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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
八冊目 ある王宮騎士の職務について
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第五十一面 今日も頑張って行きましょう!

緑のクラブ ジャック

王宮騎士 エドウィン・カザハヤ による 日々の記録

 また嫌な夢を見た。


 額に汗が滲んでいる。パジャマがじっとりと背中に貼り付いているのが分かる。不快な荒い息が自分の口から漏れていることが余計に不快感を増していく。


「っう……」


 寝返りを打つと、髪の毛が顔に貼り付いてきた。


 気持ち悪い……。この不快感を全て吐き出すことができれば楽になるのかもしれないが、後片付けが面倒臭いから落ち着くまでおとなしくしていよう。しかし、目を閉じると先程の夢が再び動き始めるかもしれないので目は開けておく。


 仕事行きたくないな……。


「兄貴! おっはよー!」


 部屋のドアが勢いよく開かれると同時に弟の大声がオレの頭を激しく揺さ振った。やめろ、刺激するな。


「兄貴ぃ、朝だよー。起きて起きて」


 クラウスはオレの肩を掴んで思いっきり揺すってくる。


「ぁ、やめろ。やめろクラウス……。やめ……」

「もう、兄貴の寝坊助さん!」

「ほんとやめろ、具合悪いんだ。これ以上動かすと吐くぞ」


 ふええっ、と言ってクラウスが飛び退いた。ドアの方に背を向けていたため見えてはいなかったが、下がりすぎて壁に激突したらしい音が聞こえてきた。大丈夫か。


「また……。また、怖い夢でも見たの?」

「疲れてるだけだ。問題ない」

「そう……?」


 ご飯の用意できてるからね、と言ってクラウスは部屋を出て行った。


 体を落ち着かせてから、オレは起き上がる。まだ幾分か重い頭を持ち上げて、パジャマを脱いで着替える。シャツのボタンを留めながら部屋を出ると洗面所の方からクラウスが駆けてきた。顔を洗っている途中だったのか、水滴が顎から垂れている。


「おれ今日仕事あったっけ」

「オレが知るわけないだろう」


 文句を言うクラウスを押し退けて代わりに洗面所で顔を洗う。鏡に映るオレの顔は相変わらず無表情で、緑色の瞳がぼんやりとこちら側を見つめていた。葉の生い茂る森の木のようだと誰かに言われたことがあるが、仮にそう例えるのであれば左側には一枚だけ紅葉が混ざっているのだろう。左右で色の違う目をしていることをオッドアイと言うそうだが、これはそうなのだろうか。周りに特に言われることもないし、自分でもじっくり見てみないと分からない程度のものだ。


 タオルを顔に押し当てていると戻ってきたクラウスに追い出された。


「お仕事あった!」

「そうか。急いで支度した方がいいんじゃないか」


 洗面所を後にし、リビングに向かう。


「おはよう、エドウィン」

「ん、おはよ」


 食卓では既に父さんが食事を始めていた。今日の朝食はトーストとハムエッグか。母さんの写真に声を掛けてから席に着く。もそもそと食パンを咥えていると、父さんが様子を窺うような目でこちらを見て来た。


「どうした」

「何が」

「何かあったか? 父さん、話聞くぞ」

「何でもないよ」


 アレはオレだけが見たものだし、詳細を父さんに話したこともない。ただ、伝えたのは母さんに逃がされたと、だから母さんが心配だと、そうとしか。影を纏う犬に喰われているのを見たなんて言ってしまったら父さんはオレを心配してしまうから。父さんは事の済んだところだけを見ていればいい。あの光景は、あのおぞましい光景は、オレだけが抱えていればいいのだから。


 今朝見た夢が一瞬脳裏に蘇った。脚色済みのあの時の光景。


「オマエは余り表情に出ないタイプだから、何かあったら言ってくれないと分からないんだからな」


 父親なんだから分かってやらなきゃいけないんだが……。と、父さんはコーヒーを飲みながらもごもご呟いた。


 分からなくていい。分かって欲しいのであればこの表情筋も動くはずなのだから。


「ふえぇ、遅刻する」


 慌てて席に着いたクラウスがバターも塗らずにトーストを頬張り始めた。この秋からクラウスも騎士二年目だ。後輩も入って環境が大きく変わったのだろう。いつまでも新人ではないのだから気を引き締めてくれ。


 サラダを掻き込み、オレは席を立つ。


「ごちそうさま」

「んえっ、兄貴もう行くの」

「オマエもさっさと食うんだな」

「待ってよ! 一緒に行く!」


 トーストを口に押し込んだクラウスがむせる。軽く背中をさすってやってからオレは廊下に出た。後ろからはまだ苦し気な声と、父さんの呆れ声が聞こえてくる。悪いがこの場は父さんに任せることとしよう。クラウスはおそらく大丈夫だろうし、これでオレが遅刻しては元も子もないからな。


 ネクタイを締め、上着のボタンを留める。肩に回してからベルトを締め、フランベルジュを下げる。ブーツの紐を結んでいると、廊下を駆けていくクラウスの姿が見えた。マントと帽子を手に部屋を出、朝食の片付けをしている父さんに声を掛ける。父さんは今日は非番だそうなので家のことは全部任せてしまおう。


「行ってきます」

「おう、頑張れ」

「兄貴! ま、待って!」


 玄関まで行ったところでクラウスが追いついた。ベルトは歪み、エストックは傾き、帽子に付けられた青いスペードは逆さになっている。


 廊下に出てきた父さんに小さく手を振って外へ出る。帽子を被ってからマントを留める。後ろでクラウスがもたもたと装備を整えているが、こいつは後輩に舐められてるなどということはないのだろうか。少し心配になってきた。もしこいつを舐めるような後輩がいるのならばオレがそいつを叩きのめしてやろう。そうしてクラウスに言うのだ、「オマエがちゃんと指導しないから後輩が駄目になる」と。


 城門に着くと、いつもと変わらず同じ顔をした門番が仲良く並んで立っていた。同じタイミングで同じ動きをしながら、門番はオレ達に挨拶をする。


「おはよう、カザハヤさん」

「おはよう、カザハヤさん」

「今日もいい天気ですね」

「お日様ぎらぎら!」

「揃って出勤、仲良し!」

「僕らも仲良し」

「そうとも!」

「僕らは仲良し」

「仲良し門番!」

「今日も頑張って行きましょう!」


 踊って歌う門番の膨れた腹が揺れている。


「おはようございます。お疲れ様です」


 律儀に挨拶を返すクラウスを置いて門をくぐる。


「ああー! 待ってよ兄貴」

「今日の仕事は」

「新人研修第二段階のお手伝いだよ」

「自分が教えられる側にならないように気を付けるんだぞ」


 オレがそう言うと、クラウスは頬を膨らませた。そんな顔では怒っていようが怖さなど微塵もない。


 練習場へ向かうクラウスと別れて、王宮の中に入る。同僚や先輩、後輩からの挨拶に適当に返答しながらいつもと変わらぬ勤務地へ向かう。


「おはよう、エドウィン。今日も変わらず表情硬いわね。というか、硬さすらないのかしら」


 窓の外を見ていた女が振り向いた。日差しを受けて光を散らす金色の髪が揺れ、その中に埋もれているような青い瞳が花の咲くように大きく開かれる。少し濃いめのピンクが引かれた唇が薄く開かれ、笑う。


「おはようございます」

「今日もよろしくね」


 どうやら身支度の途中だったらしい。控えていた侍女達が仕事を再開する。髪を梳き、結っていく。横髪の一部を後ろで束ねたいつもの髪型。ハーフアップと言うのだっただろうか。教えられたこともあるが髪型に興味はないので忘れてしまった。


 ドレスの皺などを軽く伸ばしてから侍女達は離れる。


「ありがとう。もう下がっていいわよ」


 彼女とオレに対して順に礼をしながら侍女達は部屋を出て行った。天蓋付きのベッドや細かな装飾が施されている鏡台などのある部屋に二人きりになる。


「殿下」

「もう、二人の時はそうやって呼ばないでって言ってるでしょ」


 腰に手を当て、軽くこちらを睨みつける。が、すぐに堪えきれなくなり噴き出した。ここまでの一連の流れが毎朝の挨拶というのは二年経ってもなかなか慣れないというか、まどろっこしいというか。ファリーネが楽しんでいればそれで十分か。


 後ろ手にドアを閉め、オレは部屋に踏み込んだ。花の香りがする。また新しい香水でも見付けてきたのだろう。


「ファリーネ、今日の予定は」

「公務はないわ」

「ならば非番にしてくれてもよかっただろう。警護する必要はあるのか」


 ファリーネはドレスの裾をつまむと、思い切り捲り上げた。パニエが広がり、一瞬その姿を覆い隠す。何をしているんだこのお姫様は。


 清純なる姫君のあられもない姿を見るわけにはいかないので、オレは目を逸らす。すると、脱ぎ捨てられたドレスが飛んで来た。どうやら投げつけられたようだ。視界を埋め尽くすふわふわのもこもこをよけると、そこに立っていたのは城下に住む平凡な娘のようなワンピース姿のファリーネだった。手にしたハンガーには平凡な男物の服が掛けられている。


「貴方はこれを着なさい。今日は私用、街へ行くわよ」

「は」

「聞こえなかった? 今日は街へお忍びで出かけるのよ。身辺警護を頼むわね」


 はい、と服を渡される。


「お姉さんの言うこと聞きなさいね、坊や」


 ベッドに倒され、カーテンを閉められる。


「着替え終わったら教えてね」


 何て自分勝手で我儘なんだ。それに坊やだと、一つしか違わないだろう。


「早く早く」


 仕方ない、これも仕事か。王宮騎士団の制服を脱ぎ、渡された服に着替える。


「エドウィン」

「何だ」

「着替えた?」

「あと少し」

「あまり待たせないでね。私はワンダーランド第一王女よ」

「知っている」


 着替えを終えカーテンを開けると、待ち構えていたファリーネに抱きしめられた。柔らかな花の香りが鼻腔をくすぐり、一瞬意識を持って行かれそうになる。自分がどんな顔をしているのか分からない。ただ、明日は表情筋が筋肉痛になりそうである。


 引き剥がそうとすると離すまいと強く抱きすくめられた。こんなところを侍女達に見られたら非常によろしくない。オレにとっても、ファリーネにとっても。


「私の前で悲しい顔をしないで」


 細い指がオレの頭を撫でる。


「何があったのかは訊かないけれど、何かあったんでしょう」


 オレから身を離し、軽く見上げる。優しく微笑んだ。と思っていたらなぜか腹を殴られた。


「んぐぅっ、う」

「エドウィン・カザハヤ! 貴方は、この第一王女ファリーネ・リーカ・ポーカーの警護を任されている王宮騎士なのよ。らしくありなさい。これは命令。笑わないというのであれば笑わなくてもいい。でも、それならいつも同じ無表情でいなさい。ふいにそんな顔をされては困るの」

「無茶苦茶だ……」


 オレが腹を押さえて蹲っていると、ファリーネはクローゼットから地味なバッグを出して肩に掛けた。いたずらっこのようににやりと笑いながらオレに手を差し伸べる。


「ごめん、痛かった?」

「いや……」


 手を取り、立ち上がる。


「よし、じゃあ行こうか」


 ファリーネはドアを開けた。









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