第四十七面 君は何をやっている人間なのかね
注文はできたし、ケーキも食べ終わったのでそろそろ帰ろうか、というところで応接室に使用人が飛び込んできた。何やら紙束を持っていて、それをイレブンバック氏に見せている。見せられた氏は眉間に皺を寄せながらこちらを睨んできた。が、アーサーさんはにこにこしながら「美味しいお茶でした」とメイドさんに言っていて気が付いていない。お茶に気を取られている帽子屋を挟んで、ぼくと公爵夫人は顔を見合わせる。
何かよからぬ雰囲気ですか。と目で訴えてみるけれど、通じるわけもなく公爵夫人はぼくを見つめ返している。彼女も何か伝えようとしてくれているのかもしれないけれど、あいにくぼくはエスパーではないので分からない。
「キングスレーさん」
イレブンバック氏が紙束を右手に、左手で顎鬚を撫でている。
「あ、はい」
居住まいを正してアーサーさんは穏やかに微笑む。先程までのセキュリティがばがばの顔とは大違いだ。
「君は何をやっている人間なのかね」
「何を、と言いますと」
「仕事だよ、仕事」
応接室に沈黙が流れる。様子を窺うと、アーサーさんがものすごい顔でぼくを見て来た。そんな「ヤベえ」みたいな顔しないでください。まさか考えてきてなかったんですか。
「キングスレーさん」
「ああ、はいっ、わ、私は、帽子を作っています」
えっ!?
間に座るアーサーさんを見たので、向こうの公爵夫人と目が合った。公爵夫人はびっくり仰天と目を見開いている。おそらくぼくも同じような顔になっているはずだ。帽子屋であるということを隠すためにマーリン・キングスレーを演じているのに、そこでなぜ帽子を作っているなどと言ってしまうのか。
「帽子屋さんなのかな」
「はい、帽子……ぁ」
アーサーさん、だからそんな顔でこっちを見ないでください。
「なるほど、では今度君の店を訪ねてみようか」
「はい?」
イレブンバック氏は使用人に紙束を返し、組んでいた足を組みかえる。
「今回のティーセットの注文、工場にすぐ話を通そう。細かく指示をしておくから完成品には期待してくれて構わないよ」
「ありがとうございます……?」
「それでだね」
イレブンバック氏が身を乗り出した。公爵夫人と同じ琥珀色の瞳がきらきら輝いている。
「よければ君の帽子を見せてくれないだろうか。出来栄えによってはうちで扱いたい」
「え、あの」
「その、今被っているのもそうかい。よく見せてくれないか」
「あゎ」
伸ばされた手を躱してアーサーさんはソファから立ち上がった。ぼくの手を掴み、引っ張る。
「本日はありがとうございました。失礼いたします。行きましょうアレクシス」
困惑した様子のイレブンバック氏にお辞儀をして、ぼくは引っ張られるまま応接室を後にした。後ろからイレブンバック氏の「おうい!」という声と公爵夫人の「ちょっとぉ」という声が聞こえてくる。そして、ラミロさんの「こら、小僧共!」という声。ラミロさんからするとアーサーさんも小僧呼ばわりらしい。
廊下を走っていると、すれ違う使用人達に目で追われる。
「ア、じゃない、マーリンっ、兄さんっ! そんなに急がなくても」
「ちょっと! 待ちなさいよ! ア、じゃない、マーリン!」
「奥様ぁ!」
玄関の扉を抜け、石畳をずんずん進む。門番さんがぎょっとしてぼく達を見た。待機していた馬車の御者さんも、走って来るぼく達を見て大慌てで馬達に準備をさせる。
ぴょんっと前に躍り出たラミロさんが馬車のドアを開けた。突っ込むような勢いで乗り込むと、後からゆっくり公爵夫人とラミロさんが乗って来た。
「何よ! びっくりしたじゃない!」
動き出した車内で公爵夫人がアーサーさんを睨みつけた。
「貴方ねえ、あの場で帽子屋だなんて何考えてるの」
「すみません」
「普通に仕事だと思われたからいいものの、ひやひやさせないでちょうだい」
アーサーさんはしょんぼりとした様子で縮こまっている。はしゃぎ過ぎて怒られた猫みたいだ。
「お父様は本気よ、貴方の店を視察する気満々」
「店なんてありませんよ。帽子だって……。帽子だって売るようなものは……」
帽子屋とはいうものの、それは獣としての呼び名であって本当に帽子屋さんというわけではないのだろう。作ることは趣味で、おそらく作っているのは自分用のものだけだ。
「店を、店を出しましょう」
「貴方正気!? 店を構えるなら届け出をしないといけないのよ。お父様のことは誤魔化せても役場のことは誤魔化せないわ」
「ではどうすればいいのです」
「私に聞かないで」
帽子の鍔を押さえて、アーサーさんは溜息をつく。ぼんやりと車窓を眺めていて、ちょっと心配だ。
「あのう」
「何かしら」
「アーサーさん、何か変じゃないですか?」
「そうかしら。いつも変じゃない?」
横でラミロさんも頷いている。違う、ぼくが言っているのはそういう意味じゃない。なんというか、そうだな、美千留ちゃんを見ている時の琉衣に近いんじゃないだろうか。
「美味しいお茶でしたね……。あれはおそらくローズヒップです」
窓の外を見た状態のまま、誰に話しかけるでもなく呟き始めた。
「ふ、ふふっふ、美味しかったですねぇ……」
大丈夫かな。しばらくお茶を飲めていなかったから、美味しいお茶を飲んで喜びが溢れたのだろうか。
「ああっ! お茶が飲みたいっ!」
「さっき飲みましたよね」
「はいっ、とっても美味しいお茶でしたね、アリス君っ!」
満面の笑みでアーサーさんは言う。確かにあれは美味しかったけれど、お茶一杯でこんなになるとは、ここ数日どれほど飢えていたのかがよく分かる。
「んふふ、おいしかったですねぇ~」
猫と帽子屋の家に戻ると、ルルーさんがぴょんこぴょんこと跳ねながら出迎えてくれた。
「お帰りー! 注文は上手く言った感じかなあ?」
「何日かでできるらしいです」
「そっか! アリス君お疲れ様! あれ? アーサーは?」
「それが……」
ぼくは馬車を振り返る。つられてルルーさんもそちらを見た。
「おい、小僧! こんなところで寝るな! ワタシにおまえを担げるはずないだろう!」
「ニールっ、ニール、来てちょうだい、大変なのよ!」
ルルーさんがぽかんとしてぼくを見る。
馬車を降りてきた公爵夫人がノッカーを鳴らしてニールさんを呼ぶ。ラミロさんは馬車のドアのところで立ち止まっていた。ぼくよりも小さいカエルの召使は、その肩に濃紺のジャケットを纏う腕を担いでいる。
「えっ、えっ、何事? アーサー死んだの? ドミノだってバレちゃったの?」
「いやぁ……」
「そんなぁ、嫌だよアーサー。僕を置いて死なないで! 君が死んだら誰がお茶を淹れるの!?」
死んでませんし地味に酷いこと言うのやめてあげてください。
玄関から走り出てきたニールさんが馬車に駆け寄り、ラミロさんからアーサーさんを引き継ぐ形で背負って戻ってきた。兄に背負われている弟はぐんにゃりとした様子で、少し顔が赤い。くんくんと鼻をひくつかせて、ニールさんは眉間に皺を寄せる。
「誰だ帽子屋にマタタビ盛ったのは」
「マタタビ? それってあれですよね、猫にあげたらテンション上がっちゃうやつ。アーサーさん、マタタビに弱いんですか?」
「こいつだって半分猫みたいなもんだからな」
様子を見ていた公爵夫人は、いつものようにニールさんに飛び付くということはせず、ラミロさんと共に去って行った。帰り際、「お父様についてはアーサーが元に戻ってからにしましょう」と言っていた。
ずり落ちてきたアーサーさんを背負い直して、ニールさんは玄関へ向かう。ぴょんこぴょんこと先に行ったルルーさんがドアを開けてくれる。
「もう、酷いことするなあ! アリス君、アーサーがこうなったのはお屋敷を出た後?」
「馬車の中です。頂いたお茶についておかしな調子で感想を言っていたんですが、ひとしきり語った後倒れてしまって」
「ん、不幸中の幸いかな。お屋敷の外でよかったよ」
リビングを過ぎ、アーサーさんの部屋に向かう。ちらりと見えたリビングではナザリオが眠っていた。
「イレブンバックさんはさぁ、ニールと公爵夫人のこと薄っすらと聞いたことあるんじゃないかな。だから、やって来たのが娘といちゃついている猫かどうか確かめようとしたとか。違うかな」
「おそらくそうだ。国の市場を掌握するあのおっさんが噂を耳にしないはずはないからな」
なるほど、そういうわけか。お屋敷で倒れていたらどうなっていたんだろう。ニールさんと公爵夫人は愛人ではないけれど、傍から見ればそうとしか見えないから、かなり危ない噂が流れていてもおかしくはない。ニールさんと間違えられたアーサーさんが激しい尋問に遭っていたかもしれない。ルルーさんの言う通り不幸中の幸いと捉えた方がよさそうだ。でも、もしかしたら飲んだ時点で効果は出ていたのかもしれない。イレブンバック氏への応答の調子がいつもの感じではなかったから。
ルルーさんがドアを開ける。タータンチェックを基調とした、掃除の行き届いた部屋。奥に姿見が立っている。
ニールさんはアーサーさんを背中から下ろしてベッドに横たえる。さて、じゃあリビングに行こうか、と部屋を出ようとしたらニールさんが動きを止めた。どうしたんだろうと思って見ると、尻尾をアーサーさんに掴まれている。
「ん、お兄ちゃん……」
「何だよやめろ。離せ」
ぺいっと手を引き剥がし、布団を掛ける。規則正しい寝息が聞こえてくる。さっきのは寝言かな。
「ニールってば嬉しそうな顔しちゃってー。仲良し仲良し」
「うるせえ耳もぐぞ」
リビングでは相変わらずナザリオが枕を抱えていた。テーブルに置かれたグラスにはピッチャーからアイスティーが注がれる。
「帽子屋のやつ、相当きてるな」
「マタタビがですか?」
「いや、お茶不足で燃料切れどころか動作不良を起こしてるみてえだ。いつも通りなら飲む前に匂いに気付くはずだからな」
ニールさんの猫耳がしゅんと力なく垂れている。対してルルーさんのうさ耳は元気よく揺れている。
「早く品物ができあがるといいね! そうすればアーサーも元気になるよ!」
それはそうなんだけど、問題は帽子屋さんを視察に来るというイレブンバック氏なんだよなあ。




