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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
九冊目 プラムケーキはいかが?
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第六十面 大変なことになったっぽい

 ワンダーランドの森は広い。大きな国土の四分の三以上を占める森林はドミノが住む場所であり、人間トランプは街に詰め込まれている。そんな森の中で馬を一人探せだなんて無理なんじゃないだろうか。


「あうぅ、あんなこと言うんじゃなかったよぉ」


 前方を歩いていたナザリオが枕を抱えて蹲ってしまった。元気なさげに耳は伏せられ、尻尾が草の上に垂れる。


「いやあ、巻き込まれてる僕達の方が災難だよ。全部コーカスレースに任せちゃえばよかったのに」

「だってキャシーが依頼したくないって」


 口を尖らせて見上げるナザリオのことをルルーさんは高圧的に見下ろしている。いつも楽しそうなルルーさんが楽しそうじゃないなんて珍しいな。目付きは悪いし、ぴょこぴょこ揺れるうさ耳も不機嫌そうにぷるぷる震えている。


「もう! どうして僕が! 僕も留守番がよかったよー!」


 ナザリオとルルーさん、そしてぼくは猫と帽子屋の家を離れ、兎の庭も出て北東の森をぶらぶらしている。ジェラルドさんが見つかる気配は全くない。対して、アーサーさんとニールさんは家でティータイムを続行中だ。あの家の目の前は森から街へ出る際に高確率で通ることになるから、見張っていると二人は言った。けれど違う、あの兄弟は面倒臭いから動きたくないんだ。絶対そうだ。そういうところはそっくりなんだよね。


 キャシーさんはコーカスレースへ行ったけれど、協力はしてもらえるのかな。一番気になるのはそこで、イグナートさんが頷かなかった場合ぼく達の労力が更に削れることになる。


 枕を抱えて蹲るナザリオと、大人げなくぴょんこぴょんこと地団駄を踏むルルーさん。このままじゃ馬探しなんて続けられそうにない。


「あのー」


 ぼくが声を掛けると二人が揃ってこちらを見た。


「どうするんですか、これから。ジェラルドさんを探すにあたって、何かヒントになりそうなものは」

「ないよー! あったら苦労しないんだから!」

「そうですよね、ごめんなさい」


 ルルーさんの表情が険しくなる。


「コーカスレースが動けば森中のドミノを動かせる。けれど、それでも見つからなかったら……」

「街ですか」

「そうかもしれない。でも、そんなに何日も街にいられるかなあ」


 ここにいてもどうにもならないね。と言ってルルーさんが歩き出した。ぼくはナザリオを引っ張り起こして後を追う。


 ぼく達が歩いているのは道なき道であり、まさに獣道である。前を行くルルーさんに付いて行っているだけなのでぼくはここがどこの辺りなのか全く把握していない。けれど、日が暮れるまでには猫と帽子屋の家に送り届けてくれるだろう。


 大きな羽音がして、何かが頭上を飛んで行った。おそらくコーカスレースの誰かだろう。キャシーさんのお願いは通ったみたいだね。コーカスレースが動けば後は早いぞ。


「そういえば、どうしてコーカスレースはそんなに頼りにされてるんですか?」

「どうしてだろうねえ、僕もよく分からないや。でも、ドミノのために何か役に立つことをしたいってチャドじいさんの思いが形になったものなんだって前にハワードが言ってたよ。チャドじいさんはすごいよねえ、あんなおじいちゃんなのにあんなに強くてさ。イグナートのこともチャドじいさんが育てたって」

「イグナートさんを……?」

「あれれ、聞いてないのかな」


 でも、確かに、前にチャドじいさんがイグナートさんのことを息子だと言っていたな。家族みたいな組織なのかなと思ったけれど、本当に親子なのか。


 今にも眠ってしまいそうなナザリオの手を引きながらルルーさんのちょっと後ろを歩く。軽く振り向いたルルーさんは少し悲しそうな目をしていた。


「イグナートは助けられたんだよ、チャドじいさんに。詳しいことは僕も知らないけれど、家族はみんな死んじゃったって」

「そうなんですか」

「はうぅ、死んじゃったら悲しいね。悲しくて眠れないから死なないでほしいねえ」


 何があったのか気になるけれど、人のことをあれこれ詮索するのは良くないだろう。





 あてもなく森を彷徨い、ぼく達は道に迷った。ルルーさんが笑いながら謝罪して来たけど笑い事じゃないと思う。ドミノと言っても森全体を把握しているわけではない。だから迷うことだってある。それは当然のことだけれど、自信ありげに歩いているから知っている道なんだと思っていた。時間も分からないけれど、日はやや傾きつつある。このまま迷って家に帰れなかったらチェスがわんさか出てくるかもしれない。


 ルルーさんは緊張感の欠片もなく頭を掻きながら笑っている。「まいったねー!」じゃないですよ、まったく。参ってるのはこっちですよ。


 きっとアーサーさんもニールさんも心配している。せめて方角が分かればいいんだけれど、空が暗くなっているのは分かっても太陽がどっちに落ちていっているのかが見えない。


「困ったねー。どうしよう」

「チェスが来たら守ってくださいよ」

「それは任せてよ。僕だってドミノだからね。……とりあえず、来た道を戻ってみようか」


 ぼく達は振り向く。そこに広がっているのは文字通りの獣道であり、生い茂る草木によってぼく達の足跡は消されていた。


「あはははは、これは本格的に大変なことになったっぽい」

「笑ってる場合じゃないですよ!」

「んー、おれ眠いなあ」


 こんな時一緒にいるのがクロックフォード兄弟ならもう少し安心できたんだろうか。この二人とこんな状況なんて不安でしかない。ぼくの口からは溜息が漏れた。


 改めて状況の確認をしておこう。道に迷って、時間も分からない。一緒にいるのは笑ってるルルーさんと眠そうなナザリオ。もう少しで日が沈む。そうするとチェスが出てくる。けれど、今はキャシーさんとジェラルドさんが退治してくれるわけではない。


 ナザリオは枕を抱えて横になってしまった。完全に寝る体勢だ。


 どうにかして猫と帽子屋の家まで帰らないとぼくは自分の家へ帰ることができない。帰れなかったらお母さんもお父さんも心配するよ……。玄関から帰らないんだから絶対怪しまれる。そして訊かれるんだ、どこに行っていたの、と。


 十月の夕暮れ、涼しい風が森の中を吹き抜けていく。ざわざわと揺れる葉の音が不気味に反響している。周囲に漂う空気そのものが怪しく感じられてしまう。ちょっと怖いな。


「アリス君、僕から離れないでね」


 ルルーさんに手を握られた。人間であるぼくを安心させようとしているのだろうか。けれど、ぼくの手を握るルルーさんの手が震えていた。口では朗らかそうに語っていても、彼女もこの状況は不安らしい。ドミノは二人、チェスが何体までなら対応できるんだろう。


「大丈夫、怖くないからね。チェスが来ても、僕がアリス君を守ってあげるからね」


 まるで自分に言い聞かせるようにルルーさんは言う。ナザリオは深い眠りに落ちている。


 手を握り返しながら「大丈夫ですよ」と言い返すと、ルルーさんはちょっぴり恥ずかしそうに笑った。





 ナザリオを叩き起こし、ぼく達は来た道を戻り始めた。けれどそれはおおよその道であって、正しい道であるとは言い切れない。どうかこの道が家に繋がっていますように、と祈りながら歩くしかないのだ。


 右手をルルーさんに引かれ、左手でナザリオを引っ張りながら歩く。


「暗くなっちゃったね。ごめんねアリス君。……う、帰ったら絶対怒られるよ」


 うさ耳がしょんぼりと下を向く。が、すぐにぴんっと跳ね上がった。ぴくぴくと動いて周囲の音を確認する。ナザリオもはっとしてきょろきょろし始める。


「まずいね」

「あうう」


 左側の茂みが激しく揺れ、ぬっと人影が現れた。人だけではない、どうやら馬に乗っているらしい。人間の方は赤い甲冑姿で、馬の方も立派な鞍を着けている。そして、人馬ともに影を纏っていた。馬上の人物はぼく達を見下ろしているが、顔は見えない。


 ルルーさんがぼくの手を握る自分の手に力を入れた。


「赤のナイトだ。ナイトは厄介だよ、色々動くから位置関係が分からなくなっちゃう。知らないうちに攻撃範囲に入って……」


 影の馬が大きく嘶いた。ジャンプをしてぼく達の前に躍り出る。


「ふん、小僧。貴様がアリスか」


 兜の奥から赤のナイトのくぐもった声が聞こえてきた。表情は分からないけれど明らかに嘲笑している感じだ。声の感じはお兄さんとおじさんの間と言ったところだろうか。


 ルルーさんが重心を落として身構える。ナザリオも枕をぼくに押し付けて前に出る。そんな二人を見て赤のナイトはくつくつと笑いを零した。何がそんなにおかしいのだろう。


 確か、ナイトの駒は斜め方向にあるマスのさらに斜め左右に移動できるんだったよね。アルファベットの「Y」の二股の先へ。位置関係を確認してみると、赤のナイトの真正面にいるのはぼくだ。そのぼくを守るように斜め前方でルルーさんとナザリオが身構えている。ということは?


「二人共、そこはナイトの攻撃範囲だよ!」

「分かってる。僕達はドミノだから平気だよ。それに、僕達がここにいればアリス君が襲われないでしょ」


 赤のナイトの笑い声が兜の中で反響して不気味に空気を震わせていた。馬の手綱を引いて方向を少し変えながら、横を向いてぼくを見下ろす。


「アリス、我が元へ来ないか」

「え、嫌です」

「ははははは、そうかそうか」


 体を震わせて笑ったので甲冑が音を立てた。それが五月蠅いのか馬は不機嫌そうに首を振っている。そして、赤のナイトは手綱を引いて機嫌が悪そうな馬を方向転換させた。纏う影が濃くなり、人馬もろともその姿が影の中に消えて行った。


 残されたのは体の力を抜いているルルーさんと、ぼくから枕を奪い取ったナザリオ、そしてぼく。


 夏休みに浜辺で出会った赤のビショップと白のポーンがアリスという名に反応していたけれど、まさか呼ばれるとは思わなかった。それに、我が元へ来いってどういう意味だろう。


「はー、びっくりした。でも、どうしてあのチェスはアリス君のこと知ってたんだろうね」


 知り合い? と首を傾げてルルーさんは笑っているけれどチェスに知り合いなんていない。いるわけがない。秋の夜、森に吹く少し冷たい風が気色悪いくらいにぼくの顔を撫で繰り回して通り過ぎて行った。










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