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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
八冊目 ある王宮騎士の職務について
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第五十四面 オマエとの関係は維持していたい

 テラスへ上がるとナオユキが席を詰めてくれたので隣に座る。新しく置かれたティーカップにお茶を注ぎ、マミさんはにこやかに微笑みながら室内へ戻って行った。カップの中では薄いピンク色をした液体が揺れていた。ハーブティーだろうか、ほんのり甘い香りが漂ってくる。カップから顔を上げると公爵夫人と目が合った。琥珀色の瞳がぶれることなくオレを見ている。


「エドウィン、貴方、主人の屋敷へ行ったのかしら」

「分かるものなのか」

「だって街ではなくて向こうの方からやって来たでしょう」


 そういうことか。


 カップを手に取り、一口飲む。口の中に柔らかな甘さが広がり、ほんの少しの酸味が残る。


「主人と何を話してきたの。呼び出されたんでしょう」


 カップをソーサーに置くと、お茶が波打った。オレはナオユキの方を向く。


 黒地に白いラインの入ったジャージ姿のナオユキはもぐもぐとスコーンを頬張っていたが、オレの視線に気が付き動きを止める。そろりとこちらを見て、口の中のスコーンを嚥下する。ぼくに何か、と言いかけたナオユキだったが、オレが黙ったままなので若干不安そうな顔になった。クラウスと同じような大きめの瞳が怪訝そうに揺れる。


「ナオユキ、気を付けた方がいい」

「何が?」

「目立つ行動は避けろ。ブリッジ公がオマエを探している」


 テラスに流れていた和やかな空気が一瞬にして張りつめた。ヤマネだけが気持ちよさそうに眠っている。


「イレブンバック家に注文に行ったらしいな。そのことで、帽子屋と関わりを持っている人間トランプがいると氏から公爵へ連絡が来たそうだ。初夏に夫人のお遣いに行った時のことも公爵は気にしていた。同じ子供なんじゃないかとな」

「見付かったらどうなるの」

「親に連絡、厳重注意だろう。保護者がおらず森に迷い込んでいるのであれば保護も考えると言っていた」

「そ、そんなことになったら」

「大変だろうな」


 そこまで言ってオレはお茶を飲む。


 困ったように声にならない変な音を出しているナオユキがティーカップの中を見つめていた。薄いピンク色のお茶はすでに飲み干されており、中は空である。テラスは無言を保っており、カップとソーサーが当たる音、誰かが茶菓子を咀嚼している音、そしてヤマネの寝息だけが聞こえている。これはこの場にいる者達が黙り込むほどの問題なのだ。ナオユキがこの世界に生きる者ではないということが公にでもなれば、それを隠していた帽子屋とチェシャ猫、三月ウサギ、ヤマネは相当しぼられることが目に見える。王妃の「首を刎ね」が発動するかもしれない。ドミノ達の行いを黙認していた公爵夫人とオレにもそれ相応の対応がされることも予想できる。そして、ナオユキ本人がどのような目に遭ってしまうのかは全く予想できない。


 とにかく、ナオユキの存在は隠していなければならないのだ。こいつが本当に異世界人なのかどうかが分からなくても、だ。最悪の状態を考えて行動すべきである。


「エドウィン」


 沈黙を破ったのはチェシャ猫だ。公爵夫人に撫でられていた先程までと打って変わり、鋭い目がこちらを睨みつけるように光っていた。背後に尻尾が揺れている。ティーカップをソーサーに置き、チェシャ猫は軽く頬杖を突く。軽く細められた目元には侮蔑が滲んでいるように見えるが、それはいつものことなので特に気にすることはないだろう。


「オマエはアリスをどうしたい」

「どう……? 危険な目に遭わせるなと先に言ったのはそちらだろう。オレはそれに従っているだけだ。だからこいつのことは口外しないし、今回のこともこうして事前に注意喚起をした」

「それならその姿勢を続行してくれ。オマエとの関係は維持していたい」


 それはつまり、オマエは使える駒だから、使用不可にならないようにナオユキを秘密の存在とすることを徹底しろと、そういうことだろうか。ナオユキの身だけではなく、自分達の身も、オレの身も守るために。全て守ることができるのであればおとなしくそれに従うだけだ。


 オレが頷くと、満足したようにチェシャ猫も頷いた。口元がにやりと笑う。そして、このことについての話は終了なのだろう、三月ウサギが待っていたように口を開き、再び談笑が始まった。オレは目の前に置かれているスコーンにクロテッドクリームとイチゴジャムを載せ、一口齧る。やはりこの組み合わせは最強だと思う。マミさんお手製の美味な茶菓子を咀嚼していると、ナオユキに腕を突かれた。


「エドウィン、この前急いで帰ってたでしょ。騎士団で何かあったって、大丈夫だったの」

「……南の森で、騎士がチェスに襲われてな。だが問題ない、アイツは強い」


 強いが、体は大丈夫なのだろうか。


 ナオユキは「そっか」と言うとクッキーを一枚口に放った。エドウィンも気を付けてねと添えて、噛み砕く。気を付けるさ。クラウスと父さんを二人きりになんてさせない。三人で生きて行くと決めたのだから。二人に、また悲しい顔をさせて堪るか。





 公爵夫人のログハウスを後にしたオレは、そのまま真っ直ぐ家へ帰るつもりだった。今日の仕事は終わっているのだから帰っても問題ない。しかし、オレの足は家とは違う方向へ歩き始めることとなった。向かう先はトレッセッテ総合病院だ。さすがに一度くらいは見舞いに行ってやった方がいいだろう。人に言われてようやく足が向いたなどと言ったら怒られるだろうから何も言わないが、逆に言えばアイツがこれくらいでへばるやつだと思っていないということでもある。


 受付に聞くと、先に面会に訪れている人物がいるとのことだった。友人か、それとも同僚だろうか。受付に座る職員は何やら言いにくそうにしていたが、「王宮騎士さんならたぶん大丈夫でしょう」と言って許可をしてくれた。王宮騎士でなければ何か不都合のある人物が面会に訪れているということだろうか。


 階段を上り三階へ向かい、指示された番号の病室を探す。廊下に人が多いのは気のせいだろうか。辿り着いたドアを軽くノックをすると、向こうから返事が二人分返ってきた。オレはドアを開ける。


 窓は開けられており、白いカーテンが風に揺れていた。そして、その風を受けてベッドに座る人物の髪も揺れている。地味な病衣とは不釣り合いなほど美しい赤毛だ。先程まで読んでいたのであろう本を閉じ、オレを見て頬を綻ばせる。よかった、笑うことはできるんだな。痛い、辛い、苦しい、と泣き顔をされたらどうしようかと思っていた。


「エドウィン、ようやくおでましか。待ってたよ」

「何だ、会いたかったのか、オレに」

「違うよ。君ならすぐにお見舞いに来てくれると思っていたんだけど、どうやらわたしの思い込みだったみたいだ。君はとても冷たい人間だね。友人がこんな目に遭ったというのに今更やってきて」


 ベッドの脇の椅子に座っていた小柄な影がどついてきた。


「友達は大事にするもんだってファリ姉様が言ってたぞ。おまえ、ファリ姉様と一緒にいるのに聞いたことないのか」


 どこのクソガキかと思っていたら、どうということはない。第三王子だ。そうか、面会に来ていたのが王子だったため受付であのような対応をされたというわけだな。廊下にいたのは臨時の護衛か。


「ジャンヌはなあ、おまえに会いたがってこの間もふぎゃあ」


 口を押さえつけられて、ハリー殿下はもごもごと何やら文句を言っている。おそらく、「この、第三王子たるハリー・カイハ・ポーカーに何たる仕打ち」といったところだろうか。ハリーは手を振り解くと「それじゃあボクはこの辺で」と言い残して去って行った。


「殿下はまだ十四だから、子供の言うことだと思って気にしないで。別に会いたがってなんかいないよ。どうせ復帰すれば嫌でも顔を合わせることになるからね」

「ジャンヌ」


 先程までハリーの座っていた椅子に腰を下ろす。


「体の具合はどうなんだ」

「よくはないね。だいぶ楽にはなってきたけれど、まだまだ痛むから。……チェスってやっぱり強いんだね」


 そう言ってジャンヌは苦笑する。首元や腕に巻かれた包帯は痛々しく、見えてはいないが胴体や足も同じようなものだろう。南の森でバンダースナッチの調査をしていた陸軍の部隊に同行していたジャンヌは、野営地にてチェスの襲撃を受けた。報告によると現れたのは青のルーク一体とポーン三体だったそうだ。幸いにも死者は出ず、追い払うことに成功した。しかし被害は小さくはなく、陸軍兵士と同行していた王宮騎士の数人が負傷した。ジャンヌもその一人である。


 軍にも騎士団にも女は一定数いる。膂力の違いこそあれど性差など職務に影響のないものであり、男が負傷しようが女が負傷しようが、周囲の対応はほとんど変わらない。しかし今回の一件、ジャンヌが負傷したことは少し騒ぎになった。その理由は、彼女が女性騎士の中で若手のホープと言われ注目されているということだけではない。


父様とうさまを泣かせてしまった」

「キャンフィールド公は何か言っていたか」

「さすがに辞めろとは言わなかったけれど、もっと自分の身を大事にしてほしいと」

「オマエも公爵令嬢の端くれだものな」


 オレがそう言うと、ジャンヌは本を持つ手に力を入れた。


「そんなんじゃないよ」


 そんなんじゃない。と幾分か力を入れて繰り返す。吹き込む風に濃いオレンジ色の髪が揺れた。


「わたしはキャンフィールドの家に恩返しをしなくてはならない。あの壁の中からわたしを救い出してくれた父様に……」


 赤毛は恥ずかしいとジャンヌは言うが、オレはそうは思わない。燃える炎のような赤毛は北西の国ではやや敬遠傾向にある。あの国の事情を考えればそれは仕方ないような、やむをえないような、そのような感じはするので一概に差別的だと言えるものではない。しかし、幼い時を北西の国で過ごしたジャンヌにとって、それは辛いものであったのだろう。あの国から拾い上げてくれたキャンフィールド公への恩というのは、おそらくオレが想像できるような重さではないのだろうな。


 すぐ帰るつもりだったので差したままだったフランベルジュをベルトから外し、サイドボードに立て掛ける。オレがもうしばらくいるつもりなのを察したのだろう、ジャンヌも手にしていた本をサイドボードに置き、体を軽くこちらへ向けた。


「ジャバウォックについて公爵から何か聞いていないか」


 ジャンヌが考え込むように、思い出そうとするように、軽く俯いた。濃いオレンジ、花壇に映えるマリーゴールドが揺れている。












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