻ってくる前に寝るとするよ」

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 いつまでも見守っていたいけれど、そうもいかないのだろうな、きっと。





 秋頃にアーサーから報酬として巻き上げた帽子を高額で売りさばいた結果、我々は蒸気自動車を一台と、今までの小屋とは比べ物にならないくらい立派な事務所を手に入れた。イグナートが宝飾品を買いあさる前に行動に出たことが吉と出たようだ。収入を放置しているとすぐにイグナートの指輪やピアスへと変わって行ってしまうから。


 結局、南東の浜辺で得たものはイグナートの痛みとハワードの疲労だけだった。北東の森、南西の荒れ地でも今回は何も分からなかった。やはり、ウィルフリッド殿下が見たものは別の何かで、伝承の龍ジャバウォックなどいないのではないだろうか。目撃情報があったものは言い伝えとは性質が異なっているという。


 成果が出ないのは不満だが、依頼人が依頼を取り下げない限りは調べ続けるしかないだろう。


 ロビーでグスタフと談笑していると、来客があった。北東の森に広大な庭を持っている兎の娘だ。


「頼みたいことがあって来たんだけど……」


 いつものような元気がない。


 グスタフが「よっこいしょ」と立ち上がった。


「オーナーを呼んでくるよ。チャドは彼女を応接室に」

「よし。ルルー嬢ちゃん、こっちだよ」


 ルルーを応接室に案内する。ソファに座って待っていると、しばらくしてイグナートがやって来た。その姿を見てルルーが勢いよく立ち上がる。


「イグナート!」

「三月ウサギさん。コーカスレースに何か用事かな」


 ルルーはイグナートの手を掴む。


「探してるの!」

「探す? 何を?」

「すっごい熱なんだよ!」


 すっごい熱? 質問の答えになっていないな。同じことを思ったのか、イグナートは困惑した表情を浮かべている。


 ルルーは焦った様子でぴょんぴょん跳ねているだけで要領を得ない。


「……三月ウサギさん、分かるように説明してくれるかな」

「あ、ごめんね! えっとね、アーサーが湖に落ちた……」

「……え?」


 アーサーは年末年始にジャバウォックもどきの件で色々とあったと聞く。戻ってきたと思ったら湖に落ちただと? それで風邪をひいて熱を出したといったところか。不運な男だ。


「まだ体力が戻っていないのに、あんなになっちゃって……。ねえ! お薬! お薬を探してるの!」

「……薬なら前に帽子屋さんが買いに来たけれど、もうなくなったのかい」

「大掃除の時にニールが間違えて風邪薬捨てちゃったみたいで」

「……馬鹿なのか」


 イグナートが溜息をついた。様々な依頼人から様々なものを報酬として手に入れるため、コーカスレースにはあらゆるものが集まる。薬もその一つだ。人から人へ商品を回していくのもコーカスレースの仕事である。通常ならば人間トランプでないと手に入れることのできない高品質な薬もコーカスレースには揃っている。トランプに使うには強すぎる薬も揃えてあるが。


「お薬ちょうだい!」

「ちょうだいって、お金は? ただで渡すわけにはいかないよ。こちらも商売だからね」

「イグナートのケチ! アーサーが苦しんでるのに助けてくれないの!?」


 ルルーは地団太を踏んだ。


「医者には行ったのかい」

「うん、来てもらったよ」

「薬は出されなかったのかな?」

「コーカスレースが持ってるはずって言ってた」


 そう言ってルルーはポケットから紙を取り出した。どうやら処方箋のようだ。受け取ったイグナートが眉間に皺を寄せる。


「あるなら先に出してくれないかな。無意味な問答をしている間に帽子屋さんの症状が悪化したらどうするんだい」

「困る!」


 イグナートが深い溜息をつき、呆れた顔のまま儂の方を向いた。手にした処方箋を差し出してくる。


「お願いします」

「はいよ。待っててねお嬢ちゃん」


 儂は第二倉庫へ行って処方箋に書いてある通りの薬を薬棚から出し、袋に入れて応接室へ戻る。ルルーは奪い取るように袋を手にすると、「ありがとうチャドじいさん!」と言い捨てて事務所を飛び出していった。


 開けっ放しのドアを見つめてイグナートがまた溜息をついた。


「嵐のような人だ」

「心配なんだよ、大切な友人のことが」

「お代を貰っていないので後で医者に取り立てに行ってきますね」


 やれやれといった素振りで挙げられた手の指には指輪が光っていた。いつか大人になったら。この宝石の似合う時が来たら。そう思いながら小烏にあげたものが、いまではすっかりその右人差し指にぴったりと嵌まっている。


 立派になったね、イグナート。










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