第六十五面 お詫びの品だ
ライオンがユニコーンと、たたかった。
王冠よこせと町じゅうで、こてんぱん。
ある人あげたよ、白パン。レーズン・ケーキに黒パン。
太鼓叩いて追い出せ、パンパカパン。
♥
ぶたのしっぽ商店街には獣が多い。所謂特別区のような扱いであり、店を構えて住んでいるドミノもいるという。マミさんがよく利用しているという踊る魚屋さんもロブスターが切り盛りしているしね。そして、今ぼく達の目の前にあるケーキ屋さんもそんなドミノのお店の一つである。
『Pâtisserie Aile de perruche』
「ぱ、パティスリー……あいれ?」
「ブルー文字だな」
「ぶる……?」
おそらくこれはフランス語だろう。ジェラルドさんは無表情でぼくを見下ろす。
「北西の国ブルボヌールの文字だ。知らないのか」
「親がイーハトヴかぶれなんで、他の国はあまり」
「ふーん」
かわいらしいお花の装飾がいっぱいのドアを開けると、上にくっ付いていたお花の形の鈴がちろんと鳴った。店内はお花と鳥さんをメインに装飾されており、メルヘンチックな雰囲気で今にもお姫様が登場しそうだ。しかし、姿を現したのはお姫様ではない。森に名前を轟かす何でも屋ギルド・コーカスレースのメンバーである。
「いらっしゃいませ、ケーキショップ・インコの翼へ」
「エルシー」
「わお、ナオユキ君だ。それと、ユニコーンさん見付かったんだね」
店番があってコーカスレースの方に行けてなくて、とエルシーは申し訳なさそうに言う。なるほど、ここはエルシーの実家なのか。
「こんにちは、エルシー」
「こんにちは、エルシー。はい、こんにちは」
にこにこ笑いながら相手の言葉を繰り返す様はさすがインコと言うべきだろうか。
ショーケースにはたくさんのお菓子が並んでいた。ホールケーキにショートケーキ、ロールケーキ、チョコレートケーキ、そしてチーズケーキもある。ケーキの群れの横にはシュークリームやタルトが並ぶ。お茶会の時に出されるケーキはここのものなのかな。
色とりどりのお菓子を眺めながら、ぼくはショーケースの向こうにいるエルシーに訊ねる。
「プラムケーキってある?」
「プラムケーキ? あるよー。そっちの方にあるはず」
指し示されたのはもう一つのショーケースである。そちらにはスコーンやショートブレッド、パウンドケーキ、クッキーなどの焼き菓子が陳列されていた。クリームなどが乗っていない物はこちらにあるらしい。見てみると、レーズンやプルーンがぎゅうぎゅうに詰められたケーキの姿もある。これがぼくの探していたプラムケーキだ。
歩み寄ってきたジェラルドさんがショーケースを見下ろす。背後に忍び寄る大きな黒いものがガラスに映っていてちょっと怖い。ぼくはエルシーにプラムケーキをホールで注文する。お金はもちろんジェラルドさんが払う。さっきの馬車はジェラルドさんが停めたんだし、このケーキもキャシーさんへのプレゼントというわけなので、ぼくがお金を出さなくても問題はないのだ。
エルシーに手を振られてぼく達はケーキ屋さんを後にする。ぶたのしっぽ商店街を抜ければ、北東の森はすぐそこだ。
公爵夫人のログハウスの近くを通った時、姿が見えたのはラミロさんとマミさんだった。公爵夫人とキャシーさんはおそらく猫と帽子屋の家だろう。ケーキの箱を抱えるジェラルドさんの長いポニーテールが揺れる。馬の尻尾もあるから、まるで尻尾が二つあるみたいだ。
程なくしてぼく達は猫と帽子屋の家に辿り着いた。アーサーさんとニールさんも戻って来ていたらしく、優雅にお茶を啜っている。そして、ニールさんにべったりとくっついて公爵夫人が座っていた。さらに、ティーセットの横では不機嫌そうなキャシーさんが石畳に座っている。傍らにはイグナートさんの姿も見える。ぼく達に気が付いたのはルルーさんだ。
「お帰りー、アリス君、ジェラルド」
睨みつけてくるキャシーさんに対し、ジェラルドさんは睨み返しながらケーキの箱を差し出す。
「何よこれ」
「お詫びの品だ」
しかし、その箱に大きく反応したのはキャシーさんではなかった。ネズミのおもちゃに飛び掛かる猫の勢いでやってきたアーサーさんがジェラルドさんの手から箱を奪い取る。
「お茶菓子ですね! なるほど、この重みはホール。切ってきます!」
そして、飼い主にそのネズミのおもちゃを届ける猫の速さで家の中へ入って行った。本の通りにぼくが切り分けてみたかったんだけれど仕方ないか。それにしても、お詫びの品と言っているものを奪い取って行くとは、さすがアーサーさん。お茶の時間にかける情熱は凄まじい。
涼やかな顔で一部始終を見守っていたイグナートさんが翼を揺らしながらキャシーさんを覗き込んだ。表情は一変し、嘲笑するような顔になっている。ちらりと見えた首元には包帯が巻いてあって、バンダースナッチに襲われた際の傷がまだ完治していないのが分かる。
「さて、ライオンさん。我々コーカスレースまで動くことになってしまったのだけれど、詳しい事情を教えてもらえるかな。その内容によってどれくらいの請求をするか決めるからね」
優しく語り掛けるその様子は悪徳業者そのものである。イグナートさんの指に嵌められたいくつもの指輪がぎらぎら光る。
キャシーさんに向けられる視線はこの場にいる彼女以外全員のものである。少し居心地が悪そうに身じろぎして、鬣のような髪をわしわしいじった。話し始めるのかと思ったけれど、無言のままジェラルドさんを睨みつける。すると、それを受けたジェラルドさんは睨み返す。その様子を見て、イグナートさんはやれやれといったジェスチャーを大袈裟にした。このままでは何も進展しそうにない。
しびれを切らしたニールさんが何か言おうと立ち上がった時、玄関が開いてアーサーさんが出てきた。手に持ったお皿には切り分けられたプラムケーキが載せられている。
「怖い顔していないで、これでも食べながらゆっくりお話ししましょう。お茶ならたくさんありますよ」
お皿をテーブルに置くと、並べられたティーカップに紅茶をどんどん注ぎ始める。そして、ティーカップとケーキを配り始めた。兎の庭、猫と帽子屋の家にて開かれるおかしなお茶会を取り仕切るのは帽子屋であり、ティータイムの間は彼のペースに簡単に乗せられてしまい逃れることはほぼ不可能だ。お茶と茶菓子を押し付けられたライオンとユニコーンと大烏は少し戸惑いながらもそれを受け取る。ぼくも貰ったけれど、さすがにこの人数でテーブルに着くことは無理だろう。そう思っていると、「置く場所がないでしょう」と言ってアーサーさんが少し小さめのテーブルを持ってきた。
お茶会主催者としての準備を終えたアーサーさんは、すぐさま傍聴人へと切り替わる。興味深そうにイグナートさんの方を見ながら、「どのような感じですか」と訊いている。イグナートさんは「どうにもなってないよ」と静かに答えた。
プラムケーキを頬張ったキャシーさんの顔がとろけるようになった。きらきらとした目をジェラルドさんに向け、お茶を飲もうとしているのもお構いなしに抱き付く。それを察していたのか、ジェラルドさんはカップを掲げて零すことを回避した。
「美味しい! 許す! だから話す!」
「……単純な奴め」
「ジェラルドももう怒ってないよね?」
「俺は別に最初から……」
キャシーさんはプラムケーキをぺろりと平らげ、紅茶を一気に飲み干す。
「話す! ……事の発端は六日前の夜よ。いつものようにパトロールをしていたら、ついに見付けたの」
「見付けたって、何をかな」
事情聴取をする刑事ドラマの登場人物のようにイグナートさんが訊ねる。キャシーさんは獲物を捕捉したライオンのように鋭い目付きになる。そして、いつもよりも幾分か低いトーンで続きを語り出した。
「あれは白のキングだったわ。だからアタシ、飛び付いて王冠を奪ってやろうと思ったの。なのにジェラルドが『ちょっと待て』とか言い出して。何すんのよとか言ってるうちに白のキングを見失っちゃって。もう、ジェラルドの所為よ! あそこでキングを仕留めることができていたら、白の陣営を潰すことができたのに!」
「そんなに簡単にチェックメイトできるわけないだろ」
「でも、あんなに近くにキングがいたのよ!?」
それで喧嘩を? と公爵夫人が訊ねると、キャシーさんはうんうん頷いた。
「キングを倒せば、その色の陣営を全て消すことができるはずなの。だから最高のチャンスだったのに! しかもその後ジェラルドがいなくなっちゃうし」
「怒っているオマエの相手をするのが面倒臭かったからだ」
そう言ってジェラルドさんは紅茶を啜る。ぼくがちらりと公爵夫人の方を見ると、目が合った。彼女は小さく首を横に振った。バンダースナッチと会っていたことは言わない方がいいということだろうか。確かに、ここでその話を出せば大騒ぎになりかねない。ぼくと公爵夫人の秘密ということか。
「こんなに長い間どこに行ってたのよ!」
「言うか、馬鹿。言ってしまってはまた同じ事態になった時にオマエから逃げる場所がなくなる」
「がおー!」
キャシーさんがジェラルドさんに襲い掛かる、と思ったら抱き付いた。
「逃がさないぞー!」
「オマエが俺に追い付けるわけないだろ」
流れるような動きで紅茶を飲んだイグナートさんがティーカップをソーサーに置いて、大きく翼を広げた。貼り付けられた表情は美しい嘲笑と言い表すのがぴったりな感じだ。
「ライオンさんとユニコーンさんは、後日コーカスレースまで今回の依頼の報酬を払いに来てくれ。そうだな……森でキノコ狩りでもしてきてくれるかな」
「はぁっ!? 何よそれ、肉体労働!?」
「俺もなのか」
「当たり前だろう? 我々コーカスレースがそんな痴話喧嘩のために動いてあげたのだから」
「ちわっ!?」
「痴話喧嘩だと!?」
イグナートさんは聞く耳を持たずに、「チャドじいさんに持って行ってあげよう」とプラムケーキをハンカチで包んでいる。そして、ひらりと手を振って飛び去る。
「チェスのパトロールは頼んだよ。それじゃあね」
羽音が小さくなっていく。
騒動を引き起こしたライオンとユニコーンは、空を見上げながら「キノコ狩り……」と小さく呟いた。
本文中の歌は河合祥一郎訳角川文庫版『鏡の国のアリス』より




