第七十八面 君の為じゃない
女騎士さんはソファで眠るエドウィンを見てほっと胸を撫で下ろした。帽子の後ろからオレンジ色のポニーテールが飛び出ている。赤毛のアンのように鮮やかな色の髪だ。帽子の飾りを見るに、スートは黄色のダイヤだろう。腰に佩いた短剣の柄には薄い青紫色の宝石が光るペンダントが巻き付けられている。
遅れてリビングへ戻ってきたルルーさんが後ろから女騎士の肩を叩いた。女騎士は一瞬びっくりしたように身を縮める。
「ねえ! 君は誰?」
「うわぁっ、すみません!」
女騎士は姿勢を正し、ぼく達を見回した。
「申し遅れました。わたしはジャンヌ・キャンフィールド。王宮騎士です」
その名前を聞いて驚いた顔になったのはニールさんだった。怪しいやつならこの場で消し去ってしまおうと言わんばかりに構えかけていた腕を下ろす。
「キャンフィールドってことは、オマエは」
「一応お嬢様ってやつですね」
ぼくが困惑していると、ルルーさんがそっと耳打ちして来た。曰く、キャンフィールドというのはブリッジ家、クロンダイク家、そして、まだぼくが知らないラミー家と共にスートトップと呼ばれる有力な公爵家の一つだそうだ。そして、お嬢様ということは、このジャンヌという女騎士はキャンフィールド家の御令嬢なのだろう。お嬢様なのに騎士だなんて、格好いいなあ。
ジャンヌさんはエドウィンに触れようとしたけれど、躊躇い、結局手を下ろした。濃いピンク色の目がニールさんを見る。
「傷、結構酷いんですか」
「ボコボコだったな。オマエ知ってるのか、エドウィンがボコられたの」
「え、えぇ。先輩達がエドウィンのこと笑って話しながら歩いているのを見て、何かあったのかなと思っていたら、彼がふらつきながら本部を出て行くところを見たので。もしかして、と思って。やっぱり、そうなんですね」
ジャンヌさんは目を伏せる。ルルーさんが覗き込むようにして首を傾げた。うさ耳が重力に従って垂れる。
「ジャンヌちゃんはどうしてここに来たの?」
「ふらふらしていて心配だったので後を追ったら森に入って行ったのが見えたから、わたしも森に入ったんです。でも、迷ってしまって。北東の森に住む獣の管理をしていると前にエドウィンが言っていたのでその人達のところへ向かったのかなとは思ったんですが、辿り着けず……。ログハウスの位置は把握していたので、ミレイユ様にここを教えてもらいました」
公爵夫人と公爵令嬢だから面識があるのかな。社交パーティーなどで顔を合わせているのかもしれない。
ジャンヌさんはニールさん、ルルーさん、そしてぼくの順に改めてリビングにいる面々を見た。
「チェシャ猫さんと、三月ウサギさんと……。えーと、君は人間?」
ニールさんとルルーさんが揃ってぼくを見た。二人してそんな「あ、これヤバい」みたいな顔しないでください。しかし、確かに非常事態だ。今までぼくはトランプやドミノに自分のことを訊ねられた際に、公爵夫人の親戚で王宮騎士を目指しているのだと返答して来た。今だってそう答えていいのかもしれないけれど、公爵夫人と個人的に交流のあるジャンヌさんにこの方法は使えるのだろうか。
当たって砕けろ。
「ぼ、ぼくは公爵夫人の遠い親戚で、お、王宮騎士目指してます。な、有主、です。親がイーハトヴ好きなのでこんな名前になってます」
ジャンヌさんがぽかんとした顔になる。失敗してしまっただろうか。
「へえ、初耳。そうなんだ。ナオユキ君だね。よろしく。でも、子供がこんな森の中にいたら危ないよ」
「親が仕事忙しくて、日中はいつもここにお世話になっているんです」
「そうそう、日が暮れる前に俺が送って行ってやってるんだ」
「チェシャ猫さんは面倒見のいいお兄さんなんですね。エドウィンの言ってた通り」
濃いピンク色の瞳が優しくぼくを見る。
「王宮騎士になるのは簡単じゃない。頑張ってね」
「あ、はい……」
なんとか乗り切れたようだ。ぼくは心の中で大きく息をつく。ニールさんとルルーさんもほっとした様子だった。
お茶でも飲むか? とニールさんに訊かれ、ジャンヌさんは「ではお言葉に甘えて」と頷いた。「お菓子の用意するね!」と言ってルルーさんもキッチンへ向かう。ジャンヌさんは短剣をベルトから外し、エドウィンが眠っている横に腰を下ろす。柄に巻かれたペンダントがきらりと光った。ぼくの視線に気が付いたのか、短剣を軽く持ち上げて見せてくれた。
薄い青紫色の宝石は透き通るように美しい。「見てて」と言ったジャンヌさんが短剣を暖炉の方へ向けると、宝石の色が紫がかった赤に変化した。もう一度テーブルに置くと、やっぱり青紫だ。ぼくの反応を見て面白そうにジャンヌさんは微笑む。
「変色効果のあるガーネットだよ。エドウィンが持っているアレキサンドライトと同じ」
「アレキサンドライト?」
前に読んだ小説に出て来た覚えがある。確か、緑と赤に色の変わる宝石だ。エドウィンが大事にしているこの宝石はアレキサンドライトだったのか。
フランベルジュに取り付けられた宝石が緑色に煌めく。ジャンヌさんはとても優しい目でアレキサンドライトを見ていた。
ニールさんとルルーさんが戻ってきて、テーブルの上には紅茶とマドレーヌが置かれた。ジャンヌさんの分だけではなく、後三人分ある。さっきまで飲んでいた気がするけれどまあいいか。ぼくはマドレーヌを齧って、紅茶もちょっとだけ飲んだ。
ジャンヌさんもティーカップを手に取ろうとしたけれど、眠っていたエドウィンが凭れかかって来たので動きを止めた。反対側に押して寝かせようとして手を伸ばし、寸前で止める。怪我をしているのだから不用意に触らない方がいいだろう。どうしようかとジャンヌさんが手を中途半端に差し出したまま硬直していると、エドウィンが目を覚ました。ぼんやりと部屋を眺めていた緑の瞳がジャンヌさんを捉えた途端、大きく目を見開く。
「じゃ、ジャンヌ……」
「ふらふらしてたから心配で追い駆けて来ちゃった」
「見てた、のか……」
「本部を出て行くところをね。そんなに酷いんなら団長にでも言った方がいいよ。わたしも何か」
「オマエは何もしなくていい」
エドウィンは毛布に改めてくるまると、ソファに身を沈めた。
「オマエはあくまでお嬢様だ。事を大きくするだけだ」
「でも」
ジャンヌさんはぼく達の方を見た。そしてエドウィンに向き直る。
「今日のこれは帽子屋さんの事件が原因なんだろう? 君からの話でしか知らないけれど、帽子屋さんが悪い人だとは思えない。君がしっかり仕事をしているという証明の為にも、彼の無実を証明する必要があるんじゃないかな。わたしなら、もっと深く情報を探ることができる」
「オマエがオレなんかの為にそこまでする必要はない」
「……君の為じゃない。自分の為だ」
答える直前、ジャンヌさんがほんの少し寂しそうな顔をしたように見えた。気のせい、かな。
ジャンヌさんは四角いモチーフが四つ連なったマントの留め具を撫でる。エドウィンとジャンヌさんは王宮騎士としての位が同じなのか、袖口のラインの数や装飾品の種類が同じだった。しかし、マントの留め具だけが異なっている。赤と黒が交互に並ぶ四つの四角。
「わたしはお嬢様だからね。仕事を怠る碌でもない騎士と親しくしているなんて、沽券に関わるだろう? それに、わたしよりももっと大切なものがあるだろう、君には」
「ん……?」
「寝起きでまだ寝惚けているのかい。君が失態を犯せば、それは王女様にも飛び火するってことを忘れない方がいい。夏に大烏さんが負傷しただろ。あの時に君が謹慎処分で済んだのはファリーネ殿下の御尽力なんだからね」
「殿下の……?」
「君を配下から外せという声もあった。でも、殿下はそれを拒んだんだ。今でも殿下のお傍にいられること、誇りに思った方がいい」
エドウィンは毛布に顔を埋めた。そして、こてんとジャンヌさんに凭れかかる。
「はぅ」
「帽子屋をどうにかすることが、結果としてオレもジャンヌも殿下も、悪い方向に進まずに済むということか……。……もう少し……休ん、で……から……」
ジャンヌさんに凭れたまま、エドウィンは小さく寝息を立て始めた。起こさないように気を付けながらジャンヌさんはお茶を飲む。
「シャンニアにいる間ずっと休めていなかったみたいです。わたしもそういうことあるので、よく分かります。帽子屋さんのこと早急に解決したい皆さんのお気持ちは分かりますが、少し待っていただけますか」
「おう。無理させるわけにはいかねえからな」
「ありがとうございます」
しばらくして、血相を変えたクラウスがやって来た。ジャンヌさんに凭れるエドウィンを見てへなへなとへたり込む。
「兄貴……そんなに具合悪いの……」
「クラウス君、今は眠っているだけだよ。旅の疲れが出ていてね。怪我についてはチェシャ猫さん達が手当てしてくれたみたいだから大丈夫」
「そ、そうなんですか」
クラウスは帽子を脱いでニールさんに一礼する。そして、ルルーさんに差し出されたグラスの水を一気に飲んで息を整える。
「公爵夫人のところの蛙さんが知らせてくれたんです。……あの、これって、帽子屋さんのことが関係してるんですよね。帽子屋さんはとっても優しいお兄さんなんだから、あんなの絶対間違ってる……」
両手で拳を握り、ぐっと腕を曲げてクラウスは気合を入れる。
「おれ、手伝いますよ! チェシャ猫さん、三月ウサギさん! 帽子屋さんを助けましょう!」
「アイツは随分と信用されてるみたいだな。ありがとよ、クラウス」
「えへへ、頑張ります!」
とりあえず、後はエドウィンが目を覚ましてからだな。そう言ってニールさんはクラウスにティーカップを差し出した。




