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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
九冊目 プラムケーキはいかが?
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第六十二面 貧弱王子を守る騎士

 夜になっても帰ってこないぼくを探して、父は外を走ってきたらしい。そちらの家へ行っていないかと姫野家や宮内家へも電話をしたそうだ。戻ってきた父は「無事でよかった」と言いつつも、中々見ることのない顔でぼくを叱責した。結果として、ぼくは二日間の外出禁止をくらうことになったのである。


 困ったな。これじゃあワンダーランドへ行けないしジェラルドさん探しもできないや。





 部屋で本を読み続ける。あの日、この鏡を手に入れる前と同じだ。本を読んでいればそれだけで目の前に世界が広がっていくのはいいのだけれど、もうどの本も読んでしまったからどれも新鮮味に欠けてしまう。だからぼくは図書館へ行くし、本屋さんへ行くのだ。ワンダーランドへ行けば本がなくても楽しい。でも今日と明日はどれもできない。どうやって二日間生きて行こう。ぼくにとって本とワンダーランドはそれくらい重要なことだった。


 時々母が部屋のドアをノックする。閉じ込めようとかではなくて、心配しているからだというのはぼくだって分かっている。目の前に姿見はあるのに、返事がなければ母が驚いてしまうからぼくはここで母のノックに答え続けなくてはならない。


 そういえば、みんなが向こう側からこちらへやって来ることってないんだな。やろうと思えば簡単だろう。やっぱりあれかな、ぼくの家族と出くわすとよくないからだろうか。


 『青い鳥』の絵本をアイマスクのようにして寝転がっていると、玄関のドアの開閉音が聞こえた。母が買い物にでも行くんだろうか。そう思っていると階段を上る足音が近付いてきた。ノックもなしにドアが開けられる。飛び起きて振り向いたぼくの顔から絵本が落ちた。


「よ、邪魔するぜ」


 そこに立っていたのは薄幸そうな少年である。色素の薄そうな体に秋物の服を着ている。割とおしゃれだ。


「琉衣」


 どうしてこんな昼間に、と思ったら今日は土曜日か。


 学校へ行かないようになって、家に閉じ籠るようになって、それ以来この部屋に自分以外の人間を入れたことがない。母も父もちらりと覗くくらいだ。あろうことか琉衣はずかずかとぼくの部屋へ侵入してくる。両親は「貰い物?」と首を傾げる程度だったけれど、琉衣に見付かったら姿見に飛び付くかもしれない。慌てて立ち上がり、ぼくは姿見を隠すようにして琉衣の前に立ちはだかった。しかし、悲しきかな、ぼくは琉衣より十センチ以上背が低い。目隠しになんてならなかった。


「何だそれ」

「……あの骨董品屋さんで貰ったやつ」

「へえ、格好いい鏡じゃん」


 ぐいっとぼくを押し退けて琉衣は姿見に近付く。


「鏡面が揺れた?」

「気のせいだよ」


 手を伸ばそうとしていた琉衣を引き剥がして要件を訊ねると、ぼくを助けに来たのだという。自分が同伴していれば外出しても大丈夫でしょう、とぼくの両親に訴えたらしい。本を手に入れられるのなら手段がどうであれ構わないけれど、一体どういうつもりだろう。


 琉衣はヘアピンを付け直しながらにやにや笑っている。髪切ればいいのに。


「別に他意はないさ。本がなかったらオマエが退屈してるだろうなあと思って。璃紗ちゃんも誘ったけど用事があるってさ」


 図書館にでも行こうぜ、と琉衣はぼくの手を引く。ちょっと待ってね、このよれよれTシャツとスウェットから着替えるから。





 パーカーとジーパンを纏い、ぼくは家を出た。図書館へ向かうのだなと疑うこともなく琉衣にくっ付いて歩いて行くと、進む方向が図書館と違うことに気が付いた。どこかに用事でもあるのだろうか。琉衣は軽い足取りでハロウィン仕様の空ヶ丘そらがおか商店街を進んでいく。そして、ケーキ屋さんの前で立ち止まった。


 ウエストポーチから何やらメモを取り出して店員のお姉さんに確認をしているようだった。どうやら美千留ちゃんに頼まれたらしい。お目当てのケーキがあることが分かったので、「後で妹と来ます」と言って琉衣はケーキ屋さんを後にする。美千留ちゃんのことを考えているのか、そこそこ綺麗な顔が気色悪く歪んでいた。本当に好きだよね、妹のことが。


 姫野がいればもっと楽しいのかもしれないけれど、琉衣だけでも一緒にいてくれるだけで外が怖くなくなるや。ありがたいね。


「あれれー? アリスちゃんじゃーん」


 今日は土曜日。学校が休みだから彼らがここにいても何らおかしいことはないのだ。


「お外に出られたですかあ?」

「それなのに学校には来ないんだー?」


 いじめっこなんて子供っぽい言葉は使いたくないけれど、他に表現のしようがない。ぼくはいじめっこに出くわしてしまった。この可能性があるのを考えて土日の外出はそもそも控えていたんだ。けれど、今日は琉衣が迎えに来てくれたから……。


 前方に進んでいた琉衣が戻って来て、ぼくといじめっこ達の間に立ちはだかる。


「おまえらいい加減にしろよ。白昼堂々衆人環視でこんなことしたら、オレが報告するよりも早く先生の元へ連絡が行くかもしれないんだぞ」

「宮内も懲りないよなあ。貧弱王子を守る騎士か何かかよ」

「ははは、騎士の方が貧弱じゃん」

「それな」

「マジだ。ウケる」


 へらへらと笑っていた一団の一人がお腹を押さえて蹲った。ぼくの目の前では琉衣が片足を上げて立っている。


「何しやがる!」

「オレの進行方向に突っ立てる邪魔な壁だから蹴破っただけだ」


 商店街にいた人々の往来が一瞬停止してぼく達のことをじろっと見る。そして、何も見なかったのだと言うようにそそくさと離れていく。「喧嘩か?」「中学生?」などと小声で話す数人が残された。


 上着のポケットに手を突っ込んだままの琉衣が再び足を上げていじめっこの一人を蹴った。先程メモを出した時にファスナーを閉めていなかったのか、ウエストポーチの中身が落ちている。


 さすがによくない雰囲気だと思ったのか、肉屋のおじさんが店から出てきた。いじめっこ達が一瞬狼狽えた隙に落としたものを拾い集めてポーチに入れ、琉衣は踵を返してぼくの腕を掴んだ。肉屋のおじさんの呼び止める声も聞かずにぼく達は走り出す。大人達から見れば先に攻撃を仕掛けたのは琉衣であり、蹲っていたのはあちらの方である。残されたいじめっこ達が自分達に有利な証言をするであろうということは明白で、問い質された時に琉衣に勝ち目はない。あの場に留まって何か言った方がよかったのではないだろうか。


「ちょっと楽しかった」

「琉衣、暴力は駄目だよ。ぼくがその被害者ならともかく、ぼくは暴力を振るわれていない」

「あれくらいしないと効き目ないって。有主もガツンとやれよ、ガツンと」

「ええ……」


 商店街を抜け、ぼく達は空ヶ丘公園に踏み込む。さすが休日というべきか、大きな公園には人が多い。ビニールシートの上でお弁当を食べる親子や、噴水広場の石段でいちゃつくカップルの姿が見える。


「ここまで来ればさすがに大丈夫だろ。ははは、面白かったな」

「いやあ……」

「見たか、アイツらの顔。ざまあみろってんだよ。あははは、は……は、あ、れ」


 笑っていた琉衣の顔が苦しそうな表情に一変する。


「……琉衣?」

「ちょっと、走りすぎた、かも」


 激しく咳き込んで、琉衣は息を荒げる。大きく体が揺れたけれど、ぼくに倒れ込んでも支えることが不可能だと判断したのか力なく芝生にへたり込む。見るからに辛そうで、空気を扱いきれていない呼吸音が聞こえている。


「る、琉衣。大丈夫……じゃないよね。え、えと、どうしよう。ああ、あれだ。ほら、ねえ、薬、薬は?」


 背中をさすってあげながら訊ねると、琉衣はウエストポーチのファスナーを開けた。手を入れて、青褪める。


「やばい、さっき落とした」

「ええっ、じゃ、じゃあどうすればいいの」


 落とした薬をぼくが探しに行けばいいのかもしれないけれど琉衣を一人にはさせられないよね。


 公園にいる人々はちらりと様子を窺う素振りを見せるけれど、誰かが助けに来てくれるわけではない。でも、ぼくには何もできない。蹲る親友の背中をさすってあげることしかできなくて、ぼくの方がパニックになりそうだ。


「おい、そこのガキ共、大丈夫か」


 大人の声だ。顔を上げると、外国人の男の人が心配そうにぼく達を見下ろして立っていた。茶色い髪の向こうで見たことのないくらい綺麗なエメラルドグリーンの瞳が光っている。そして、典型的な怪盗ルパンのようにモノクルを着けていた。


 男の人は片膝をついて琉衣の様子を見る。


「喘息か? 薬は」

「落としちゃって……。ぼく、どうすればいいのか分からなくて……」

「どこに落としたか分かるか」

「たぶん」


 すると、男の人は上着を脱いだ。ぼくの手を払いのけて琉衣に上着を掛ける。


「早く探して来い」

「え、でも」

「早くしろ。友達なんだろ」


 とりあえず、今はこの人の言う通りにした方がいいだろう。男の人に琉衣を任せて、ぼくは公園を後にした。商店街へ戻るといじめっこ達の姿はなかった。地面に這いつくばるようにしてうろうろしているとケーキ屋さんのお姉さんが声を掛けてきた。そして、吸入式の薬をこちらへ差し出してくる。どうやら拾ってくれていたらしい。ぼくはお姉さんにお礼をして公園へ駆け戻った。


 さぞ苦しんでいるだろうと思いながら息を切らして駆けて行くと、落ち着いた様子の琉衣が出迎えてくれた。肩で息をするぼくを見て琉衣は人の悪い笑みを浮かべている。男の人の上着を羽織り、手にはカップになるタイプの水筒の蓋を持っている。薄っすらと湯気が昇っているようだった。


「よっ。お疲れさん」


 横から伸びてきた手がぼくから薬を奪い取り、琉衣に渡す。


「あの、お兄さん。ぼくがいない間に何が」

「とりあえずの応急処置ってやつさ。体が冷えないように上着を掛けてやる。それと、紅茶はこういう時に役に立つからな」


 男の人の手には蓋のない水筒が握られている。


「だからってアイツは飲み過ぎだけど……ああいや、こっちの話な」

「だいぶ落ち着きました。ありがとうございます」


 お茶を飲み干し、琉衣は上着と蓋を男の人に返す。すると、男の人はにやにや笑いながら琉衣の頭をちょっと乱暴に撫でた。


「周りに迷惑かけたくねえなあとか思うかもしれねえけどよ、苦しかったら人に頼るんだぞ。あと、薬は絶対に落とすな」

「すみません」

「俺の弟も子供の頃喘息持ちでな、色々大変だったんだよ。体は大事にしろよ」


 そして、ぼくの頭をぽんと叩く。


「オマエも友達なんだったらもしもの時どうすればいいのか確認しておけ」

「ごめんなさい」


 満足そうににやりと笑い、男の人は上着に袖を通す。角と羽の生えた銀色の馬の飾りがくっ付いていた。小さいけれど随分と凝った装飾品のようだ。


「そろそろ時間か。待たせて蹴り飛ばされても困るからな。じゃあなぁ、ガキんちょ」


 ひらりと手を振り、モノクルから垂れる鎖を揺らしながら男の人は去って行った。何だか雰囲気がニールさんに似てる人だったな。猫耳も尻尾もなかったけれど。世の中にはそっくりさんが三人いるって言うし。でも、異世界にも適用されるものなんだろうか。


 ちょっと上から聞こえてきた咳でぼくは思考の渦から戻ってきた。


「後で一応病院行こ……。ごめんな有主、オレが誘ったのに」

「ううん。ねえ琉衣、何かあった?」

「あ?」

「前に言ってたでしょ、ストレスも発作の原因になるって。琉衣のことだから美千留ちゃんと何かあったのかなって」


 軽く咳をしながら琉衣は視線を逸らす。


「ちょっと揉めてな」

「じゃああのケーキは仲直りの為だね」


 琉衣は本当に美千留ちゃんのことを大事に思ってるんだな。少し異常なレベルのようだとは思うけれど、悪く思っているよりはいいだろう。


「青い鳥を見付けることができたら、オレもベルランゴーおばさんの娘さんみたいに元気になれんのかな」


 オレは娘じゃなくてチルチルなんだけどな。と付け足して苦笑する。鋼メンタルな琉衣だけれど、少し長めの髪を風に揺らして佇んでいるその様子はやっぱり儚げですぐに壊れてしまいそうだ。あの男の人も言っていたけれど、友人として隣に立ち続けるのならばちゃんと支えてあげないといけないんだろうな。


「見付かるよ、きっと」


 琉衣はヘアピンを付け直して頷いた。


 探しに行くのならその時はぼくも付いて行こう。誘ってあげれば姫野も来てくれるかな。












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