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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
十一冊目 誰がそれをやったのか
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第七十九面 何でおれが知ってるのさ

 クラウスが着替えを持ってきていたらしく、エドウィンは真っ白なワイシャツに袖を通した。痛みは多少収まったのか、先程よりは手早く身支度を整えていく。最後にフランベルジュを手に取ると、アレキサンドライトをしっかりと見てから腰のベルトに装着した。


 日が傾き始めていた。熟睡しているのを起こすのはかわいそうだったので、自然に目を覚ますまで待っていたらこんな時間になってしまっていた。


「クラウスまでいるとはな」

「兄貴、体大丈夫?」

「オマエは帰れ。このことには関わるな」

「そんなことできないよ! 帽子屋さんにはお世話になってるもん!」


 クラウスはエドウィンを見上げて睨みつけるけれど、兄は弟の睨みに動じない。それどころか、表情一つ変えないまま掲げた手で額を打って、その一撃でクラウスをソファに沈めてしまった。


「あうぅ、痛い」

「クラウス、おでこ大丈夫?」

「うう、ありがとうアリス」


 エドウィンは高圧的にクラウスを見下ろしている。クラウスは額を抑えて目尻に涙を浮かべながらエドウィンを見上げる。


「兄貴はいっつもそうだ! おれには何も教えてくれないし、何もさせてくれない! 先輩にいじめられてることも」

「いじめられてない」

「母さんのことも……」


 お母さんが話題に出た途端、エドウィンの無表情が一瞬ぶれた。


「オマエは知らなくていいんだっ……!」

「ちょっ、ちょっとエドウィン!」


 クラウスに掴みかかろうとしたところをジャンヌさんが羽交い締めにして制止する。しかし傷を気にして緩く押さえたので、結局エドウィンはジャンヌさんを振り払ってクラウスの胸倉を思い切り掴んだ。クラウスが小さく悲鳴を上げる。


 緑と青がぶつかる、が、すぐに青は逸らされた。


「オマエは、知らなくていい……」

「そう言われると余計気になっ」

「知らなくていいんだっ! オレに、その話をさせるなっ!!」

「はわぅっ!」


 エドウィンが声を荒げるなんて珍しい。その剣幕に押されて、クラウスは尻餅をついてしまった。半泣き状態のクラウスが怯え切った目でエドウィンを見上げる。離してしまった手をもう一度伸ばして掴みかかろうとしたエドウィンだったけれど、今度はニールさんに肩を掴まれた。


「オマエ達兄弟の事情に関わるつもりはない。でもな、それくらいにしておけ。クラウスが怖がっているし、オマエもまだ体が本調子じゃねえんだからな」


 エドウィンは小さく舌打ちをするとソファに座った。クラウスがまだびくびくしていたので、二人の間にはジャンヌさんが座ることになった。そしてニールさんとルルーさん、ぼくの三人がそれに向かい合って座る。まだ少し痛みがあるのか、エドウィンは脇腹の辺りを軽く押さえていた。けれど表情はいつも通りの何も映さない無表情のままだ。


 ニールさんが組んでいた足を組み替える。眼光が鋭くなる。


「怪物が現れたのは南東の浜辺だと言っていたな」

「ああ」

「それならパーヴァリに訊けばどんな様子だったか分かるかもしれねえな」


 夏にみんなで海へ行った時に出会ったウミガメモドキのパーヴァリさん。ぼく達が訪れたのは南東の浜辺だ。だから、ホテルの人達はアーサーさんのことを知っていた。ぼくはイレブンバック氏のところで名乗っているのを初めて聞いたけれど、どうやらホテルの領収書にもマーリンの名前を使っていたようだ。


 パーヴァリさんの名前を聞いてクラウスはうんうん頷いた。しかし、エドウィンとジャンヌさんはパーヴァリさんと面識がない。「誰だそれは」とエドウィンが言う。質問しているというよりも、答えることを命令しているような言い方だった。少しずつ調子は戻ってきているみたいだ。


 ぼくが夏のことを軽く説明すると、二人は納得したようだった。


「俺達でパーヴァリに話を聞きに行ってみる。エドウィン、オマエはアイツの様子を見て来てくれるか。管理者のオマエなら面会くらいできると思うんだが」

「ああ、確認しておく」

「ジャンヌは嬢ちゃんなんだろ。それなら謎の怪物について貴族達がどう動いているのかとか、その辺りを調べて欲しいんだが」

「任せてください」

「クラウスは……」


 期待に満ちた目でクラウスはニールさんを見る。自分にはどんな使命が下されるのだろうとわくわくしているようだ。


「オマエはエドウィンやジャンヌが怪しまれないようにサポートしてくれ」

「えー、おれお手伝いだけですか」

「サポートがいなきゃ二人が危ないかもしれねえだろ」

「……分かりました。頑張ります!」

「よし、じゃあ皆で……」

「あの、ぼくは?」


 ぼくは手を挙げてアピールする。


「ぼくはどうすればいいですか」


 ぼくは街で自由に動けるわけではない。それに、南東の浜辺との往復は時間がかかるため難しい。そもそもワンダーランドの人間ではないのだから、目立つ行動は避けるに限る。でも、ただ指を咥えて待っているだけなんて嫌だ。ぼくもアーサーさんを助けたい。


 ニールさんの手がぼくの頭に乗せられる。そして、ぐしゃぐしゃと撫で回された。


「じゃあアリスは家で留守番だ。俺とルルーが南東へ行っている間、ナザリオと一緒に家を守ってほしい」

「夜はいられませんよ」

「大丈夫大丈夫。夜に訊ねてくるやつなんていねえから」


 いいんだろうかそれで。ちゃんと戸締りしておけばいいのかな。ある意味責任重大だぞ。


「分かりました」


 役割分担を終え、ぼく達は帽子屋救出大作戦を開始した。





          ◆

          ◇





 北東の森から南東の浜辺まではイーハトヴの銀河鉄道で半日近くかかる。けれどそれが最も早い移動手段だ。公爵夫人に切符を買って貰い、ニールさんとルルーさんは南東へ出発した。帰ってくるのは明日の夜頃だろう。


 ぼくはお茶を淹れてテーブルに置く。


「昨日そんなことが……」


 ナザリオはティーカップを手に取って唸るように言った。膝の上に枕を載せて、その上に手を置く。少し眠たそうな目には怒りが滲んでいた。昨日はずっと昼寝をしていたらしい。


 向かいのソファに座り、ぼくもお茶を飲む。ワンダーランドへ来るようになって紅茶を淹れることが多少上手くなったような気がするけれど、やっぱりアーサーさんのようにはいかないな。


「アーサー、きっと何かに嵌められてるんだよ。そうに決まってる。誰か悪いやつがアーサーのこと貶めようとしてるんだ」

「誰かって?」

「それは分からないよ。何でおれが知ってるのさ。知ってたらおれが黒幕じゃん」


 クッキーを頬張る姿はヤマネというよりリスっぽい。ぼくがいる間は起きているからと、ナザリオは度々眠気を振り払うために体を動かしている。眠かったら寝ててもいいんだけど、誰か訪ねて来た時にぼくだけだと困るよね。ナザリオなりにぼくを守ろうとしてくれているんだろう。


 ナザリオと二人、静かなティータイムを過す。ついに自分の眠気に負けたナザリオが眠ってしまったので、ぼくは持ってきていた本を開いて読み始めた。今日のお供は『山月記』だ。中国が舞台で、主人公の役人が虎になってしまうという不思議なお話だ。この文庫本には他にも数本作品が収められている。





 どれくらい時間が経っただろうか。ぼくは『山月記』を読み終えた。ナザリオは枕を抱きしめて眠っている。


「ねえ、ナザリオ。ぼくそろそろ帰ろうかと思うんだけど」


 歩み寄って揺さ振ってみるけれど、「んー!」としか返事がない。ちょっとやそっとじゃ起きないか。


「後は任せてもいいかな」

「んー!」


 参った。


 ナザリオが目を覚ましてくれないとぼくは家に帰ることができない。どうしようかと右往左往している間に、少しずつ外が暗くなってきた。冬の昼間は短い。


 ニールさん達は今頃どの辺りだろう。エドウィン達はうまくやれているだろうか。アーサーさんはどうしているんだろう。


 ぼくがここで色々考えてもどうにもならない。上手く事が運ぶように祈るだけだ。


 しばらくナザリオを突いていると、玄関のノッカーが鳴らされた。誰だろう。知っている人なら応対してもいいんだろうけれど、知らない人ならば居留守をするかナザリオを起こすかしなければいけない。ナザリオが起きる気配はないから、居留守か。


「あれ? 出かけてるのかな」


 この声はキャシーさんだ。それならぼくが出てもいいだろう。


 玄関を開けるとキャシーさんとジェラルドさんが並んでいた。雪が積もっているというのにキャシーさんは薄着で、見ているこちらが寒くなりそうだ。申し訳程度にマフラーを巻いているけれど実に頼りない。対するジェラルドさんは暖かそうなコートを着込んでいる。手袋もちゃんと指のあるものだ。


「アリス君」

「こんにちは」

「ニールは?」

「出かけてます」

「そっかぁ」


 キャシーさんは鬣のような髪をいじる。


「落ち込んでるだろうから慰めてあげようと思ったんだけど……。アタシがシャンニアに行ってる間に色々あったみたいだね」

「北の国に?」

「黄金祭は兄貴の晴れ舞台だからね。エメラルドキングダムから弟も来てくれたんだよ。久しぶりに兄弟揃ってさあ、楽しかったよ」

「じゃあ、その間はジェラルドさんが一人でパトロールを?」


 ぼくが訊ねるとジェラルドさんは小さく頷いた。ポニーテールが揺れる。


「南東で騒ぎがあったらしいな。俺はその日北西にいたから詳しいことは知らないが」

「公爵夫人に聞いたんだけど、アーサーのこと心配だね。あの帽子屋さんのことだから何かやらかしててもおかしくない気はするけれど、本当はどうなんだろうねぇ」

「オマエ達がどうしようが勝手だが、俺達のことは巻き込まないでくれよ」


 マフラーを押し上げながらジェラルドさんは視線を逸らした。人間トランプドミノの複雑な関係の中でチェスハンターとして働く二人は、どちらかというとトランプを持ち上げていなくてはいけないのかもしれない。


 キャシーさんは「心配だねえ」と言っているけれど、ジェラルドさんはそれに答えることはなく視線を戻した。感情を映さない紫色の瞳はぼくの後ろ、家の奥の方を見ているような気がする。


「そろそろ日が暮れてくるから仕事してくるねー。アリス君も早く街へ帰りなよ」

「は、はい……」

「行こう、ジェラルド」


 キャシーさんに手を引かれて、ジェラルドさんはハッとした様子で彼女のことを軽く見下ろした。


「あ、ああ、そうだな……」

「じゃあねえアリス君。ニールが帰って来たら、『元気出してね』って伝えておいて」


 ライオンとユニコーンは夕暮れの森の奥へと歩いて行った。ぼくは戸締りを確認してリビングに戻る。


 目を覚ましたらしく、枕を抱きしめたナザリオがソファに座っていた。ぼくを振り返って笑った。えへへ、という感じだ。


「寝ちゃったー」

「仕方ないね、ナザリオだから」

「あうぅ」

「暗くなってきたし、ぼく帰るね。ナザリオはどうするの?」

「おれはもう少しいるよ。日付が変わる前に親が迎えに来る予定」

「そう」


 ナザリオに小さく手を振って、ぼくはリビングを出た。


 姿見は主を失った部屋で静かに佇んでいた。早く、取り戻さなければ。平凡とはかけ離れたおかしな日常を。








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