第八十一面 俺は決めたんだ
二〇一九年は終わりを告げる。二〇一〇年代は幕を閉じ、二〇二〇年代が始まる。
風に乗ってお寺の鐘の音が聞こえてきた。テレビでは毎年恒例の年越し番組が放送されていて、アナウンサーが各地の年越しの様子を伝えている。初詣の為に神社やお寺で待機をしている人達が映し出される。
「有主、まだ寝ないのか? もう蕎麦も食べただろう」
「ぼくももう中学生だし、日付が変わるまで起きててもいいでしょ?」
父はちょっと困ったように笑った。
「有主も大人になったってことかな」
「そうだよ。電車は大人料金だからね」
鍋などの片付けを終えた母が居間にやって来て、ぼく達と一緒にテレビを眺め始めた。有名な神社が映っている。そして、テレビに映っている人々がにわかにざわめき始める。壁の時計を見ると、長針と短針は重なり合って十二を指し示していた。日付が変わった。同時に年を越える。今はもう二〇二〇年だ。
ぼく達家族はお互いに顔を見合わせ、誰ともなく「あけましておめでとう」と言い合った。家族揃って年を越すのは初めてだ。去年までぼくは十一時を待たずして眠っていたから。
新しい一年が始まる。今年一年、平和に暮らせますように。
午前十時過ぎ、家族で近所の神社へ初詣に向かった。できる限り外には行きたくないけれど、初詣なのだから行くしかないだろう。この神社はぼくの住む星夜市東地区空ヶ丘では一番大きい神社だと思うけれど、神社マニアではないぼくにはよく分からないや。どんな神様がいるのかとか考えたこともないし。
『空ヶ丘神社』
鳥居のてっぺん中央辺りにそう書かれている。家を出る前に確認しておいた作法の通りに参拝を済ませる。毎年同じことをしている訳だけれど、なかなか覚えられないな。そして、例年通りにお守りを買って帰る。あれ? お守りは「買う」って言わないで、「頂く」んだったっけ。テレビで何か言っていた気もするけれど忘れてしまった。
真っ白な紙袋から青い肌守りを出して、鞄の内ポケットに入れる。前方を行く両親の後に付いて境内を歩いていると、白い何かが視界の端に入った。雪かと思ったけれど、降っていないのに積もっているわけがない。それなら今のは何だろう。神職の人の着物かな。
「アニキ」
聞き覚えのある声が聞き覚えのある言葉を発した。ぼくは振り向く。
「もう、勝手にいなくならないでよ。父さんも母さんも待ってるからね」
袴姿の高校生くらいの少年だった。彼が話しかけている相手は木に凭れて立っている。そちらは彼よりも背の高い、同じく袴姿の青年だ。二人はどことなく雰囲気が似ている。
「社は居心地がいいな……」
そう語る青年の袖口からは包帯が垂れていた。先程の白いものはあの包帯かな。
「妖怪って神社苦手なんじゃないの」
「種類によるだろうな。……それにオレは人間だ。あまり変なことをいうとオマエでも許さないぞ」
「ふえぇ、ごめん。冗談だよ」
少年は青年の手を取る。
「行こう、アニキ」
「ああ」
手を引かれながら青年は歩き出す。もう少し木陰にいたいように見えたけれど、少年に引っ張られるまま拝殿の方へ向かって行った。
似ている。
あの二人、クラウスとエドウィンにそっくりだった。学校祭の前に出会った外国人はニールさんに似ていたけれど、もしかしたらあちら側とこちら側とで似ている人がいるのかもしれない。まるで映画版の『オズの魔法使い』のようだな。
「有主ぃ、置いてっちゃうぞー」
「えー、お父さん酷いー」
ぼくは両親の後を追った。
◇
お節料理を食べながら怠惰な午後を過し、タイミングを見てぼくはワンダーランドへやってきた。主を失った部屋にはひんやりとした空気が漂っている。リビングへ向かうと、食い散らかされたオードブルの残骸や酒瓶と共にニールさんが眠っていた。中身の零れたワインの瓶を抱きかかえていてジャケットにシミを作っている。
ぼくの足音に気が付いたのだろうか、猫耳がぴくりと動いた。ワインの瓶を抱えたまま小さく身じろぎする。
「ん……。お帰り……」
「えっ」
「……アーサー」
頭を押さえながらニールさんは体を起こす。ぼんやりとぼくを見て目を丸くする。
「アリスか……」
「あけましておめでとうございます」
「ああ、おめでとさん……」
ニールさんは手にしていたワインをラッパ飲みしようとして、空っぽになっていることに気が付くと瓶を放り投げた。空いた手でがしがしと頭を掻く。
「くそ、寝ちまった……」
「ずっと寝てたんですか?」
「……記憶が定かじゃない。飲み過ぎだとミレイユに注意された辺りまでは覚えてるんだが」
黄金祭の前夜のようにみんなでご馳走を食べたそうだ。けれど、みんな年越しは家族と迎えるとのことで、十時過ぎ頃に帰って行ったという。帰り際、公爵夫人に注意されて、その後のことは覚えていないらしい。夫人の注意むなしく、ニールさんは何本も瓶を空けて酔い潰れ、見事に二日酔いになっている。
「頭が痛い……」
恐ろしいくらいお酒に強いニールさんが二日酔いになるなんて、どれだけ飲んだのだろう。リビングに転がる無数の瓶が答えを教えてくれそうだけれど、見ているだけで酔ってしまいそうだ。未成年にはよろしくない。
ぼくはキッチンへ行ってグラスに水を注いで来ると、ニールさんに差し出した。ニールさんは一口だけ水を飲み、ソファに倒れてしまった。お酒を飲むのには精神状態が関係しているという話を聞いたことがあるけれど、こんなになるまで飲むなんて、やはりアーサーさんのことが気になって仕方がないのだろう。
「二五四五年になっちまったのか……」
「二千……五百、四十五?」
「銀暦二五四五年だよ」
「今年、ですか?」
「他に何があるんだよ」
今まで気にしていなかったけれど、ここは西暦ではないんだな。日付や時間は同じなのに、年だけ違うのか。
「そうか、あれから、もう……」
そこまで言ってニールさんは口を閉じた。よろよろと起き上がり、散乱する瓶を拾い始める。あれから、何なんだろう。今年は何かの節目の年なのかな。
ぼくも瓶を拾う。拾ってテーブルに置き、また拾う。そして拾い、テーブルに並べていく。
「こんな姿、アイツに見せたら怒られちまうな……。酒ばっかり飲む馬鹿猫め、って……」
「あの、ニールさん」
「ん?」
猫耳がぴくりと動き、ニールさんが振り向く。
「家族を大事にするのっていいことだと思います。でも、自分を追い込むのは良くないと思います……」
ちょっときょとんとしてから、ニールさんは笑った。にやり、ではなく、薄っすらと悲哀を含んだ苦笑という感じだったけれど。手にしていた空き瓶をテーブルに置き、ぼくの方へ歩み寄ってくると空いた手を伸ばす。そしてぐしゃぐしゃとぼくの頭を撫で回す。
「ガキが余計な心配するんじゃねえよ。俺は決めたんだ、自分で。家族を守るって。自分で自分に施した呪縛だ、甘んじて受け入れるさ」
「でも、でもでも! ニールさんが体を壊しちゃったら、アーサーさん悲しみます。それに、責任を感じちゃうかも……」
「……なるべく無理はしないようにするさ」
もうだいぶ無理しているように見えるけれど。
一週間後、ぼく達が得るのはどのような結果なのだろう。
片付けを終えた頃、玄関のノッカーが鳴らされた。ニールさんが応対して、やってきたのはマミさんだった。ピーターのことを抱いている。ニューイヤーパーティーが開かれるとのことで、公爵夫人と従者であるラミロさんは王宮へ行っているらしい。
「アーサー様のことなんですが」
弟の名前を聞いた途端に詰め寄ったニールさんにマミさんが軽く後退る。
「アイツに何かあったのか」
「い、いえ。本人のことはわたしには分かりません。エドウィンもクラウス君も王宮の警備に付いているはずですから。それに、ジャンヌ様は招待客です。本日は騎士からの情報は得られないでしょう」
「じゃあ何だよ」
マミさんは小さく咳払いをする。
「裁判の証人についてです。奥様と、ラミロさんと、わたしに声がかかりました。黄金祭前夜、みなさんと一緒にいたからだと思われます。あまり重視されないような気もするのですが、アーサー様が有利になるよう尽力しますね」
「……ま」
「はい?」
「マミっ! 頼んだぞ!」
ニールさんがマミさんの肩を掴んだ。マミさんはびくっと体を震わせる。そして、ニールさんの声の大きさに驚いてピーターが目を覚ましてしまった。泣き出したピーターのことをあやすマミさんを覗き込むようにして、ニールさんは手を離して身を屈めた。その隙を逃さない小さな男の子は、小さな手で猫耳をむんずと掴んだ。
「いっ、いたたたたたたっ!」
「ああもう、いけません坊ちゃん」
ピーターは本当にニールさんの猫耳が好きだよなあ。柔らかそうだけれど、触ると気持ちいいのかな。
「やめろピーター!」
「うー! みーみ!」
「痛い!」
マミさんがピーターの手を掴んで猫耳から引き剥がす。それでもまだピーターは小さな手を伸ばしている。
「ははは、こりゃあ参ったな」
苦笑するニールさんはここ数日で一番自然な笑みを浮かべていた。




