第六面 ここは僕のお庭なんだよ!
家に帰ると、「どこに行ってたの」と母に怒られてしまった。ワンダーランドだなんて言えるはずもなく、本を買いに行っていたと答えるしかなかった。
「靴があったけど」
母の疑うような、というか疑っている目付きは容疑者のミスを探す刑事のようだ。今度からはちゃんと靴を持って行くことにしよう。
◇
翌日。
今回はちゃんと靴を持参している。
前回、前々回と同じく、タータンチェックを基調とした部屋に出る。廊下に出ると家族写真の額がある。おそらく、帽子を被った気の強そうな子がニールさんで、お父さんにしがみ付く穏やかそうな子がアーサーさんだろう。
玄関の方へ歩きながら、反対側、家の奥はどうなっているのかなとふと思った。人の家を物色するのはよくないし、よく考えればまだ二回しか会っていない相手の家だ、ちょっと失礼か。
玄関で靴を履こうとして、ぼくはちょっと動きを止める。
この家、西洋の家でいいんだよね。じゃあ、家の中も靴でよかったんじゃ……。
靴を履き、扉を開ける。
庭には今日もお茶会セットが鎮座していた。ティーカップにソーサー、ティーポット、ケーキスタンド。並べてはあるけれど、お茶そのものやケーキの姿はない。
「こんにちはー」
返事もない。二人共出かけているのかな。
「おーい! お茶しに来たよー!」
茂みの奥から声がして、影が飛び出してきた。誰かはテーブルの周りをぴょんぴょん跳ねるようにして回り、二人の名前を呼んでいる。ぼくには気付いていないのか、そのまま横を過ぎていく。
椅子の下を覗いてみたり、ティーポットのフタを開けてみたり、何も載っていないケーキスタンドを持ち上げてみたりと、おかしな場所を探している。
「あれー? あれれー?」
腰に手を当て、わざとらしく言う。
誰かは立ち止まると、人形のようにかくんと首を曲げ、ゆっくりとぼくを振り向く。頭の上に生えている兎の耳が重力に従うように半ば地面の方へ垂れている。ぼくを見て、青い瞳がおもちゃを見付けた無邪気な子供のようにきらきら光った。中学生のぼくの言えることじゃないかもしれないけれど、子供は無邪気だ、そして残酷だ。大きな目が深い穴のようにも見えて、ちょっと怖い。
ベストにジャケット姿で、下はハーフパンツ。首元の大きなリボンが目に付く。子供みたいな動きをするし、格好も幼い感じだけれど、目分量でも身長は一七〇センチくらいありそうだ。
うさ耳に巻きつけられた藁がかさりと音を立てる。
「ここは僕のお庭なんだよ!」
うさ耳の人物が言って、両手を広げる。
「ここは元々僕のお庭なんだ! とっても広いんだよ! すごいでしょう!」
ぴょんこぴょんこ跳ねて、ちょっとずつぼくに近付いてくる。
「猫と帽子屋のお家は僕の庭にあるわけ! ねっ、ねっ、すごいでしょう!?」
おかしなお茶会が開かれる庭の主、彼が三月ウサギなのは確かだろう。本当にぼくの知っている不思議の国と同じような世界なんだ……。
三月ウサギはぼくの目の前まで来て、落ちるんじゃないかというくらい首を傾げた。
「んー、んんー。君、人間だねえ。いけないなあ、子供がこんな森の奥に一人で。危ないよ?」
突然落ち着いた雰囲気になる。
「迷子かなー。スートと番号教えてくれる?」
昨日ニールさんにも同じようなこと聞かれたな。
「えーと、ぼくはですね……」
三月ウサギの耳がぴくりと動いた。顔を上げ、向こうを見る。そして、その顔がぱああっと輝いた。
「わーい! お帰りー! 待ってたんだからねー! お茶しようよー!」
両手を振り上げ、その場でぴょこぴょこ飛び跳ねる。
お互いに罵声を浴びせながら、アーサーさんとニールさんがやって来た。手には紙袋を抱えていて、どうやら買い物に行っていたらしい。三月ウサギは二人に狙いを定めて、タックルでもするのかという勢いで駆け出した。
「お帰りー!」
ニールさんが身を翻して三月ウサギを躱す。反応の遅れたアーサーさんが見事にタックルをくらって倒れたのが見えた。ぼくは慌てて駆け寄る。
「おお、アリス、来てたのか」
「はい」
倒れ伏すアーサーさんを抱きしめていた三月ウサギが、ニールさんの言葉を聞いて立ち上がる。
「アリス君? この子が?」
「オマエも帽子屋から聞いてんじゃないのか馬鹿うさ」
「んー、昨日お買い物行った時に聞いたかも! 聞いたかなー……」
三月ウサギは自信なさげにアーサーさんを見下ろす。ずれた帽子を直しながら、アーサーさんは起き上がる。
「言いましたよ」
「そっかー! わーい! よろしくねアリス君! 僕はルルー! 見ての通り、ウサギちゃんだよ!」
テンションの高さに気圧されていると、ニールさんが深い溜息をつきながらうさ耳を掴んだ。ひんっ、という声を上げて三月ウサギの動きが止まる。
「コイツはルルー。三月じゃなくてもくるくる回るおかしな兎だ。変なやつだけど、悪いやつではないんだ。森の外は危ないけど、コイツは森の住人だし、俺らの家が建ってるのもコイツの庭だしな」
「んー! 離してよニールぅ! 僕、変じゃないもん!」
ニールさんの手を振りほどき、ルルーさんは姿勢を正す。舞台挨拶のように、右手を上げ、ゆっくりと斜めに下げながらお辞儀をする。
「ルルー・ブランシャールだよ。よろしくねアリス君」
「さて、彼女も加えてティータイムとしましょうか」
「はい。……え?」
三人の視線がぼくに集まる。
「……彼女?」
アーサーさんとニールさんは無言のままルルーさんを指差す。二人の動きは見事にシンクロしている。
「ルルーさん……女の人?」
笑う猫とおかしな帽子屋の兄弟は顔を見合わせて、ゆっくりぼくを見る。二人の顔がそっくりに笑った。