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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
八冊目 ある王宮騎士の職務について
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第五十五面 わたしがここにいるだろ

「父様はあまり仕事の話はなさらないからね」


 そう言ってジャンヌは苦笑した。


「ジャバウォックって、あれだよね。ウィルフリッド殿下が襲われたっていう」

「そうだ」

「昔話の中だけの存在だと思っていたけれど……。でも確かに、お偉いさん達の動きはちょっとおかしいなとは思うよ。何かを秘密に、例えば、秘密裏に何らかの調査をしているとか」


 少し溜めてから、続ける。


「そう、漆黒の龍についてとか、ね」


 濃いピンク色の瞳が妖しい光を揺らした。


 北西の国には恐ろしい存在がいるのだという。この国におけるチェスとはまた違ったもので、昼間はどう見ても普通の人間なのに、夜になると牙をむいて人々を襲うそうだ。だから国民達は自分達の中に紛れ込んだそいつらを見付けるために毎日のように村ごとの裁判を繰り返す。村で誰かが食い殺された時、その村での戦いが始まるそうだ。異邦人バックギャモンでも容赦なく襲われるそうなので、北西の国への旅行などは日帰りプランとなることがほとんどである。やつらがワンダーランドに入り込むことがないよう、北西の国境には壁がそびえているのだ。


 赤毛に、赤い瞳。その特徴を持つ男が犯人だったことがかつてあり、偶然にも何度かそれが続いた。その結果として彼の国では赤毛と赤い瞳は忌避すべきものとされてしまう。あくまでそれは傾向であり、その特徴を持つものが全員恐ろしい存在・人狼ではないのだが、一度抱いてしまった疑念と差別はなかなか消えないものだ。


「エドウィン、そんなに見つめないでくれ。恥ずかしいだろ」

「別に見つめてなんか」

「どうしてジャバウォックのことを知りたいの。君にそれは必要な情報なのかな」

「気になるというか」

「それとも、それは建前で、本当は別のことを知りたい。例えば、国の上層部の動き、とか」

「それこそ知ってどうするんだ」


 ジャンヌは時々人の心の奥を覗き込んでくるような目をする。興味深いと思っているのか、それとも警戒しているのか。慣れ合いをあまり好まないのは幼少期の経験からなのだろうか。いずれにせよ見透かされてしまったな。確かに、オレは上層部の動きが知りたい。ジャバウォックに興味があるのは本当だ。それに加えて、ナオユキを守るために先回りして対応することも必要だと思ったのだ。だから、上層部が何をして、どうしたいのかが知りたい。考えていること、出かける予定、持っているもの、何でもいい。ナオユキが見つかって、芋づる式に自分まで吊り上げられないようにしなければならない。勝手なことを、と帽子屋とチェシャ猫に言われる未来が簡単に想像できるが、オマエ達ドミノにできないことは人間トランプであるオレ、もしくは公爵夫人がやるしかないのである。


 探るような目をしていたジャンヌがベッドから身を乗り出してきた。伸ばされた手がオレの肩に置かれる。


「ねえっ、エドウィン。たまにはお姫様じゃなくてお嬢様の護衛をしてみないか」

「さっき自分でそんなんじゃないって言ってただろ。どういう意味だ」

「来週、ラミー邸で社交パーティーが開かれる。わたしの護衛として出席しないか。君の聞きたい情報も漏れ聞こえてくるかもしれないよ」


 そう言ってジャンヌはウインクした。持つべきものは友人だろうか。アイザックしか友人がいないなどと三月ウサギは言っていたが、ほら、そんなことないだろう。


「いいのか、オレが護衛で」

「友達なんて君くらいしかいないしね。その日は従者に休みを与えることにするよ。君もファリーネ殿下に許可をもらってきてくれ」



 うんうんと頷いてジャンヌの護衛をすることになってしまったのだが、オレは勢いに任せていて特に何も考えずに了承したのだった。自分がパーティーに出席したことなど一度もなく、ドレスコードや作法などを知っていないということに気が付いたのは家に帰ってからだった。





 夕食の席にて、社交パーティーへ行くことになったと言ったらクラウスがスプーンを落とした。コーンスープが飛び散る。


「兄貴が、ぱーちーに……」

「大丈夫なのかエドウィン」


 初めてのお遣いへ出発しようという子供を見るかのように父さんがオレを見て来た。二人してその反応は一体何なんだ。


「エドウィン、くれぐれも貴族の方々に無礼のないようにだな」

「分かっている。それで父さん、頼みがあるのだが」

「何だ」

「衣装を買ってほしい」


 父さんの手からフォークが落ち、サラダが飛び散った。





 社交界のマナーなどをジャンヌから叩き込まれ、父さんの財布の中身が消し飛んだところで七日が過ぎた。パーティー当日である。約束の時間、午後五時にオレはキャンフィールド公爵家の別邸を訪れた。国境管理が主な仕事であるキャンフィールド家の本邸は南の国境沿いにあるのだが、そこに住んでいては自由が利かないため街にある別邸にいることがほとんどだ。もはやここが本邸なのではないかと思ってしまう。使用人に案内されるまま、ジャンヌの部屋に入る。


「いらっしゃい、エドウィン。待ってたよ」


 一昨日退院したばかりのジャンヌは、包帯は取れているもののまだリハビリ中なので車椅子に乗っていた。おそらくオレが押すことになるのだろう。それでも、さすが公爵令嬢というべきか、きらびやかなドレスを纏っている。普段は騎士団の制服姿しか見ないため、こういう格好をしているとまるで別人のようだ。オレンジ色の髪は黄色いダイヤ柄のリボンで緩めに纏められ、薄くだが化粧もしている。


「何? いつもより綺麗だとか思っているのかな」

「よかったな、本当に。そういう格好ができて」

「……そうだね。ワンダーランドに来られて、本当によかったと思うよ」


 瞳と同じ濃いピンク色の紅を引いた唇が歪む。


「君も似合っているよ。どこかの御曹司だと言っても問題なさそうだね。中将、大丈夫だったかい」

「父さんにはいつか必ず返す」

「君の衣装もこちらで用意できればよかったんだけれど、ごめんね」

「いや、構わないさ」


 オレは車椅子を押して部屋を出る。玄関まで行くと、キャンフィールド公が不気味なくらい楽しそうに笑いながら待っていた。下男達の助けを借りながら車椅子ごとジャンヌを馬車に乗せる。なんでも、このために馬車を改造したらしい。いまだ全快とは言えない娘を出席させることについて、公爵は最初許可を出さなかったという。しかし、ジャンヌの必死の訴えに折れたのだそうだ。彼女をそうまでさせてしまったのはオレの所為だろうか。あまり無理はしないでほしいが。


 揺れる馬車の中、公爵はジャンヌのドレスについて熱く語っていた。にやにやにこにこと実に楽しそうであり、彼が娘を非常に大切にしていることがうかがえる。熱心な父の姿を見て、ジャンヌは恥ずかしそうに苦笑していた。





 程なくして、本日のパーティー会場であり主催者の邸宅であるラミー邸に到着した。王家の血を引き、街を管理するラミー公爵家。さすがというべきか、その厳かな雰囲気、そして大きな屋敷はブリッジ邸やキャンフィールド別邸のそれを遥かに上回る。車寄せにはたくさんの馬車や蒸気自動車が停められ、紳士淑女が次から次へと降りて来ていた。キャンフィールドの馬車にも順番が回って来たのでオレ達は下車する。「娘を頼んだよ」と言いながらオレの肩を叩くと、公爵は一足先に屋敷の中へ入って行った。


 車椅子を押してオレも玄関に入る。大丈夫だ、ジャンヌが教えてくれた通りにすればいい。大丈夫だ、何度も確認した。大丈夫だ、クラウスが「兄貴頑張れ」って言ってくれただろ。大丈夫。大丈夫だ。


 使用人に案内されて会場となっているホールへ辿り着く。扉の向こうからは管弦楽団の演奏や笑い声、話し声が漏れ聞こえていた。いざそこへ入るとなると手が震えた。これは緊張しているということだろうか。口の中が渇いてきて、足まで震えそうだ。それでもオレの表情筋は顔を変えようとしないから、使用人が気付くことはない。笑顔のまま扉を開けようとする。


「大丈夫、エドウィン。わたしがここにいる。安心してくれ」


 軽く振り向いてジャンヌが言った。



――大丈夫だ、エドウィン。一人じゃない、わたしがここにいるだろ。



 あれは確か二年前、騎士団の新人研修で森に入った時だ。突然のバンダースナッチ襲来でオレは我を忘れ、惨めな姿を晒しながら列から離れて道に迷った。後を追って来たジャンヌがそう言って、迎えが来るまでずっと傍にいてくれたのだ。同じく新人、ましてやお嬢様育ちのこいつがあんな犬を見て平気でいられるはずがないのに。


「行こう。押して」


 開かれた扉の向こうに広がる豪華絢爛な世界へオレは踏み込んだ。鼓膜を揺るがす大勢の声、視界への暴力のようなきらびやかさ、鼻腔を激しく刺激する香水や料理の臭い。酔いそうになるのを我慢しながら車椅子を押していく。


「慣れないだろう。辛かったら言ってね」

「問題ない」


 ジャンヌ様。キャンフィールド公爵令嬢。ジャンヌお嬢様。声を掛けられ、挨拶に答える。おや、カザハヤ中将の御子息だ。とオレに目を向ける者もいた。


 飲みたい、とジャンヌが言ったのでドリンクの置かれたテーブルに車椅子を横付けする。白ワインを渡し、オレは赤ワインのグラスを手に取る。焼酎じゃなくていいのかいと聞かれたが、ないのだから仕方ない。イーハトヴ産の焼酎という酒は美味しいがそれほど出回っていないので巡り合えることはあまりない。


 乾杯して一口飲んだところで扉の方から歓声が上がった。


 それなりに額が後退した男と一緒に若い女が入ってきた。赤を基調としたドレス姿で、所々に黒いレースと紫のフリルが揺れる。頭にちょこんと載せられたミニハットには赤いハートの飾りが付いていて、黒いリボンが垂れる。そして、後頭部で一つにくくられた銀髪が歩くのに合わせてうねっていた。胸元が大きく開いた煽情的な作りのドレスすら違和感なく着こなすブリッジ公爵夫人がパーティーに降臨した。公爵と並んで歩いていた公爵夫人はホールを見回していた目を止め、オレ達を捉えた。














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