第八十三面 弟を傷付けるやつは俺が許さねえ
王様が苦笑しながら王妃様を宥める。
「アリア、まずは話を聞いてからにしよう」
「ふんっ」
王妃様は席に着く。
「被告人は証言台へ」
先程罪状を読み上げた役人が言う。警察官に伴われて、被告人が証言台に立った。支えられて立っているのがやっとという感じだった。
「被告人、名前は?」
王様が訪ねたけれど、被告人は俯いたまま黙っている。
「もう一度訊くよ。名前を教えてくれるかな。これは確認なんだよ」
「……マーリン……。マーリン・キングスレー……」
消えそうな声で被告人は答えた。
「それは君の本当の名前かな」
被告人が黙っていると、王妃が扇を振りかざした。「王の命令が聞けないのね。首を」まで言ったところで王様が止めに入った。優しい声で王様は再び訊ねる。
「君の名前は?」
「……アーサー……クロックフォード……」
傍聴席が少しざわついた。おじいさんが隣にいたおじいさんに声をかける。「クロックフォードって、あの……?」と言っているのが聞こえた。獣と結婚した物好きな帽子職人。もしかしたらこのおじいさん達は帽子職人の客だったことがあるのかもしれない。
続いて、王様は職業を訊ねた。アーサーさんは絞り出すように声を出す。
「……私はしがない帽子屋です」
検事さんが立ち上がり、改めて罪状を読み上げる。『怪物を操り国を恐怖に貶めた罪』。そして、王様がそれをやったのかどうかアーサーさんに訊ねた。
「私は……何もしていません……」
ひそひそと傍聴席に小さな言葉が駆け巡って行く。人間はおろか、ドミノさえも当たりがきつい。恐ろしい怪物を操っていただなんて聞いたら、怖くてたまらないから仕方がないとも言える。普段のアーサーさんのことを知らない人は疑いの目を向けて、そのまま犯人だと認定してしまうだろう。
警察官に連れられてアーサーさんが被告人席に戻って行った。崩れるように席に着き、俯いてしまう。
「それでは証人は前に出よ」
役人に言われて、トランプが三人前に出てきた。一人が証言台に立つ。彼らはホテル東海岸の従業員だそうだ。彼らが証言したのは黄金祭の前夜に南東の浜辺で起こったことについてだ。ニールさんとルルーさんがパーヴァリさんに聞いた話とほとんど同じだった。パーヴァリさんは呼ばれていないようだ。
次に、南西の荒れ地に住むドミノが証言台に立った。大きくて立派な翼と、キャシーさんのものと似た尻尾を生やしている。そして、鳥の足に似た腕とライオンの足を持っていた。姿形はどちらかというと人型だけれど、見たところ常に手足はあの状態のようだ。
「証人、名前は?」
「グリフォン。グライフヴァルド・オングストローム」
証人はそう名乗った。グリフォン、すなわち、ライオンと鷲が合体した生き物。
グリフォンは南西の荒れ地で起こったことを証言した。南西の荒れ地でも謎の怪物と帽子の男が現れた、と。エドウィンの言っていた通りだ。そして、自分の管理していた温室や畑が駄目になってしまったと報告した。夏の土砂崩れで北に持っている畑も潰れたのにどうしてくれるんだと言っていた。もしかして、パーヴァリさんが提携していると言っていたのはこのグライフヴァルドさんなのかな。
グライフヴァルドさんが下がると、今度はピンクのダイヤを付けたトランプの女の人が前に出てきた。マミさんだ。どうやら三人の中で代表として出ることになったらしい。公爵夫人とラミロさんが「頑張れ」と声をかけているのが見えた。
近くにいた検事さんがくしゃみをした。
「証人、名前は?」
「わたしはミレイユ・コントラクト・ブリッジ様に仕える料理番、マミ・ピミエンタです」
王様に訊かれたマミさんが一礼すると、今度は弁護士さんがくしゃみをした。
イライラした様子の王妃様が扇を振るい、マミさんはびっくりしてちょっと後退る。
「何よこれ」
「も、申し訳ありません! 出てくる前にスープを作っていて、胡椒が服に……」
マミさんがぱたぱたと服をはたくと、検事さんと弁護士さんが立て続けにくしゃみをした。陪審員達もくしゃみをする。警察官もくしゃみをしていたけれど、アーサーさんは特に何の反応も示さなかった。
弁護士さんがくしゃみを堪えながら立ち上がった。
「彼女は弁護側の証人です」
「はい。わたしは先月二十四日の夜、みなさんとパーティーに参加していました。もちろんアーサー様もいらっしゃいました」
王様がふんふん頷く。
「その夜はずっと一緒に?」
「い、いえ。奥様と、坊ちゃんと、もう一人の使用人と共に帰りました」
「では、その後彼がどうしたかは?」
「……知りません」
マミさんが下を向いてしまった。ホテルの従業員の証言によると、怪物が現れた時間は公爵夫人達が帰ったのよりも後だ。マミさんは意気込んでいたけれど、公爵夫人達の証言ではアーサーさんの無実を決定づけることができないのは分かっていたことだ。あえて呼んだとも考えられる。
困った様子のマミさんが席に戻って行った。公爵夫人とラミロさんが慰めている。
「やはりその男がやったのではなくって? 首を刎ねておしまい」
王妃様の言葉に検事さんが頷く。
「被告人は当日怪物を連れていた!」
「異議あり!」
傍聴席から声が上がり、法廷にいたほぼ全員の視線がそちらへ向けられた。アーサーさんも軽く顔を上げていた。
傍聴人は勢いよく立ち上がり、目の前にあった柵を思いきり叩いた。
「俺はあの夜、ずっと弟と一緒にいたんだ! 怪物が現れたって時間も一緒だった! 弟には不可能だ! 酔い潰れて眠ってたんだからな!」
「君は?」
王様に訊かれて、傍聴人は一度恭しく礼をした。
「俺はチェシャ猫。ニール・クロックフォード。そこにいる帽子屋の兄だ! 弟は何もしていない! 帽子を被ったやつなんてごまんといるだろ! 怪物と一緒にいたのは弟じゃない! なあ、なあ国王! 弟を放してやってくれ!」
「身内のアリバイ証言はあてにならないからねえ」
「くそっ! くそ国王! 弟を傷付けるやつは俺が許さねえ!」
「そこのドミノ、陛下に無礼だわ。誰かその猫の首を刎ねよ!」
王妃様が叫ぶと、王様の後ろに控えていた騎士のおじさんが前に出てきた。紫のスペードのジャック。見た感じ四十代そこそこといったところだろうか。背中に大きな剣を背負っているのが見える。ニールさんは少し驚いた様子だったけれど、怯むことなく腕を獣に変えて騎士に向ける。周囲にいた傍聴人が一斉に退いた。もう、騒ぎを起こしてどうするんですか!
剣を背中から下ろし、騎士はニールさんと対峙する。まさかこの場で首を斬ろうというのだろうか。にわかに法廷がざわめき始める。
「へへっ、ここでやるのかおっさん」
「まさか。しかるべき場へ連れて行ってから斬るに決まっているだろう」
「連れて行く? そんなことできると思ってるのかよ」
ニールさんが傍聴席の柵を飛び越え、騎士に飛び掛かった。すんでのところで騎士は後ろに飛び退いて攻撃を躱す。
「構わないわ! ここで首を刎ねなさい!」
「し、しかし王妃様」
「ウィリアム、やっておしまい!」
「しかし民衆が」
王妃様を振り向いた騎士に隙が生まれた。そこに攻撃を仕掛けようとしたニールさんだったけれど、二人の間に割って入って来たエドウィンに爪を弾かれてしまった。鞘に入れたままのフランベルジュでニールさんを牽制しながら、エドウィンは騎士を見る。
「やめろチェシャ猫! 団長もおやめください!」
この騎士さんは団長さんなのか。
二人の動きが止まる。エドウィンは王様と王妃様の方を向き、フランベルジュをベルトに留めて佩き直すと、マントを翻して片膝を着いた。
「出過ぎた真似をしたこと、お許しください」
「カザハヤ君」
「はっ」
「君、今日はどうしてここに?」
「は、陛下。本日は帽子屋の裁判なので、管理者として見届ける必要があると思い傍聴に……」
王妃様が扇でエドウィンのことを指した。びしっびしっと、何度も指す。
「貴方、貴方がいけないんじゃなくって? 貴方が管理をしっかりと行わないからこのようなことになったんだわ」
「え、あ、オレ、わたし、は……」
「二十四日、貴方この男のこと見ていたの?」
「い、いえ……」
「貴方、仕事はきちんとやるべきだわ!」
エドウィンは跪いたまま黙っている。駄目だ、このままではアーサーさんだけでなくニールさんもエドウィンも危ない。
法廷は騒然としていた。もっと様子をよく見ようと立ち上がる人もいる。ぼくは人の間を縫うようにして前に向かっていた。
「エドウィン・カザハヤ! 職務怠慢よ!」
「それは違うよ!」
気が付いたら傍聴席の一番前に立っていた。気が付いたら声を出していた。気が付いた時、それは大声だった。
法廷に集まる人々の視線がぼくに向けられる。ニールさんが「馬鹿っ」と言い、振り向いたエドウィンの顔から無表情という表情が消えた。アーサーさんが顔を上げ、驚いた顔になる。公爵夫人達も慌てているようだった。そして、王妃様の視線が鋭くぼくを射抜く。
「ちが、違います!」
「貴方は?」
「ぼ、ぼくは……。……ぼくは、アレクシス・キ、じゃなくて……」
アーサーさんの使っているマーリン・キングスレーが偽名であるということが明白になっている今、キングスレー姓を名乗るのは避けた方がいいだろう。弟のふりなんてもっての外だ。
周囲の視線がぐさぐさと突き刺さる。教室にいる時のようだった。耐えろ、ここで具合を悪くしたら、先へは進めない。耐えろ、堪えろ。ここにいる人達はクラスメイトでも近所の人でもない。だからきっと大丈夫。
平気だ。ここにいるのは、トランプとドミノだ。
怖くない。ここにいるのは、ただのカードと牌だ!
ぼくは顔を上げ、真っ直ぐに王妃様を見上げる。
「ぼくはアレクシス! アレクシス・ハーグリーヴズ! ただの子供です!」




