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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
七冊目 大富豪イレブンバック家
51/236

第五十面 何だかとてもちっぽけな

 片付けを終えたぼく達は、時間と引き換えに作った帽子達を報酬代わりにレベッカさんに渡してきた。こんなんでいいのかなあと思ったら、これでいいらしい。こんなにたくさん、コーカスレースは何に使うつもりなんだろう。


 家までの間、馬車に揺られているとアーサーさんはぼんやり外を見ながら呟いた。


「イレブンバック氏は父のことを……」


 車輪の音に消されてしまいそうな小さな声だった。けれど、ちゃんと聞こえた。


「知らないわ。私はね」


 呟きを拾った公爵夫人が答えると、アーサーさんは彼女に向き直った。


「私は、お父様から貴方の父親について聞いたことはないわ。けれど、帽子のできについて知っているのだから、貴方の父親が作った帽子を被ったことがあるということよね」


 どうして氏はあんなことを言ったんだろう。アーサーさんのお父さんの帽子について褒めていたようだったけれど、何だか高圧的で、見下した感じで、ちょっと嫌だったな。でも、あの発言にアーサーさんが食いついたのにはおそらく理由があるはずだ。お父さんも帽子屋だったのなら、誰に売っていようとお父さんの勝手だ。一人の客に向かって知っているのかなんておかしな質問だと思う。


「あのぅ、アーサーさんのお父さんって人間トランプなんですよね? それなら、どうしてアーサーさんのことドミノって」

「父は生前、ドミノと結婚した物好きな男だと随分と言われていたようですから。父と取引していたのであれば、知らないはずありません」


 随分と言われていた、か。心無い言葉とか、そういうのをたくさん投げられたんだろうな。それでも奥さんを大事にして、子供が二人も。きっといい人だったんだろう。


「私が聞いてもお父様はきっと答えてくれないわ」

「おそらくそうでしょうね。貴女は何もしなくていいですよ」

「何だか役立たずって言われているようで嫌な言い方ね」

「ふふ」

「うふふ」


 二人の間に静かな火花が弾けたような気がした。この二人もこの二人で飽きないよなあ。





 ぼくとアーサーさんを猫と帽子屋の家まで送り届けた公爵夫人は、出迎えてくれたニールさんと熱い抱擁をしてから帰って行った。アーサーさんが睨んでいたのは言うまでもないだろう。


「親父のこと?」


 ニールさんが首を傾げた。


 リビングのソファに向かい合って座り、イレブンバック氏の発言について言うとそんな反応が帰ってきた。報告をしているので、アーサーさんはニールさんの横ではなくぼくの横に座っている。ルルーさんがニールさんの横に座っていて、ナザリオは今日も絨毯に寝転がっている。しかし、目は開いているので起きているようだ。


「私は父上のことをあまり覚えていません」

「親父が失踪したのはオマエがまだ小さい時だったからな」

「光る蝙蝠なんて不確かなものを追い駆けて、挙句崖から滑落して死ぬなんて情けなさすぎますよ……」

「そういう報告だったな」


 ニールさんはグラスを手に取ってアイスティーを飲む。


「ただ、俺は親父の死体を見ていない」

「そうなんですか」

「俺も子供だったし、見せられなかっただけかもしれねえけどさ。でも、逆に子供だったから、まだ親父は生きているんじゃないかって思った。次第に分かってきたんだけどな」


 アーサーさんは少し俯いている。


 ワンダーランドとぼくの部屋を繋ぐあの鏡は、元々二人のお父さんが持っていたものだと会った頃に言っていたよね。あんなすごいものを国から預かるような人が、不注意で亡くなったのか。


「……今日は、疲れました」


 小さく欠伸をしたアーサーさんの目に涙が浮かぶ。眠たそうに目を擦っていると思ったら、そのままソファに凭れて眠ってしまった。帽子作りはおそらく徹夜だったんだろう。ゆっくり休んでくださいね。


「話の途中で寝るなよな」

「頑張ったんだから休ませてあげようよー。ニール知ってるんでしょ、どれくらいアーサーが頑張ってたのか」

「まあなぁ」

「やっとお外でお茶会ができるねえ! ティーセットが届くの楽しみだよ」


 ルルーさんのうさ耳がぴょこぴょこ揺れる。けれど、ニールさんはまだ少し顔を強張らせたままだ。「親父のこと……」と呟いた気がするけれど、はっきりとは聞こえなかったし、その後に何を言ったのかまではよく分からなかった。


 絨毯に寝転ぶナザリオがのそのそと動きながらぼくの隣へ移って来た。枕を抱きしめたまま、少し身を乗り出す。


「光る蝙蝠って、童謡にでてくる、あれ? それを探しに行ったの?」

「あれ? ナザリオ初耳? 僕てっきり君も知っているんだと思っていたよ」

「知らなぁい」

「親が死んだ話なんて好き好んで話すようなもんじゃねえからな」


 アイスティーを煽るニールさんに言われて、ナザリオは「ん、ごめん……」と枕を抱きしめる。



  キラキラ、光れ小さな蝙蝠よ  いったいおまえは何してる!


  この世をはるか下に見て  お空を飛んでくお盆のように


  キラキラ、光れ……



 『不思議の国のアリス』、おかしなお茶会のシーンで帽子屋が歌っている歌である。このワンダーランドでは童謡として歌われているのか。「キラキラ、キラキラ……」とナザリオが口ずさむ。


 この国はぼくにとって不思議や発見がいっぱいで、飽きないしとても楽しいものだ。けれど、公爵夫人の大事にしていたダイナ、エドウィンとクラウスのお母さん、アーサーさんとニールさんのお父さん、ここで暮らしている人々にも失って来たものはある。それでもみんな毎日を生きているんだな。そう思うと、ぼくが閉じ籠っているのは何だかとてもちっぽけなように感じられる。けれど、ぼくにとっては小さなことじゃないんだろうな。


 ポケットサイズの子供向けミニ絵本は、大きな百科事典と比べると情報量も少ないし、とっても小さい。けれど、それは幼い子供の心にとっては大きな大きな世界を開く表紙なのだ。





          ◆

          ◇





「今日も変わりなく、お茶会を満喫中、と」


 メモ帳にペンを走らせながらエドウィンが呟く。


 あれから三日後の今日、公爵夫人のログハウスにティーセットが届けられた。ぼくも運ぶのを手伝ったけれど、確かに壊れる前と八割方同じようなものができあがっていた。注文通りだ。そして早速青空の下でお茶会をしているというわけだ。


 一緒にどう? とルルーさんに訊かれ、エドウィンは「仕事中だから」と言って断っている。


「ナオユキ、オマエがくれた緑茶だけどな、クラウスにも父さんにも評判がいい。ありがとな」

「喜んでもらえて何よりだよ。また持ってこようか」

「いや、いい。今度アイザックがアルジャーノン殿下に引き摺られながらイーハトヴへ行くそうだから、土産に頼んである」

「アイザック……?」


 エドウィンはメモ帳を閉じ、ペンと一緒にウエストポーチにしまった。フランベルジュの柄に左手を置いて、右足にやや体重を掛ける姿勢で立つ。


「軍部を取り仕切るクロンダイク公爵家の若き当主だ。アイツとは幼馴染だからな、こういう時に役に立つ」

「エドウィンにも友達がいたんだね」


 ニールさんがお茶を噴き出した。アーサーさんは笑いを堪えるのに必死で、ルルーさんは大笑いしている。ナザリオは眠ったままだ。


 ぼく何か面白いこと言ったかな。


 エドウィンは無表情を崩さないまま静かにぼくを見ている。


「今のはオレを馬鹿にしているのか」

「え、何で」


 どうやら語弊があったらしい。言葉って難しい。


「うーんと、何かごめんね。そういうつもりじゃなかったんだけど」

「悪意がないならいい」


 軍帽の鍔を少し押さえてエドウィンは言う。無表情な声に僅かな苛立ちが混ぜられていたような気がするのは気のせいだろうか。


「アリス君、エドウィンをからかっちゃ駄目だよー。本当に友達なんてアイザックくらいしかいないんだからさあー」

「耳もぐぞ三月ウサギ」

「もいだら痛いよお!」


 懐中時計で時間を確認すると、「それじゃあ」と言ってエドウィンは帰って行った。いつもは行動までも無表情といった感じでてくてく歩いて行くのに、今日は走って行った。随分と急いでいるみたいだな。


「何か、急いでるんですかね」

「あー、昨日のアレだな」


 昨日は姫野と琉衣と出かけていたからこっちに来てないんだよな。


「何かあったんですか?」

「王宮騎士団の方で何かあったらしい。俺の知ったことじゃないがな」


 三人は騎士団のことはどうでもいいという風にお茶を飲んでいるけれど、ぼくはちょっと気になるな。エドウィンやクラウスによくないことがなければいいけど。


 ティーカップを手に取り、一口飲む。久々の暖かい紅茶は、おかしなお茶会のおかしな空気を含んで楽しく弾けた。











本文中 歌の引用は高橋康也訳河出書房版『不思議の国のアリス』より



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